ゾウさんと暮らす

78歳の 夫ゾウさんと 暮らす 
75歳の 妻が  それなり の 
元気を 綴っています。

20 こぼれ話* 指1本で 動かせる 方

2014年10月14日 00時01分57秒 | 福島・兵庫(竹田城址・ほか)

福島・兵庫の 旅日記、 19で おわりにしていたのは

大切な メモ1枚 どっかに 失くしたからだ。 

それが 机の 後ろから 見つかった。 

追加をかく、ことが できる。


 20 こぼれ話* 指1本で 動かせる 人

左。 これが 車やさん 引き締まった 手で あります。

右の カメラを かまえているのが ゾウさんです。

写真 向こうは 城の石垣。

(下の2枚の写真 惚けているのは 変な加工をしたからです)

それから 10・11・12・13回に 書いたとおりのことがあって

集合場所近くの 小さい橋をわたるときに 

渡辺はま子の 「愛国の花」を プレゼント された。

歌手がすきなのか 歌が好きなのか は 聞き漏らした。

 ♪ 真白き富士の けだかさを
 こころの強い 楯(たて)として
 御国につくす 女等(おみなら)は
 かがやく御代の 山さくら
 地に咲き匂う  国の花
 
これが 1番。
2番の歌詞には 「銃後にはげむ 凛々(りり)しさは」
がある。 銃後を守る 婦人の思いを
桜 梅 椿 に たとえている。 時代がわかる歌である。 

愛国の花は、 1937 (昭和12年)に 

ラジオの国民歌謡として作られた。

1938 (昭和13年) 渡辺はま子が 歌った、と。

車やさんは たしか 62歳。
私と 10歳も 違う。
戦中に 生まれた 私でさえ 忘れている 時代の歌を なぜ ?
 
集合場所に 着いたら
ゾウさんに ハンドル ? を にぎらせて
写真を 撮ってくださったのは 車やさん です。
ゾウさん、 最初で最後の経験ができた。  

出石の 車やさんから 素敵な手書きの 名刺を いただいた。

出石は 遠い。 再度 訪れることは ないであろう。

写真を撮っていただいたおかげで

おもいでが さらに 深くなった。


この旅行は 直前に 腰痛を 起こしたので、

おかざりになるはずの 「杖」大活躍になった。

力をいれて 杖を持った ので 右腕が痛むが、

ここ 出石で 貼り薬・飲み薬を 

調達することができたので よかった。 

谷口さん ありがとうございました。 


   思い出したこと、もひとつ。 

二人とも 重くて、すみません。と いったら

「お相撲さんだって 指 1本で 持ち上げることが できます」、

と。 驚いた。 !!!

人力車体験を 追加できたので、

兵庫の 旅日記は ほんとうに 終わりに……。


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19 旅行中は不調なし、という ジンクス  

2014年10月06日 00時24分14秒 | 福島・兵庫(竹田城址・ほか)

19 旅行中は不調なし、という ジンクス


 

5日間のたび 最終日。 

白水 阿弥陀堂から ハワイアンへ 行って(いっただけ)

無事 帰宅。

風呂はいって 休むと やはり 家が 一番、 と 思う。

そのくせ、 家にいると また 旅に 出たくなる。


今回の 5日間。 出かける前の

兵庫の天気予報は 3日間 曇のち晴れ 26度 だった。

予報通り 雨は 降らなかった。

前後の 福島も 良好。

晴れ女 と ゾウさんは 私に 言った。

私のおかげで 「晴れる」のではないが それでも嬉しい。

台風にも あわず。 地震にも あわず。

  歩数は 

水曜日 13364歩 (福島)

木曜日  3734歩 (ツアー ほとんどバスの中だった)

金曜日 12817歩 (出石は 人力車だったので)

土曜日  5701歩 (ツアー ほとんどバスの中だった)

日曜日  12273歩 (駐車場を うろうろした証拠)


お天気の 不調はないが。

ジンクス やぶれてしまった はなしはある。

いままで 旅に 出たときは 腰痛は 起こさなかった。

楽しいことを しているときは

腰にも どこにも 不調は来ない、

と いう ジンクスは 壊れた。

これで 遠出を あきらめることが できるかなぁ。

11月に 申し込んである 旅行。

来春の 東京行き、と こなしたら 

後は 遠出は よく 考えなくちゃ。


追加・・・・・ 竹田城のこと。

映画「あなたへ」が テレビに 出た。

録画を 見る。 

肝心の 竹田城址に 高倉健さんが 登る。

映画館の 暗がりで 「竹田」と 書いたので、

白い標柱に「竹田……」と あったのだ。( この旅行記に書いたこと)

その シーン が ない。

ゾウさんと みたあとで

その シーンを 巻き戻して ひとりで みた。

やはり ない。 勘違いの はずはない。 

また 戻す。

竹田駅が 写って すぐに 本当に 突然に

「大手門」の標柱が 出て来る。 

入り口近くの 「竹田」は カットされたのだろう。

城跡での コンサートは 記憶どおりだった。

まあ それで 良しにしましょ。 

これで 福島・兵庫の旅は 終わり、です。

ご清聴 ?

