ゾウさんと暮らす

78歳の 夫ゾウさんと 暮らす 
75歳の 妻が  それなり の 
元気を 綴っています。

・・・・8  「秋田の行事」の 香爐木(こうろぎ)橋

2013年10月26日 00時26分22秒 | 男鹿 秋田 紀行

新 秋田美術館へ 移されたという 藤田嗣治の

壁画「秋田の行事」を 見たくて 今回の旅を 決めた。

当初、 自分ひとり、列車を 使っての 日がえり を 決めていた。

だから、 駅からは 徒歩 予定 だったので

駐車場は 調べなかった。  そのことと

新しい 美術館への ナビは 入っていないから

駅へ 向かうことにした のだった が、 迷って しまった。

離れた 駐車場へ とめることに なった。 新 館 から

そう遠くないところに いる はずなのに なんの 標識も ない。

美術館の看板がないのは「宣伝」不足では ないのかな、などと

すべて なにかの せいにして 

結局 新しい美術館に着いたのは 2時15分前に なってしまった。

2時から 「ギャリートーク」は はじまる。 転ばないように、急いだ。


みた。 「秋田の行事」 大っきい~~~。 

観て ますます、 この藤田の 作品が、

別人が 描いたように わたしには 思われてくる。

縦 3.65メートル、横 20.5メートル だそうな。

ピカソの 「ゲルニカ」 は

縦 3.2 メートル、 横 7.8 メートル だそうだから 

横幅は 3倍も 大きいのだ。 

 下の 美術館の HP には 「秋田の行事」の 絵が ある。

http://common.pref.akita.lg.jp/art-museum/

香爐木橋(こうろぎばし)は 中央ではなかった。

左側に 寄っている。 勘違い。 それほど わたしにとっては

こうろぎ橋の 姿が 膨らんでいた のだ。

橋を 境にして 日常と 祭とが  展開している。


大きな絵の 「橋」の前で 待っていた ら

ギャリートーク は はじまった。

( ここから 学芸員の説明のメモに 私の感慨を ミックスして 記す ) 

絵の中の 香爐木橋 右側から 説明 はじまる。

制作をたのんだ 平野政吉。 平野家が 財を築いた 外町 (とまち)。

そこに 住む人たち、犬までも 丁寧に 描かれている。 


 右 xxxxxxxxxxxxx 外町の 祭りと 年中行事。

総鎮守社・日吉八幡(ひえはちまん)神社の 山王祭、

太平山三吉神社の梵天奉納、

梵天の 奥の方にあるのは 霊峰太平山。

外町の年中行事の 「竿燈」。 今にも たおれそうに 傾斜している。

xxxxxxxxxxxxxxx 香爐木橋の 左手。

橋の すぐ脇に 箱橇が あり

商家の屋根の上には 天水甕。

雪室、かまくら や 秋田べらぼう凧 で 子ども達が遊ぶ。 

油の 工場の やぐら ?  その他 秋田の産業は 

馬橇の上の 米俵、 木材、 酒樽で 表している。

外町の人々の 冬の暮らしに にぎわいが 感じられる。

xxxxxxxxxxxxx 


祝祭 空間と 日常風景の 境界として描かれているのは、

高清水丘陵にある 香爐木橋。

古代の城柵・秋田城が築かれた この丘を暗示している のだそうな。

江戸時代、外町は 久保田城下の町人町。

当時も 秋田市の中心街だった、と。


学芸員さんが 質問を受け付けます、と。

橋の姿は ちがっているけれど 確信を持っていた。それでも

ここへ 来ることはないかのしれないと おもう と 質問をしたかった。

私は 香爐木橋を 指さして

「この橋は、菅江真澄の墓の下にある あの橋ですか」と 聴く。

そのとおり だった。

あの 「秋田の行事」を 書く前に 藤田さんは この橋へ 行っている と。

古代の城柵・秋田城が築かれた この丘を暗示している 

のです よね。 


ともかく 壮大な 壁絵であった。 

無理をして 観に行ってよかった。 もういちど みたい。

これで、 2013の 男鹿 秋田 紀行を 終わる。


 

