ゾウさんと暮らす

78歳の 夫ゾウさんと 暮らす 
75歳の 妻が  それなり の 
元気を 綴っています。

26・・ シエシエ と 大きな声と

2017年11月22日 11時25分57秒 | 北の 縄文を 歩く

北の縄文 ・・・ 付録

26・ シエシエ と 大きな声と

xxxxxxxxxxxxxx

えこりん村から 無料バスで、恵庭駅。

そこから どこの駅で 乗り換えた のだったかなぁ。

飛行場の近くだった、が。  南千歳駅 ?

たった 1月前のことなのに 忘れている。

xxxxxxxx

この 駅の コンビニ ?

(いまも キオスク という のかな) 

夕飯を 買おうと 列に 並んだ。

駅弁を 売っている おばさんが 対応しているのは

若い女性。 その 2人に 向かって

なんか 訳が分からない 言葉を 発している。

最後が シエシエ だったので 

相手は 中国人 なのか な ?

驚いたのは この おばさん 

なめらかぁ〜に 「シエシエ」と 発音したのだ。

xxxxxxx

シェ シェ ではなく シエシエ。

「エ」が 小ちゃい「エ」ではなく シ・エ・シ・エ。

と キチンと発音するのだ、と いつか きいたような。

私よりは 若い が うんと 若くはない 女性が

中国語の 会話が できるということ。

講習を 受けているのだろう が

飛行場近くの駅の 人は、 たいしたもんだなぁ、

と 感心しながら うえの 待合室に 戻ろうと

エスカレーター上に 乗った。

おおきな 鞄を持った 人たち。

日本語ではない 大ききな 話し声。

上から 下の 人との会話

アブナイ よ と 思いながら 

挟まれて 登った。

待合室に 入った。 ゾウさんは 居眠りしている。

そこに 座っていた人たちも 

半分以上が 外国人に 思われる。

顔つきから 中国の人のように 思う が。

この人たち

ささやき声というのは 出すことが できないの かな。

そういう 文化の国の人なのか。

まさか ゾウさんのように 難聴 なのか?

そんなはずは ない ナ。 

若い人、子どもまで 大声だ。

公衆のなかにいるという 意識は ないようだ。

聞きたくなくとも 入ってくる。

日本人と 思われる人たちは 小さくなっている。

飛行場の 近くの駅は こんなもんなのかな。

xxxxxxxxxx びっくりした ぁ。 xxxx

これで 旅の 話は おわるの かも。

 


この記事をはてなブックマークに追加

困ったことは 揃って やってくる

2017年11月21日 11時29分53秒 | ・ 生 活

起きると 庭に 雪がある。 昨日も 今朝も。

今日は すぐに 解けそうな お天気。

xxxxxxxxxxx

タイヤ取り換えは 車検の日に やってもらうように

頼んであったが。

日曜日に 用事があるから

月末では 遅い。

今日やって もらいたいな、と 思う。

しかし 世間の皆さまも 急いで いるだろう。

   タイヤ交換の 仕事は 混んでいるだろう。

ゾウさん 「やりたくない」と 再度いう。

昔は やっていたんじゃないか。

車を持つものが タイヤ交換 できない で どうする。

もう 免許かえしなさい、

と 思うが それは 私も 困ること。

仕方ない。 車屋さんに 苦手な 電話をしてみた。

やはり 混んでいた。

「土曜日の 午後5時、なら できます」と。

天気予報は 曇りのち 雪。

無理。

ベットで 新聞を 読んでいる ゾウさんを 起こした。

まだ 朝食とっていない。

私も 手伝いを しよう。

大仕事だなぁ。

xxxxxxxxxx

電話の調子は まだ 直らない。

かけることは できる。 

たぶん IP電話を 使っているのだろう。

風呂も 壊れたまま、だ。

そのほか も あって どれから 処理しようか

と ……。

困ったことは 揃って 並んで やってくる、

ようだ。 


この記事をはてなブックマークに追加

25 仙台藩白老陣屋は 広かった

2017年11月20日 00時33分19秒 | 北の 縄文を 歩く

北の縄文を 歩く ・・・・ 付録

25 仙台藩白老陣屋 は 広かった

xxxxxxxxxxxx

昨年 「三好監物」を 知ってから

いろいろ 調べていた。

元陣屋 2代目の 御備頭・三好監物の 曾々孫である 

仙台市の 三好彰医師 は 白老の 小中学校の 

耳鼻咽喉科健診を 現在も 行っている、という記事。

その 三好彰さんが 

マンガ「三好監物物語」を 出版した、とあった。

 三好監物物語

資料館に 電話したの だったかな。手紙だったかな。

上のような カラーではないが、冊子が 届いた。

漫画 だから 私にも 分かりやすい。

お礼状 そこに「いつか 伺いたい」を 付け加えた。

xxxxxxxxxxx その いつか xxxxxxxx

仙台藩士は ここまで 1~2ケ月も かかって、たどりついた。

2年ほどかけて 要害を つくりあげた。 

白老陣屋の中に「塩竃神社」「愛宕神社」などがあるという。

塩竃神社の 坂の 手前まで 資料館の方に 案内していただいた。

あの時代の 大きな うねりの中で、ご苦労した方々を、思う。

内曲輪 と 外曲輪とを 開いた ご苦労が しのばれる。

広い 陣屋だった。

 

