ゾウさんと暮らす

78歳の 夫ゾウさんと 暮らす 
75歳の 妻が  それなり の 
元気を 綴っています。

5分で 語れる か 「おくのほそみち」

2015年01月18日 00時28分42秒 | 奥の細道 金沢 小松 福井

図書館の 

「一冊の本」を 語る 講座に 参加申し込みしたので

5分 発表の 原稿を書いていた。 


    12月 上旬のこと。 

知人が 「1冊の本」の 講座のこと 教えてくれた。

館長 放談を 聴くのだ、と 思って 即 申し込みをした。

(好みの1冊を 紹介するのだ、と いうことを知らずに)

〇〇さんが 行く というので 

簡単に 「はい」と 返事をしてしまった。

申しこんでしまってから さがした。

 「広報」に 参加者募集 あり。 

読んで、 驚いた。

その後 館のチラシをみつけた。 

館側は 3人が 話す。 参加者 10名 募集。

5分以内で 自分が 「好みの1冊」を 紹介する、と あった。

あれ あれ。  

おしゃべりなら 1時間でも 10時間でも 平気だが、

みんなのまえで 「話をする」 なんて。

いまさら 「やめます」は 言えない。

下書きをして 下読みをして 時間を 調べておかなくちゃ。



好きな本というのも 推薦できる本というのも 私は

持っていないように 思う。 愛読書 ねぇ。

… 考えた。なんども 読んだ本、 あった。 松尾芭蕉さん。

奥のほそみち」 を 歩くために 解説本も 含めて 

30冊プラス 冊子みたいな のは 30数巻 読んでいる。

出かけるたびに 読みかえしていた。

これに 決めた。

XXXXXXXXXX  5分の 発表の 文章を 打った。

読んでは 直しを して 4分 30秒 に 詰めた。

これで なんとか なる、と 信じ ましょう。 


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41 お掃除天使たちの 整列を 観た 

2014年12月19日 00時08分17秒 | 奥の細道 金沢 小松 福井

41  お掃除の天使たちの整列を 観た


最終日11月8日 の 国立博物館 

「日本の国宝」展 見学は 案の定、 他人の 頭、

頭 を 観ること に。

それでも 一通り ながめて、それでも、 お腹がすいて

食堂らしくない 食堂で いろんなものを 揃えて食べる。

ゾウさんは 1品料理 カレーライス。

食堂の前の 大きな部屋で 「縄文時代の うつわ」の

講演が あることを 知る。  興味 だらけ。

だが 疲れで、 居眠りが 出そう。 

後方 または 外れのほうで 聞こうとした が

ゾウさんは 真ん前に ずんずん いく。  

案の定。 寝ている。 

私の居眠り防止薬 を分けてあげたのに、寝ている。

わたしの 飲む数が 減ってしまって、 

目を開けているのが 大変だった。

その講演で 「考古学」室 ? が あることを 知る。

そうだ。 ここは 日本一の 博物館、 あって あたりまえ。

いつも 特別展を観るために だけ 来ていたから、

考えもしなかった。 今度 もし くることがあったら。

ここ 2時間ぐらい とることにしよう。

ちょっと のぞいた程度だが 面白かった。

  これは 笑う?  踊る ?

この 笑う土偶 を 「踊る土偶」と 憶えてしまって

なかなか 直せない。

私は ちいさい レプリカを 持っている。

毎日 小さいのを 観ているので

こんな おおきいものとは 思わなかった。

40センチ は あった、かな。


 

早めに、 上野駅に行く。 夕食を買う。

新幹線乗り場へ むかう。

「ここで 撮って ネ!」  ↓  撮らなくちゃ。

 すぐに 反応して

  ( ゾウさんは 「書いていなくとも」 撮る のだが )

と。 写真を 撮ろうとした ゾウさん。

カメラバックが ないと 大騒ぎ する。

  ( 上の 写真では すぐ横 だが、)

写真を撮るときは バックは 背中の 

リックサックの 下に なる。 この位置には なかったのだ。

この カメラ バックの おかげで 旅行中、ず~~~と 

迷惑ばかり 受けてきた わたしは 一瞬だが 

なんというか、  へへへ。


乗る場所を 確かめておこうと 早しぎるが、新幹線構内へ。

そこで みた 光景。  おもわず 撮った。

新幹線の乗降時に お辞儀をして迎える 仕事人のことは

ずいぶん前に テレビで みた ことがある。

両指を ぴんとして シサショウコ の 様子。 ( 調べた )

xxxxxxxxxxxxx

「東京駅の 東北・上越新幹線などの折り返し時間は わずか12分。

降車に2分、乗車に3分かかるので、

清掃に さける時間は わずか 7分しかありません。

その間に、車両清掃、トイレ掃除、ゴミ出し、座席カバーの交換、

忘れ物のチェックなどを完璧に終える。

それが テッセイ の 車両清掃チームの任務です。

xxxxxxxxxxxxx だそうな。

J R 東日本グループ会社の鉄道整備株式会社

通称 “テッセイ(TESSEI)” 

テッセイについて書かれた 本

「新幹線のお掃除の天使たち」 という本が でているそうだ。

おもしろそう。 

サブタイトル 「世界の現場力 は どう 生まれたか」

(遠藤功・著/あさ出版)  読んでみたい。


 

xxxxxxxxxxxxx  こうして 無事 帰宅 できた。

普段 1000歩も しないのだから、 歩いた歩いた。です。 

東京  11月4日 (火)    9050歩 (スカイツリー 見学)