ここからは 憶えです。 読まなくていいです。

xxxxxxxxxxxxxx

平野政吉  1936(昭和11)年 7月に 美術館 建設構想を 打ち出す。

次の年、藤田は「秋田の全貌」「歴史的秋田の意味」を 描くことを 意図し、

約半年間、頻繁に 秋田を訪れて、取材を重ねた。

そして たった 15日で 仕上げた 作品 である。

xxxxxxxxxxxxxxx

  「秋田の行事」を始めとした藤田嗣治作品の展示に

  最も相応しいのは、作品の寄贈者である平野政吉が

  藤田嗣治の 助言を忠実に守った

  現秋田県立美術館(平野政吉美術館)であろう。

  この美術館を 末永く 後世に 伝えるべきである。

という、意見があった。 わたしも そう思う。 

そこ を 写真でしか みたことがないくせ に。 


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・・・・7 真澄 と 香爐木(こうろぎ)橋  

2013年10月25日 08時01分37秒 | 男鹿 秋田 紀行

何年かまえに テレビで 「秋田の行事」を みた。 

中央に 書かれた 橋の 親柱に 気になる 言葉 「香爐木」が あった。

親柱とは 橋の欄干 (橋の縁にある落下防止用の手すり)の

端にある柱。一般的に 親柱と呼ばれている。

 

菅江真澄の 勉強のときに 香爐木(こうろぎ)が

昆虫の コオロギになり、その異名についても 知った。

強烈だった。 まあ、今は その問題は おいといて……。 

メモをした。

   平野政吉美術館

   藤田嗣治 大きい絵 ・ 中央に こおろぎ橋

これが 行事表を 貼る ボードに とめられたままになっていた。

なぜか 鉛筆で 薄く 「秋田県立美術館」とも 書いてある。

新しい美術館が できると 知ったときに 書き込んだのだろうか。 私は。

 


単純に 絵の中の 香爐木(こうろぎ)橋を 見たかった。

なぜ「秋田の行事」中央付近に 香爐木橋が 描かれたのか

その訳を 知りたいと 思っていた。 


10年ほどまえに 「菅江真澄遊覧記」、そのなかの 岩手県の分 を 読んだ。

菅江真澄は、 江戸時代 後期、 三河(愛知県)の人。

私は その文章に触れて 松尾芭蕉 「奥の細道」を 一時的に 忘れた。

これを 浮気というなら 嬉しい 裏切り なんだ。 わたくし的には。


何年かまえに 菅江真澄をしりたくて 秋田に行った。 

そのとき 本物の 香爐木橋を 見た。

真澄の墓地の下側に 香爐木橋は ある。

本当に 小さい。 言われなければ 気が付かないほどの橋である

(2006年10月20日)

真澄の  ”水のおもかげ” に 書かれた 香爐木橋 (伽羅橋)のこと。 


此の潤水の流に係け亘したるを 奇南(きゃら)橋といひ、

又 香の木橋といひ あるひは香爈木橋といふ。

  (2006年10月20日)

読みにくいが 親柱に 「きゃらばし」 と 書かれている。 

伽羅とは 香木のこと だ そうで。

( これは 藤田が 絵に 描いたような 太鼓橋では ない )

藤田嗣治が 訪れたときも この 橋のはずである。


そこから 約50メートルほどで、 右に まがると 「高清水」がある。

 ここから 右手へ 行く … 

次回は 「秋田の行事」を 見た 感想 を書く。


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・・・・6 弥生っこ村 から 払田の柵へ

2013年10月24日 00時02分44秒 | 男鹿 秋田 紀行

10月5日(土)

宿は 秋田県 青少年 交流センターに 決めていた。

普通の人も 宿泊・研修できる公共施設です、って。

夕食は 頼んでいないので 近くの 食堂で 食べた。

ゾウさんは 「おいしかった」というが、私は コンビニ弁当でも買って

暗くならないうちに やどに  着きたかった。


宿泊予定の 前日に さがすなんて 無謀なのです から、

あっただけでも 良し です。

青少年 交流センターの 名前どおり 青年たち が 多く 泊まっていた。

朝食。小学生の 元気のよい たべっぷりを

見ているだけでも、嬉しくなった。

こんなに たくさんの 子供達に 逢ったのは 何年ぶりでしょう。


 