土塁が 残っている。


基礎石 が ある。

想像する。ここで 警備に あたった 人たちが

業務をしていた さま を……。

曲輪を 出ると 説明板が あった。

そこでさえも 広い敷地。

xxxxxxxxxxxxx

この陣屋は、

戊辰戦争から続く 函館戦争の後まで維持されていた。

仙台藩が維持する白老陣屋に対し

政府軍が 攻撃をかけるとの 情報が 入る。

守備していた藩士たちは 仙台に 帰ることになった。

情報が 遅れてきた 白老の藩士たちは

この地を 追われるようにして

小樽より 海路をとり、仙台まで戻った、という。

こちらも ご苦労だった、と 思うが

ひとり陣屋へ 残った上司の 悲壮な人生の終わりを 私は

語ることが できない。

xxxxxxxxx

その後の明治時代、 

仙台藩の 白石・亘理などから 移住をした人たちがいた。 

現在の 札幌白石区や 登別市・伊達市 などの

基礎を築いた、という風に 聞いた。 

  

    右手に さっきの 説明板がある。

上の写真・ 中央付近 長くのびる 緑の台地に そって 

現在の 道がある。 左へ行けば 白老駅。  

右手に 行ってみた。

小さいが 「墓地」の 案内版を 見つけた。

だれに 聞かなくとも 墓地へ 行けたことになる。

すぐ そこだったのだ。

xxxxxxxxxxx

時間を 約束した タクシーが 来た。

白老駅に着く 

ここから 札幌駅。 そして ホテル。

そして 先に書いた「北の縄文を歩く」 1 に 話は つながる。

仙台藩の 陣屋を つくったのが

岩手県南部に 屋敷を持っていたという 三好監物。 

その足跡を 知りたくて、

仙台藩の 地域に すんでいる 私は

その 白老陣屋跡へ 寄る 予定を 組んだのだった。 

時間 足りなかった。

xxxxxxxx 

白老陣屋跡が 2017年 10月 13日(金)。

北の 縄文ツアーは 10月 14日(土)

 15日(日)  そして 16日(月)は

ゾウさんのための えこりん村。

あとは 帰り道のはなし ……。 


この記事をはてなブックマークに追加

24 北海道を思い出すだろう 雪がふれば 

2017年11月19日 13時07分14秒 | 北の 縄文を 歩く

冬がきたな、と 思うとき。

外出のとき 手に冷たさを 感じはじめて、

それから 白いものが

花弁のように パラついてきた とき。

今朝 その雪が 降ってきた。

パソコンを 打つ手が かじかむ。

急いで ストーブを 焚いた。

岩手県南部の ここより 早くに

真っ白の世界になっていくであろう「北海道」

その物語を 書くのも もう少しで 終わる。

xxxxxxxxxxx
北の縄文を歩く ・・・ 余談

24 ・・・北海道を 思い出すだろう 雪が降れば

タクシーは 資料館についた。

 

安政4(1857)年、御備頭 ( おんそなえがしら ? )