ご清読 ? ありがとうございました。 


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18 平泉から とった地名 白・水

2014年10月05日 00時12分42秒 | 福島・兵庫(竹田城址・ほか)

18 平泉から とった地名 白・水


ツアーの 疲れを 借りの宿で とる。

朝 まだ はっきりしない 腰を いたわって

いつも 利用する ホテル の 無料の 朝食を とって。

レンタカー や さんへ。


大震災が おこるより ずーーと前。

福島の 海沿いを 廻ったとき 見つけれらなかった

白水 阿弥陀堂へ いくのだ。

今回は 迷わずに I C を でる。

ナビは ちゃんと 山の奥へ 連れ込んでくれる。

観光案内所で こんにゃく を 食べて 元気をだす。

そこで 観光地の パンフレットを 観たのが 運のつき。

フラダンスを観たくなったのだ。 ところが……。

この 旅行記に 最初に 書いた 通りのことになった。

今は あれは あれで 一応 思い出 なのだ、と おもえる

(今風にいえば) よ う な。


 

さて  


国宝 白水阿弥陀堂  正式には 願成寺阿弥陀堂

      福島県いわき市内郷白水町

 

福島県で たった一つの 国宝指定の文化財。 xxxxxxxxxx

永暦元年(1160) 岩城国守 岩城大夫 則道公

(いわきのくにのかみ いわきたいふ のりみちこう)の

岩城を 治めていた 則道公夫人 徳姫 ( 平泉の 清衡 娘)

則道公の 死後、

髪を剃り 徳尼御前(とくにごぜん)となる。

夫の冥福を祈るため 

郷里の 岩手県 平泉にならって 阿弥陀堂を建てた、

と されている。 xxxxxxxxxxxxx

白 水 の地名は、 徳姫の 故郷 平泉の 

泉の文字を 分けて名づけられた。

  

平泉の 毛越寺と 観自在王院の 園池に

習った浄土庭園は、 平安時代の面影を残している。

  池中の石組、玉石敷きの洲浜、

  中島に架けられた 橋の朱塗り欄干など

浄土庭園。 ここは 平泉の 庭に そっくり だ。 

xxxxxxxxxx

800年以上の 歴史をもつ 白水阿弥陀堂 

お堂は 白木造の柱の間が 3つある 方三間。

屋根は 宝形造り柿葺(こけらぶき)。

内陣には、黒うるし塗りの須弥壇(しゅみだん)の上に、

阿弥陀三尊像と 二天部が 安置されている。 xxxxxx 


余談 有る人がいう。 

徳姫は 基衡の子。 その二代 基衡の 妻である

徳姫の 母の 「哭き祭り」(平泉) は

岩城国守 岩城大夫 則道公 を 偲んだ 祀り だ

と いうのだ。 

そんなこと 聞いたこともない。

仁平2年 (1152) 基衡 妻 亡

永暦元年 (1160) 岩城 国守 則道公  亡

で ある。 

   岩手 平泉で 母親が 亡くなる。 

   8年後、 ここ 福島 いわき で 夫が 亡くなる。

   岩城国守 岩城大夫 則道公 を 偲んだ 祀りを 

   何年後にせよ、 岩手で する ものか。

数字は 苦手。 年代だけでは 判断は できない、かな。

どうも すっきりしない。   聞き間違い と 思いたい。 

再度 調べなくては ……。


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17 舟の ガレージは 海からみる

2014年10月04日 00時14分58秒 | 福島・兵庫(竹田城址・ほか)

17 舟の ガレージは 海からみる


ツアー 3日めは 丹後半島の東端にある伊根湾。

舟屋の里へ 大型バスで むかう。この舟屋の里は

NHKの 朝ドラ 「ええにょぼ」で 知っていた。

伊根湾は 水深がふかいそうだ。 釣りには 重要な条件。

だからこそ 釣り人のための 舟屋が 繁盛するのでしょう。

 

遊覧船を待つあいだ、 船着き場から 写真をとる。

船が来た。

ゾウさんは さっさと 階段を 登って デッキへ いった。

見慣れているはずの 海を そんなに 観たいか ?