ツアー    11月5日    14455歩

ツアー    11月 6日   12000歩 以上

ツアー    11月 7日    18551歩

東京  11月8日(土)     10121歩 

家にいるときは 2000歩ぐらい だ。 たぶん。 

こんな生活で いいのかな、と 思う が、…… いいのだ。

週 2回は 講演会 や 勉強会に 出かけて

いるから 平均 7000歩 ぐらいには なる。

出かけない日は、 勉強していることが多いから

    「歩く」は なくなる。

今回の 旅も 「よく 歩きました」。合格。 

これで 旅日記は 終了です。

xxxxxxxx  ありがとうございました xxxxxxxxxxxxx

旅の 冊子を まとめはじめていた。

芭蕉の 「奥のほしみち」 全文は 41 に わかれている。

今回の 私の旅 も 41 に なっている。 

偶然の おもしろさ、です。 


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40 笑っている?  踊っている  ?

2014年12月18日 00時17分36秒 | 奥の細道 金沢 小松 福井

40 笑っている?  踊っている  ?


 

国立博物館 「日本の国宝」展は 

案の定    頭 頭 の 見 学。

なんとか 最後まで みて、 あとは 

ゾウさんが買った 「国宝」の 写真で 楽しむだけ、

と 思ったら、

    テレビで やっていることが わかって 

    帰宅後 録画した。

    国宝の 数は 少ないが、何度も 楽しんだ。

お腹がすいた。 博物館の 食堂らしくない 食堂で

いろんなものを 揃えて食べる。

ゾウさんは 一品、 カレーライス。


 

食堂の前の 大きな部屋で 「縄文時代の うつわ」の

講演が あることを 知る。  興味 だらけ。

だが 疲れで、 居眠りが 出そう。 

後方 または 外れのほうで 聞こうとした が

ゾウさんは 真ん前に ずんずん いく。  

案の定。 寝ている。 

私の居眠り防止薬 を分けてあげたのに、寝ている。

わたしの 飲む数が 減ってしまって、 

目を開けているのが 大変だった。


 

その講演中に 「考古学」室 ? が あることを 知る。

そうだ。 ここは 日本一の 博物館だった。

あって あたりまえ。

いつも 特別展を観るために だけ 来ていたから、

考えもしなかった。 

ちょっと のぞいた程度 だ が 嬉しくなった。

  これは 笑う?  踊る ?

この 土偶 を 「踊る土偶」と 憶えてしまって

なかなか 直せない。

書いている いまだって 「踊る」だと 思う のだ。

展示を 見ながら 学芸員さん(多分) に 

「あの 踊る 土偶は 常設ですか」 と 聴いた 

常設 だそうな。

「 踊る土偶、です 」 と 言われたのか

その反対に 「笑う」と 言ったら、 「踊る、です」 だったのか

書いていても 記憶が 怪しい。


 

家の 玄関に、 大きい男性と 女性の 土偶を 飾っている。

その 脇に 笑う ? の

2体が くっついた 小さい レプリカ を 飾っている。

毎日 この 7センチほどの 小さいの を 観ているので

こんな おおきいものとは 思えなかった。

びっくりした。

あれは 40センチ は あった、か な。

来年 行 く ゾ。 観 る ゾ。 

そして 憶える ゾ。「笑う」か 「踊る」か。

また 忘れるから どっちでも いいかな。

ともかく、 今度 は 2時間ぐらい とることに しよう。

さて 家へ 帰らなくちゃ。 上野駅に 行かなくちゃ。 

では


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39 科学館から 博物館 へ (上野)

2014年12月17日 00時22分10秒 | 奥の細道 金沢 小松 福井

39 科学館から 博物館 へ (上野)

ツアーを 終えて 泊まった

東京のホテルは バリアフりーの 部屋だった。 

部屋が 空いていなくて ここへ 移した の かな。

頼んでは いない。 料金は 変わらないようだ。 

 バス兼トイレは とっても 広い。

介助者が 必要な人には 有りがたいだろう。 


11月8日 旅 最終日。 国立博物館を 予定している。

上野公園までは 慣れた道。 博物館 途中に 科学館

そこ 「ヒカリ展」のほうが 国宝展より 30分

早いことに 気が付いた。

ゾウさんは 写真撮りをすると 行ってしまった。

わたしだけ 科学館のまえで 待つ。

早々と 係官が 入り口を 開けてくれた。 

あれ 入れてくれる?   そうではなかった。

小路を数人で 行く。 入り口前で 並んで待つ。

足元に どんぐり ?

どこから?   「隣の 館から」 だ。

  20分ほど 待って

9時 ちょうどに 開けてくれた。展示物の

写真撮影は 発光しなければ 良いそうだが

私の カメラは 良くわからない。 

注意されるのが 嫌なので 観るだけ。 

科学だから ゾウさんが 見た方が 楽しめたかも。

ゾウさんとの 約束の時間より 早く 外へ出た。

携帯電話を かけて、 国立博物館のまえで 待つ。 

雨が降ってきた。

 入場券を買う。

ゾウさんが この館のまえに きた 9時ころ は

長い状列が あったそうな。 

館に入る前にも、 写真撮りをする ゾウさんに 

今さらながら 呆れかえって、 それでも 待って。

さて さて 続きは 明日。


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38  芭蕉の 義仲寺にも 行きたい

2014年12月16日 00時48分49秒 | 奥の細道 金沢 小松 福井

38  芭蕉の 義仲寺にも 行きたい


今回の 福井から

終いの地 大垣には すでに 訪れている。

わたしたちの 「奥のほそみち」 すんだ。

でも これを見る と すこし 抜けているところが わかる。

そのうち、きっと 「ついで」が みつかる、と 思うことにする。

芭蕉さんの 奥のほそみち は 
大きなところ  曾良さんとの 同行二人 

深川から 大垣まで 156日間。

全行程 600里(2400キロメートル)  。

xxxxxxxxxxx 

私と ゾウさんの 「ほそみち」も おおきなところ 終わる。

20年がかり ( 正確には アルバムを 調べないと わからない )