として 白老元陣屋に 着任した (現)岩手県南部の

三好監物さまの 歴史を知るために 私は ここへ、

この 資料館に きたのだ。

仙台藩の 家紋 竹に雀 が たくさん 立ててある。

入ると すぐ 映像が 流れた。

いろんな 資料で 知った気になっていた。が

録画を みると さらに よく わかる。


      中央 三好監物さま

(上)故郷の 藤沢の 黄海の こと。

xxxxxxx

江戸に留学したり、藩主上洛に従い 京都に上ったり。

しかし、自分の信念を貫く 言論で 

井伊直弼の怒りを買い 一時幽閉される。

藩が 勤王派と佐幕派に 分かれたときは

尊王攘夷を 唱える。

藩内で 多数派を占める 佐幕派から 疎んじられた

不遇の時代もある。

ついには、会津藩討伐の勅命を受け入れるべし、

と 主張したため、任を解かれる。

藩内の勤王派粛清が行われる。

監物にも 官軍との内通の疑いが およぶ。

自決。明治元(1868)年8月15日、享年 53歳。

辞世の句は

生き帰り死にかはりても 国を思ふ赤き心の色は変らじ

会津藩と幕府を見放した、と される監物。

北方警備や江戸・京都で培った見識が あるために

日本国を 慮っての行動だった、と いわれる。

xxxxxxxxxxxx

岩倉具視が 亡くなったあとの 監物に 送ったもの。

監物さまは 多くの維新志士 同様、

靖国神社に 合祀された。  続く


この記事をはてなブックマークに追加

23 故郷へ 帰ること 叶わなかった 人たち

2017年11月18日 00時13分26秒 | 北の 縄文を 歩く

北の縄文を 歩く ・・・・・ 番 外

22 故郷へ 帰ること かなわなかった 人たち 

xxxxxxxxxxxxxx

陣屋跡は、白老駅から 少し離れた所にある。

調べでは 「バスは 出ていない」と なっていた。。

白老駅で 聞いたが やはり「なし」だった。

タクシーは たしか 駅前に 2台ほど いた。

先に、仙台藩士の 墓地に 行くことにした。

運転手に 墓地へ と 頼んだ。 横道を入ったが

場所を 知らなかった。 うろうろ めぐって

結局は 私が 民家の インターホンを 押す羽目になった。

「畑のヘリを めぐって 行けば 着けます」

 「あの木のあたりです」

畑のわきの道で タクシー 待ってもらって

二人 歩いた。   見つけた。  陣屋跡から 

そんなに 離れていない ことが あとで 分かった。

ネット検索で とった

デフォルメ された 地図では 距離がつかめない。

白老の陣屋には 常時100名程度の 仙台藩士が 

常住していた そうな。 150名というときもあった、と。

12年間 この地を 守った 仙台藩士の中で

故郷を遠く離れた 厳寒の地で 眠ることになったのは、23人。

主な 死亡原因は なんだったかな。

野菜不足による  ?  なんか だった が

資料を 紛失したので  正確には わからない。

見つかったら 書きこむことにする

ひとり ひとり 拝んで

また タクシーに乗って 資料館 入口へ 向かう。

うろうろしていて タクシ―代 2000円近く かかってしまった。

そのあとで 思ったこと。

迷わずに 資料館へ 行けば 良かった のだ。

xxxx。 そして

墓地の 場所を 聞いておいて

陣屋跡を 見学しながら 門の 方向へ、

そして 道を挟んだ 森の中の 墓地へ 行けば、、、

時間も 無駄にならなかった。 

標識は 小さなものだった、が 「歩き」 ならば 

絵図は 持っていたのだから 見つけることが できただろう

教訓

知らないところで タクシーを 頼むときは

先に その場所を 知っている か どうか 聞く

に 限る。そして

知っている 運転手さんを 紹介してもらうこと。

でも 運転手が そこを 知らない と 

はっきり 言ってくれる もんだろうか。疑問。

xxxxxxxx 別のとき、 

運転手さん。

知らないなぁ、と言いながら

事務所へ 電話して ナビしてもらって 連れていってくれた。

ぐるぐる回りはしなかった。

私は 観光客が わんさと 行くところには 行かない。

それが 災いするのだ。

今夜は ここまで 


この記事をはてなブックマークに追加

22  監物は 神さまに なっていたのだった

2017年11月17日 00時09分30秒 | 北の 縄文を 歩く

北の縄文を 歩く … 番 外

22 監物は 神様に なっていたのだった

( 白老の 陣屋跡の 話に 入る前に)

xxxxxxxxxx

三好監物のことを 知りたくて 藤沢へ 行ったのは

昨年、  2016年9月30日 だった。

北上川に 沿って 南下すると 思っていた場所に

見つかった。  上の写真が 居宅 周辺 。

藩政時代の井戸跡の 碑を 見つけた。

この 上の方の家が 監物さまの お宅なんだろう。

そこから 右手へ すこし行くと  

墓への道の 標柱。

斎苑入口の 右手のが 三好監物墓道 の 印。

すこし 行ったところ、左手 空地に 車をおいて 

墓の間の 坂を 登った。

うん。 きつい。 

道があって ないようなところを 歩いた。

やっと着いたのだった、が。

この 標柱を 見つけなければ

楽に たどりつく 道が 見つかった はずだ。

どうして ?

お寺さんの 都合 かな ?

  ?

これが 三好監物 墓碑 ?

塔婆も あったから 間違いない。

xxxxxxxxxxx

戻ってきて わかったこと。 

上の 井戸跡の 写真の 右手の 小道を 行けば 

すんなり ここ(下の写真)着いた、ということ。

何度も 言うが

そうだったら 楽に 行ける道 だった のだ。

部落の墓地 の 上に ある 赤い屋根が、三好神社。 

xxxxxxxxxxxxxx

今回は 岩手の 居宅の 案内を 再度。

(  わたし まだ 疲れが とれないようだ ) 


