em-Pits : 千葉研究所

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エンジンの動力性能の見方を書きながら整理する-3

2022年07月04日 | 
 さて、日産のBEVサクラも発売されたことなので改めてこの話題を。

 エンジンの「最大出力」とはどういうことか? これはレシプロエンジンの特性に依存した言い方で、『新型ロードスターのすべて』から引用した特性グラフは以下の通り。

kWで表される出力の値は、エンジンの回転速度(エンジン回転数)に伴って右肩上がりになっている。これは機構上の特徴から“各部品が最高の連携をするタイミングで動いている限りは最大の力を発揮する”が、“それ以外の時は能率が落ちる”ことの結果と言える。

 では、前回の「990 kgの物体を2秒間で100 km/hに加速する」ことはこのエンジンには可能なのか? ということを考えると、それは不可能とは言えない。一方で、「マツダロードスターを、自走で2秒間で100 km/hに加速する」というのは不可能になる。
 この差を生むのが、自動車がエンジンの力をどう使うように設計されているかという制約によってくる。それは主に下の二つで、
1. 車輪とエンジンを、変速機を介して接続して駆動する
2. 変速機は6段のものを使う
ということになる。
 それを踏まえて、理論的なNDロードスターの加速感をグラフ化すると、以下の通り(こちらの力不足で、X軸が時間になっていない)。

そして、例としてこの中でエンジンが90 kW以上を発揮している部分を抜き出すと

これだけになってしまう。

 自動車の加速においてエンジンの最大出力が使われるポイントは、各ギアにおいて“エンジンが吹け切る”直前に限られるのだ。

エンジンの動力性能の見方を書きながら整理する-2

2020年05月22日 | 
 昨日はエネルギー変換器としてのエンジンを仮定してみた。入力は問わないので、むしろ「エネルギー発生器」と呼んだ方がすっきりするかもしれない。
 そして発生するエネルギーを軽率に「運動エネルギー」と呼んだのだけど、申し訳ないことにこれが不正確であり、またそこを追求することで今回のテーマとなる「仕事」を掘り下げることになる。

 さて。手元に2015年のモーターファン別冊『新型ロードスターのすべて』があったので、このエンジンスペックを参照してみる。そのエンジンを代表する仕事率は、大抵「最大出力」として表記される。

最高出力 (kW / rpm) | 96 / 7,000

 96kWということは、毎秒96kJのエネルギーがエンジンの出力シャフトから得られるということだ。これを単純計算すると、体重48kgの人を1秒押す(別に引っ張る等でも構わない)ことで約228km/hになる。
 この、約228km/hで飛び出した48kgの人の持つ運動エネルギーが96kJだ。
 この人を発電機で余さずキャッチして止めると、96kJの電気エネルギーが得られる。約27Wh。
 この人を真上に打ち上げると、96kJの位置エネルギー分の高さまでは上がる。約204m。

 昨日軽率に表現した「運動エネルギー」は、あくまでこのエネルギーが自動車(や人など、物体)の推進に使われたときに、質量と速度として現れるエネルギーになる。そうすると、この運動エネルギーをもたらしたエンジンの作用を何と呼ぶべきかというと、「仕事」。エンジンは、96kW(エネルギーから見ると96kJ/s)の仕事率で仕事をする。その仕事の結果として96kJの各種エネルギーが得られる、と形になる。

 ちなみに、さっき飛び出した人が受ける力は約3036N。加速度は約63m/s^2、重力換算で約6.5Gとなり、だいたい戦闘機のドッグファイト時に表れる加速度に相当。1秒間なので生理的には……というのは余談で。


 閑話休題。96kWの仕事率、これがマツダロードスターの車両重量990kgに対してロスなく使えた場合、その加速度は何と約1.4G。0-100km/h加速をこの値で駆け抜けたら、なんと2秒!
 しかし、3割ロスの58kWに2名乗車程度の重量1100kgとしても、2.7秒というGT-R並みの値が出てしまう。そりゃ、あくまで「最高出力」の値を使ってるんだから当たり前の話ではあるのだが……。次回へ。

僕が悪魔に魂を売らなかった時の話

2017年09月30日 | 
 僕の主観でいうとたぶん数年前のことだ。少し前に意気投合したそいつは自分が悪魔だと打ち明けた。代償次第で願いを叶えられると。
 それならば、と僕はこう言った。
「技術者になりたい」