深川 千住 の次の 通過しただけの 草加は

来年4月に 行こうと 思っている。

一応 ついで。


芭蕉さんの 「お終い」は 義仲寺。それを 記しておく。

義仲寺参りも ゾウさんと 一緒に ?  いやいや とんでもない。 
今度の 同行二人 は 芭蕉さんの おもかげ。 もしくは 
曾良さんの 魂と 一緒を 願いましょ !!  

芭蕉は、木曽義仲の墓の 隣に 葬るように 遺言 した。

亡くなった その日のうちに 弟子たちの手により

遺骸は、終焉の地 大坂から 大津の義仲寺に 運ばれた。

およそ500年前の 義仲、 歳も31歳と 芭蕉没年より、若い。

その人 義仲の横に 並んでいたい という

芭蕉の思いは どこから くるのだろう。

義仲について 芭蕉の詠んだ句は、

奥の細道 道中の「義仲の寝覚めの山か月悲し」と

墓の前で詠んだという 「木曾の情雪や生えぬく春の草」。

後者は、義経を 「夏草や 兵どもが ゆめのあと」 の

「夏草」になぞらえた句と 一対のもの と されているらしい。

なるほど。

また「むざんやなかぶとの下のきりぎりす」も

命の恩人 斉藤実盛と戦わざるを得なかった

義仲の 悲劇を 謳った 句と いえる。

義仲は、幼いころ、父を殺され、自身も命を狙われ、

敵方の 斉藤実盛の助けで 木曾に逃げた。

20代の若さで、わずかの手勢で 旗揚げして、平家を倒した。

武士として始めて 天下を取る、が わずかの間に 失う。

家来の 兼平を 助けよう と 自 ら 馬を 

敵中に進めて 終わる。

朝日将軍として 輝いた時代と

悲劇的な最期が、

芭蕉の 「美学」に かなったものでは ないか。

…… と いわれているそうな。


xxxxxxxxx 義経びいきでも あったそうだ が

義経本人より も 

これは 弁慶など、家来たちに 恵まれていたこと、から

その家来の 生きざまが 好きだったのでないか、と 思う。

私も 佐藤兄弟の はなしなど 

哀しく 思い、 うらやまく 思う から。


今回の 芭蕉「奥のほそみち」かかわりは これで 終わる。

あとの 1日の 東京を 書いて 私の 旅も 終わる。  


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37 極楽トンボ との 50年 ・11月

2014年12月15日 00時31分18秒 | 奥の細道 金沢 小松 福井

37  極楽トンボ との 50年 ・11月


ツアー3日めの この朝。 

帰りも 荷物は 飛行機に 全て持ちこむ と

ゾウさん が 決めたので そのように 荷物を 詰め込んだ。 

それなのに。 空港で 「どうしますか」と きかれたトタン、

 「頼む」 と。 たいした問題ではない。

しかし、何度も続くと、

もしかして ぞうさん。認知症 かな、と 思う。 

腹が立つまえに 心配になる。

それなのに、 認めることはなく、

「お前のほうが 間違っている」と 言われる。

まちがいなく 認知症、だと 思う。

あとで 順序よく 話すと 「己」が わかるよう では 

あるが ……。 


そして。。 またもや カナモノ 事件。 

ベルトを 外していなかった ゾウさんは 

ブザーを 鳴らした。 外して、 やっと 空港に 入れてもらえた。


 これは 空港  1階  2階  どっち だったかな。 

 19時10分

夕飯を 買ったのは すこし前だった かな。

外人の 男性の テーブルしか 空いていない。

ここ いいですか、 の そぶりを したら「NO」 が かえってきた。 

わきの席の人達が立ったので、そこで、 柿の葉寿司を 食べる。

外人の席には 金髪の女性が 坐った。


飛行機の席は 奥も奥、 最後の 席だった。

 19時50分発

羽田から 小松へ 来るときの ゾウさん。

飛行機 助走中に、なんやら しゃべってから 「田舎者のようか」 

と 問うた。

わかっているなら、 静かに、と 思ったのだった が

帰りは なぜか、 シ~ン。


  余談  12月6日(土) この 小松空港 

       50~70センチという 雪の風景が テレビに映った。

       ひと月前の 11月7日 あそこに いたことが 夢のようだ。


何事もなく 羽田飛行場に 着いた。

思ったとおり 荷物を 受け取るのに 時間かかって

講師先生と 添乗員さんを 待たせてしまった。

最後まで 面倒をおかけしてしまった。

ごめんなさい。

たくさんのお世話になった お二人に お礼をいって 

おわかれする。 「また」が あるのだろう か。 


 

斜めではない 横長の 不思議な エスカレーター ? 