この記事をはてなブックマークに追加

迷惑電話が なかった わけ

2017年11月16日 00時00分14秒 | ・ 生 活

また 中断します。すみません。

xxxxxxxxxxxxxxxxxxx

知人から ケータイ 電話 が かかった。

午後5時から 何度も(固定)電話へ かけていた、という。

私は 着 信 音は  聞いていない。 

留守していなかったのに どうして か。

xxxxxxxxx

「嬉しい」用件は かけていただいた ケータイで 終えた。

夕食とっている うちに    もしかしたら 

うちの電話 故障 しているんでは、と。

xxxxx  それで テスト。

ゾウさんに ケータイ電話から 固定電話の番号へ かけてもらった。。。 

呼び出し音は しっかり 聞こえている そうだ。

電話機前にいる 私には 「り~~ん」の 音は 届かない。

xxxxxxxxxxxx

今度は ケータイ電話から IP 電話の 番号に

かけてもらった。 聞きなれた 呼び出し音が 鳴った。

会話も できた。

そうすると 電話の故障ではない の か も。

NTTに 聞けば わかる だろうが

その 電話番号が わからない。

とにかく 今週は 忙しい。 ゆっくり 考えよう。
xxxxxxx そういえば xxxxxxxxxx

ひと月ぐらい前に 

クリーニングやさんに 3枚の 和服を 頼んだ。

ゾウさんに 受け取りに 行ってもらった。

1枚だけ 上がってこない。

「届いたら、電話します、って サ」。

連絡は なかったが 近くに行ったついでに 
寄ってみた。「2~3度 電話したんですよ」と。

ああ 留守が 多かったから…… ごめんなさい、

そんな やり取りをしていた っけ。 

xxxxxxx そういえば xxxx
 
電気やさんには 掃除機の部品を 頼んでいた。
届いたら 電話で お知らせします、
と いう 話だったが

10月20日 だから 1か月近い。

なのに …… 電話が 来ていない。

店へ行ってみようと思っていた が

ついでがないことを いいことに のびのび させていた。

あしたにも 受け取ってこなくては……。

お詫びしてこなくては。

xxxx  もしかしたら 

このごろ 迷惑電話が なかった のは

このせい だった  ----  の か ?

迷惑な 勧誘が ないことは ありがたい。

だが……。電話どうにかしなくては ……。


この記事をはてなブックマークに追加

21 北方警備が あった 時代  

2017年11月15日 00時05分47秒 | 北の 縄文を 歩く

北の縄文を歩く 番 外

21 北方 警備が あった 時代

長く「北の縄文を歩く」を 休んでしまって すみません。

また はじめます。

xxxxxxxxxx

三好監物という 名前を 知ったのは 

仙台藩「戊辰戦争」関わりの本を読んだときから……。

藩主・伊達慶邦のブレーンのひとりだった、と 知る。

その後(現在の岩手県南部)藤沢町 黄海に 居宅がある、

と わかったので ゾウさんと一緒に 北上川に 沿って

車を 走らせた。目途には 居宅があった。

それから 山手の方向にある、という墓地へ。 

すこし きつい坂を 登った。三好神社となったいた。

あら、あら、神様 だって !!

 xxxxx

その 三好監物が 開いた「白老陣屋跡」へ行くために

白老駅に 降りたった。

そこから タクシーで 目的の 墓参り 

故郷から 遠く離れた地で 亡くなってしまった

人たちの 墓に 行く。↓ この木のあたり。

( どうも 疲れているようだ。 今日はここまで )

xxxxxxx

申し訳ないので、 三好監物の略歴を 貼っておく。

xxxxxxxxxxx

三好清房 (みよしきよふさ)。通称は 監物(けんもつ)。

幼名・武三郎。 字・顕民。 容号・閑斎。

文化12年(1815年)生 ~ 慶応4815日(1868930日)歿。

江戸時代後期(幕末) 仙台藩の重臣となった。

父は 中級武士 三好清明、母は 菅生助六の娘・もと。

安政2年(1855年)に 出入司兼公義使に抜擢されて 

藩主・伊達慶邦のブレーンのひとりとなった。

江戸幕府より 仙台藩に 蝦夷地警護の命令が下されると、

その任務を担当する責任者となる。

安政6年(1859年)蝦夷地警護で 失態があった

として 閉門に処された。 

文久2年(1862年)に 復帰して 若年寄格に 昇格する。 

但木土佐ら 佐幕派を支持した 監物は 

遠藤允信ら 尊王攘夷派と 対立して、藩内に政争を起こす。

大政奉還に際しては 仙台藩の軍勢を率いて上洛し、

時代の流れを見て 新政府に帰順した上で帰国する。

xxxxxxxxxxxx ついでに

三好家の 甲冑 は 岩手県 一関市指定有形文化財になっている。 

甲冑は、紺糸威桶側胴具足(こんいとおどし おけがわどう ぐそく)