今は 二人 山の近くに住まいしているが、20年ほどまえの

14年間、海辺のくらしがあったではないか。

景色は 即 思い浮かべることが できるはず。

誰がきいても いいがかりと 思うであろう 憎まれ口。

ゾウさんに、 届かない悪態を ブツブツ と 思う。

 

このツアーの皆さまは 

いや この回に かぎらず ツレアイ 達は 並んで

手を つながんばかりに くっついている。

何かを 語らっている。

一言も 話かけずに 行くとは なにごとか。ゾウ め。

そんなに カメラが。 そんなに 景色が 大切か。

大勢のなかの 孤独を 思う。

  もう 旅行に 連れていって あげない、よ。 

xxxxxxxxxxxx   あ、神社 かな。 海の神さまだろうか

 

舟屋は 230軒も あるそうな。

1階が 船のガレージと いうそうだが、

私には 1階というより 地階に 思える。

居間が 2階だそうな。 では 3階は 寝室?

洗濯ものが 旗めいている。 良い天気だもん ネ。

家が 海辺ぎりぎりに建っているため 

満潮時になると、海に浮かんでいるように みえる、と。


これで 見学は 終わる。

あとは ひたすら バスにのり。。おりては トイレ休憩。

予定時間より 1時間も 早く 到着 予定地についた。

前夜、 荷物は ひと箱 岩手の家に送ってあるのに、

いつもの 駅前ホテルまでの 荷物の 重いこと。

風呂入って 早く 寝よう、っと。

明日は 白水阿弥陀堂。


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16 知恵は  いる、 いらない ?

2014年10月02日 00時13分18秒 | 福島・兵庫(竹田城址・ほか)

16  知恵は いる、 いらない ?


 

昨日 書き忘れたこと。 

智恩寺の 知恵の輪。 智恵の輪 ? 


下の写真。 船の安全航行のための 灯篭だそうな。

灯篭の 真ん中にある 輪を くぐれば 

文殊様の智恵が授かる と。

みなさま は ぞろぞろ、と 足元の方を 回っている。

誰かに 助けてもらわなければ あんな 高いところを

く ぐ る なんて できません よ、 ね。

3回 間違わずに 歩けるの、かな。 横目でながめる。

私は 使うところが ない ので 

もう 「知恵」は いらない? いるの カ ナ。

xxxxxxxxxxxxxxxxx 山の上へ 行く。

また覗きを して から ロープウエイ で 下りる。

また 写真を撮るために 戻った。 それから

この右わきにある 赤い橋 を 渡って、 

天の橋立の 林の方へ 行ってみる。 白い橋があった。

集合時間が せまっている。 

ゾウさんに ケータイをかけた。  急いだ。

赤い橋が 動くから はやく 渡れ、と 叫んでいる人がいる。 

腰を ささえて 走った。   向こう 側 では、

ゾウさん のんびりと 写真を 撮って いる。

監視員?  怒っている。 ゾウさんには 届かない。

ほんとに もう~~~。

 

船が 通るときに 

東京の 勝どき橋は 山の形に 中央が 盛り上げる。

ここは 橋の 真ん中の 半分だけが 横に 動く。

コッチ側の 岸で また 橋が くっつくまで ながめて 

集合場所まで 走った。 間に合った。

腰は 薬のおかげか だいぶ よくなった。

(やっと 話が くっついた) では


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15 天の橋立 智恩寺

2014年10月01日 00時47分08秒 | 福島・兵庫(竹田城址・ほか)

15  天の橋立  智恩寺

ツアー 真ん中の日の 最後は 

智恩寺 から 天の橋立へ。

  先に お寺。

「智恩寺」… 「三人寄れば文殊の智恵」で

知られる 文殊菩薩 は みたような みないような。

それから 水辺に 行って、

ぐるりと 回って 何かを みた。 なんだったかな。

山の上に リフトで 登る。 「天橋立ビューランド」・・・

ここからの天橋立の ながめは

天に舞う龍のように見えることから 「飛龍観」と呼ばれて

いるなど 聞いたような。 ともかく みた。 写真は 撮った。 

 

竹田城址を 歩いたから、 今日は 良い日。 

話は 飛ぶ ……

 

旅行から 帰ったら 曹洞宗 「禅の友」が 届いていた。 

天の橋立のことが 載っている。雪舟の 絵が ある。 

偶然に 驚いた。  xxxxxxxxxx 

次は ツアー 3日め。 では


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14 「 〇番につないでくれ 」  

2014年09月30日 06時29分41秒 | 福島・兵庫(竹田城址・ほか)

14 「 〇番につないでくれ 」  


 

