ゾウさんと暮らす

85歳の 夫ゾウさんとの
二人暮らし。 わたし 82歳。  

24 北海道を思い出すだろう 雪がふれば 

2017年11月19日 13時07分14秒 | 2017北の縄文を歩くツアー

冬がきたな、と 思うとき。

外出のとき 手に冷たさを 感じはじめて、

それから 白いものが

花弁のように パラついてきた とき。

今朝 その雪が 降ってきた。

パソコンを 打つ手が かじかむ。

急いで ストーブを 焚いた。

岩手県南部の ここより 早くに

真っ白の世界になっていくであろう「北海道」

その物語を 書くのも もう少しで 終わる。

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北の縄文を歩く ・・・ 余談

24 ・・・北海道を 思い出すだろう 雪が降れば

タクシーは 資料館についた。

 

安政4(1857)年、御備頭 ( おんそなえがしら ? )

として 白老元陣屋に 着任した (現)岩手県南部の

三好監物さまの 歴史を知るために 私は ここへ、

この 資料館に きたのだ。

仙台藩の 家紋 竹に雀 が たくさん 立ててある。

入ると すぐ 映像が 流れた。

いろんな 資料で 知った気になっていた。が

録画を みると さらに よく わかる。


      中央 三好監物さま

(上)故郷の 藤沢の 黄海の こと。

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江戸に留学したり、藩主上洛に従い 京都に上ったり。

しかし、自分の信念を貫く 言論で 

井伊直弼の怒りを買い 一時幽閉される。

藩が 勤王派と佐幕派に 分かれたときは

尊王攘夷を 唱える。

藩内で 多数派を占める 佐幕派から 疎んじられた

不遇の時代もある。

ついには、会津藩討伐の勅命を受け入れるべし、

と 主張したため、任を解かれる。

藩内の勤王派粛清が行われる。

監物にも 官軍との内通の疑いが およぶ。

自決。明治元(1868)年8月15日、享年 53歳。

辞世の句は

生き帰り死にかはりても 国を思ふ赤き心の色は変らじ

会津藩と幕府を見放した、と される監物。

北方警備や江戸・京都で培った見識が あるために

日本国を 慮っての行動だった、と いわれる。

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岩倉具視が 亡くなったあとの 監物に 送ったもの。

監物さまは 多くの維新志士 同様、

靖国神社に 合祀された。  続く


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