といわれるもので、江戸時代末期の作と 考えられている。

三好家家紋の 三階菱を打ち、

兜、頬当、胴、草摺、籠 手、袖、佩盾の一式がそろっている。

眉庇、吹返、胸板、脇板、佩盾に小桜革を用いて いること。

家地(甲冑の裏および下地に張り付ける布) が

いずれも紺地雲巻龍金襴である。

藤沢町黄海の 居館に保管されていた。

現在の所在地は  藤沢町藤沢字仁郷(藤沢公民館)。

以上 


この記事をはてなブックマークに追加

一期一会 不思議な えにし

2017年11月14日 00時17分46秒 | 北の 縄文を 歩く

列車のなかで 全然 知らない女性に 話しかけられた。

(なんのこと だったか おぼえていない)

それから は 会話が 途絶えそうで 途絶えず

ぽつん ぽつん と 続いた。

xxxxxxxxx

どこから か 風が 来る。

スカーフで 頭をくるんだ。

髪がみだれる、もんで と 言い訳したら

お隣の女性 「みだれがみ、ですね」と きた。

あ みだれ髪。 あれは 樋口一葉 ?

その方 も 「あ そうですね」。

少したって 私 

あ 一葉じゃない。与謝野晶子 だわ。

間違っちゃった。 …… 文学 おすきですか ?

そこから 話は 弾み始めた。

岩手県南部の町に 帰るところだ と いう

この60代らしき女性を Hさん とする。

なんの 話から、か。

   長岡駅は お城の 本丸跡なんです。

そこから 戊辰戦争 関係のはなしに入って

岩手日報の小説「柳は萌ゆる」の 作家 平谷美樹さんは

金ケ崎に 住んでいる ことを 話したら

Hさん 「読んでいます。面白いです。

     知らなかったぁ。 そんなに ちかくの方……。

     あの小説は いつ終わるんでしょうね」 

この夏 「3年かかる」と 作家ご本人から 

聞いていたので、

昨年7月から はじまったのだから まだ2年近くある、と思う、と。 

Hさん 「 はじめのころは 興味なくて。 段々面白くなってきて 」

だから 本に なったら 最初から 読みたい、と。

Hさん 「盛岡の 戊辰戦争の 本 出ているかしら」

沢山 出ています よ。昨年、むかし 図書館だったところ 

なんていったかな。 もりおか歴史館 ?

そこで 「盛岡藩の戊辰戦争」上下2冊を 買った。 

下巻は これから 読むところ と 伝えた。

小説は 理解しやすいけれど、こういうのは すすみにくい。

xxxxxxxxxxxx

。。。。 乗換駅に来た。

私の方が すこし 遅い列車。

2番ホームの 動きだした 車窓を みて 手を振った。

気が付いたようだ。

お互いに 見えなくなるまで 手を……。

一期一会でしかない人との ほのかな ひととき。

同じ 岩手に住んでいるのだ。

いつか が あるのかも。

先月の 北海道でさえも あるや もしれぬ、と 思う のだから。

xxxxxxxxx 

与謝野晶子 …… 燃えるような激情を詠んだ 第一歌集「みだれ髪」。

やは肌の あつき血汐に 触れも見で

さびしからずや 道を説く君

は おぼえているが

〇 みだれ髪を 京の島田に かへし朝 

  ふしてゐませの 君ゆりおこす

〇 いとせめて もゆるがままに もえしめよ

  斯くぞ覚ゆる 暮れつ行く春

声にだして 読んだはずだが 記憶は 薄い。

若くなくなった 証拠 かなぁ。 


この記事をはてなブックマークに追加

灯りにもなれば、火事にもなる 火

2017年11月13日 00時07分29秒 | ・ 読書 ・ 映画 ・ 芝居

ゾウさんが 新刊ぐらい 店で 買いなさいよ。

      本屋さんが つぶれてしまうよ。という。

普通 本屋さんは 新刊しか 売らない よ。

まあ

この頃は 本屋さんの 片隅で 古本を 扱っているところもある。

図書館が 本屋さんに 乗っ取られて ?

共同経営に なっているところもある。

もう 昔の概念では ものを決められない。

そういう 時代に なった。

本好きなもの は どっちでも どう でも 

本が 簡単に 手に入ることは 嬉しい。

それでも ゾウさんの 意見を組み入れて

この夏、、、 出たばかりの本 2冊を 買った。

xxxxxxxx

 火 みちのく 一関忠臣蔵 」 は 

小野寺苓先生の だから 

最初から 興味を持っていた。

火は 常に胸中に在り
灯りにもなれば、火事にもなる

本の主題「火」は ここから だと。

そうそう あらすじは 

元禄の一関藩士・牟岐平右衛門が
徳川幕政下の大事件に遭遇する。
改易、刃傷、浅野内匠頭の切腹、討ち入り、
そして赤穂浪士・冨森助右衛門、妻るんとの出会い。

ここにある 牟岐平右衛門の 牟岐 は

苓先生の 旧姓であるからして どっぷり 関わりあるのだ……。
先生の 歴史小説、みちのくシリーズ
「みちのく腑分け始末」「茶杓 消えた伊達家老」
は 勿論 その他の ご本も