街中の 薬屋さん のまえで 車屋さん 停めた。

そうでした。

腰痛の薬が なくなりそうだったので、 薬屋さんを

教えて、と 頼んでいたのでした。 店長さんに

体調のことを 話して 薬を 選んでもらった。

この薬は 持って行ったの より 効きました。

ありがとうございました。


街中の 看板を たくさん 見せてもらいました。

車屋さん

玄関の 長押?の 上を 指さして ここは 「電話1番」の家です。

何屋さん だったか 忘れたが 当時の 看板。

「話 電」  右から 読む 。 そんな時代でした。

その下 は 上から 読む。 これで  「 一 番 」。

xxxxxxxxxxxx 日本の 電話サービスの はじまりは 

1890ねん(明治23) 東京・横浜間でした。

 

ここ 出石は その何年後 だったでしょうか。

 

 

     「出石焼」の文字の左わきに  

         ↑  電 話 二 番 と ある。 (薄れている が) 

店先には 出石の 皿そばの 「皿」が あった、 ような。

つぎ、 「あそこ」と 車夫さん。

おもわず 「三番 ですかぁ」 

違いました。煙 草 販 賣 の 古い看板です。

日本の 電話サービスの はじまりは 1890ねん(明治23)

東京・横浜間。その 何年後 だったのかは 不明。

xxxxxxxx 当時の 電話の かけ方は(多分)

電話機についている 手回し式発電機

を グルグルと回して、電話局の交換手を 呼び出す。

交換手に 「○○番につないでくれ」 と 言う。

交換手は 電話線をつなぐ。相手を呼び出して、伝える。

電話が 終わったら、また発電機を 回して

交換手を呼び出し、電話が「終わった」を 伝える。

  私が 仕事として 電話交換をしていたのは 昭和30年代

  これより すこしは 進化して いました。


さて、 出石の 街並みを 人力車の上から ながめて

写真を 撮らせてもらって。 もしかしたら ここも 

町並み保存区域 だったかな、と。

   …  調べました …

平成19年12月4日、出石城下町の中心区域となる

「豊岡市 出石 伝統的 建造物群 保存地区」が

国の「重要 伝統的 建造物群 保存地区」に 選定

…… されていました。 明日行く 所も たしか。

さて 出石市 最後は お城です。

室町時代(になると)

山名時氏(ときうじ)が 但馬地方を制圧する。

その子時義が 此隅山に本拠を構える。

山名一族は 、日本全国66カ国中 11カ国を治さめ

「六分の一殿」と呼ばれた。

明徳の乱を起こし、その後わずか 3カ国の守護となる。

時義の孫 宗全(そうぜん)は その勢力を盛り返し、

応仁の乱では 西軍の大将となりました。しかし … 略 …

山名一族の 本拠地 (先に すこし 書いた)

出石町は 「古事記」 「日本書紀」に 名前の見える 古い町。

但馬開発の祖神ともいわれる 新羅の王子 

天日槍(あめのひぼこ)が、 渡来して この地を拓いた。

(と伝えられている)。 町名は、その、天日槍の 

宝物である 『出石小刀』に 起因している

ん ですって。

xxxx 次は 天の橋立 です。  


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12 出石は 偉人 を 作る町

2014年09月29日 00時53分43秒 | 福島・兵庫(竹田城址・ほか)

12 出石は 偉人を 作る町 

    ( 失敗) 13 を 先にだしてしまった


昼食のあと 自由時間 50分。

食べて体力をつけたが 元気は それほど ない。

人力車のあった方向へ 行ってみた。

何処でみていたのか 車夫さんが 寄ってきた。

早速 出発。 

斎藤隆男 顕彰碑が 見える場所で 説明も してくださる。

さすが 山名 宗全 さんの 出どこ。

気骨ある 方が いた んですね。

斎藤隆男 聞いたことがあるような。 

立憲民政党  斎藤隆男  衆議院議員

1940年 (昭和15年) 2月2日に 

帝国議会で 衆議院本会議において 

日中戦争(支那事変)に対する 根本的な疑問と批判を 提起した。

同年 3月7日、斎藤は この演説により 衆議院議員を 除名された。

この経緯は 言論弾圧としても 扱われている。 ほか。

つぎ 大手門の一隅にある 辰鼓楼。 

そのむかし、 藩士の登城(出石城)時刻、

辰の刻(午前8時)を 太鼓で 知らせた、と。 

岩手 一関市には 同じように 「時の太鼓」がある。

辰鼓楼 の 鼓 は 形から きている、そうな、

xxx 明治14年に 旧藩医 池口氏が 大時計を寄贈した。

現在は三代目の時計が時を刻んで いる。

その となりに 湖月堂。 

出石には 蕎麦屋さんが 49軒(50だったかな)あるそうな。

 

