ゾウさんと暮らす

78歳の 夫ゾウさんと 暮らす 
75歳の 妻が  それなり の 
元気を 綴っています。

東北一の 古墳は ?

2013年10月16日 10時18分25秒 | 漂泊の思ひやまず 倶利伽羅越え

16日 午前9時

南の方には 大変な 被害が でている、と。

台風26号が 近づいている そうな。

ここは 中程度の 雨が 降っている。

風が すこし あるぐらい。

本当に 最大の 台風が 来るんだろうか、と 思う程度。

懐中電灯と、水を バケツ 1個にだけ 準備した。


今日は 地元の 公民館 移動研修の日 だった。

昨日、延期の連絡が入った。 おかげで 今朝は 寝坊。

xxxxxxxxxxxxxx  今日は ひとり勉強を しましょ。


地元ではないところの 移動研修で 気になったこと。

東北一の 古墳は どこか ? 

全長となれば 前方後円墳が 長いに 決まっている。

講師先生が

ここ雷神山古墳 は 2番だって いった、という。 (私、聞き漏らし)

え、 ここが 一番 じゃないの。 

  どこだろう。

会津若松市の 大塚山古墳 かな。

日本一は わかった。  仁徳天皇陵。

http://www.city.sakai.lg.jp/kanko/rekishi/dkofun/ranking/zenkoku.html

東北一 は ?


 

東北 の 古墳        2013年10月16日(水)調べ

〇 青森県

阿光坊古墳群(上北郡おいらせ町)

丹後平古墳群(八戸市)  鹿島沢古墳群(八戸市) 

〇 岩手県

角塚古墳(奥州市、日本列島北端の前方後円墳、約45メートル) 

〇 秋田県

岩野山古墳群(南秋田郡五城目町上樋口) 

〇 宮城県

青塚古墳(大崎市、墳丘長100メートルくらいの前方後円墳であったと推定される。)

遠見塚古墳(仙台市、前方後円墳、約110メートル)

雷神山古墳(名取市、東北地方最大の前方後円墳、約170メートル) 

〇 山形県

稲荷森古墳(南陽市、前方後円墳、墳丘長96メートル)

天神森古墳(東置賜郡川西町、前方後方墳、墳丘長75メートル)

下小松古墳群(東置賜郡川西町、前方後円墳) 

〇 福島県

大安場古墳(郡山市、前方後方墳)

一箕古墳群  会津大塚山古墳

    (会津若松市、前方後円墳、114メートル、

       4世紀後半、割竹形木棺検出、三角縁神獣鏡出土)

堂ヶ作山古墳(会津若松市、前方後円墳)


 さらに調べた。

会津大塚山古墳は 四世紀末の築造と 推測され、

東北地方 最古の古墳の一つである。 

大きさは、 東北地方では  第4位 、

福島県内でも 亀ヶ森古墳(127メートル)に 次ぐ 

第2位の 大きさである。

昭和47年(1972年)、「大塚山古墳」として国の史跡に指定された。


 これ以後 調査をして、 それで 一番に なったのかなぁ ?


本が あったことを 思い出した。

新泉社   シリーズ「遺跡を学ぶ」029

「東北古墳研究の原点」 会津大塚山古墳

2006年刊には 

「前方後円墳、114メートル」と なっていた。

一番では ありません。 

やっぱり 雷神山 で いいのでは ?


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・・・21 曾良さん 終焉の地は、長崎県

2013年10月14日 10時00分47秒 | 漂泊の思ひやまず 倶利伽羅越え

・・・21   曾良さん 終焉の地は 長崎県


松尾芭蕉の 「奥の細道」に同行したのは

蕉門十哲の一人とされる 河合曽良。 曾良さん。

その 終焉の地が、長崎県壱岐市だと 知ることが出来た。

勢いついて さらに 本がでていないかを 調べた。

めっけ た。

単行本  【謎の旅人 曽良】   村松 友次 

もうすぐ 届きます。 

実りの秋です。   読書の秋です。  

(上の写真:バスの中から 撮った 七つ森。 ゾウさん 撮影)  


図書館では DVD 芭蕉 「奥の細道の旅」を めっけ。

パソコンから ながめることが出来た。 1時間以内だから

芭蕉・曾良さん が 歩いた 全部は 入っているはずは ないが、

ゾウさんと二人で 歩いた場所を みることができた。

 「行った。行った」です。


 

「奥の細道」 あとは 日本海側の 新潟市 村上 から 柏崎 と

すこし 下って 小松 や 中山温泉 周辺が 残っている だけ。 

と、 思っていたが 上のDVDを みて

最上川は 川に沿った道路を 走っただけ だと 気が付いた。 

芭蕉・曾良さんの 最上川の 船旅道中は していない。 私達は

車を出発地点から 到達点まで 運んでくれる 運賃 を ケチった、のでした。

あのころは 若かった。 

いまだったら 「ケチ」って なんぞ いられない と おもうのでしょう。 

でも 大垣からみたら ず==-と 「近い」です。 

きっと行くことが できる でしょう。 

村上 から 柏崎 と 小松  中山温泉 

おくの細道 の 全行程から すれば わずか かもしれないが

実に 遠い。  交通機関を どうするか  大問題。

これから 考える。


 