 冗談じみた考えではあったが、本気でもあった。しかし、今思うとなぜ不労収入者の類でなかったのかはわからない。いずれにせよ、僕はその時の過去に嫌気が差していた。幼い自分の子供とは会えなくなっていた。妻ごといなくなっていたから。収入はほとんどなかった。主食は酒と煙草だった。無駄に広い部屋から引っ越す気力もなかった。ちょっとした野心から、会社にはいられなくなっていた。たぶん、もう解雇されている。しょうもない争いの世界に身を投じるのはもうたくさんだ、せめて堅実に生きられたらと、その時の僕は漠然と技術者にあこがれを抱くようになっていた。
 ともあれ、それを聞いた奴は答えて言った。
「ふうん。魂を差し出すなら、本田宗一郎ぐらいにはしてあげられるかなあ」
「魂か。魂は科学と哲学に売約済みで、悪魔の取り分はもうないね」
「…。謎のポエムはともかく、魂を差し出す気はないんだな。じゃあ、なにか差し出せる楽しみはある? 今後の人生から永遠に奪われてもいい楽しみ」
「煙草」
即答した。奴は笑った。
「言うと思った。それじゃ名ばかりの落ちこぼれエンジニアがいいところだから、酒の楽しみも差し出すかい?」
「…ああ、いいよ」
「ずいぶん健康になるねぇ。『なんだかそっちばかり得をするような気がするけど』」
「『私の嗜好をもう少し高く評価してもらいたいね』…。で、どうなの」
「多分まだ不足かな。やっぱり人並み未満のエンジニアにしかできない。定年までは持たないよ。今のステータスを技術畑向きに振り直すにはもう少し代償が欲しい」
「家族」
「ほぅ。誤解されると嫌だから言っておくけど、君の奥さんと子供に干渉はしないよ。あくまで君から『家族』という楽しみが失われるだけだ。まぁ、これでちょっとした取り柄のあるエンジニアにはしてあげられそうだよ」
「技術者になれるならいいよ。あとは自分で何とかする…。契約は成立なのかな」
「そうだねぇ。すぐに履行する? 今すぐに」
「…うん」
僕はたしか、そんな風に投げやりに答えたと思う。

 こうして僕は今の鈴田佳和になった。履歴書の職歴は全く違うものになっていた。まあ、大したものは差し出していないからこんなものだろう(当初はもっと何とかならなかったものかと思ったが)。酒と煙草を美味いと思うことも、結婚を望むことも、子供を持つ親に憧れることもないひねくれた技術職に。魂は無論、科学と哲学に売却済みだ。

丑嶋の“フチなし眼鏡”の実用性

2016年10月01日 | 
>「闇金ウシジマくん」山田孝之が特注した丑嶋の“フチなし眼鏡”レプリカ発売
http://natalie.mu/eiga/news/203769

 この眼鏡について、いち眼鏡のユーザーとしての理解から簡単に(専門的には無理だし)解説してみますよっと。

 ざっくり言って、人間の視界の中央というのは頭の向きに対してやや下になります。そこにレンズの中心を配置し、下に広い視界をカバーする一般的な眼鏡はこうなります(角度は模式的なもの)。

ツルの位置も、このタイプであればおおむね目尻の下を通ります。
 マンガ版『闇金ウシジマくん』では、基本的にこのオーソドックスな眼鏡で描かれています。

ツルの高さは目とほぼ同じで、レンズは目より下の方が広くとられています。

 これに対し、上の記事の山田孝之の眼鏡はというと、

このようなレイアウトになっています。ツルは目よりもかなり上、レンズ上端が眉よりも上に来る高さです(レンズ中心は作り方で下に持ってくることもできますが)。視覚的に言うと、上方視界を異常に重視したつくりの眼鏡といえます。

しかし、この眼鏡を一般的な眼鏡と同様の高さに掛ければ、極端に大きなレンズの下端が視界をはみ出すか、頬に当たってしまいます。

それを踏まえて再度この絵を見てみると、

この眼鏡はおそらく、3次元的には頬にめり込んでいると考えてよいでしょう。3DCGでいうと、レンダリングの優先度で眼鏡が切れていない状態。レンズの下端が鼻よりも下に来ていますし、あくまで作画上のデフォルメです。他にも、顔を見上げた時と見下ろした時で目と眼鏡の相対的な位置関係が変わっていません。テクスチャー的な作画といえます。

 ですから、このレンズの大きさを優先的に再現した眼鏡を作ると、このように全体を上に逃がしたようなスタイルになるんですね。


 先述の通り視力矯正の実用性には疑問がありますので、ダテ眼鏡として特注したのはもっともな話、というわけです。

ぼやき130722

2013年07月22日 | 
 再就職ということを考えるにあたって割と不安しかない。
 大半の現場で歓迎された実感がないんだよな。別に邪険に扱われたこともないのだけれど、どこでも居心地の悪さを過剰に拾っていた。
 正直言って未だに会社なり上司なりが何をもって僕に居場所を与えるのかが判らない。できれば自信をもって“俺が何らかの貢献をしているから”と思いたいのだが自覚が全くない。
 以前にも書いた気がするけど、僕は他人の言動の荒がよく見えてしまうので、また理想的な言動も僕なりに考えてしまうのでそれと対して取った僕の行動のショボさのギャップがことごとく挫折的体験として日々積み上がるのであった。批判すべき人を批判しないし、提案すべき事を提案できない。