旅 2日目は 調べていた「弥生っこ」村へ。

ここは 国の史跡にも指定されている 地蔵田遺跡。

秋田県 秋田市 御所野 地蔵田3丁目

たしか 地蔵田 は じぞうでん と 読むのでした。

 写真 右手を上ると

ここに 着く。

 

 

全国的にも 木柵で 囲まれた弥生時代の集落跡は、例がないそうな。

竪穴住居や木柵など 復元されていた。

 

旧石器時代、縄文時代、弥生時代の複合遺跡 だそうです。

子どもの 遊び場も ありました。

これが 御所野総合公園ということでしょうか。

 これ( 下 ) が 弥生っこ村 展示室 で しょうか。

たくさんの 遺物が 並んでいました。


美術館の 解説会の 2時には まだまだ 間がある。

宿で見つけた チラシ 「蝦夷と俘囚」の展示を 見に行くことにした。

大仙市高梨なので 高速道を行くことにした。

国指定史跡  払田の柵 

そのまえにある 秋田県埋蔵文化財センターの 特別展示。 

 

払田の柵は、9世紀前後に建てられた古代の城柵。

規模は 東西方向1,370m、南北方向780m、

163,000㎡  とっても 広い。

岩手の 胆沢城(岩手県奥州市水沢区) などと おなじく

当時を知る 重要な施設だと 言われている。

施設のかたに 壁に 貼ってあった 新聞掲載記事

「蝦夷と俘囚の社会」を 8枚? コピーして いただいた。 ありがたい。

さて さて 本命の 「県立 美術館」へ 行かなくちゃ。


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・・・・5 お別れをいうのに 50年

2013年10月23日 00時01分16秒 | 男鹿 秋田 紀行

 

これは 五社堂境内の トリカブト。 写真の色は 良く出ていない。

本当の色は 紫 だ。 下山時は すこし 余裕ができたからだろう、 

道の傍 何箇所かで 見ることが できた。 


さて

50年前に 男鹿で なくなった 友人がいる。 

場所 も なにも わからない。 

誰かに 「聴く」なんてできなかった。

共に 20代に 入ったばかり。 私が 1歳年上。

私の家も 貧しかったが、

小・中学生のころの 遊び友だちである 〇〇子ちゃんの家は 

さらに、 だった。 そのうえ 彼女は 病気を 持っていた。

それから 私は 生家を 離れた。 逢うことがなくなった。 

自分から 悩みを話す人ではなかった から、

近くにいても 役には 立たなかった だろうが …。

あれから 50年。 彼女は まだ 私のなかで 生きている。

供養に 行こうと 何度も思った が 出来ないでいた。


 

〇〇子ちゃん

最後の駅 男鹿 から あなたは どう 動いたのでしょう。

私だったら どんなところを 選んだのだろう。

突端の 入道崎 だろう か。

そこまで タクシーを 使ったのでしょう か。 


ゾウさんは何もしらない。

五社堂から 男鹿半島の 西岸を 走ってもらう。

ずんずん 突端を めざしてもらう。 

男鹿の地形は 50年たっても そうは 変わっていないのだろうか。

カンカネ胴 駐車場に きた。  美 し い。 

ここ に しようかな。

花を おこうと 思った が、なぜか ためらった。

3時40分が 過ぎた。 秋田方面へ 戻ってもらった。

宿には 暮れないうちに 着きたい。


 (男鹿半島の 奇岩)

先に通ったとき ながめた 奇岩の島々がある。

潮瀬崎 ここにしよう。 花を持って 海沿いまで 歩いた。

〇〇子ちゃん 遅くなって ごめん。 

やっと お別れです。

もう ちょっとで 逢える、 でしょう。 まあ 待っといてください。  


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・・・・4  なまけ おなご は いね が~~~

2013年10月22日 00時16分44秒 | 男鹿 秋田 紀行

 