ベルトコンベアのような 道を 行く。 xxxxxxxxxxx

なでか 「 いま 11月 」。 

丁度 50年 まえ ゾウさんに 結婚を 申し込まれた、 

ってことを 思い出した。 

良 く も。 よくも 50年 持ったもの だ。 

これ ゾウさんに  言えば 

「 おれは お前を 幸せにする、とは 一言も 言わなかった 」

と、 言うんだろうな。

( 「幸せにする、を 言わなくて 良かった」と 思っているに違いない )


ホテルの シャトルバスに 乗るために 外へでる。

時刻表 出さなくちゃ。その前に トイレ、と 

思っているうちに、 ゾウ め。 さっさと 行ってしまう。

荷物を 持っているから 追いつけない し

背中に 話しても 難聴者には 聞こえない。

xxxxxxxxxxxx

バスの 発着場 憶えていないのに、

ずんずん と 行く。 いつものことだが、困る。

こっち、と その場に ひっぱって、 それから

バス時刻表を 暗がりで 見る。 いま 発車したばかり。

それで また 荷物もって トイレへ。 「おれも行く」って。

xxxxxxxxxx  なんで そんなに 急ぐの ?

「バスに おいて いかれるから」 だって。

だから 時間 を 調べているのに なぁ。

また 発着場へ。 ゾウ、坐りたそうに している。

今日 18000歩 も 歩いている 私も

動きたくない。 だが、ゾウさんが つぶれると 明日

博物館に いけなくなる。


 

今朝から 起っていた 私の持病は 

ひどい 方向に むかって、はいない。

すこし 先のほうに 腰かけられそうなところがあった。

ゾウさんに そこを 指さして 

「バスが 来たら、合図するから、目 離さないで」 と。

10分ほど 杖を 頼って 待っていた。 

あとは ホテルで 問題起きませんように、 祈る。


部屋に いってから 荷物をみる。 持つには 重すぎる。 

運送やさんの箱を 買いに フロントへ 下りる。

ゾウさんが 集めた 5センチの高さになった「紙」類を

一番下へ 詰める。 洗濯ものは 洗わなかったので軽い。

すこしばかりの みやげも 入れる。

詰め終わった。 11時過ぎていた。

ゾウさんは、 スヤスヤ。 ほんと 極楽とんぼ。

惚れた弱みの 50年。

結論は 最後に わかるんだ、 ゾウ~~~


 あとは 明日。 最後の 東京。 上野公園です。

これで ツアーの分は 終りです。

ご清聴 ありがとうございました。 


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36 安宅関 ・歴男 ・歴女 暗闇 ものともせず

2014年12月14日 00時01分08秒 | 奥の細道 金沢 小松 福井

36 安宅関 ・歴男 ・歴女 暗闇 ものともせず


xxxxxxxxxx 最後は 安宅の関跡に 行く xxxxxx

兄 頼朝に追われた 源義経は 

武蔵坊弁慶らとともに 奥州藤原氏の本拠地 平泉を目指す。

安宅の関を 通りかかった。

関守 ・富樫 泰家は 義経だと 見破ったが、

弁慶が 偽りの勧進帳を読んだり、主人義経を 打つなど するのに

同情して 関を 通過させた、という 話。

    正確な 安宅関の場所は 不明 だそうな。

暗い中 講師先生 添乗員さん ご苦労さまでした。

時間を 余さず使って、の、 大サービス です。

暗い。

ゾウさん、今度は ライトを 頭につけていた。

持っていたこと忘れていた って。 それでも やはり 暗い。

勧進帳を しらなければ、見ても つまらないだろう。

ここにいる人達は 歴男 歴女。暗闇なんぞ なんのその。 

昼間と 変わらずに 写真を撮っている。   

3人の順序 左から ・義経 ・弁慶  みえないが ・富樫

 xxxxxxxxxxxxxx

弁慶が読んだ 「勧進帳」 中身を 知らなかった。

いま 調べてみた。

♪ それ つらうら おもんみれ~ば 

大恩教主の 秋の月は ねはんの雲に …… 

   …… 帰命稽首 敬って申~す~

と、いうのでした。 (最後に 付けます)


 

小松空港 に 写真が あった。     

別の 場所の 人形は また あとで


付則 …… 「勧進帳」 よみあげ ……

それ つらうら おもんみれ~ば 

大恩教主の秋の月は ねはんの雲に隠れ 

生死長夜の永き夢 驚かすべき人もなし 

ここに近頃の帝おわします 恩名を聖武天皇と申し上げ奉る 

最愛の夫人にわかれ 追慕やみがたく 涕泣眼にあらく 涙玉を貫く

思いを善路にひるがえし 上求菩提のため盧遮那仏を建立したもう  

しかるに去んじ 治承の頃焼亡しおわんぬ 

かほどの霊場絶えんなきことをなげき 俊乗坊重源勅命ナこうむって 

無情の勧門に涙を流し 上下の真俗を勧めて 

かの霊場を再建せんと諸国に勧進す 

一紙半銭奉財の輩は 現世にては無比の楽を誇り 

当来にては数千蓮華の上に座せん   帰命稽首 敬って申~す~

xxxxxxxxxxx 以上 xxxxxxx


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35 実盛の 古戦場は 暗かった

2014年12月13日 00時08分35秒 | 奥の細道 金沢 小松 福井

        私の 「奥のほそみち」 再開します。

35 実盛の 古戦場は 暗かった


ツアー 3日め (11月7日) も 終盤に 近づいている。

 

