ゾウさんと暮らす

78歳の 夫ゾウさんと 暮らす 
75歳の 妻が  それなり の 
元気を 綴っています。

旅28・・ 旅の みやげ話は これで おわり

2014年05月27日 00時21分12秒 | 越後路そして縄文

越後路 そして 縄文

28 旅の みやげ話は これで おわり

ほんとうに おわりにします。

単純にはいかない 私達の 「おくのほそ道」 と 

そのうえ 縄文遺跡を 訪ねる 旅、 

旅行社は くっつけた ツアーは 組んではくれない。

そこへ ゾウさんの好きな「植物園」も 入って。

そういう点では 自分で組んだのは 正解 だったのだろう。

4日間の 二人の旅は 10万円で すこし おつりがきた。 

火炎土器の 小さいレプリカは なかった。

がちゃがちゃ を 勧められた。

銅鐸 と 遮光器土偶 が あたった。 200円×2

どちらの 館でも 写真を撮ると カードをもらえました。

あ、 その写真を撮るのを 忘れた。

写真のなかの 土器、 1個だけ カードに なっていた。

(上) 馬高縄文館の 観覧券 栞に つくりました。

 右下 はじめて見た 皿型の 火炎土器。栞につくりました。

 

(下) 十日町市博物館の 券

    xxxxxxxxxxxxxx

 

村上市の「大町文庫」で いただいた 「楷 と 蠟梅」 

 八木三男 著 xxxx

旅 最後の 食べ物。

凍 天 (しみてん)

高速道の SAで コロッケのようなものを 売っていた

「福島 名物」 … 「テレビで紹介された」 に 乗って

買ってしまった。 値段 高い、と 感じたが

これで 最後だから 食べてみようと、一個 買った。

福島生まれの ゾウさんに 車のなかで話したが

聞いたことない。 そして 「いらない」って。

一人で食べた。 おいしかった。 

xxxxx 帰宅後 ネット検索。 賛否両論だった。

自宅で あげると、 油っぽくって、 難しそう。

売店で あげたのを 即 食べる、が いいのかも。

私は よもぎの 緑色が 気に入った。その味が 良かった。

  保存食として食される 凍み餅を 水で もどし、

  ドーナツ生地でくるんで 油で揚げる。

  揚げたドーナツ生地の歯応えと、

  凍み餅の食感が独特の特徴を持つ。

xxxxxxx おわりよければ 全て よし、です。

漏れは ある。 石巻から 松島への 船旅

最上川の 舟下り。

大きい 残りは 石川県小松市と 中山温泉 付近。

おくのほそ道 は もう少しのようだが、 まだまだ。


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旅27・・ ナビは 弟子? 家来 ?

2014年05月26日 00時18分00秒 | 越後路そして縄文

越後路 そして 縄文

27 ナビは わたしの弟子 ? 家来?

xxxxx

予定していた 今回の 旅は おわった。

昨夜 帰宅のコースは 考えていたのだが、  

高速道に 入ることができない。 

日本海東北道、 きっちり つながっていない せいか

I Cへ 入る口が わかりにくい。

ナビが 正常に動いてくれない せいもあるだろう。

・中条・胎内 あたりで 1時間ぐらい うろうろしてしまった。

 

 

やっと 高速道に 入った。 車の中から 雪山を 撮る。

会津磐梯山 だろうか。

休憩を たっぷり とりながら 行く と 決めていた から

家への到着は 午後9時 過ぎるだろう。

xxxxxxxxxx

 

ナビゲーション 調子が 悪い、と 言う と 

ゾウさん 「これは あんたの 弟子。 あんたが 主。 

ちゃんと 使いこなせない、あんたが 悪い」って。 

そうじゃなくて。いうなら わたしの 「家来」では ないですか。 

うまく 案内しているな、 

信じた トタンに とちって くれる ナビ。 

地図を よく見て 先ずは 自分を 信じて、 

ついで が 「 ナ ビ 」 って ことでしょう。 

xxxxxxx 

その ナビが 言った。 

「1 キロメートル先 ループコイル高速道です」 (だったかな ?) 

はじめて聞いた。 何のことでしょう。    xxxxx しらべた。 

  スピード違反取締装置 

  車線上 60m前に コイルが埋め込まれている。 

  法定速度 + 40Kmを 測定する。 

  四角のボックスの横が 光っただけなら、速度喚起。 

  オービスに撮影された場合は、昼間でも 

  目の前が 真っ赤になるくらいのフラッシュを 感じる。 

  免停や 減点。 罰金 6万円から7万円。

分かったような わからないような。 

xxxxxxxxx  明るいうちに 走っておきたい が

ゾウさんが 疲れているように 見えた。

車の中で、 眠ってもらうことにした。 

ゆっくり 休んで欲しいから、邪魔しないように、私は 車の外。

旅 最後の 写真を撮る。 30分過ぎた。 出発。

そのあとも 一回 休んで

着いたのは 10時近かった。 

無事ついた。 ゾウさん ありがとう。 

xxxxxxxxxx  

書き足りないことが あるので、 もう1回 です。 


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旅26・・ 村上城下の 芭蕉の宿

2014年05月25日 00時07分58秒 | 越後路そして縄文

越後路 そして 縄文

26 村上城下の 芭蕉の 宿をみる 

 

 

 家の前       ↑ ここにみえるのが 下の 看板?