DVD は ほかにも あった

 NHK趣味悠々~「おくのほそみちを歩こう」 2巻セット (DVD)

    榎木孝明   黛まどか 

そうです。 放映中に ビデオに とった、あれです。でも 

再生する機械がない。いまは みることができなくなっていた。

それが DVD 2巻 になって いたということ。 買うことにした。

     ( 14日 午後 届いた)


放浪 とは 目的がなく さすらうこと

旅 は 目的を持って 歩くこと、 

かな。 

私の目的は 「奥の細道」を なぞること。 だから「旅」。

あと もうすこし 芭蕉・曾良さんを たどってみます。 


ツア- 最後の 倶利伽羅峠 で 

「ラブラブ ですね」 と 数人に 言われたことを 思い出した。

あ あ。 夫のことを 名前で 呼ぶから ~~~~ ですか。

うん、というように、 一様に 首を縦にする。

それで 「俺は あんたのお父さんではない」と 言われた

話を 大急ぎ で 早口 で やってしまう 羽目

に なったのでした。 どんとはらい !! 


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・・・20  旅の こ ぼ れ 話

2013年10月13日 00時03分23秒 | 漂泊の思ひやまず 倶利伽羅越え

漂泊の思ひやまず 倶利伽羅越え 

・・・ 20  旅の こ ぼ れ 話


今回の 旅に出る 前のテレビでは、 

異常気象の ニュースが ひしめいていた。

日本では あまり 起きないはずの たつまき 

季節ではない 台風。 ほか。 

旅先になる 地が 近いので、 心配しながらの 出発だった。

が、 

わたしたちの 5日間は 真ん中の日 午前中が 

小雨だった以外は、 暑くて暑くて。 

ゾウさんの 「汗っかき」で 洗濯に 追われることになった。


2013 9月10日(火)  14705 歩  ・福島市 ・深川

        11日(水)   9314歩  ツアー

        13日(木)  15247歩  ツアー

        14日(金)  12862歩  ツアー

        15日(土)  12856歩  高崎市

家では 500歩も 歩かない日があるのです。  よ く 歩きました。



この3日間の ツアーでのこと。 書いているかもしれないが…。

ここの ツアーでは トランシバーを あてがわれる。 

解説者の 話を 聴くときは スイッチをいれる。

これが 便利なようで。 なかなか。

話が 終わった とき は わかるのだが、 

いつ 話が はじまったのかが わからない。

付けっぱなしを するということは 

耳に 受信機の先?を 入れておかなければ ならない。

私のように 集団に追いつけない ものには 便利な点でもあるのだが

入れっぱなしは 意外と「耳」が痛くなる。 首が疲れる。

今回、スカーフのようなものに ポケットを付けた物を 作って

ぶら下げてみた が……。 効果のほどは

まあ、 いくらか 良かった という程度。

xxxxxxxxxxxx 

前回は 電池が 切れた。 添乗員さんへ 話せば 

即、解決なのだが、いつも 遅れてしまう ものには 。

それで 今回は バックに (3 なのか 4なのか 憶えていないので)

単3と 単4を 計8個も 持って行った。

常時 カバンに 入れていたので、重かった。

一度 音が 低くなって 交換した。

このとき 添乗員さんから 離れた所に いたので

役に たったことになる。 

持っても もたなくとも、 面倒なことなのだ。

しかし、この ツアーでの 利点を 得られる 回は 

もう、ない、と 思われる、から。


旅の 記事は あと 1回で 終わりにします。


   

家の 朝顔 まだ 咲いている。


我が家の トイレは 3日前から 蓋が 大きい音を たてている。

そして、2歩目には 自動では 戻らなくなった。

その他 我が家に 故障個所が 見つかった。 

奥の細道の 資料は いっとき 図書室へ戻した。

見えるところにあれば 気になる。 さてさて

うちのなか 整理整頓しなくちゃ。 


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・・・19 二子山古墳 & だるま

2013年10月12日 00時31分25秒 | 漂泊の思ひやまず 倶利伽羅越え

・・・19 高崎市の 二子山古墳 (2013・9・13)


上毛野はにわの里公園内の 古墳

二子山古墳は 発掘前の古墳の形状を できるだけ

変えない手法で 整備した、と 書かれていた。

あの時代から 葺石も 埴輪も なかった、と いうこと ?