16時30分 

あさむつ橋 ~ 玉江の蘆 を みせてもらって

また バスにのる。 とろとろ していた。 高速に入ったようだ。

北陸自動車道  SA 「仏御前」で  トイレ休憩があった。

平家物語 で 知って 行ってみたいと思っていた 仏御前の里

小松市から鳥越村に至る 県道沿いに 小さな墓があるそうな。

白拍子( 男装で 歌いながら舞う )の

仏御前は 17歳にして 平清盛の寵愛を 受ける。それから

みずからの栄華にむなしさを 感じ、祇王寺へ。

やがて ふるさとへ 帰った。 21歳で 没。

xxxxxxxxx 17時 5分 

その SA「仏御前」 トイレ内の 川柳があった。

わすれもの したこと忘れ 我忘れ …… 広一郎 

はい。ありがとう。  気をつけます、よ。

  17時22分。 

片山津 出ました。 5分も せずに 「実盛 塚」に 着いた。

バスの中からは 月が見えた、と 思った が、

月満ちて 暗がりの道 冴えわたる には なっていない。

あら、 5 7 5 になっている。

俳句 なんてもんではない が 「月」は 秋の季語。

芭蕉の 句 には

鎖あけて 月さし入よ 浮み堂

が ある な。

篠原 の 古戦場  そして 実盛塚 

 

まっくらだったはずなのに 何故 写った、のでしょう。 

これが 実盛塚 でしょう か。

すこし 行くと  像。

光っています。 実盛さんの 兜 が 光っています。

芭蕉の句

義仲の 寝覚めの山か 月悲し  思い出した。

句意 …… 「これが 昔、木曽義仲が

夜半の寝覚めに ふり仰いで月を見た山 なのか。

月は今 哀愁を含んで、白々と山を照らしている」 よ、 です。

  

実盛の ↑ 首を抱いている 義仲。 実盛 ↑ 兜。 

義仲 悲嘆に くれています。

(だれかの 写真を 借りました。 ありがとうございました)

xxxxx  さて 安宅の関へ 移動です。


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34 朝6時に 和歌を詠んだところ

2014年12月10日 00時07分24秒 | 奥の細道 金沢 小松 福井

34  西行が 朝6時に 和歌を詠んだところ


 

元禄2年(1689年)8月13日(新暦9月26日)、

夜明け前に福井を立った 芭蕉は 

等栽とともに 明け方に あさむつ橋に さしかかった。

  芭蕉が 早朝に 発ってきたので、朝六つ橋と

  名付けた、と  どこかで きいたのだった が、

平安時代の 高僧 西行法師が、

この橋のたもとで 文殊山を 望んで

歌を 詠んだのが 朝六つ時だったので

「朝六つ橋」と呼ばれる様になった、と。

そのほかにも 諸説ある、そうな。

 

『奥の細道』

漸白根が嶽かくれて、比那が嵩あらはる。

あさむづの橋をわたりて、

(  続き 玉江の蘆 は あとに )  

 

この あさむつ橋 以北を 

夷の国としていた時代も あった そうな。

王朝時代、清少納言が 『枕草子』で

『橋はあさむつの橋』が 良い と 持ち上げている。

越の国の名所 なんだそうな。

そんなこと 想像できないほど

なんと言うこともない 小さな橋である。

ここは 北国街道 (浅水)

美濃街道の起点とも なっている。

浅水の地は 宿場町として 栄えていた。 

 そして 橋の由来を記した碑が 反対側にある。

 ↓   これ かな。 

陽がかげってきた。 

次は 「奥のほそみち」 玉江 へ 歩いて 移動 xxxxxxxxxx 

玉江の蘆(あし・葦)は 穂に出にけり。

鴬の関を過て 湯尾峠 

…… となる。 説明は この とおり。 芭蕉さまさま、です。

花堂(はなんどう)地区一帯の 小流は 歌枕の地。

月の名所 玉江。

新古今和歌集、藤原俊成の 

「夏刈の 蘆のかりねもあはれはり 玉江の月の あけがたのそら」 

後拾遺集、杉山重行の 

「夏かりの 玉江の蘆をふみしだき むれ居る鳥の たつ空ぞなき」 

の和歌によって歌枕の地と された。

この橋は その 名残をつたえた 玉江二の橋 の名があるって。

その橋の 写真 撮っていない。 橋の 記憶もない。 

あさむつ と おなじような 小さい橋だったの かな。

xxxxxxxxxx 

寒くなってきた。 バスのなかで コートを かえた。

晩秋用も 持ってきてよかった。

xxxxxxxxxx  では  


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33 等栽の奥さんは 優しい人 かも 

2014年12月09日 01時00分57秒 | 奥の細道 金沢 小松 福井

33  等栽の奥さんは 優しい人 かも  


福井洞哉子をさそふ …と かいてある本も あった。

等 栽 ではなく  洞 哉。 さて

どっちが 正しい。 家にある本を めくってみた。

半々。 どっちでも 可ということにして、 ここでは

このツアーでの 呼び名 等 栽 に する。


佐内公園のなかに ある 等栽居宅跡 を 訪れた。

xxxxxxxxxxx 松尾芭蕉が 『おくの細道』の旅の途中、

福井の俳人 等 栽 を たずねたのは、

元禄2年8月11日(1689年:陽暦9月24日)のこと。

どのような人物であったかは よくは 知られていない そうな。

 

 

芭蕉の死後 約100年後の 寛政4年(1792年)、

福井の俳人達が 百回忌の法会を 営んだという。

その時の記録の中に 「 等 栽 」は、貧しい、こと。

枕もない。近くの寺院でお堂を建てていたので、

ころあいの良い木片をもらってきて 芭蕉の枕とした、と ある。

「面白い」と 私が 言うのは この 等 栽 のことではなく

おくさん。 「奥のほそみち」原文 には

「 主人は 留守。 自分で さがせ。」

みたいなことを 言っている。 

あつかいが 悪ければ 別の宿を さがしたと 思うが

2泊 させてもらっている。

芭蕉さん ( 例によって )