もう 感動に次ぐ 感動で 読んできた。

みちのくシリーズ 第3弾 「火」も

期待を 裏切らない、素敵な できあがり。

しばらく お会いしていない 苓先生の 健在を 確かめた思い。

私より 10歳 年上なのに、 頑張る なぁ。

xxxxxx

写真 右手の本 「影 裏」は 私の肌に合わなかった。

だいぶまえに

純文学の 新人賞「第153回芥川龍之介賞」を

受賞した 本も  読みつなげなかった。

xxxxxxxxx

若い人のは 私には 無理ということか ……

と 考える、と 情けない 気が しないでもない !!

xxxxxxxxxx

とにかく 

この夏は 本屋さんで 新刊を 2冊も 買ったんだ。

えへん !! って ほどでもないが ……。

ほんのすこし は

社会貢献したこと になる の か な。


この記事をはてなブックマークに追加

熟蝦夷 あら蝦夷 都加留 … … 移配

2017年11月08日 01時31分30秒 | ・ 読書 ・ 映画 ・ 芝居

戊辰戦争の 本ばかり 読んでいる と あきる ので

時々 読みやすい本を 入れることにしている。

最近は「 鉄 (くろがね) の 王 …… 流星の小柄 」。

両脇の本 「ナミヤ…   と 「火   は 読んでしまっている。

 