「岩手の うちの近くにも 湖月堂があります。

そこは まんじゅうやさん だけれど。

ここは 蕎麦屋さん ですね」

車やさん 「 まんじゅう屋さんでした 」と いう。

   よくわからないので しらべた。

ここは 辰鼓楼の横にあるから 内堀店。

打ちたて、茹でたての 出石皿そばが 食べられる店。

出石名物 「権兵衛餅」も  売っている と ある。

田結庄にも おなじ名前の 店が あった。

こっちは 和菓子屋さん 「 湖月堂 」。本家 だろうか。

美しい店名の 由来は 「天のひぼこ」伝説 から

湖に浮かぶ月を イメージして 創業者が 命名した。

但馬地域を 代表する銘菓 「権兵衛餅」、

と あるから、湖月堂は、2軒ある と 言うことだろう。

xxxxxxxxxxxxxxxx 

長くなったので、今日は これで。  また。 


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13 川崎尚之助さん、桂小五郎さん、沢庵和尚。

2014年09月28日 00時20分22秒 | 福島・兵庫(竹田城址・ほか)

13  八重さんの尚之助さん、桂小五郎さん、沢庵和尚 

xxxxxxxxxx

人力車のおじさんは 肥えた二人を こともなげに 

すいすい 運んでくださる。 

ここは NHK大河ドラマ 「八重の桜」の 主人公。

八重さんの 最初の夫の 生誕地だった。

川崎尚之助さんは 天保7年(1836)、 

但馬出石藩 (兵庫県豊岡市)で 生まれた。 

嘉永7年(1854)頃、 江戸に出て 蘭学を 学ぶ。

そして、八重の兄、 山本覚馬と の 縁で、会津に来る。

それからのことは みなさま ご存知。

戦後、 移住した斗南藩で、藩の食糧調達のために

働いたのでした。

  私達は 20年以上 前 その 下北に いたのです。

  斗南藩が あった場所の 前の道を 車で

  なんど 買い物に 出かけたことでしょう。

  冬の 地吹雪 それを 何度 経験したでしょう。

ろくな 暖房もないところで、最後まで一途に

会津藩に尽くしたのに、 最後は 不幸、としか 言いようがない。

川崎 尚之助 役をした方の 端正な お顏が 

いまでも 浮びます。


 

桂小五郎の 潜んでいた 町であることは

事前の調べで わかっていました。

廣江屋という名前の 荒物屋を 営んでいた ところだそうです。

「維新の三傑」の ひとり、 桂小五郎(のちの木戸孝允)は、

池田屋の変」につづく「禁門の変」の戦いで

長州藩が敗れたため、おたずね者となりました。

京都から逃げ出すことも困難な状況の中、最後は

甚助・直蔵という兄弟の手引きによって 出石に潜伏していた。

妹のスミを 桂の女房にさせて 家を一軒借り、荒物屋を開かせた。

そこで 維新の功労者 は 

どんな 顏で 竹細工や 筵や 米を 売ったのでしょう。

その荒物屋跡に 上の 石碑が建てられていたのですが

下の写真も 桂小五郎さん 関わりだそうで 

            ↓   ↑

  やはり 桂小五郎の石碑。

何んなんでしょう。 右下 木戸孝允 潜伏〇と 読めるのですが。

城崎にも いたそうですから、 ここにも 潜んでういたのでしょう。

 


車屋さん

沢庵和尚の寺  宗鏡寺(すきょうじ)は アッチの方向です。

度々 故郷の出石に戻り、 通算30年以上を 

当寺で過ごした 沢庵和尚の 墓所は 境内に 在る。

出石城主の菩提寺でもある。 

通称 たくあん 寺ですって。xxxxxxxxx

ここ 出石は 偉人を ゴロゴロ つくる町です。


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11 人力車 を みつけた

2014年09月27日 00時36分42秒 | 福島・兵庫(竹田城址・ほか)

余談・・・・今日も 書いておきます。   

先に書いた、 田中裕子さんの映画 「あなたへ」が 

9月28日(日)午後9時から 放映されます。

岩手では 朝日 ですが……。


11 人力車 を みつけた  xxxxxxxxxx

 

竹田城址を がんばって 登ったので、

出石を 「歩 く」 余力は ない。 

駐車場から 蕎麦やさんに 来るまでの道 で、

出石市の HP で 見ていた 人力車。

3台 並んでいるのを みつけた。

20分 1000円 2名を ちらりと 確認。

これで 行こう、と 考えていた。

(明日は 乗せていただいたときのことを 書きます)


 

昼食の そばを 食べ終わるころ、長押の上に 

見慣れた 絵を見つけた。

 