 

「宿久左衛門」 と なっている。

私の 本には 大和屋、 となっている。 同じ宿だろうか。

井筒屋と 改称。 現在は 地域特産品の販売所 だって。

若い お客さんが 数人 買い物をしていた。

その 脇のみち (だったかな)を 入ったら

  縦型の 看板 あり、    ↓ ここ 井筒屋 と なっている

民宿を しているような つくり。

かなり むかし。 私が 怪我をしたときより かなり 前。

村上市での 私達の宿探しをしたとき

この芭蕉の宿、泊まることができる、と あったような。

ここだったような気がする。

「奥の細道」を たどるものなら 泊まりたいにちがいない。

これは 保存されている 中級武士の 家 (若林家)

岩手の 武士の家と そう 変わりがない。

この付近から 城跡を ながめた。

ここが 本丸付近だろう。    ↓ 

肉眼では 石垣らしいものが かすかに 見えた。

残っているということだった から ここだと 思いたい。

xxxxxxxxxxxxx

芭蕉さんは 村上市 2泊。

その間、 瀬波 へ 行った と。

私たちが 3日前 宿にした ところは 瀬波温泉だった。

温泉は 明治37年に石油掘削中に 熱湯が噴出したものだから、

芭蕉さんは 入っていない。 

xxxxxxxxxxxx 

越後路、きっちりとは 歩いていないが 良しにする。

これで 帰宅。

今回の旅の ブログ は あと 1回で おわる。


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旅25・・ 村上市・ 文庫と 海鮮丼と

2014年05月24日 00時07分43秒 | 越後路そして縄文

越後路 そして 縄文

25  村上市・ 文庫と 海鮮丼と

xxxxxxxxxxxxxx

新潟南部の 十日町市から 高速道を 北上して 

最初の日に 見おとしてしまった 北の方向の

村上市に 着く。 1時すぎているから、 

見学のまえに 昼食 とらなくちゃ。

 

 

家の前に 「定食のメニュー」が 出ていた。

屋根の方向に 大町文庫 という 看板が あった。

昔、地域文庫を開いていたので この言葉には 即 反応をする。 

なんで 「文庫」 ?  ともかく 入ってみよう。 

あらあら、 ドッキング されている。

本棚があって、 食事用の テーブル椅子が あった。

どっちも やっているんだ。 素敵です。

 これは はらこ海鮮丼 だった、かな

確か コーヒー付きで 980円でした。

絶品です。 毎日 食べたい です。  

まあ 経済的に 毎日は 無理でしょう。 

でも 週1 絶対に 来るだろうなぁ。

遠すぎて 残念です。

大好きな本に 囲まれて 

こんな おいしいもん 食べて、 ストレスが 飛ぶ、 きっと。

身体が ふわふわに なるでしょう。

この3泊4日の旅のなかで 一番の ごちそうでした。

xxxxxx 

芭蕉さんたちも おいしい魚を 食べたことでしょう。 

 

壁には、 古い絵図が あった。

昔の資料をもとにして 現代の方が 描いたものだという

村上市 城下町の絵図だった。

この旅の 最初の日 いくらか 町をめぐっている。 

城跡も ながめている。 

この空間が ますます 好きになってきた。

 らせん階段の うえにも

本がある、と。 勝手に見ても いい、と。 

手すりにつかまって 登った。やはり 本がたくさんあった。

十冊ほど × 三種類の本 置いてある。

そのわきに 「欲しい方は どうぞ ……」 だって。

柳田国男のことで 話が はじまっていた 

エッセイ集 「楷 と 蠟梅」 八木三男著 一冊を いただいた。

いま すこしずつ読んでいる。

xxxxxxxxxxxx この文庫についてのHPに 

大町文庫 の 館長は  瀬賀 弘行さん、と あった。

    http://oomachibunko.net/

拾い読みを した。

館長 瀬賀 弘行さん は 

・内科 ・呼吸器科 ・アレルギー科 瀬賀医院の 先生。

この方が 5000万円の 費用をかけて 

文庫をつくったのだそうな。 xxxxxxxxxxxxx

高校時代の 恩師 三人の 書籍を 集めた。

本間桂先生・村上高校、英語教師。(およそ5000冊)