八幡塚古墳には ふんだんにあったものが これにはない。

なぜかな。

古墳の堀には コスモスが 植えられていた。

ゾウさんも 私も 大好きな 花です。

もうすこし遅かったら ピンクの 原っぱをみることが出来たでしょう。

また来る、は ないでしょう。  群馬県は 遠すぎます。


みることが出来なかった 薬師塚古墳 出土の

馬具等の国重要文化財の一部は、上毛野はにわの里公園 内の

「かみつけの里博物館」に 展示されていた。

高速道をつくるときに 見つかったという
 
豪族居館の「三ツ寺遺跡」の 遺物も 丁寧に展示されていた。
 
遺跡は 上越新幹線の高架の下に埋め戻されたそうな。 
三ツ寺遺跡は 山の方向になるのかな。

昼食は 公園内にある 産直所で 購入。

「はにわ工房」 ? の  テーブルで 食べて

高崎駅に 向かう。

 

これで 八幡塚古墳 から さようなら です。


 駅で すこし 時間があるので うろうろしていたら

     

だるまが 並んでいるのを 見つけました。

そうでした。 高崎は だるまの 産地でした。 

上州(群馬県)では 高崎市豊岡・八幡地域を中心に

200年以上前から 張り子のだるま作りが 行われている。

昔からの職人の技と 上州の風土(カラッ風)が 生み出した

芸術作品です


高崎駅から のりかえ 乗り換えでしたが

今回は なんのこともなく 岩手に 戻りました。

明日は 旅の こぼれ話を 書きます。


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・・・18 八幡塚古墳です 埴輪です

2013年10月11日 00時02分52秒 | 漂泊の思ひやまず 倶利伽羅越え

 ・・・18 八幡塚古墳です 埴輪です


古墳が みえました。 埴輪 ちっちゃく 見えています !!  感激です

保渡田古墳群 の ひとつ。

田園のなかに大きな丘が 3つ 点在している、のだそうです が。

北側の 薬師塚古墳は みえず、 ふたつだけ 確認しました。

古墳群の中央を走る道路から 後方にみえるのが 井出二子山古墳、

  (この後 行きます)。

北東にあるのが この八幡塚古墳 です。

前方後円墳。 約1500年前の豪族が 葬られた墓。

墳丘長約100メートル、 広大な二重の堀を巡らし、

たくさんの埴輪が 並べられて いた、と

保渡田古墳群のうち、八幡塚古墳・井出二子山古墳を中心とする地域は

「上毛野はにわの里公園」として 整備されている。

 これが みたかった!!

八幡塚古墳は、平成8年度から平成11年度までの4ヶ年をかけて

墳丘部や 内堀のなかにある保存復元整備された、と。

中島の法面には葺石を施し、後円部内には 石棺展示施設も 設置。

内堤の上。 54体の人物・動物埴輪等が配置された「形象埴輪配列区」。

墳頂部や 中島 等に 円筒埴輪が巡らされています。

墳頭部から 内部へはいると、 玄室が見られます。

 「はにわ工房」で 作ったという 朝顔埴輪。

 ここから 二子山古墳へ

次回です。 


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・・・17 ツアーを終えて 高崎市へ向かう 

2013年10月10日 08時02分10秒 | 漂泊の思ひやまず 倶利伽羅越え

・・・17   ツアーを終えて 高崎市へ向かう 


  8月 予定していなかった 文章を書くことになって

  この旅の宿探しは 下旬になってしまった。

  駅に近いところ、 禁煙の部屋 が 欲しい。

  なかなか 見つからなかった。探して 3日目に

  やっと ダブル の部屋が とれたのだった。 

  まあ 最後の日だから がまんしましょ。


さて 続きです。

9月13日(金) 皆さんとわかれて ホテル 行き。

徒歩 10分とあるが、すっかり 暗くなっているので タクシーを たのむ。

運転手さん 「乗るほどのことはない」と。

いじわるで言ってるのでは なさそう だ、が

近距離は 倦厭される と 聞いていたので、お詫びを する。


部屋は ダブルベット。 

頭の上の方に 横に エキストラベット が 乗っていた。 

こんなのは はじめて。 上は トイレが 近いから ふたりとも 無理。

洗濯したものや ゾウさんが集めた 紙(チラシ)類

昨日の 宿から 岩手へ送っておいてよかった。

それほど 狭い。

明日の準備をして、古墳の夢みながら 休んだ。

 

9月14日(土)。 サービスの 朝食いただいて、

駅の方向を 教えてもらった。 これも 一期一会 です。 

大宮から 高崎駅まで 鈍行で 行く。 

駅から 目的地までは どうするか。

途中まで バスに乗って タクシーを さがす、または、

最初から タクシーで 目的地までいくか。 

駅へ着いても ゾウさん 写真撮り。

手間取っているうちに バスに乗る案の方は すっかり 忘れていた。 

タクシー に 乗った。 目的地まで 2550円。 もったいない な。


   65歳以上 ? は 無料だった。

ここへ 来たいと 思ってから 何年 経った だろう。

10年 ?