ゾウさんに 言う。

後ろの絵 「道」 だよ。 誰が 書いたんだっけ。

それから、 二人で あれ、あれ。 岩手の あれ。

とうとう  画家の名前は 出てこなかった。

帰ってから しらべた。


岩手県ではなくて 青森県 でした。

種差海岸 ぞいの 道が モデル。

画家の名前は 東山 魁夷 でした。 

どうして 兵庫県の 蕎麦やさんに 掛けてあったのだろう。


 


昨日 26日 は 11月の 宿探し。

目が 痛くなった、ので、 今日は 短いが 終わる。


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10 出石(いずし)市の てんひそう さま。 

2014年09月26日 00時06分41秒 | 福島・兵庫(竹田城址・ほか)

10 出石(いずし)市の てんひそう さま


 

余談を 先に 

9月28日(日)午後9時から 先に書いた 

田中裕子さんの映画 「あなたへ」が 放映されます。

岩手では 朝日 ですが……。


さて バスは

山名宗全の 城がある 出石(いずし)市へ向かっている。

移動中に 若い添乗員さん の ガイド。 

  いずし は 古事記に 登場する 町です。

    (ここまでは 良い)

  この但馬は てんひそう が この地を 拓いた ……

てん ひ そう と 聞こえた。

手の平に  天 の字、 そして  日 の字を書く。

そ う ?。  そ う は、 やり。  か。 

と 言った。  てん ひ そう ?

 

天日槍  … … やっぱり。 あめのひぼこ を 言ったのね。

 

古事記 は 天日槍(あめのひぼこ)です。

 

 

バスの中の 人達の 反応は わからない が

てんひそう で 「違う」と いう 気配は 感じなかった。

誰も 聴いていない ?


 

夜 ホテルで ゾウさんに 話した。

「今は 歴女が 増えている。今後のために 教えたほうが いいよ」

という。

ふつうの 女の子は 知らなくても よい。 あたりまえ。

しかし 添乗員なら また この地に 来るだろう。

そこで また 「てんひそう」 と 言ったのでは、

恥を かく こと も あ る か も。

教える、というのは おこがましい、が

ゾウさんが いうことも 正しい。

古事記  天日槍  あめのひぼこ

と メモを して 持ち歩いた。 カバンが重くなった。

きっかけが つかめず 岩手に 持ち帰った。


アメノヒボコ (天之日矛、天日槍)は

古事記 日本書記に みえる 新羅の 王子。

『播磨国風土記」には 神として登場している。


出石での 最初は 昼食を 食べること。

ここの 名物は 皿そば なのだそうな。

岩手の わんこそば は お椀に 入っているが

ここは 白い皿が 5枚、 これが 一般的。

お箸の 長さに 高く 皿を積めば 名人 ?

だと、  店主殿。

お皿 5枚の そばを 食べ終わった。

あら 可愛い 絵。

これ あめのひぼこ を アレンジしている ?

みずら(髪型)を 結っていない から 違いますね。

これから 城の 町を 探索します。 では 


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9 鉄砲 座間 に 横矢 かがり

2014年09月25日 00時39分07秒 | 福島・兵庫(竹田城址・ほか)

9 鉄砲座間、 横矢掛り(かがり) があった

これが 鉄砲坐間だと、

日本で 2か所しか 残っていない と ガイド さんが 言う。

石垣しか 見えない。 

見えないところに 穴がある のだろうか。

そんなはずはない。

想像で 建物を 上に あげてみた。

でも この傾斜を 登ってくる 敵兵が いたのだろうか。

 

  鉄砲座間 とは 弓と鉄砲の射撃のために

  壁に穿たれた 銃眼のこと。

  用途によって 矢狭間と 鉄砲狭間に分けることができる。

  方形、円形、三角形が ある。

日本に 2箇所というが 場所 聞き取れなかったので

帰宅後 調べた。 備中 松山城 と あった。

↑ これ 私の手。  中央の 一番大きい 平らな 石。

ここで 願いごとをする と かなうんですって。

子ども達や その家族の 安寧を 祈った。

そうだ、 腰のこと も 頼むんだっだなぁ。 

お賽銭なしでは ?