面白おかしくするために 粉飾したのだろうか。

乞食坊主に 等しい様相の (だっだ かもしれない) ものを

2泊も させた なんて 

いい奥さんであるように 私は思うが、なぁ。


xxx これが 芭蕉句碑。 文字は 薄い。

この句は 「奥のほそみち」には 入っていない。

名月の見所問ん旅寝せむ         出典は「芭蕉翁月一夜十五句」(荊口句帖)。 

めいげつの みどころとわん たびねせん

このあと、芭蕉は 中秋の名月の前日 (8月14日) 

 等 栽 とともに 敦賀に入り 出雲屋に泊まる。

芭蕉さん 曾良さんの 深川から 大垣 

わたし達も なんとか 回った ことになる 


原文の 「等 栽」 の 項 長いが、 最後に しるす。

ここは 佐内公園なので、 橋本佐内を 紹介する。

これが 記念碑。   こっちは お墓 ? 

福井藩の生んだ 偉人。 橋本左内。

天保五年(1834) 藩医 橋本彦也の 長男として

 

福井城下に生まれた。

 

10歳、 『三国志』を 通読。

 

15歳、 自戒と立志の書 『啓発録』 を 著す。 

安政6年(1859年) 

安政の大獄で 小塚原刑場にて 斬首された。 享年26。

南千住回向院に 墓があるそうな。 ここは 分骨の地かな?

 逆光 で みえません。

佐内さん 自戒の 文

 啓発録より   碑 左から 

交友を択ぶ 学を勉める 志を立てる 気を振るう 稚心を去る 


奥のほそみち  【 等 栽 】

福井は三里計なれば、夕飯したゝめて出るに、 

たそがれの路、たどたどし。 

爰に等栽と云、古き隠士有。 

いづれの年にか、江戸に来りて予を尋。遥十とせ餘り也。 

いかに老さらぼひて有にや、将、死けるにやと、人に尋侍れば、 

いまだ存命して、そこそこと教ゆ。 

市中ひそかに引入て、あやしの小家に、 

夕顔へちまのはえかゝりて、鶏頭 ・はゝきぎに戸ぼそをかくす。 

さては此うちにこそと、門を扣ば、侘しげなる女の出て、 

「いづくよりわたり給ふ道心の御坊にや。 

あるじは、此あたり何がしと云ものゝ方に行ぬ。 

もし用あらば尋給へ」といふ。かれが妻なるべしとしらる。

かし物がたりにこそ、かゝる風情は侍れと、 

やがて尋あひて、その家に二夜とまりて、 

名月はつるがのみなとにとたび立。 

等栽も共に送らんと、裾おかしうからげて、路の枝折とうかれ立。 

…… 次は 【 敦賀 】 の 項


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32 天龍寺 「扇引さく」 かんちがい

2014年12月08日 00時27分58秒 | 奥の細道 金沢 小松 福井

32  松岡 天龍寺 「扇引さく」  かんちがい 


  

   下の「奥のほそみち」  冒頭の 

   丸岡は 芭蕉の誤記。 「松岡」が正しい。

丸岡 天竜寺の長老、古き因あれば尋ぬ。

又、金沢の北枝といふもの、

かりそめに見送りて、此処までしたひ来る。

所々の風景過さず思ひつゞけて、

折節あはれなる作意など聞ゆ。

今、既別に望みて、



金沢の俳人・立花北枝は、金沢から芭蕉に随行してきた。

ここ 天龍寺で別れる。

松岡町の ここ 天龍寺には 句碑がある。

  物書で 扇引さく 余波哉

                  余波(なごり)

扇は 夏使うものだから、秋になると箪笥にしまう。

   ( 捨て扇 …… 秋の季語 )

その扇に 一句 したためて名残を惜しんだ、という。

xxxxxxxxxxx

講師先生は 説明している。

この部分 私は 良く理解していなかった。

私は おうぎ を 真ん中から 裂いたのだと 思っていた。

「扇引さく」だから、  ↓ この辺から 裂く。

そうではなくて 貼りあわせた 2面の 紙を 

「へぎ分けた」という ことなのだ。

いま  初 案 を 読んで 理解できた。

物書いて扇子へぎ分くる別れ哉「卯辰集」

xxxxxxxxxx  家へ帰って いろいろ 調べる と

講師先生の 言われたことが よくよく わかります xxxx


北枝は 加賀の国(小松)生まれ

研刀業を 営んでいた。 その者が 

7月24日から 8月10日まで 

芭蕉と歩みを ともにした ?

それから 戻った ?