やっとです。


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・・・16  「一期一会」 の ツアー 旅

2013年10月09日 08時34分32秒 | 漂泊の思ひやまず 倶利伽羅越え

 ・・・ 16   「一期一会」 の  ツアー 旅


回は、 体調調整の 失敗したので 

いつもよりも 「転ばない」ように と 気をつけて 歩いてきた。

ほとんど メモを 取らなかった。 取る暇がなかった。 

少しばかりの メモのなかに 一句があった。 

「おくの細道」のでは ない 句だった。

蓬莱に聞かばや伊勢の初便     芭蕉

  不老不死の霊山とされる 蓬莱山を かたどった 飾りものが 「蓬莱」、 

  その「蓬莱飾り」のこと。 飾るものは 松竹梅や 鶴亀、 そして

  穂俵、海老、搗栗、野老、橙などの めでたいものになる。

掲出句は、

    床の間に飾ってある「蓬莱」を前にすると、

    伊勢神宮のある伊勢からの初便りを 聞きたい と いう

    厳粛な気分になることだ、

と いう意 だ そうな。 

なんか 変。 (解釈の 文章が)

なんで この句だけ 私は 記録したのだろう ?

 蓬莱に聞かばや伊勢の初便 

は   「炭俵」 という  の に 入っている 句だそうな。 


芭蕉さんは 「奥の細道」の旅を 終えてから 

伊勢に 向かったのだから 

なにか 感ずるものが あった、 の かな。  わたし。

気になっていた その後の 曾良さん。 終焉の地は ?

「とっても 詳しい」 とは 言いませんが、 サイト 見つかりました。

http://mtv17.ninpou.jp/iki2/soro2/manabe.htm

貼りつけが できないようなので 

いつか 全文 「入力」を して 文章おこさなくちゃ。 これによって

 松尾芭蕉の 「奥の細道」に同行した  蕉門十哲の一人とされる 

 河合曽良。 その 終焉の地が、長崎県壱岐市だと 知ることが出来た。

   

    xxxxxxxxxxxxxxxx さて さて

ツアー3日目 を 終えた私達一行は 

金沢から 新幹線に乗りこんだ。

乗り換えのとき おひとりが 「行方不明」に なったが

そのうち 指定の車両ではないところにいることがわかって

無事解決。 添乗員さん ご苦労さまでした。

数人の仲間も 私たちが 宿をとっておいた大宮で おりた。

東京までいく 皆さまと 別れた。

 「一期一会」の 旅 を ありがとうございました。


   ゾウさんとだけの旅は もう1日ある


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・・・15 よだれかけ 雁木どおり 飴屋さん 

2013年10月08日 00時02分52秒 | 漂泊の思ひやまず 倶利伽羅越え

・・・15 よだれかけ 雁木どおり 飴屋さん 


   これも 書き漏らした ところ 

9月 11日 (水)  最後。  正 輪 寺 

飴屋さんから 歩いた。   

    

    

余談

お地蔵さんは なぜ涎掛けしているのかな。


 「地蔵さんの よだれかけ について 」が ありました。

 それは、お地蔵さんが子供を助ける立場だからです。

子供は亡くなると、なかなか成仏できす「賽川原 サイノカワラ」という場所に行くそうです。

死んだ子供達は、この川原で泣きながら、

小石を積ことだけを強要されるそうです。

せっかく子供が積んだ石の山も、鬼が来て 崩してしまう。

子供達は また泣き叫ぶそうです。

そんな子供達を救って、極楽浄土(天国)へ連れて行ってくれるのがお地蔵様です。

ですから、お地蔵さんに 赤ちゃんの「赤」の色の布で、

赤ちゃんの姿の着物や帽子やよだれかけなどをかける そうです。

。   ですって。 わかりました。


 

  

雁木 どおり … 通りに 屋根をかけている。 

ここは 新潟 上越市。 豪雪地帯なのだそうな。 

戦災に 遭わなかった 高田には、

町家と 呼ばれる木造の古い商家や 民家が残っている。

青森では、 同じ仕組みを 「こみせ」 といいいます、よ。

やはり 雪が多いのです。 

 

 後の大型バス。 わかりますか。

正 輪 寺 には 駐車場がないので このお店に お願いしたのだそうです。

(ゾウさんが だいぶ前に お店のこと たくさん 書いています。写真も)

この飴屋さんは 「麦芽糖」 で つくっています。

歯に くっつかないのを 買いました。 おいしい 飴でした。 

そんなことを していたので 写真とる 暇がなかったのです。


 思い出すことが 多くて。  順序が 乱れています。

冊子を つくるとき 注意が 必要。 困ったな。 


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・・・14 馬は 「木槿」を 喰べるんです

2013年10月07日 09時26分23秒 | 漂泊の思ひやまず 倶利伽羅越え

・・・14   馬は 木槿(むくげ)を 喰べるんです。


 