 

横矢かがりの 話は メモにあるが

写真には 残っていなかった。

わがメモには、出っ張りがある 石垣の絵が 描かれてあった。

  横矢掛(よこやかがり)は 

  外壁の石垣を 少し凹ませ、

  二方向から攻撃できるようになっている。

  死角をなくし、敵の侵入を阻止するための工夫。


最後に この 城のことを ちょこっ と。

嘉吉三年(室町時代) 山名持豊(宋全) によって 

「安井ノ城」と 呼ばれた 「竹田城」が 築城された。

初代城主には 太田垣 光景が任じられたとしている。

(口碑が 残っている)

xxxxxxxxxxx

この 竹田城が 戦に巻き込まれたかどうか しらべたが

わからなかった。

なぜか わからないが 私は 山名 宋全さん 好きなのである。

足利義政(8代)跡目争いのために、

西陣(南朝)に 山名宗全 9万余、

東陣(北朝)に 細川勝元 10万余の軍勢が向かいあつて

11年間に わたる戦さをした 応仁の乱。

何かの ドラマで みた 坊主頭で 戦をした姿に

興味があるのかもしれない。

これで 竹田城址を おわり、 次は 生出(いずし)市へ


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8 裕子さんの 「星めぐりの歌」 

2014年09月24日 00時02分31秒 | 福島・兵庫(竹田城址・ほか)

8 裕子さんの 「星めぐりの歌」

 (私の写真ではない)

映画館の くらがりで いつか ここへ行きたい、と思った

3年まえ、 映画「あなたへ」を 観たとき、 

主役が歩いている脇にあった 白い標柱の 文字 

「竹 田」 を 急いで メモをしておいた。

xxxxxxxxxxxxx

岩手県から、 兵庫県の 朝来(あさご)市へ 行けるだろうか。

その 「竹田城址」 へ 向かって いま

私は 杖をついて 山道を歩いている。

ここは 標高350m以上ある 山城。

スカートで 歩くなんて 考えもつかない。

腰を痛めているのに、登っている ワタシも 奇妙なんだろうな。

穴太(あのう)衆が 造った 穴太積みの 石垣。 

地面につながっている 所だけは 運んだものではなくて 

そこにあった 自然の石なのだと、 ガイドさん。

だから 動かない。 納得。 

ゾウ 1匹は 5トンぐらい。 その重さの 石を

350mの ここまで 運び込んだという その技に 驚嘆。

写真では わからない が 

この階段、並んでいる 1個の 石の 幅や 高さが 

不揃い だった。 登りやすいところを 探して、は 

右に 寄ったり、 左に 行って は 

上にいる ゾウさんに 手を 引っ張ってもらった。

ゾウさん 大活躍。 助けてもらった 忘れられないところ、です。


二の丸 広場に ワヤワヤ いながら 

男性の集団が 入ってきた。

「△△県 〇〇調査費 ? から だしてもらって」

また ここへ 来よう、と 不埒なことを 言ってる。 

軽い調子 で。  いいのかなぁ。 こんなこと、大声で。

上の写真  「 あなたへ 」 で 高倉健さんが 坐った椅子だと

ガイドさんが 指さしたもの。

滑り落ちそうに 写っている が 実際は 平地にある。 

(写真 ヘタクソ)  田中裕子さんが 歌ったところは

言わなかった。  下の写真の 場所 だと 思うが。

写真 上方が 本丸。  修理中で 入ることができない。 

中央に 写っている 台地 が 田中裕子さんと

チェロの演奏者などの お立ち台 (と 思う)

わが岩手県の 宮沢賢治 作詞 作曲の

「星めぐりの歌」を 裕子さんが 歌ったところ、

だと 思うのだが…… 。

 映画では

       こ こ ↑  ?

♪ あかいめだまの さそり ひろげた鷲の つばさ
あおい めだまの 小犬 ひかりのへびの とぐろ
オリオンは 高く うたい 露と 霜とを おとす

♪ アンドロメダの くもは 魚の口の かたち。
大ぐまの足を 北に 五つ のばしたところ
小熊のひたいの上は 空のめぐりの めあて 


 今日は ここまで 


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7   「あなたへ」 の 城跡に たどりつける、かな 

2014年09月23日 00時10分40秒 | 福島・兵庫(竹田城址・ほか)

7   「あなたへ」 の 城跡に たどりつける、 かな


 

ツアー 1日目 

ホテルの部屋から 見えた 若狭湾。 下の写真は

ツアー 2日目 朝。 レストランからの 若狭湾


 

腰痛は 良くもなく かといって 歩けないほどでも ない。

竹田城跡をみたくて このツアーに 参加した のだから。

目的地について、 バスから 降りたら、 決める、 ことにしよう。

 

昨夜は ゾウさんに 

「あんたが (前日)草むらに 連れ込んだから」

痛みが でた、 と ゾウさんの 「せい」に して 脅した。

ゾウは 連れ込む なんて 勘違いされる ゾ。

と 言いながら 笑っている。


今日の 訪問地の 1 は 兵庫県・朝来市の竹田城跡。

天空の城 とか 日本のマチュピチュと 呼ばれている

高倉健さん主演の映画 『あなたへ』の ロケ地。

 

