ゾウさんと暮らす

85歳の 夫ゾウさんとの
二人暮らし。 わたし 82歳。  

お城の先生の「鳥海の柵」

2018年02月19日 00時00分00秒 | ・歴史 ・歩く

2018年 2月17日(土) 金ヶ崎町で

鳥海柵跡シンポジウムが 開かれた。

報告が済んでから 講演 14:00~15:00 

演題は 「前九年合戦と 鳥海柵」 

講師は これまで テレビの画面から お話を聞くだけだった 

奈良 大学の 千田嘉博 氏 

ナマ の お声を聴くことが できて 幸せ。

   xxxxx

下の写真は NHK「英雄たちの選択」での先生

千田嘉博先生は 城博士と いわれているそうな。

私は お城の先生、と呼んでいた。

 

午前中の先生は「冬の鳥海柵へ 行こう!」。これも

参加したかった。だが 大雪になる不安があった。

すこし 離れたところに 住んでいるので 

金ヶ崎まで行くことすら できないかもしれず、

定員20名に 申し込みすることが できなかった。残念。

xxxxxxxxxxx  先生は

午前中の 鳥海柵を 歩いたときの話を 

雑ぜて 柵について 説明。

( この柵については 最後に 簡単に 記す )

そのあと 外国の 古い城の 成り立ちをも

写真を指しながら 話して くださった。

始終 笑みを浮かべておられている。 

大学の講義は さぞかしと思いながら 1時間を楽しんだ。 

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要害館での「宗任」のことを 再勉強してきていた。

そして シンポジウム と 

併せて 見聞ができたので 話がよく分かった、

といえる。

この講演会を 教えてくださった 友人に

お礼を いくら言っても 足りない です。

ありがとうございました。

また よろしくお願いいたします。

xxxxxxxxxx

雪道が 心配なので お城の先生のお話がすむと 

受付に アンケートを だして

「遠いので、、、 ごめんなさい」 

と 申し上げて 帰宅した。  のち

最後まで参加した友人から 電話があった。

シンポジウムが 終わったころ は 

ますます 雪が 強くなっていた、と。

 xxxxxxxxxx 私ていたちの 帰り道は

途中 雪が止んてきて、さらに お天とさま まで 出た。

「戻ろうか」と 運転手の ゾウさんに 言った。

笑われた。

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江戸時代の地誌である『安永風土記』には、

この地が 鳥海柵跡であると伝えている。

大正時代には「鳥海柵見取り図」という 

絵図も調製されている。

平安時代に『陸奥話記』には 

安倍氏が設けた 十二の柵が 記されている。

その中心的な柵が「鳥海柵」である。

『吾妻鏡』は、 安倍氏の勃興期から 

全盛期にかけての状況を よく伝えている。

律令国家による支配から自立し、

平泉で結実する 奥州平泉文化の起源を知る上で

重要。また、

史跡 大鳥井山遺跡や 史跡柳之御所遺跡などとともに、

東北で成立、発展した居館のあり方や

都市計画の展開を知る上でも重要。

この遺跡は2 013年(平成25年) 10月に

国の史跡に指定されている。 以上。


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