故 八木三男先生 ・村上高校、社会科教師。日本史関連の本が多い(約5000冊の本)。

故 大嶋久夫先生 ・村上高校、英語教師。(シェークスピアについて造詣深し)

xxxxxxxxxxxxx

これだけの 蔵書を持っていた先生方。

広範な 教養にささえられた 先生方の 

ご指導を 受けた 生徒達は 幸せだったことでしょう。

建物を作っても 運営に お金が かかるので、

同級生の 「うおや」の 社長に

食堂「一鰭(いちびれ)」や」を 開店してもらった。 

こんなことが 書かれている。 なかなか。 


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旅24・・ 火炎土器展示にも 地震の影響

2014年05月23日 00時15分20秒 | 越後路そして縄文

越後路 そして 縄文

24    火炎土器の 展示にも 地震の 影響

xxxxxxxxxxxx

昨日の記事に書いた 大きな火炎式土器を みることができる。

嬉しくて 十日町市博物館へ 行った のだった が

その土器は 二十個ぐらいしか 展示されていなかった。

岩手でみた 大きい火炎型土器の展示 は、なし

見たてられないほどあることを 想像していたのに。

写真手前の額に 発掘された 土器の数が 書かれている。

平成11年 国宝指定

笹山遺跡出土深鉢形土器 五十七点 とある。

 

 

職員の方。 

何年かまえの 大地震のとき これらの国宝が 危険に さらされた。

そのときから 発掘品は すべてを 展示しないことに なったのだそうな。

xxxxxxxx   私が 見たかった 大型は 明日から 展示。 

今年度の 展示は この4月 と 7月、 

それから 9月と ポスターに 書かれていた。

xxxx  私は

ここへ 来ることは もう かなわないでしょう。

岩手に また 回ってくることを 願いましょう。

 

上は 栗ノ木田(くりのきだ)遺跡 排石墓。 

縄文時代後期(約4,500~3,250年前)。 

地上には 柱状の立石(りっせき)を 中心にして、 

周辺に偏平な石が敷き詰められている。 

その下から 5基の墓壙(ぼこう=墓穴のこと)と 

2個体の鉢形土器(はちがたどき)が発見。 

配石墓(はいせきぼ)の集合したものと考えられている、と。

 

    岩手で 環状列石 と 呼ばれている ものに 似ている が  

    岩手では 「墓」だ と 決定づけられては いなかったような。

 xxxxxxxxxxxx

さっき 笹山遺跡で 「特別展 はじまっている」と 聞いたので

幸運を よろこんだのだが、 さっきも かいたとおり

明日(土曜日)から だったわけで、

がっかり。

xxxx これは レプリカ xxxx 

 

 

火焔型土器は オコゲが付着することがあるため、

煮炊きに使われたことが ある と いう。

こんな 手の混んだ 豪華な 土器は 

祭祀にのみ 使われたものだ と 私は 思っていた。 

火焔型土器の 仲間の王冠型(おうかんがた)土器は、

国宝に 14点 

新潟県笹山遺跡出土深鉢形土器の中に、3点 含まれている ?

xxxxxxxxxxxxx  あとは 編布(アンギン)だけを 見て 

とにかく 博物館は 出なければ。 これから 村上市に戻る。 

いそがないと 今日中に 岩手に帰れない。

xxxxxxx 

アンギンとは カラムシ(苧または苧麻と書く)などの

植物繊維を細い縄や紐にし、

スダレや俵を編むのと同じ技法で作った編み布。

近現代においてアンギンが実際に実用されていた地域は、

全国では 

現在の十日町市から 津南町にかけてのみだった、と。

xxxxxxxxxxxxxx  一応

  新潟県笹山遺跡出土深鉢形土器のことを 記しておく。

有名な火焔型(かえんがた)土器を 含む

928点の出土品で構成されている 国宝の正式名称。

火焔型土器は、立体的な装飾に富み、原始造形美を有する。

その独特な形や文様は、

近隣各地の土器様式の影響のもと、

今から約5300年前に 信濃川中流域で成立し、

同地域において約500年間にわたり 継続、発展したと(推定)。

分布の中心が列島有数の豪雪地帯であるこの地域にあることは、

当時の社会領域を知る上で、示唆的。

では また


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旅23・・ 笹山遺跡、思いがけないおくりもの

2014年05月22日 00時11分44秒 | 越後路そして縄文

越後路 そして 縄文

23 笹山遺跡、 思いがけないおくりもの

 

新潟県 十日町市の 博物館に 来たかった理由。

岩手の 縄文展示会で 大型の 火炎土器 を みたことがある。

   (その土器が 発掘された所を 十日町 と 決めつけていた )。

いつか 新潟へ 行くことが できたら 

もっと もっと たくさんの 火炎土器を みることが できるだろう。 

いけたらいいな、 楽しみにしていた。xxxxxxxxxx 今回の 

奥の細道 紀行で 長岡に 宿をとったとき 

十日町市が 隣の町だ、と 気が付いた。

そんなら 足をのばそう。

その他の 土器を みてこよう、と おもったのだった。

 

前日 長岡からも 道筋に こんな 看板を 見てしまった。

笹山遺跡 の 文字と 火炎土器の イラスト。

昨日 馬高遺跡で 火炎式土器を みた。 

これは 余録のようなもの、と おもっていたら、    

この 看板。 笹山遺跡が近いと なると ますますの もうけもの。

xxxxxxxxxxxx 

最終日。 25日。 昨夜 パソコンを 使えなかったので

ホテルでの 朝食のとき、 従業員の方に 聞いた。

「 車で 10分 かかりません。 道 右手です」 と。

博物館が 開くまでの時間 見学に 行くことにした。

縄文館が あった。

  

これは なんだろう。 墓 ?  環状列石 ? 