さ て  平谷美樹の 「鉄の王」 

宝暦四年(1754)、下野国の小藩の元・鉄山奉行だった

鉄澤(さなき)重兵衛は いま 鉄屑買いを生業としている。

藩が改易になってしまって、仲間と江戸に出てきた。

ある日、 飴を目当てに 古釘を持ってくる

なじみの子、留松が、

青みがかった銀色の光を放つ一振りの小柄を持ってきた。

希少な 流星鉄(隕鉄)で 作られている。

…… その夜、留松の一家は惨殺さる。

重兵衛たちは 事件の渦中へ ……。

これが あらすじ。

鉄とか 金とか でてくると 読まないではいられない。

著書  平谷さん は 科学者 ?  いや

美術教師だった はずだが、 

これは もう 科 学 盛りだくさん。

P140 「たたら」に関する 文章。

     素人にも わかりやすい。 面白い。

P163 には 調べ途中の「 移 配 」。

     熟蝦夷 あら蝦夷 都加留 

     三つの 蝦夷の話の あとに

「 移配といって 蝦夷たちを 捕らえて西に送り、

  空いた土地に都近くの浮浪人たちを 入植させた……」の

一文が ある。

また 「上総の国に移配された 俘囚が 反乱を おこした、

という 記録も ございます」とも ある。 

P 229 越中 五箇山 … 硝石で 商売をしていた、、、

調べたら

足利氏の命で ここに城を構えた内ヶ嶋氏が 3代にわたって

金銀山を開発し、城で 製錬加工を行っていた ……

が 見つかった。 

また 知らなかったことが 出てきた。 困る なぁ。


この記事をはてなブックマークに追加

満月には 重大事故が多い そうな

2017年11月07日 00時25分56秒 | 北の 縄文を 歩く

11月3日 勉強を 終えて、帰宅する道。

まん丸 だ、と ゾウさん。

運転手は よそ見しないで ください。 私が見ます。

ほんと まん丸。

満月の夜は 事件・事故が多い、を 思い出した。

動いているうちに 隠れて……   また 出てきた。 

♪ 出た出た 月が~~~と 歌がでた。

2番 ♪ 隠れた月が …… あれ なんだっけ。

満月は 次の日 11月4日 だった。

ついでに 調べた。

満月の夜は 事件・事故が多い   

古来から、月は 人間のホルモンバランスや

精神状態に影響を与えると信じられており、

新月・満月には 重大事故が多く、

上弦下弦の半月には「うっかり事故」が起りやすいという。

ある地方の警察署は 月の満ち欠けと

犯罪や事故の関係を統計的に調査しているとのことで、

実際に満月の前後には犯罪が増加するとのデータもあるらしい。

ラテン語で 月は「ルナ(LUNA)」。

そこから派生した「ルナティック(LUNATIC)」という英単語は、

「狂気の, 精神異常の;常軌を逸した」という意味として

今日 用いられていることからしても、

月が 人間の精神状態に与える影響は 少なからず あった ようだ。

xxxxxxxxxxxxxx  「ホント」だった。

   歌詞のほうは 

出た出た 月が
まるいまるい まんまるい
盆のような 月が

隠れた 雲に
黒い黒い 真っ黒い
墨のような 雲に

  そして 3番は 1番と 同じ歌詞だった。

終り 


この記事をはてなブックマークに追加

 木乃伊・枯骸・即身仏……ミイラ

2017年11月06日 11時11分37秒 | ・ 読書 ・ 映画 ・ 芝居

最近 真面目に アップしてきたから 

出さないと 忘れ物をした ような 気分になる。

下書きしていた 文章が あったから 出しましょう~~~。

あしたのことは わからないが ……。

xxxxxxxxxxx

菅江真澄の 講座の 研修旅行の バスの中で

受講のときに いつも 近くに座っている 女性と 

ここでも お隣になった。 おしゃべりをした。 

調べものが 好きだ、と 自己紹介したら

この頃 自転車が 怖くなって 図書館へ 行けなくなった。

甲子夜話を 調べて~~~と 懇願された。

カッシ って 甲子 だな。 聞いたことがあるような。

xxxxxxxxxx  言われたことを メモする。

まつうら(松浦)と書いて まつら、名前は 静かな山、せいざん。

お殿さま。 「カッシ やわ」 を 書いた人。      

調べてほしいことは 「平泉の ミイラ」のこと

 ( いま 忙しい けれど …… )と 思う。思うが……。

88歳 もうすこしで 9になる、と いわれたら、

それは ----- やらねば なるまい。

xxxx 

ネット 検索した。 「甲子夜話」 松浦静山 

分かりやすかった「記事は 最後(下方) に 記す。

ネット検索は  もうひとつ。 本のこと。

「平凡社東洋文庫より、 直筆原稿に基づき、正篇6

続篇8巻、三篇6巻の 計全20巻が 刊行されている」と知る。

岩手県立図書館を 開いて 「横断詮索」を かける。

なんと 一関立図書館に (閉架) 23冊を 見つけた。

xxxxxxxxxxxxx

11月3日(祝) 一関図書館に行き 関係図書を含めて 

31冊の 図書名を コピーしたもの(同封)を 提示する。 

まずは ワイド版東洋文庫 正篇6 を 出してもらう。

メモ 「平泉のミイラ」 で 思い当たる言葉 …… 

木乃伊・枯骸・即身仏 を 書き足す。

入館者用の 机に 6冊を 重ねて

1巻から 順に 目 次 を 洩らさないように ながめた。

興味がある題をみると 本文を チラチラ と 読んでみる。

ほとんど 小編 だが ときどき 長いのも ある。 

平戸藩の 殿さま、を 退職した人が どうやって

日本中の話を こんなに 集めることが できたんだろう。

結構 絵が多い。  笑いばなしも ある。

20年間 この 退職 殿さま。楽しかっただろうな。

xxxxxxxxxxxx

第4巻 中ごろに

11 「義経満洲に往く」(ミイラとは 関わりないが)を みた。その

すぐあとに 巻61-16 「奥州秀衡の墓」 2ページ が あった。

木乃伊・枯骸・即身仏 の 文字は ない。  

ミイラの ことが 書かれてあった。これで 良さそうだ。

でも ・5巻・6巻 も 眺めた。 該当するエッセイ なし。

図書館で 3枚を コピーを 願った。

xxxxxxxxxxxxxxxxxxx 帰宅

一応、読んでみる。  たった 3枚だけでも、

わからない 人名 言葉 が 出た。

それで 古本の「甲子夜話」第4巻 だけ 注文した。

買っておけば、いつか 勉強するかもしれない。

xxxxx

88歳に 送るために 資料を 大型封筒に 詰めた。

明後日 外出する予定。そのとき 送ることにする。

必要ないだろうが「義経満洲に往く」も 同封した。

バスで 88歳の人の隣に 座っていた人も

いつも 一緒に 講義を受けに来ている 方。

88歳さん よりは すこし 若そう、だ。

脇にいて 関心を 持っていそうな そぶり だった。--- 

義経を 勉強している人 だから 読んでくださる かも。

拡大コピーした 3枚を さらに こぴーして 二人分 同封した。

xxxx 松浦静山「甲子夜話」に ついて 記す xxxxxxxx

江戸時代後期に 肥前国 平戸藩第9代藩主の 松浦(まつら)清(号は 静山)  

生誕 宝暦10年1月20日(1760年3月7日)~

死没 天保12年6月29日(1841年8月15日)により書かれた 随筆集。

書名の由来は、平戸藩主を退き 隠居した後、

この随筆が 文政4年11月17日(1821年12月11日)の 

甲子の夜に書き起こされたものであることによる。

その後静山が没する1841年(天保12年)まで20年間にわたり随時書き続けられ、

正篇100巻、続篇100巻、第三篇78巻に及ぶ。

藩主時代の田沼意次政権や松平定信が主導した寛政の改革の時期に関すること、

執筆期に起きているシーボルト事件や大塩平八郎の乱などについての記述を始め、

社会風俗、他藩や旗本に関する逸話、人物評、海外事情、

果ては 魑魅魍魎に関することまでの広い範囲に及んでおり、

文学作品としてのみならず 

江戸時代後期、田沼時代から化政文化期にかけての

政治・経済・文化・風俗などを知る文献としても重視されている。 以上。。。


この記事をはてなブックマークに追加

20 北海道 は あたりまえだが 遠かった

2017年11月05日 16時33分30秒 | 北の 縄文を 歩く

北の縄文を歩く

20 北海道は あたりまえだが 遠かった 

xxxxxxx 北海道新幹線 の 終りの駅

北斗駅で 札幌行き に 乗り換える。 

 