12日のこと。 追加します。

   

「踏切をわたってから 木槿の家の前を通った」 これが私の記憶。

左の写真。 踏切から 「線路」を 撮ったのが、12日の 14:58

右の写真  「馬に喰われる」花を みたのは 14:57

…… ここまで 書いて 思い出した。

   花の家の 前を 通って (写真は撮っていない) そして 句碑を みて

   帰り道に 「花の家」を 撮って。 そして 「踏切」でも 撮ったんでした。 

記憶の不確かさは だんだん ひどくなっています。 

こういうとき 「ヘコム」と 使うのでしょうか。今どき は。


 「馬に喰われる花」の 話。

その時も 「馬に」 馬に、 馬に…… と つぶやいて

「そうだぁ。 木槿 」と 思い出して 側にいた 添乗員さんに

話したのでした。 

添乗員さん 「馬が 木槿、 食べるんですか、ねぇ」 と。

わたしも 気になっていた。「渋みを嫌って 食べない」と、聞いていたので。


新聞記事があった。 毎日新聞 2013年08月25日 東京朝刊

正岡子規は「芭蕉雑談」において、

「此句(このく)は文学上最下等に位する者なり」と酷評した。

なぜ最下等か。この句が教訓を詠んでいるに過ぎないから。

その教訓は「出る杭(くい)は打たれる」と同じ。

道端に咲いた槿(むくげ)は、出過ぎたばかりに馬に食べられた 

と子規は見たのだ。

 教訓ではなく、道端の実景を単におもしろがっているだけかも。<坪内稔典>

昔のひとたち、 まじめに談義していたんですね。 


見つけた。 馬は たべるんです。

獣医さんの ブログです。 ありがとうございました。

http://mamesaku.livedoor.biz/archives/52092874.html

左隣からやってきた鹿毛の馬が

私の持っていた木槿の花束を 強い力で、がぶり、と 咥えて

引っ張り込んだかと思うと

たちまちのうちに、むしゃむしゃと食べてしまった!

と あります。 獣医さん ほんとうに ありがとうございました。


 

下の 写真の 記憶も おかしい。

  

これも 先に 電柱 で 看板が あと という 記憶。

実際は 反対です。   まあ 良いことにしましょう。

木槿の 写真の 謎は解けたから 良いことにします。 

   明日も 書き漏らした ことを。


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・・・13 お、鳥 獣 戯 画  ?

2013年10月06日 19時09分16秒 | 漂泊の思ひやまず 倶利伽羅越え

・・・13   お 鳥 獣 戯 画  ?


 

 バスの中から 見えた。   お 鳥獣戯画 ではないか。

。 2枚も 撮っていた。  ぶれてもいない。

赤信号の時 最初 見つけたのは、 ゾウさんだったかもしれない。

「奥の細道」とは 関係ないが こんな 偶然が 面白い。

高岡 だった かな。 


調べた。 高岡市で 間違いないようだ。

下の ブログを 見せてもらった。

もっと、 たくさん ある そうで。 素晴らしい。

 http://ayasegawa.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-5edd.html


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・・・12  奥の細道 倶利伽羅峠を 歩く 

2013年10月05日 00時07分55秒 | 漂泊の思ひやまず 倶利伽羅越え

…12  奥の細道 倶利伽羅峠を 歩く 


    猿ヶ馬場

 平家軍の総大将、平維盛が本陣を敷いたところ。

   

やっと 追いついた。 みんなは 小休止している。

軍議を開いたときの テーブルにしたであろう

この石を見つけて 思わず トタンと 腰かけてしまった。

すぐに 「写真を撮るから」 と ……。   失礼しました。

私が 着く前に 撮っておいてください。

休む間もなく 出発。

 ここで詠んだ句ではないが  

 義仲の 寝覚の山か 月かなし

 かかれてあった。

 

火牛の計とは、この 写真にあるように 牛の角に松明をくくりつけるのではない。

牛の尾に 油をたらした葦をくくりつけて、それに 火を付けた。

そして 牛の角のほうには 剣をつけて、闇夜の中に放した。

これが本来の火牛の計だそうな。

山中で 牛の角に松明など つけたら、

山火事に なっちゃた、と 心配症のものは 思います。


この話の 関連。

義仲の 「火牛の計」は 源平盛衰記にはあるけれど、

平家物語のどこを見ても (牛のことは) 出てこない。

牛など使わなくても、 地の利を読んでいた 義仲の作戦勝ちでしょ。

圧倒的に兵力のある平家軍、 やすやすと 敗れ去ってしまった。

・・・ 悔しいので …… こんな話を 自ら 流布した。

こんな奇襲戦法を使われたのだから

大軍が敗れたのは 仕方ない、と。 

へへへ。 違う。 違う、ねぇ。

xxxxxxxxxxxxx  義仲が 必勝を祈願したところ?