半分道の 登り口は こんなもん だったが …。すぐに

木々が 両脇に 生い茂っていて くらくなった。

階段の 乱積み石の せいで、 足元が危ない。  

写真を撮る 余裕は なかった。

やっと 1枚 撮った のを 貼りつけます。

どうです。 えらい 道でしょ。 

怪我の後遺症もあるが  もともと 肺活量が 少ないからか、 私は、

若いころから 坂道では 息が切れるのだ。 

この 写真をみている と 自分の「ハァハァ」が よみがえる。


のぼりながら 思ったこと。

昨年夏、 高千穂への ツアーで 同じ風景を 見た ような。

鬼の 「階段」伝説 。

内容は ほとんど おんなじ だった 気がするが。

あそこは

階段の石 一つ一つが とっても おおきかった、と 思う。

ツアーの方々 すいすい 登っていく。  

追いつけない、と 思った。 

指をくわえて みているしか なかった。

ここから みたら 石が おおきいから 登りやすかった のかも しれない。

迷惑をかけることも 考えられた、から しかたない、です。 

さて


そこは  都城市 高崎町 だった。

【鬼岩階段】  東霧島(つまきりしま)神社の 境内から 

本殿に続く 鬼が 一夜にして造った と 伝えられている 石の階段。 

乱積みされた 石段の数は、

170段とも 180段と 書かれているが わたしには わかりません。

 東霧島神社


おおむね なりたちは おんなじ だ。 宮崎は 「石の数」

こっち (の はなし) は 「段」が 問題 ? 


男鹿のは 

その昔、 漢の武帝に連れて来られた 五色の鬼たちが、

畑を荒らし食べ物 むすめ たちを略奪するなど 荒らしまわっていた。

困り果てた村人たちは、 娘を差し出すことを 条件に、 一晩で 

五社堂まで 1000段の 石段を 積み上げることを 約束させた。

999段 積み上げた。 あと 1段という時に 村人は

一番鶏の鳴き真似をして 夜明けを告げた。 

それ以後 鬼は 村人の前に 姿を現さなくなった。


時間に 縛られてはいない、と 気持ちだけは 楽だ。 

ゾウさんは 写真撮りに 夢中だから 気にしなくてよい。 

杖を 持ち直しては つまずかないよう に 登る。

赤神神社 五社堂が 見えてきた。  わたしは

途中から 登ったのだから 

一応 500段 ほど ってことに なるのでしょうが、

そんなには ないのでしょう。  話半分 です。 が

わかりません。 

 

xx xxx 写真は 中 堂

五社堂は 赤神神社の本縁とされており、

中堂に 赤神を 祀ったので、 赤神神社の名称が 付いた そうな。

   ( 「赤神と 黒神」 の 伝説がある )

各堂の 名称は  向かって 左から、

「十禅師堂」 「八王子堂 」 「中堂」 「客人(まろうど)権現堂」 「三の宮堂」

と 呼ばれている、と。


わたしは 先に 中堂に 参って、 

右へ もどり 「三の宮堂」から 左へ、 お賽銭を あげて 祈った。

xxxxxxxxxxxx    ここへ 来てたんですねぇ。

菅江真澄 「 男鹿の 秋風 」 も まだ 読んでいない。

男鹿の五風 == ・秋風 ・春風 ・鈴風 ・島風 ・寒風


「なまはげ」の 語源は 「ナモミ(火形)ハギ」  つまり、仕事もせずに

囲炉裏にあたってばかりいる 怠け者は あしのすねに 火形がつくので、

それを剥ぎ取り こらしめてやるぞ、と いうところから 起こっている、

って。  わたしも 「 なまけ おなご(女) は いね(いない) が ~~~」 って

追いかけまわされる だろう な。   くわばら くわばら。


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・・・・3  鬼の カ イ ダ ン ~~~ です

2013年10月21日 10時21分33秒 | 男鹿 秋田 紀行

赤神神社の 近く まで  ? きたようだ。 

まづは 大きな なまはげ像 の わきにあった 看板を 読む。

 

1000段を 造る ことになった 伝説 「なまはげ」を 確かめる。

 