 

写真 車の上方 が 残されている 地所。

岩手の 御所野遺跡よりは 狭いが ほんとうは もっと

広いのだろう。 げんに 縄文広場? の 入り口、

発掘中のようで ブルーシートが 被さっていた

 。

もっと もっと いろんな土器が 発掘されてることだろう。

xxxxxx 博物館へ 行こうと おもって 車の 来たら

ここの 施設の方が チラホラと 集まってきて、

そのなかの 責任者らしき 女性が 

   見学していきませんか。

断る理由などない。

2階の 発掘物を 整理している ところを見せていただいた。

ボランティアの方々 男女5人 ? が 作業にかかっている。

1階には 実物大の レプリカ 火炎式土器が 飾られていた。

これの実物を これから 博物館で みることができるのだ。

さぁて 行こう。 


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旅22・・ 大型絵本ぐらいの 横書き看板の 宿 

2014年05月21日 10時13分41秒 | 越後路そして縄文

越後路 そして 縄文

22 大型絵本ぐらいの 横書き看板の 宿

xxxxxx 

3日目の 宿 

目的地近くに 取れて 良かったと おもったのだが

今夜の宿は、 街中 すぎた。

いつもと 同じく、 ナビは 

「目的地付近です。案内をおわります」 で チョン。

一つ手前の交通量の 少なそうな 小路に 

ゾウさんと 車をおいて、反対側の道にいた女性に

地図をみせて ホテルを 教えていただいた。 

ほんとに すぐ そこだった。 

大仰な看板はなくて、大型絵本ぐらいの 横書き看板。

間口も、せまい。

(真ん前まで ナビされても 気が付かないかもしれない。)

xxxxxxxxxx 

フロントは 留守。 奥に 台所 わずか見える。

ボタンをおしたら 「ちょっとお待ちください」 だった。

駐車場は 「となりの銀行との間にある」と。

「裏から 入れますか」に 「はい」。

その道を 詳しく聞こうとしたら、フロントマンの ケータイが 鳴った。

込み入った話になっている。 

待たせている ゾウさんのところへ いく。

裏道は ここかな。 細道をはいると、銀行の 名前があった。

銀行の敷地は 広々している。  

ホテルのは 6台だった はず。

明朝、 出やすいところを ゾウさんに 指示する。

また フロントへ 行って。   了解を得る。

街中の ホテルでは こんなもんでしょう。  xxxxxxx 



買ってきた弁当を 夕飯にして 明日の予定を練る。

もう 1日延長しよう、 宿をとろう、と 思った。

持参したパソコンを つなぐ。

HP には パソコン 「使える」と なっていたので、

持参した パソコンを つないでみる。

通信をしてくれない。 ゾウさんでも 無理だった。

昨日の ビジネスホテルのは 使うことが 出来たのだ。

私たちの せいではない。

従業員は ひとりのようだ。 頼むこと できない ナ。

予定通り 帰ることに する。   

最後の 1夜になった。 バスを 使って 寝る。

明日は どんな風に なるのでしょう。では


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旅21・・ 長岡市の馬高にも火炎土器あった

2014年05月19日 01時35分50秒 | 越後路そして縄文

 越後路 そして 縄文

21   長岡市の 馬 高 にも 火炎土器 あった

 

 馬高縄文館

今 見学している 越後丘陵公園のと 一緒に

ゾウさんは、 新潟県立歴史博物館 と 

馬高(まだか)縄文館のパンフレットも 見つけていた。

ここから 2キロぐらい先に 歴史博物館がある。

それから すこし先に 馬高縄文館 が ある。

通り道だから どっちかを 見学したい。

火炎土器は 明日 十日町市博物館でみる。

でも 長岡市のも みたい。縄文館に 決めた。

越後丘陵公園を出る。

右手に 博物館が ある。 我慢 がまん。

xxxxxxx

火炎土器(写真) の 飾りをみて 縄文館に入る。

複式炉があった。 岩手の 海沿いから も

みつかって、 発掘現場に 行ったことがある。

こんなに 離れているのに 同じことを 考えるもんだな。

ガラスケースの周りを ぐるぐる見ていたら、

ゾウさんが なんか しゃべったらしく

学芸員さんが 案内して 下さることになった。

火炎の 飾り付きの 大皿、 はじめて見た。

xxxxxxxx

うまだか    さんじゅう いなば いせき

馬  高  ・  三十稲場     遺 跡

縄文時代中期 (約5500年前~4500年前)に栄えた大規模集落。

火焔土器と 同じような装飾を持つ 火焔型土器や

山形の4つの短冊形突起を持つ王冠型土器など、

「火炎土器様式」の土器が大量に出土している。

土器以外にも 三角とう土製品や 三角形土版、

土偶などの土製品、

石斧や石棒、玉類、三脚石器などの石製品といった遺物が、

2群の馬蹄形状に展開した集落から見つかった。

 