 「倶利伽羅不動尊」で 見学は 終わり。

  

手前の売店で かき氷を やっていた。時間がない そう で。 

それを聴かなかった人は 買って 食べていた。 ああ。

階段の 工事をしていた。 バスで 金沢駅へ 向かった。

今日は これで。


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・・・11 木曽義仲「火牛の 計」の地を 行く

2013年10月04日 00時46分42秒 | 漂泊の思ひやまず 倶利伽羅越え

漂泊の思ひやまず 倶利伽羅越え

・・・11  奥の細道  倶利伽羅峠に 入った  


このツアー 仕上げの 倶利伽羅峠。わたしの 「細道」でも ある。  

道幅は 思っていたより 広い。 そして、歩きやすい。

芭蕉さんの時代 難所の ひとつだった、と いうから

もっと 狭かったのだろう。

足が のろいので、すでに お終いのほうになって いる。 

標柱や 説明板を 読んでいる暇は なかった。

写真を一枚撮るのが やっと。 

これから 勉強しなおしのつもりで 再調査して 記すことにする。


    木曽義仲 倶利伽羅峠の 戦い 

1183 (寿永2)年511日、

平家軍の総大将、平維盛(これもり=清盛の嫡男重盛の長男)は、

倶利伽羅山中の 猿ヶ馬場(さるがばば)に 本陣を敷いて、

7万余騎の軍勢 とともに木曽義仲 率いる源氏軍を待ち構えていました。

一方、義仲は埴生八幡宮(はにゅうはちまんぐう)で戦勝祈願を行った後、

平家の動きに合わせて味方の軍を 7手に分け 配置させ、

夜が更けるのを待っていました。

夜半に 北側の黒谷の方角から、

4~500頭の牛の角に松明(たいまつ)を付け、

4万余騎の軍勢とともに平家の陣に突入しました。

昼間の進軍で疲れ切っていた平家軍18千余騎は、

源氏軍の奇襲に混乱し、何もできずに追い詰められ、

人馬もろとも地獄谷に突き落とされました。 


と なっています。 

騎 とは 馬に乗った人のことだから、

7万余騎 ってことは 人間と 同じ数の 「馬」が いた、ことになる。

山は 結構 広かったけれど、 それでも 「う~~~ん」です。 

徒歩(かち)の兵は いなかった の ?


ここ 倶利伽羅山は

芭蕉さんが 一緒の墓域に と 願ったほどの

 「木曽義仲」さん の 戦の 場ですから。

私にとっては 倶利伽羅のために この ツアーに 加わったのですから。

場所さんが、なぜ、終いの場に 「義仲のとなり」 を のぞんだのか。

  斉藤実盛を打たせた 木曽義仲の荒々しさや 

  都の風に染まらなかった短い生涯に、

  俳諧師という生き方の厳しさや孤独、未完の情を重ねて、

  義仲の人生に 深く共感していた 

という 説。 また

 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx

芭蕉は 豪傑であると同時に

素朴で人間味の溢れる義仲の人柄を 愛したのだろう。

と書かれた サイトを見つけた。

http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic35.html

      源平合戦 「矢立」

矢立(やだて) …  義仲軍の最前線だったところ。

平家軍は 幅300メートルほどの谷を隔てた 塔の橋から、矢を放った。

ここに 多くの矢が立ったことから「矢立」と呼ばれる。

これ(下)が  「塔の橋」の 地

  

 
  平家軍の最前線だった 塔の橋(とうのはし)。

  西の矢立山に陣取る 義仲側の 今井兼平(いまい・かねひら)軍に

  向かって矢を放った と こ ろ。   xxxxxxxxxxxxxx

    「火牛突入の地」                                    

4~500頭という 牛の数について は 前から 疑問だった。

短期間に 400から 500頭もの牛を集めることが できるのか、

出来た、 として、その 数の牛、その縄をとる人間が 半分としても

そんなぁ はずないと 思われるの です。

この地に立ってみて ますます そう思います。

まあ 伝説ですから、 大げさ は 仕方ないのでしょう。

芭蕉さんだって 事実では なかったことを 書き込んで

メリハリを つけている、 のです。 

後世のものが 文句は いけませんです。


 古代の倶利伽羅峠は 相当な難所だったそうで、 

「 弊を奉って 山神様の怒りを 鎮めて 」 辛くも 峠を 越した。

整備された道どころか、けもの道 だった、とある。

そんなところに

総勢10万騎の軍勢が押し寄せれば 

戦など しなくても 谷底に転げ落ちるものが 続出して 当たり前。

無知な私は そう思います。 

しかし 義仲軍は 地元の人、 地形を 熟知している利点がある。

平家軍は 義仲軍の 鬨の声だけで ビビったに 違いない。 

自滅です。


  