なまはげは、12月31日大晦日の夜(旧1月15日)、

恐ろしい形相の鬼が、わらみの を つけ、

大きな出刃包丁を手に 「ウォー、ウォー」と 奇声を上げながら

「泣ぐ子はいねが」 「なまげ嫁はいねが」と 家々を練り歩くという

男鹿半島で 行われる伝統的な 民族行事である。


五社堂に登る道の 入り口 は見つかった が

ここから 伝「999段」を 登るのは わたしには 無理だ。

階段のぼり 半分ぐらい で すむ ところ 長楽寺 近くに 

駐車場があるというので そこまで 行く。 

まずは 腹ごしらえ。 道の駅で かってきた パンなどを 食べる。

次は 「トイレ」と。 ところが 最初の 「戸」が 開かない。 

鍵がかかっている?   今日は 屋台? が 出ているのだから

そんなことはないだろう。 私の 力が 足りないのだろう。

ゾウさんは 「カメラが 壊れた」と 騒いでいる。

そんなところへ 「戸を 開けてぇ」なんて 頼んだら 

怒り心頭に なるであろう。  

用心のためだった から、  我慢出来るだろう。 

五社堂の 屏風絵(レプリカ) が 展示されていた。

秋田県 指定文化財 「紙本金地着色男鹿図屏風」

案内人を 伴った お二人が 前に 並んだ。

これ 幸い と 私も 拝聴。 

ゾウさんは 写真撮りが 忙しくて 寄ってこない。


     ゾウさん ↓  の 足です。

 

これが 鬼の階段。  途中から の はじまりの 石。

今日は ここまで。


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・・・・2 男鹿の駅にて

2013年10月20日 06時06分42秒 | 男鹿 秋田 紀行

男鹿は いつか いつか  と おもいながら

近づけなかった 場所。

ゾウさんは 寒風山に 会社の同僚と 何度か きている。

そこへいくのか と ゾウさんが言う。  私の目的地は そこではない。

男鹿半島 最終の駅は 「男鹿」だった。

車を 停めた。 なまはげの 像があった。

それで 「ここが なまはげの地」 だってことを 思い出した。

 

線路、 切れている のでしょうか

 駅舎のなか。

赤神神社五社堂の 写真もあった。寄ってみようかな。

途中

ゾウさんが 好きそうな ところは 見つけていました。 

つばき の 自生北限の地 です。

なんと そのわきに 菅江真澄の 標柱

  

ここから 赤神神社五社堂へ 向かう。 では 


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・・・・1 あぐりっこ を 食べた

2013年10月18日 00時01分00秒 | 男鹿 秋田 紀行

男鹿・秋田 紀行  ・・・・ 1  あぐりっこ を 食べた


藤田嗣治の 大きな壁絵 「秋田の行事」が 9月29日

新しい 秋田県立美術館へ 移った という。 

ある理由で 見たいと 思って きた。

ギャラリートークのある日に

列車を使って ひとりでいくことを 決めた。

スケジュールを 組んで 待った。


地図をながめていた。 秋田市の 西北に 「男鹿」が あった。

あらためて  〇〇子ちゃんを  思い出した。

男鹿半島へ 行きたい。

それで もう 予定日の 前の日になっていたが 

運転手の ゾウさんに 同行を 頼んだ。

「泊まる」のなら いいそうだ。 

次の日の 宿を とった。 

ゾウさんの すきな 植物園は ないか 探した。

道の駅だが、 結構 広い 植物施設がある ようだ。


xxxxxxxxxxxxxxx そして 当日。 

秋田行きの 最初の休み場 は 道の駅「しょうわ」

ブルーメッセ あきた

 http://www.blume-messe.com/

ゾウさん 早速 売り場の「花」を 撮りはじめた。

画像 物産センター内部

「あぐりっこ」という お菓子が あると 表示されていた。

ゾウさん「食べてみたい」と 言った。  

これから 作るから 30分かかるという。

ゾウさんにとって それくらいの時間は なんでもない。

私は 予定通り 読書することに した。


「あぐりっこ」には あんこが 入っていたと思う。 忘れてしまった。

あぐり  って なんですか。  食べたあとに 質問をした。

「農業」と いう 意味です、って。 


    アグリ 【agri
 
    多く複合語の形で用い、農業の、農業関連の、の意を表す。


食べたあと、 世界の 熱帯植物が 

年間を通じて観賞することができるという温室へ 行った。

ゾウさん 写真撮りに 夢中になっている。

 ( ゾウさんの ブログには ここでの 花が たくさん アップされています )

       ニオイバンマツリ

この花は ゾウさんが 行かなかった 温室の 花 です。

芝生花壇広場にも 季節の花が 咲いていました。

物産センターで

白い花々に ピンク1本を添えて、包んでもらいました。

さて これから 男鹿 です。


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