 とっても広い。


馬高・ 三十稲場遺跡は 信濃川左岸の河岸段丘上に

東側に馬高、西側に 三十稲場が、小さな沢を挟んでいる。

xxxxxxxxxxxx 時間が足りない。

さっきから ナビ 故障。

地図だけで 長岡インターを 入る。

大まちがいをして 大回りをしてしまった。

高速道を 走っている間に ナビの 調子を 直した。

ICから ホテルまでの道は 一直線だった。

ホテル付近 までは うまく行けた。 では  


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旅20・・新潟は 芭蕉さんより 良寛さんなんですね 

2014年05月18日 00時02分31秒 | 越後路そして縄文

越後路 そして 縄文

20 新潟は 芭蕉さんより良寛さん なんですね

xxxxx 

まだ、 出雲崎を おわっていない。

    あら まあぁ。 堀部安兵衛 だって。

    北国生まれとは しらなかった。

高田馬場で、 助太刀をした 中山安兵衛。

その後、 赤穂藩 堀部家の娘婿になり、

さらに 7年後 元禄赤穂事件に……。

芭蕉さんとは 関わりないが 書いておく。

xxxxxxxxxxxx 

出雲崎を でようと 車 発車させたら、 右手に

写真で見ていた構図。  駐車場 近くにあった。 

    良 寛 堂 だ。

 

この写真の 良寛さんの 真後ろに 階段がある。

そして (写真にある) 箱型が 芭蕉堂、  その裏手。

あがって 庭を ずいと いくと、 標柱と 説明板がある。

  良寛和尚生誕の地 と 書かれている。

ひと 小路 そっち側を さっき歩いていた のだ、と 気づく。

大崎屋跡をきいて 「八〇歳だけれど 知らないよ」、

そこで 諦めずに、

もう ちょっと 歩いて来れば この 標柱に 出合えたのだ。

いつも利用している 旅行社の 「おくのほそみち」ツアーには

ここも 入っている。 ツアーの 良い点は  漏らしがないこと。

大崎屋 も なんのことなく 教えてもらえただろう。

xxxxxxxx 石の 標柱近くに 

生誕の地 橘屋のあとの 説明板もあった。

 

さあ、 ゾウさんが 自分のための「植物」施設を 

ちゃんと セットしたかどうか 気をもんでいるんだから 

急がなくちゃ。

ゾウさんの 目的地 国営 越後丘陵公園 に 着いた。

 公園前の オブジェ

1時間半を 約束して ゾウさん 飛んでいった。

私の自由時間は 車のなかの 整理整頓。

今晩の 宿に持つもの。 洗濯ものの始末。 

本をよむ 時間はなかった。 では 


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旅19・・八十年住んでいるけれど、知らない、ナ

2014年05月17日 00時00分03秒 | 越後路そして縄文

越後路 そして 縄文

19  八十年住んでいるけれど、知らない、ナ

 

芭蕉園を出て 大崎屋 という宿の跡をさがす。

私の本の 地図(イラスト)を みる。

標識がある、と書かれているが、それらしきもの みえず。

さっき 店で いただいた マップは、 場所が反対に書かれてある。

困ったな。 両側を 交互に みながら 北へ 向かって歩く。 

ゾウさん  先を 歩いて さがしてくれる が……。

 

戻ったところで 旅姿の 像を みた。 下に 文字。

良寛さん だった。  

写真 左側 これは 6文銭――。  真田の 紋 ?

xxx まずい、興味を増やしては ならない xxxx


道を歩いていた 80歳ぐらいの 男性、 暇そうにみえたので 

江戸時代の 大崎屋という宿やさんを しりませんか、

と、尋ねた。

「ここに 80年すんでいるが そんなこと 聞いたことがないなぁ」。

松尾芭蕉さんが 泊まった、と いうことになっているのですが、

にも 「知らないなぁ」 だった。

 

芭蕉さぁん。

出雲崎の地名を 「ほそ道」に 書かなかったから ですよ。

もう~~。  xxxxxxxxxxxxx  

帰宅してから。

私の本を 良くみたら 印が 道 反対側にあった。

芭蕉園に 並んで  「大崎屋」の 文字が あるので、

そそっかしい私が 勘違いをしたのだ。 やれやれ。

まあ 近くまで は 行ったのだから 良しにしよう。

xxxxxxxx 

次は 主題に関わりない話。

 

 おすい溝のフタ。 

左に 佐渡おけさを 舞う人。 右手 油田。 

これは 影をみてもらいたいだけなので 小さい写真。 

左下は 私の影。カメラを持っている。 右上は ゾウさんの帽子。 

私が ゾウさんの 被写体をかくす と 怒る くせに、 

自分は 平気で やります。 xxxxx


 

《芭蕉 越後路旅程》  これを 入れるのを忘れていた。 

6月27日 折々小雨。鼠ヶ関を経て中村着、泊。

28日 葡萄峠を越え村上着。

29日 瀬波の風光を 賞でる。村上着。

7月1日 乙宝寺に立ち寄る。築地泊。午後時折大雨。

 2日 昼頃新潟行の船に乗り 午後三時頃新潟着、泊。

 3日 快晴、風あり。弥彦大明神に参詣、泊。

 4日 快晴、風あり。西生寺から野積を経て

    午後4時前出雲崎着、泊。

xxxxxxxxxx ここから

 7月5日 柏崎、米山峠を経て鉢崎着、泊。 

    6日 昼頃、鉢崎を立ち、直江津泊。 

となるので、 柏崎・鉢崎まで 予定に 入れてあった。

(直江津からは 「細道」ツアー で ちゃんと 歩いている)