笹竜胆の 家紋は たくさんある。 旗印は どんなだったろうか。

ここは 黒坂口 となっている。

中黒坂(なかくろさか)は 義仲軍が本陣を敷いたところ。 

と資料には 書いてある。 

ここから 義仲軍は 猿ヶ馬場の戦場へ向かった、

と みてよいかな。


 

解説者や 大勢の人たちは もう 先に 行ってしまって 姿は 見えません。

写真を1枚撮って 追いかけます。 

源氏ヶ(げんじがみね)という名が付いた 史蹟が あるそうだが、

残念ながら そこは 通らない。

平家軍の陣地だったこのを 義仲軍が占領した。

木曽義仲軍の女武将、巴御前が この峰から猿ヶ馬場の戦場に攻め込んだ、

と 言われている って。

そういえば 峠に入る前に バスが停まった「ふるさと歴史館」では

義仲と 巴御前の話を NHK 「大河」ドラマにして、という 署名を あつめていた。

みんな集まってきたので 署名しないでしまった。

いつか 巴御前 の 話を 聴きたいと 思っていた。

    「大河」になったら 面白い ナ。  

義仲の 乳兄弟で、 最後を 共にした 家来 今井兼平の 妹 とも。

そんな 因縁があったなんて。  ますます 詳しく 知りたくなった。

これから 猿ヶ馬場に 入ります。 


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・・・10 持病が 起ってしまった

2013年10月03日 00時05分05秒 | 漂泊の思ひやまず 倶利伽羅越え

漂泊の思ひやまず 倶利伽羅越え

・・・10 持病が 起こってしまった


 9月13日(金) 今日 3か所目は  放生津八幡宮

   木彫りの 狛犬さん  

                                              

天平18年(746) 聖武天皇の御代 

越中国守 として 在任していた 大伴家持 が

九州の宇佐八幡神を観請し、奈呉八幡宮と称したのが

はじまりだ と。  この奈呉の浦の景勝を 詠んだ

あゆの風 いたく吹くらし 奈呉の海人の  釣りする小舟 こぎ隠るみゆ

が ある。


私の 芭蕉さんは 

早稲の香や 分け入る右は  有磯海 

寺の裏へ 回ってみた。    ↓  奈呉ノ浦 

 … 那古の浦  …

海すこし 見えた。 (下)  大伴家持さんのような感情は ちょっとも わきません。

 

この後 お寺 神社 3か所まわる。そして 倶利伽羅峠へ。

   これから  余談を 書きます。


 

5日間の旅に出る、 10日ほど前に 目に痛みが 来た。

旅も含めて 「すこし」休む と 書いて ブログを休んだ。

出かけるときには 「目」の痛みは 消えていた。

それから「旅」。 

体調を整えることが 難しいのだが、今までは

夜 しっかりと 休むことで、何とか しのいできた。 今回の ツアーは

1泊目、風呂に 入ることが できなかった、

2泊目、 コインランドリーでの洗濯に 走り回ったことで、

とうとう 持病が 強く 出てしまった。

ツアー最終日 9月13日(木)は 

最大目的の 倶利伽羅峠を 越える 日である。

持病 押さえて、 倶利伽羅峠 歩きたい。 

3日目の 行程

お寺など 階段が多い所には 参加せずに、体調調整をした。 

倶利伽羅の 登り口で 「歩けるか」 考えることにした。  

 次回 出します。 


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・・・9 身軽になったら… 「旅」 には 出ない ?

2013年10月02日 08時40分37秒 | 漂泊の思ひやまず 倶利伽羅越え

漂泊の思ひやまず 倶利伽羅越え

・・・9  身軽になったら … 「旅」には でない かも


 

9月12日 (木) 夜

ツアー会社に支払った料金には 12日の夕食代は 入っていない。

食べることができる場所が 書かれた紙をいただいて 外に出はしたが、

そのホテルの 地下は 飲み屋さん、 いや 居酒屋さん かな。

体にあわない。

ゾウさんが 拾ってきた 親不知の石の 

捨て場所を さがしているうちに 暗くなっていた。   

知らない町は 西も東も わからず。


 

高岡駅の近くだから 「駅弁」を 買おうと 思ってきたの だが

駅は 改装中だった。


左手へ 歩いてみる。  道 反対側に 本屋さんが みつかった。 

その近くの 蕎麦屋さんに のれん が 出ていた。 

流行っているようでもないが もう 歩くのは 無理だ。

ごく普通の蕎麦屋さんで ありきたりの 蕎麦を たべて

本屋さんで 本を さがす。 欲しいと思ったのは 重い~~~。

ひやかしただけで、 駅の方向に 歩く。

     トイレに 用ができた。 駅のを探す。 近くに

コンビニのような パン屋さんがあった。

ツアーの1組も パンを 買っていた。

宿に戻ったら、 洗濯をしなければ ならない。

これからの仕事の元気を もらうために、3種類のパンを 買う。

ツアーの1組と 一緒に とりとめのない話をすながら 宿へ向かう。 

もう 1組。 又 1組。  みなさまも 近くで すませたようだ。


 