 xxxxxxxxx

平泉を「世界遺産」に、と さわいでいたころ

東北と 北海道の 縄文遺跡 も 遺産登録を

受けようとしている、ことを 知った。 

東北は まあまあ みているが 北海道の縄文遺跡は

名前を すこし しっている だけ だった。

北海道 行きたい と 思ったが 

車で 行くのは 無理。 列車を 乗り継いで 

遺跡を 探す。バスがなければ、 タクシー。

これは 大変な 労力と お金が かかる。

東京発のが あった。ここから 羽田へ 行って?

xxxxxxx

地元発の ツアーを 見つけるまで ずいぶん かかった。

2日間の ツアー 申し込んでから 切符を 手配。

ツアー前後の 宿を とる。

そして ここに来た。 

登別でも 乗り換える。 駅前で 昼食。

「白老」駅で 降りて …… 陣屋跡は マダ だ。遠い~~~。

xxxxxxxxxxxxx

北の 縄文を歩く。。。頑張って書いた。 

もう少しで 終わるのだが 調べもの に 疲れた。

この項も 含めて、しばらくは 

ぷらぷら 書くことにしましょ。   では


この記事をはてなブックマークに追加

19 えこりん村 シモッチャッタ はなし

2017年11月04日 14時13分34秒 | 北の 縄文を 歩く

北の縄文を歩く 番 外 

19  えこりん村 シモッチャッタ はなし

xxxxxxxxxxxxx

 また バスに乗せてもらって 別区域の「銀河庭園」へ。

有料。 65歳以上は 1000円 だった。

入口では わからないが 

すこし すすむと 広さを 実感できる。 

3人の女性が 花の手入れをしていた。

   このダリア、昨日の朝 シモッ チャッテ……

   前は とっても きれいだったんですよ,

と 申し訳なさそうに おっしゃる。

 シモッチャッタ は 方言ではないだろう ナ。

  霜が 降った、それで 霜に やられた

  それで こうなっちゃった …… って ことか。

  

花を 愛していることを 感じられる言葉だった。

大事に 花の世話をしていることが わかって うれしい。

花のしおれ具合からでも 大きさは わかる。

しおれる それも 自然の なせるわざ。

「想像しますからぁ。。。 大丈夫 わかります」 と 応えておいた。 

xxxxxxxxxxx

その あと 池の汚れを 除いている 人にも逢う。 

水面が 青緑色になってる。

 水道が 故障していて 水が 流れなかった。

 それで 〇〇〇が 大発生したんだ、

と 言い訳している。

主語が 聞き取れなかったが 

 あおこ (青粉)だと わたしでも わかる。 

あおこ が 水面を 覆い尽くしたら 

水草に 影響を 及ぼすのだろう、な。

xxxxxxxx

すこし 行ったところに トイレが 見えた。

洋式、あるかな、と 不安ななるような 古びた 外観だった。

ところが=====

とっても 素敵な トイレだった。 ありがたい。

ゾウさんは 写真撮りに 夢中。

やっと会えた。

ちょっと 休んだほうが いいだろう、と 判断した。

小さな カフェを見つけていた ので 連れていった。

ゾウさんのために コーヒーを 頼んだ。

その時間が もったいない、というように 

急いで 飲んで 行ってしまった。

 トイレの場所 教えておいた。 

xxxxxxxxxxx

剪定など 植物の手入れを している人たちの 数 

入場者より 多いように 思うほどで 

そろそろ 店じまいの 時期なのかな 、と 思った。

ちょっと 哀しいな、と 

思っていたら 「レストラン」は 混んでいた。

昼時だから、みなさん ここへきていたんです ネ。

北海道に こんな 素敵な 花園が ある。

恵庭「えこりん村」 見つけられて、 良かった~~~。

 ゾウさんは こんなことは ブログに 書かない。

  せっせと 花の 写真を だしてきた。。毎日 毎日。

また 無料バスに 乗って 恵庭駅へ 戻った。

あとは 乗り継ぎ 乗り継ぎ、で 岩手の我が家へ。

いつものことだが「 最後の 旅 」が 

無事にすんだ ことを 喜ぶ。

それにしても ゾウさんは 居なくなる。

「今度のときは。。。 私の 視線の 中に いてくれ~~~」

もう~~ と 牛になって、ゾウさんに 言った。

本当に 最後    ?  の旅 ? 

xxxxxxxxxxxxxx

次は 最初の日の 私の希望地

白老の 「陣屋跡」を 記すつもり……。 では


この記事をはてなブックマークに追加