しかし  

ゾウさんが、おれの 植物の 設定してあるか、と いう。 

パンフも 見つけてきて、さらにいうので、

予定変更。 

以前 金沢 永平寺の ツアーのときに

柏崎も、 観光バスで 通過している。 良しにしよう。

xxxxxxx 芭蕉さんの 続きの 越後路を 書いて

今日は 終わりにする。 では 

 7日 昨夜来の雨止まず、直江津泊。

 8日 高田に午後三時頃に着、高田泊。

 9日 折々小雨。高田泊。

 10日 折々小雨。高田泊。

 11日 快晴、暑さひどし。午後10時半に高田を立つ。

     直江津を経て能生泊。

 12日 快晴、親不知子不知の険を越えて午後5時頃市振着、泊。

 13日 境川を渡って300kmに及ぶ越後路を終る。


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旅18・・ 銀河の序 のある 芭蕉園

2014年05月16日 00時53分49秒 | 越後路そして縄文

越後路 そして 縄文

18  「銀河の序」 の ある 芭蕉園

 「伝灯塚」って、なんだろう。

急坂もなんのその、と 言いたいが 

ゾウさんが 登っていくから

 「なんでも 見ておこう」の 旅だから

仕方なし、に、 石の階段 それもかなり 急な坂を登る。

 

上には 寺がありそう ……。

 句が刻まれていた。

降りるのが 面倒だが 

降りねばならぬ。 

xxxxxxxxxx さてさて。

 

店を見つけた。 おにぎり や パンを 買う。

ここの「妻入りの街並み」の パンフレットを もらう。

お蔭で 一番の目的 芭蕉園は すぐにみつかった。

xxxx 良寛さん生家「橘屋」のあとに 名主になった

町年寄 敦賀屋跡である。大木戸があったところ。 xxxxx

   「銀河の序」の碑

芭蕉像

遠景 

「銀河の序」 

ゑちごの驛 出雲崎といふ處より佐渡がしまは

海上十八里とかや 谷嶺のけんそくまなく 

東西三十余里によこをれふして

また初秋の薄霧立もあへす なみの音さすかにたかゝらす

たゝ手のとゝく計になむ 見わたさるけにや

此しまは こかねあまたわき出て 世にめてたき嶋になむ侍るを

むかし今に到りて 大罪朝敵の人々 遠流の境にして

物うきしまの名に立侍れは いと 冷しき心地せらるゝに

宵の月入かゝる此うみのおもてほのくらく

やまのかたち雲透にみへて波のおといとゝかなしく聞こえ侍るに
                                                                    荒海や佐渡に よこたふ 天河   芭蕉

xxxxxxxxxx 冷(すさま)しき と よむ という。

冷たい を すさましい と 読むとは。

すさましき心地 とは 言いえて妙。

  流罪になったことはないが…

  あ、 下北へ転勤になるとき 「島ながし」と 言われた、ナ。

鬼界島の 俊寛、 お芝居の 一場面 を 思い出した。

平安時代、 俊寛僧都(しゅんかん そうず)は

八丈島へ 遠流されたのだった。

あの芝居の   形相こそ、 すさましい であろう。

xxxxxxxxxxxx

この石碑の 左側、四阿で 

さっきの 店で 買ってきた おにぎりなどを 食べる。

暑すぎるから 四阿の屋根が ありがたい。

出雲崎、まあまあ、良く来たなぁ。

私達の 「おくのほそ道」 は

何箇所か 徒歩での 山越えを している、 が

その他  車や 列車や バスを つかって、

忠実ではない、 気まぐれも 気まぐれ、

ツアー2回を 入れるという 複雑さで、ほそ道を なぞっている。 

らくちん の 旅の はず だが 

20年以上 かかっている。 まだ おわっていない。

では


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旅17・・ 出雲崎を 書かなかったのは なぜ

2014年05月15日 00時34分08秒 | 越後路そして縄文

越後路 そして 縄文

17 出雲崎を 書かなかったのは なぜ  

その前に 余談を。

福島&新潟の旅をしてきた、と 次女からメールがあった。

猪苗代湖で 遊覧船。 新潟では へぎそば食べたり 

恋人岬に行ったり、友だちにあったり、

したって。   若い人は やることが 違う。

老いた 私達の 新潟とは 大いに 異なります。 

xxxxxx   さて わたし達の 新潟は

 