自由業とはいえ、1か月近くも 遊んでいられたものだろうか。

師匠 芭蕉さんに 心酔していた証拠の ひと月なのだろう。

また バスに乗る。 あらあら 電車。 

ここは 福井県はいったかな。

ツアーだと 頼ってしまって 地理が あやふや。

これから 「 等 栽 」居宅 跡へ 向かう。


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31 門前町 「秋の 最後の ユリ」 

2014年12月07日 00時15分42秒 | 奥の細道 金沢 小松 福井

31 門前町 「秋の 最後の ユリ」


門前町での 昼食は さっぱりとして おいしかった。 

蕎麦 は  少々 ↓ ねっぱり。

それから お寺へ 参る。 

永平寺は 我が家の 総本山 だ。 

2009年に 訪れている。  

あの 黒光りの廊下を 思いだした。

修業として の お掃除の画面は 何度もみている。

我が家も 掃除ばっかりしていれば 

あんなに なるんだろうな。 

持病が 軽く 起っているので 寺のなかが

たいそうな 人ごみだったことを 思い出して 

「行かない」を 決断した。

お寺の 玄関 ? まで ついて いって 戻る。

自由行動が 許されている ので ……。 

xxx  ツアーは 今日で 終りだが 

     明日は 国立博物館 などを 予定している。

     体を休めておこう xxxxxxx

お天気は上々。 のんびりと 写真を 撮って、本を読んで。

少し 寒くなってきた。 カイロを 思い出した。

昨日は 朝から 雨だったので、

足首や 腰に 「カイロ」を 貼っていた。

おかげで 寝不足による 寒気は 消えてくれた。

今日は 大丈夫だと 思って 貼ってこない。寒い。

大きな木の下には 長くは いられない。

あったかい ところへ 移動する ことに。

門をでる。 

食堂の前にいるバスは 素通りして 小さな公園で 読書。

まだまだ 時間がある。 坂を下ってみた。

家のまえにいた 女性と 

草刈り機を担いで 坂を下りてきた男性が 

同時に はなしかけてきた。

一人 フラフラする者は なにか 不審だった のだろうか。

杖をついているから、 力がありそうではない。だから……。

やりとりのあと 「そこに 神社があるよ」 と。

 平泉にもある 白山神社だった。 

家族の 平安を 祈って 戻る。 

お賽銭箱は 普通の位置。 床下ではありません。(忍者寺)

♪ 夏の最後の薔薇 ならぬ 「♪ 秋の 最後の ユリ」。

坂を 登るときに 目に入っていたのだが、

花期が違う から、造花かな、と 思っていた。 

帰りには 周りの 草が刈られて 

はっきり 本物と わかった。 有りがたい。  

草を刈った人は 先に

白山神社を 教えてくださった方である。

道 反対側で 器械を 使っている。

その音で 私の声は 聞こえないだろう が

それでも 「ありがとうございました」を 言った。

(夏の最後の薔薇) ♪ 庭の千草も~~ と 

ハミングしながら、バスに向かう。 

ゾウさんが みえた。

永平寺 ひととおり 回ってきた、そうな。 

早いことは 大歓迎。 

皆さん 集まるまで ぼんやり と。

次は 松岡 天龍寺。


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30 お仙泣かすな 馬肥やせ の 城 にて 

2014年12月06日 00時02分55秒 | 奥の細道 金沢 小松 福井

30  お仙泣かすな 馬肥やせ の 城 にて  


 一筆啓上 火の用心 

おせん 泣かすな 馬肥やせ

 

私も ケータイメールでは このような 簡潔文になる。 

なぜなら パソコンの 文字入力法とは 異なるため 

慣れることが できていないから だ。

電文のような 「馬肥やせ」 で も

意味は チャンと 伝わるのだから いいのだ。

私の場合。  題 「読みました」。 本文は

「後で パソコンから メールいたします」に なることが多い。

携帯アドレス しか 持っていない人には

たっぷり 時間を 作ってから

ゾウさんに 邪魔されないところで ゆっくり、と 打つ。


xxxxxxxxx  まえがきが 長くなった xxxxxxxxxxxxx 

これが、丸岡城 入り口である。

丸岡城…… 福井県坂井市にある 平山城。 別名霞ヶ城。

江戸時代には 丸岡藩の藩庁と なった。

芭蕉は 丸岡に 来たことになっているから

この城をみたのであろう。 この手紙のこと しっていただろうか。

  一筆啓上 火の用心 

    おせん 泣かすな 馬こやせ

この 「おせん」。 私は なんど 息子「仙千代」だと、

インプット しなおしても 次には また

女の子が イメージされてしまうのだ。

ここへ 来たのだから 今度からは 「仙千代」という 

名前を 忘れない、と 思う のだが ……。

「お仙泣かすな」の 作者と目されるのは、

本多 作左衛門 重次。

  天正3年の 長篠の合戦で、陣中から 妻宛てに書いたもの。

  長男の仙千代を ちゃんと育てよ、

  馬は いつでも 補充できるように 養っておけ」。

家康の命を救ったこともある 勇猛果敢な武将は

関が原の合戦(1600)に 勝ち、天下人になった家康は、

この仙千代こと 本多成重を 越前丸岡城主にした。

安土桃山時代に 建造されたと 推定されている 「天守」

とは、これのことだろう な。

国の重要文化財に 指定されている。

xxxxxxxxxx 「野面積み」の 石垣 xxxxxxxxx

 

 (下)   石 の 鯱  ↓  ↓

 

天守の石瓦と 同質の石材 で ↑ 作られた 鯱。

昭和15年(1940)~昭和17年(1942)の 

修理の際に 銅版張りの 鯱は 外された。

(戦争中、銅版の入手が 困難であったため)

