2017・7・3(月) のこと
駅前から タクシーで でるころには 雨は 上がっていた。
最初は 福島稲荷境内にあるという「世良修蔵霊神碑」だが
(別名「世良修蔵の官修墳墓」)。
まずは お稲荷さん 拝して、、、、
境内を うろうろ 探す。 ない ? ない?
箒をもって 出てきた 神社の 禰宜さんに 聴いた。
「道をでて、 左へ 歩いてください」
馴れているしぐさで 指さしてくださった。
神社 本殿 から 向かって 北東方向に あたる のかな。
→ 碑 この奥
↓ 長藩 世良修蔵 霊碑 と 刻まれていた。
以前は
神社 北方向(裏側)の 国有地にあり
管理は この福島稲荷神社に 委任されていた。
新政府が 建立。
大正年代になって この地に 移された、と
左手の 説明板に ある。
墓碑は 白石市にある そうな。
次は、
鎭撫軍の参謀である 世良修蔵が 投宿していた「金沢屋」跡地。
↓(仙台藩士などに 襲撃され、致命傷を 負ったところ)
つ ぎ は
襲撃の後に 引き立てられ 尋問された 「客自軒」跡。
(上の写真 の 客自軒跡から 金沢屋へは 徒歩 5分もないだろう)
世良襲撃の指揮官であった 仙台藩士 瀬上主膳の定宿。
「14 この場所は 紅葉館 (客自軒)」
と ↓ 上部左に 書いてあるこの板 は
この 松の木 ↓ の 足もとに あった。
写真 右の 黄色の標識には 「もみじ ガレージ」とある。
紅葉館の 跡地 だから だろう。
「各自軒」は 駅西側の 民家園に 移築されている。
( ここも 予定していた。が 結果として パス)
また タクシーに 乗る。
世良修蔵 連行され 斬首された、という「阿武隈川の川辺」へ向かう。
だいぶ離れている。
奥の方に 橋が見えるが、当時は ないもの。 阿武隈川の
流れる水 以外は なにもかも 変わっているんだから
想像して 見よう にも ?
写真を撮った この 土手の 右手に 「長楽寺」。
阿武隈川の すぐ近くにある曹洞宗の寺院「長楽寺」山門。
同盟軍の降伏の後、寺は 新政府軍の本陣になった という。
「長楽寺」境内には
仙台藩士細谷十太夫が組織した衝撃隊
新政府軍が 怖れた ↑ 通称「からす組」の碑 あり。
次
世良修蔵の居場所を 仙台藩士たちに教えたという
目明かし 浅草屋宇一郎 の碑もある。
浅草宇一郎が 経営していた 浅草屋には、
1876年(明治6月)の 明治天皇の東北巡幸の際、
明治天皇に付き従って 福島にやって来た
明治政府の参議・木戸孝允が 宿泊した、という。
xxxxxxxxxxx
世良と同じ 長州藩出身の木戸が、
世良を襲撃したことに加担した 浅草宇一郎の 営む宿に
宿泊しているのは 偶然ではないように 思われる。
xxxxxx
世良修蔵 の 事件 おおきなところは 書き終えた と思う。
戊辰戦争 を 調べたのは 何で だったろうか。
関係書は (すくなくとも) 30冊は 読んだ。
そのほか 下記、「世良修蔵」が ばっちりと
描かれている サイトを 見つけたので
ワードに コピーして 読んだ。
いずれ 印刷して、と おもうほど だ。
こういうのを 書く人は 学者さま なのかなぁ。
「世良修蔵暗殺事件の周辺」
ー奥羽鎮撫総督府の結成から世良暗殺までー
http://www.page.sannet.ne.jp/ytsubu/kakotheme.htm
とても 詳しい。 参考にさせてもらった。
ありがとうございました。 xxxxxxxxxxxx
次回は ゾウさんの 出身高校を 書く。