 曾良随行日記 

 …… 最正寺ト云所ヲ、ノヅミト云浜へ出テ、 

 十四五丁、寺泊ノ方ヘ来リテ、左ノ谷間ヲ通リテ、 

 国上へ行道有。 

 荒井ト云塩浜ヨリ壱リ計有。 

 寺泊ノ方ヨリハ 、ワタベト云所ヘ出テ行也。 

 寺泊リノ後也。壱リ有。 

 同晩、申ノ上刻、出雲崎ニ着、宿ス。夜中、雨強降。

xxxxxxxxxxxxxx

今日も お天気良好。

私達は 良寛さんの 五合庵を いでて 

寺泊から ワタベ(渡部)橋をわたって 出雲崎へ 着いた。 

道の駅へ 駐車して 歩く。

 

 

 

妻入り町並み 保存を している。

上の看板の絵のように 町並みが ながながと 連なっている。

 

 

 

 これは 郵便局。

町並みに 合わせて 古風な つくりになっている。

民家の道沿いの 車庫も 木造に なっていた。

( 写真は 失敗)  

さて   

「おくのほそ道」  越後路の項には 

出雲崎は もちろん

私が こまごま 書いた 行程が

描かれていないのではないか、

書かれてあると 思ったのは「曾良随行日記」を 

読んでいたから、ではないかと、今ごろになって 気が付いた。 

xxxxxxxxxxxxxx 「おくのほそ道」 越 後 路 


  酒田の余波日を重ねて、北陸道の雲に望。 

  遥々のおもひ胸をいたましめて 

  加賀の府まで百卅里と聞。 

  鼠の関をこゆれば、越後の地に歩行を改て、 

  越中の国一ぶりの関に到る。此間九日、 

  暑湿の労に神をなやまし、病おこりて事をしるさず。

                文月や 六日も常の夜には似ず      

                 荒海や 佐渡によこたふ 天河

          xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx

 

芭蕉さんの「おくのほそ道」。  鼠ヶ関から 

一ぶり(市振)の関に 飛びこえてしまっていた。 やはり。

佐渡島は 句に 詠んでいるが、文章には ない。

しかし、 「 銀河の序」として 書かれている。それは

これから 書く 出雲崎の「芭蕉園」の 石碑にある、そうな。 

なんで 芭蕉さんは 新潟を 端折ったのでしょう。

    … … 此間九日、 

    暑湿の労に神をなやまし、病おこりて事をしるさず。 

この そっけなさ。 

宿が うまく とれなかった から、 だ、 きっと……。

経験から そう 思うことにする。

xxxxxxxxxxx 

曾良さんの方は 前記の とおり、

佐渡島を 一言もだしていない。 

「雨強降」 だから 見るはずもなし。   では また。 


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旅16・・ミイラの寺 大銀杏

2014年05月14日 07時35分16秒 | 越後路そして縄文

越後路 そして 縄文

16・・ ミイラの寺 大銀杏

旅 3日目 

出かける2日前からの 風邪のような症状は おさまった が

今日は 歯が痛い。 まだ 疲れをおぼえてはいられない。

これ以上 持病が 出ませんように。

 西正寺

芭蕉一行は 弥彦神社参拝をして 宝光院へ 泊まった。 

翌日は (上の写真) ミイラの寺へ 参った、と。 

xxxx  曾良随行日記には 

   四日 快晴。風、三日同風也。辰ノ上刻、弥彦ヲ立。

   弘智法印像為拝。峠 より右ヘ半道計行。

   谷ノ内、森有、堂有、像有。

   二三町行テ、最正寺ト云所ヲ、ノヅミト云浜へ出テ、……。

 

日記には 最正寺 と 書かれている、が 西生寺

昨夜 地図でしっかりと 確かめておいた。 今度は迷わないだろう。

長岡から だから、だいぶん 北になるが、 戻ることに した。

芭蕉さんら 二人の後を たどる旅だから、 

ここへ行かなかったら、 気分がわるい。

 

xxxx 昨日の 良寛さんの 五合庵行きのように 

くねくねと 山へ入って やっと 「西生寺」に 着いた。

先ずは トイレ。 あれあれ、 

これでは 軽い障害がある私には 使えない。

( 掃除がされていない和式は 絶対に無理 )

   

日 本 海 だ。  野積海岸

佐渡島は 向こう側だというが、今日は 見えない。

  芭蕉さんたちも ここへきたのだろうか。

展望台を降りて 受付で 拝観の栞を買う。

 案内の 番号順に 回る。 

 親鸞上人の御杖の木(銀杏)

訳が書いてあったが、読まず。    何代目かの 銀杏 ? だろう が、

これでも 充分に 古い。 葉を茂らせる力を 羨む。xxxxxxx 

 「ふみ月や からさけ拝む のずみ山」 は 芭蕉の句だとある。

「おくにほそ道」 越後路 には 

ふみ月や 六日も常の 夜には似ず

が あるが これは ここで読んだ句ではなかったような。

初心者は こういうとき どうすればいいんでしょ。

xxxxxxxxxxxx 10時。 上の写真のお堂で 

説明を聴いて、 

弘智法印の 即身仏を お参りをさせていただく。

貞治2年(1363年) 御歳66才で御入定された、と。

文部省、早稲田大学、 新潟大学などの

研究陣の 学術調査(昭和34年)で 

調べが付いている、とのこと。

貞治2年(1363年)、日本最古(600年ほど)だそうだが、

平泉の 清衡公は 1128年 ご逝去。 こちらが 古いけれど、 あれ、あれ?