この 鯱が 天守に上げられていた。

昭和23年(1948)の 福井地震により 落下した。

xxxxx 

現在上がっている鯱は、

昭和27年(1952)~昭和30年(1955)にかけての

再建時に、元の木彫銅版張りに 復元された もの。

いろんな 歴史が あるもの です。

我が家 ( 夫婦 )も 50年に なる。

ガラクタ な 歴史が たまってしまいました。

xxxxx  ソウソウ。 この城見学のとき。 

もうすぐ 集合時間になるのに、ゾウさん、

戻ってこない。城への 坂道を 迎えに 走った。

ゾウさんは ぎりぎり かな。 

私は 足がのろいから、 ちょっと 遅刻になったのかも。

監督不行き届きです。 すみませんでした。 xxxxxxxxx

今回  旅行に 出かける前に 約束した。

①  カメラバックは バスの荷物入れに 置くこと。

②  私の 介助をすること。

旅行に 出てしまえば 約束は なしになる。  

そんなことは 「約束していない」で すまされる。

人前では 喧嘩が できないから 有耶無耶になる。

今度は 「 一人で行く 」 と つぶやくだけ。 


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29 芭蕉さんが くぐった「木戸」門跡

2014年12月05日 00時03分08秒 | 奥の細道 金沢 小松 福井

29 芭蕉さんが くぐった 「木戸」門跡


少し 歩いて

江戸時代に 湯宿治安のため建てられた門の跡へ来る。

山中温泉〇木戸門跡   

標柱 右手には

   漁り火に 河鹿や波の 下むせび  芭蕉

が 刻まれてある。

芭蕉逗留の そのとき 「木戸は あった」のかな。。 

その近くに 手折らずの 道 ? ( 写真 右 ) 

   山中や菊は手折らじ湯のにほい

                   

今日よりや 書付け消さん 笠の露 

黒谷橋を 渡って 再度 大聖寺川渓谷へ 下りる。

黒谷橋の 橋柱には

  この川の黒谷橋は 絶景の地や

  行脚の楽しみここにあり  芭蕉

が はめ込まれてあった。

 xxxxxxxx 芭蕉は、山中温泉に 9日間滞在した。 

その間に 上流の 道明淵に、2度も 訪れたそうな。 

そうだ。 忘れていた。 さきに アップした 全昌寺は、 

山中温泉 での 宿 泉屋の 菩提寺。

その紹介で たずねた らしい。 


 芭蕉堂 …… 明治43年(1910年)、

 芭蕉をしたう 全国の俳人たちによって 

 芭蕉像が 安置された お堂。 

2010年に 100年祭を 行ったそうな。 

芭蕉の 魅力は なんなんだろう。

 

  

こうして ツアーも 組まれて 「完歩」者が いる。

私だって 20年がかり だ。 今回で なんとか おわる。

あきらめが つかず 20年、 芭蕉に憑りつかれている。 

ゾウさんの カメラ狂いを 咎めることは できない。


xxxxxxxxx 私たちツアーは 山中温泉を 離れる。

バスで 丸岡城址 ・ 永平寺へ 向かう。xxxxxx 最後に

「奥のほそみち」には 掲載されなかった 句を 記しておくす。

  桃の木の その葉散らすな 秋の風 

  湯のなごり 今宵は肌の 寒からむ


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28 頭陀袋を新しくして出発 の 芭蕉さん

2014年12月04日 00時06分18秒 | 奥の細道 金沢 小松 福井

28 頭陀袋を 新しくして 出発 の 芭蕉さん


あやとり橋を 過ぎた 小さい公園 ? 脇に 

ガラスケースに入った 消防車があった。

大正15年 フォード製 手挽(び)き ガソリンポンプ 

と 鈴木式ポンプ 搭載 とある。

xxxxxxxxxx 調べてみた  xxxxxxxxxx 

昭和6年5月 山中温泉 大火事。

総戸数1200戸の内、800戸以上が 焼失した。

その火が 止まったのが 恩榮寺の前 (この辺)。

鎮火に 貢献した消防車 って ことのようだ。


予定表に 

山中温泉こおろぎ橋~ 2時間半と 書いてあったので

( 温泉散策 全部の時間だったのだろう)

行くのをためらったのだが、

実際に 川沿いの 遊歩道を 歩いたのは 

30分ぐらいだった。 何ごともなくて よかった。xxxxxxx  

骨折手術をして、 退院するとき、 

主侍医が 「今度 倒れるときは 右にしなさい」 と。

左大腿部には 金具の支えが 2本 入っている。 

同じ方向に 倒れると、ぐちゃぐちゃになって 修復不可能。

寝たきりになる、から と いうことを、 

簡単に 注意してくださったのだろう。

ありがたいことである。

それを 日々忘れないで 暮らしてきた。

普段は 杖は いらなくなったが、 出かけるときは 放さない。


消防車をみて、 山中温泉 街へ 入った。

9日泊まった泉屋の趾   

 

想像たくましくして、ここに 宿屋を 建てる。

  桃の木の その葉散らすな 秋の風 

楽しげな 芭蕉(桃青)さん 宿の主久米之助(桃妖)も

いる。    もしかして 曾良さんの腹痛は ?

xxxxxxxxxx  ず~~~と 気になっていた。

本をみつけた。 

 奥の細道行脚―『曾良日記』を読む

xxxxxx 東京で 小遣いを もらっている。

それで、奥の細道 かかわりの本を 計3冊 買うことにした。

菊の湯 ここは 男湯 すると 女湯は ?

次は 

芭蕉の館は 泉屋の かかわりの宿跡だったはず。

この方 が ↑  山中節を 歌っています。(写真 失敗)

      歌いなれています。 

昔、 浴場と それに合わせる方 

声を、 歌の文句を、 競った ことでしょう。

  お馴染みの 同行二人

古文書 保存されています

芭蕉の 頭陀袋 だそうです。 意外と 小さい。 

  ←

ここから 大垣まで 行く。

誰が 新調してくれたのでしょう、。

肩にして 旅立つ 芭蕉さん。 

新しい 頭陀袋との 同行二人になります。

xxxxxxxxxxx  また 並んで 芭蕉堂へ 歩く。


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