ホテルの 部屋から 袋2つの ゾウさんの 洗濯ものを持つ。

お金をいれて、セットして、 椅子は二人分ないから ゾウさんは 帰す。 

このホテルの部屋を 開けるには、番号キー 数字 4つを 押さねばならない。

( だった かな ) 。面倒くさい。

部屋は 8階の 奥の方。 

何度も 行ったりきたり。 エレベーター のったり おりたり。 

乾燥機 決まりのお金では 生乾きだったが、 

もう 遅い時間だから やめる。 

部屋。ゾウさんが 写真撮りのときに たまに使う 綱を張って

今日は 寝ることにした。 

結果 …… 終わった時には パン食べる 元気は うせていた。


 

翌朝 やはり 乾いていないので また コインロッカー。

しあがった 衣類と ゾウさんの集めた 紙(パンフ など) を 

買ってきた 運送屋さんの 箱に詰めて フロントへ 頼む。

ゾウさんの ことで 3回の 運送料は 4000円近く かかった。


もう 「ゾウさん とは 来たくない」  ああ、面倒。

旅にでるたび いつも 必ず そう思うのに、 

なぜか また ふたり旅を 計画してしまう。

    ひとり は つまらない、 のだろう。  だから

身軽になったら かえって 「旅」 には 出ないのかもしれない。 

それより 体が 動かない かもしれないけれど。

遊んでいるときは どっこも 痛くない。 感じない。 

忘れたふりが できる。

神さま 仏さま。 ありがと、さん です。


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・・・8 市振の14人の子供たち 素敵です 

2013年10月01日 00時00分52秒 | 漂泊の思ひやまず 倶利伽羅越え

・・・ 8  市振の14人の子供たち 素敵です 


 

   

元禄2年7月12日(陽歴8月26日)

「奥の細道」の芭蕉さん 曾良さんが、 宿泊した 

市振の宿だと 言われている 「桔梗屋」跡。

ここより 少し前に 行った 長円寺境内には、 句碑あり。


   一つ家に遊女も寝たり萩と月

曽良随行日記には、

12日 

天気快晴。 能生ヲ立。 

早川ニテ翁ツマヅカレテ衣類濡、 川原暫干ス。午の尅、 

糸魚川ニ着 (中略) 申ノ中尅、 市振ニ着、宿。 

13日

市振。 虹立。玉木村、市振ヨリ十四、五丁有。

中・後ノ堺、川有。渡テ越中方、堺村ト云。加賀ノ番所有。出手形入ノ由。

これによって 芭蕉さんらは 1泊 したこと が わかる。 

遊女の 記載は なし。

この宿跡の 反対側に移ったとき 子どもらが 寄って来た。 

写真 右にいる子が チラシを みせなから、

しっかりとした言葉で 「観光地図」の説明をしてくれた。

「自分たち で 作った」のだ と。 

よそからきた人をみかけたら、飛んで行って、 

この チラシを 渡すのだ そうな。 

 (表)

表側の 左上 

防波堤には 市振小学校 各年度卒業生の書いた 壁画が ある と 書かれていた。

さまざまな 風景 情景がある。 みたかったな。

  (裏)

 

この子どもたちと 小学校へ 向かう道々 先生方とも お話をする。

市振小学校の子供達は 全員で 14名。  (4年生だけが 1名)

8名の 先生方と、複式で 勉強している と。

この日は 校庭にいたのだろう。

大型バスは 私達を おろしたあと、 

学校のななめ前の方に 停まっていたという。

それをみて 子供達 近づいた。

運転手さんから 「あっち」と 聞いて、戻った のだ と。  

  この子たちの小学校が 関所跡。 

歴史のある場所で勉学しているなんて、うらやましい。

これの すぐ脇に 関所趾の 説明板 (下)あり。 

 

校庭にも 入らせていただいた。

   

みんな かわいい。 (14人 全員 入るように 何枚も 撮った)

軍手をしはじめた。 運動場の 草取りを するのかな。

運動会が 近いのかもしれない。 

    いま HPみた。 9月18日(水)には 親善陸上大会がある と記されていた。

   

校歌の 一番  その名も 高き 親不知…… 

2番の最後 … 希望ハ高し わが学舎 とある。 

まなびや かと、聞いたら 「がくしゃ」 と 歌う そうな。 

賢くなりそうな 校歌です。 

先生の一人に 「ブログにだしていいですか」と

許可をいただいたので だしています。

14人の みなさん チラシ ありがとうございました


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