弘智法印は 即身仏ということで、 同じミイラでも 意味が違う、ことを

帰宅後 知った。

xxxxx 

結構時間をとってしまった。 これから 出雲崎へ向かう。 


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旅15・・ ゾウさん、五合庵で暮らしてみると良い

2014年05月13日 00時13分12秒 | 越後路そして縄文

越後路 そして 縄文

15・・ ゾウさん、五合庵で 暮らしてみると良い

xxxxxxxxxxxxx

千眼堂つり橋 も みたい。 標識の → が ない。

ヤマカンで 行ってみる。

あった。 つり橋。  公園が 橋の 向こうにあるようだ。 

今来た山道を戻るよりは 渡った方が よさそう。

揺らさないで、よ~~~。 と ゾウさんに 言いながら

ゾウさんの カバンに掴まって 下をみないようにして、渡りきった。 

 

 

公園への 入り口の 坂を登る。ここも急だけれど

地に足がついているだけ、ありがたい。

公園には 老いた女性と 若い女性。

2人並んで おしゃべりを していた。

親 娘 だろうか。 似ているようでもあり……。

細い坂道から、 舗道に おりた。

観光バスが どんどん 登ってくる。

ゾウさん またもや 「車持ってくるから」と 

私の意見をきかずに、 さっさと 行ってしまった。

来るはずがないことは わかっている。

しかし ここは 1本道だから 変な方には 行かないだろう。 

それでも いそいで、 駐車場方向への坂を のぼった。

迎えにくるどころ か、 売店に 入るところ だった。 

追いかけた。 

案の定、 また 紙集めをしていた。   切れた  

カバンの紐を引っ張って 店のそとへ 連れだした。

帰宅してから 参考資料にする と 言うが、……。 

そんな場面は めったに あわない。

     (読む のなら、いくらか 許せる ?) 

自分の部屋の床に 投げて置く、 だけだ。 いつも そうだ。 

ゴミは 充分に たまっている。 整理して!!

さっきの 4畳半ぐらいの 五合庵、   

ゾウさんは、ここで 暮らしてみると 良い。

   ゴミを 貯める 場所はない ゾ。

 分水嶺と 分水路 どう ちがうのかな。

読んでみたかったが、 4時すぎている。

まだ。 明るいけれど、これから

長岡市の宿まで 行かねばならない。

迷いたくはないが 絶対 「迷う」 と 思った方が よい。 

xxxxxxxxxxx

一般道を行く。 今日は ナビと 地図を操って

なんとか ホテルへ 着いた。 

駐車場は 広かった。 予約は必要ない、と 書いてあったのは

このことだな。安心して 車で 夕食を求めに 街中へ 戻った。

xxxxxxxxxx

ホテルには コインランドリー が あった。

今日は 「自分の(よごれもの)だから 自分で洗ってください」

を 言えた。

これで 旅程は 半分。    では また


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旅14・・ 70歳と 30歳の 想聞歌 

2014年05月12日 00時03分08秒 | 越後路そして縄文

越後路 そして 縄文

14・・ 70歳と 30歳の 想聞歌

xxxxxxxxxxx 

良寛さんの 「五合庵」行き。

名前の由来は、前に住んでいた

お坊さんが 毎日五合のお米をもらっていたから、だって。

絵図をみると なんとか いけそうに思った。

道の駅、食堂の方が 言うには、 7分ぐらいで 駐車場、 

5分ぐらいで 良寛さんの「五合庵」に 着く、という。 

良寛さんは 芭蕉さんより あとに 活躍した方。(たしか)

芭蕉さんとは 関わりないが、

見つからなかった 西生寺 の かわりに 寄っていくことにした。

 

ところが。 ところが、 これが まあ、

とんでもない 山ん中だった。

駐車場は 広い。 

ゾウさんが さっさと 行ってしまうこともあって

杖を持たずに ついていってしまった。

ゾウさん、よ。 写真なんか 撮っていないで、

私の手を引け~~~~。

標識が あるには あるが。 どうも 不案内。

ここを行って いいのかな。 と、ゾウさん「あったぁ」。

ゴロゴロ石の 階段を 登って くだって やっと 五合庵に着いた。 

良寛さんが、約20年間(40~59才ぐらい)

過ごした という、国上寺境内にある 草庵。

 

60歳 足腰が弱って 五合庵への上り下りが 大変になった。

それで 麓のほうへ 下る。

60~69才は 「乙子(おとこ)神社・草庵」。

それから 島崎の木村家(木村元右衛門の家)の 離れ に。

このころ 70歳の 良寛さんのまえに、

閻魔堂の庵主、貞心尼( なんと30歳!)が 現れる。 

良寛さんに 憧れて、和歌を 送る。

74歳入滅するまで お付き合いをする。

のち 貞心尼 想聞歌(集) を 著す。 

さても。    たいしたもんです。 

   これから つり橋を 渡ります。では


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