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『魔法少女まどか☆マギカ』

2011年06月29日 | アニメ
てめえは政府より信用できるってんだなコノヤロウ。

今日はどこぞの週刊誌への愚痴からスタートしました。
最近は思いついたことをTwitterで小出しにしているのでめっきりヱブログの更新意欲が閾値を超えない。
かといって「このところ思っていることはTwitterに書いている通りで」とかいうとハッシュタグもなくその時々思いついたことを書き散らかしているので愚痴と風刺と地口と愛の言葉が交互に出てくるのでとてもまとめて読めたものでない。

というわけで久々の更新と相成った。


とりあえず『魔法少女まどか☆マギカ』雑感。
個人的にはものすごく剣崎一真エンドだった。
つっても“人間でなくなる苦悩”はそれだけで仮面ライダーの中核コンセプトと重なってしまうのだけれど。
『仮面ライダー剣』と重なるのは“人間であることを捨てて運命(定め)に挑む最強の主人公とその友情なのだが、一方で『まどか』がSFなのは最終話でほむらがキュゥべえと共闘している点。これは言い換えたほうがポイントがはっきりして、
>ほむらが共闘しているキュゥべえは敵対してきたキュゥべえと本質的に変わっていない点
ということになる。

『剣』では、一部アンデッドが人間と共闘できたのはひとえに“感情”による。
ジョーカー・相川始も、感情を持ち人間に歩み寄ることで、人類に吸収される形で共存に至っている。
『まどか』ではキュゥべえに感情を与えないまま、ほむらにしてみればかつての仇敵(一応別人ではあるが)キュゥべえ側の歩み寄りがまったくないままで共闘を実現している。
これはほむらが各ループでことごとく他キャラとすれ違ってきたこと、特に物語メインの時間軸では強硬な姿勢に出た結果として他の魔法少女を全て失っていることに対する彼女なりの答えと取れる。

はっきりいってどの魔法少女も幼さゆえに取り返しのつかないことになっているので、“成長”を(終盤の)主人公ほむらを通じて描いた形になるだろう。

※このテキストは慣れない新下駄配列で入力されました。そのため入力に精一杯であまり推敲されていませんにょん