大型バスが 駐車場に ついた。

ここから 城の 石垣が見えるんでは、と 思っていたが、

見えない。 途中まで でも 行ってみよう。 ゾウさん。

登るとき 珍しくも 手を ひっぱってくれる って。  

ゾウさんの 愛人? ふたり、  いや 愛器 2台。 

その 愛器 (愛機?)  2台を いれている 

大切な カメラバックを 車に 置いて まで、

さあ、と 言ってくれているのだから、 いかなくちゃ。

小型バスに 乗り換えて 中腹まで 行く。

少し 歩いたら 石垣が 見えてきた。

城跡への 入り口も 見えた。 

足は なんとか 動いている。 行けそうな、気がする。

今日は ここまで。


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6  杖を 頼って の 旅立ち

2014年09月22日 00時23分12秒 | 福島・兵庫(竹田城址・ほか)

福島・兵庫(竹田城址・ほか)

 6 杖を 頼って の 旅立ち


 

早朝 ツアーの 集合場所に 向かう。

遅い、と ゾウさんは 言うが 

これでも 精いっぱい 歩いている。

昨日は 自分の 荷物は 自分で 持ってきた。情けないが

今日は ゾウさんに 衣類のケースを 頼んでいる。

杖を ついて エイサ エイサ と 行く。

腰には 湿布、 下着には 懐炉を 貼っている。 

薬も 飲んだ。 今日は ほとんど バスの中だから

その間に なおれば 明日の 竹田城跡は 登れる、 かなぁ。

集合時間 10分前に 着いた。


バス、1回めの トイレ休憩場所の タイル。  

 


4時過ぎ 兵庫に着いた。 腰は 痛いまま。

北近畿タンゴ鉄道ローカル列車に 乗るための時間調整、

そして トイレ休憩のために 近くの 道の駅 ? に 寄る。

花みずき? 山法師  ?  ゾウさんに聞いたのに、忘れた。

四所駅から 栗田(くんだ)駅まで

「海の上を走るような 絶景列車」という ふれこみ だが

海の近くで 14年暮らしていたもの には 

珍しいことは なし。

 

後半は その海、 若狭湾を ながめながら 進む。

東雲というところでは 安寿と厨子王の 話が 流れる。

  右手は 安寿が 潮汲みをしたところ。

  左手は 厨子王が 芝を刈った山。

丹後由良では 

由良の門(と)を 渡る舟人(ふなびと) かぢをたえ

ゆくへも知らぬ 恋(こひ)の道かな

を 詠まれた場所だ など、観光案内を している。 

これは 私達 25名の ツアー客が 乗ったので 

特別に話してくださった のだそうな。

それから また バスに乗る。

ホテルは 若狭湾を しっかりと 見ることができる 高台にあった。


 

和歌 「 由良の門を 」について 書いて

本日は おわる。

xxxxxxxxxx

由良の門(と)を 渡る舟人(ふなびと) かぢをたえ

ゆくへも知らぬ 恋(こひ)の道かな

 

曽禰好忠(そねの よしただ。 生没年不詳、10世紀後半の人)

『新古今集』恋・1071

 

由良川の河口の流れが速い瀬戸を漕ぎ渡る船頭が、櫂をなくして

行く先も分からずに漂っていく。

私の恋の道行きも そんなように、 行く末が 分からない。

 

【由良の門(と)】

由良は丹後国(現在の京都府宮津市)を流れる由良川の河口。

潮の流れが複雑で 流れも速い。

舟に慣れた船頭でさえ、つい流れに櫂を取られてなくしてしまい、

急流の中の木の葉のように翻弄されてどうしようもできなくなってしまう。

「門(と)」は、海峡や瀬戸、水流の寄せ引く口の意味で、

河口の 川と海が出会うところ。潮の流れが激しい場所です。

【舟人】 … 船頭さん

【かぢをたえ】 

「かぢ」は、櫓(ろ)や櫂(かい)のように舟を操る道具のこと。

  (船の方向を変える現在の「舵」とは 異なる)

「たえ」は 下二段活用動詞「絶ゆ」の連用形で、

「なくなる」と いう意味。 ここまでが序詞。

【行くへも知らぬ】

上の句の 流される舟の情景と、

下の 恋の道に迷う部分との両方に意味がまたがる言葉。

「行く末が分からない」と いう意味になる。

【恋の道かな】

「道」は、これからの恋のなりゆきを意味する。「門(と)」

や「渡る」「舟人」「かぢ」「行くへ」「道」はすべて縁語。

xxxxxxxxxxx 

この歌の 推定地 は この

宮津市の由良川が ほぼ 定説化しており

推定地 2 には

紀伊国(現在の和歌山県日高郡由良町)にある 

由良の御崎(みさき)が ある と。

では 


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