 というか本当はこんな僕の活躍の場のない世の中を恨む文章を綴るつもりだったのだがあんまりそういう方向に行ってくれない。あいつもクソだしあいつもクソだった、みたいなことを書き連ねたら少しは楽になるかという思惑だったのだがあんまり筆が進まない。

 とりあえず最近見て嫌になったものをいくつか列挙しておきたい。
>年間休日100日以下、時間外労働が月平均20時間の求人
>企業名でググったら候補ワードに「ブラック」
>“一生懸命な会社を目指しています”の会社紹介
>求人の“明るくコミュニケーションのとれる人”
>“自己PR”
ガード薄すぎるな、俺。

 僕は別に求人者を悪意の塊などとは思っていなくて、どちらかといえば善意で結果的に僕を追い詰めるのだと思っている。これまでの人生そんなに悪いことばかりではなかったと思うのだけれど、雇用と幸福がイメージとしてどうしても結びつかなくなっている。

 はっきり言ってこの辺のことは未だに冷静に思考しきれないのでとっとと現実的にパートタイム労働で生活する試算とか定量化が必要。僕が欲しいのは定職などではなく収入であることを再度念頭にまああまり娯楽ばかりやらずに計算なり計画なりせにゃいかん。

「切腹の間」とTwitter

2013年04月09日 | 
 先日「切腹の間」という畳の敷き方があるという有名な人のtweetを目にしたのだけど、僕の記憶する限りでは家庭科の教科書には載らない程度の作法のようだ。
 ちなみに、画像検索ではいきなり異なる2説が登場する。

 右巴の扱いで分かれるようだ。

 そもそもあまり聞いた事がなかったので更に軽く調べてみたところ、どうやらヴァリエーションがあり
・左巴の四畳半が切腹の間
・巴の四畳半は左右とも切腹の間
ついでに
・七畳半が切腹(と検死)の間、だから七畳半は不吉
ということらしい。これについては、“検死の間って襖で区切られてるのになんで七畳半(の一間)を嫌うの?”という疑問が湧く。
すると木村信工務店さん

7畳半という部屋は位の高い武士が使用する部屋だったそうで、一般庶民が使ってはいけないということからこのような迷信が出来たそうです。


との結論に至っているよう。
 現時点で僕はこの「七畳半」あるいは「四畳半」の「切腹の間」存在自体に懐疑的。少なくともざっとGoogle検索をかけた限りでは有力なデータがないのだ。巴敷きの四畳半と切腹を結びつけるのは千利休が茶室で切腹したことに因むという説で、これはまだ「七畳半の切腹の間」よりはありそうだ。

 ただ呪術(大袈裟)においても由来なんてのは比較的どうでもよく、“効果がある”ものにこそ価値がある。信じられ実行される限りにおいて“効果がある”のであり、この知識が広がり「切腹の間」を不吉だと考える人が多くなれば、それは立派に意味を持つ。既成事実的に。
 この「切腹の間」の話は、もしかするとTwitterという拡散力の強いメディアが消え行くフォークロアに再び生命力を吹き込んだ事例になり得るのかな、などと思った。

記憶、この不正確なるもの

2013年03月06日 | 
 僕は割と偽記憶を作りやすい方だと思う。それは知識と実体験の両方から実感を伴って思っているのだけれど、世の中完全な記憶頼みの証言を案外重視する人が多いのには戸惑う。

 他人の体験談を2回目に読むとき、最初に読んだときの“初めて知ったなー”と思った記憶がありながら“あ、これ自分もあった気がする”と思い始める事が時々ある。呼んだことによる追体験を、自分の実体験の記憶と同じ棚に突っ込んでしまうらしい。

 また一方で自覚無く盗作みたいなものを作ってしまった事がある。指摘を受けたら読んだ事のある本に間違いなかったが、ピンとこなかった。実際に図版を見せられたら“見た”記憶はまったくなくなっていたが“ほぼそのまんま”だった。
 自分で思いついたつもりで、実のところほとんど消えかけた記憶の再利用にしか過ぎなかったらしい。

ドリーム4号(自転車)-6

2013年03月05日 | 
 先週ホイールのハブをバラして、摩耗したパーツを新品交換しようと思っていたのだけれど結局思うように手に入らないことが判ったので、あるもので組み直した。
 メーカー公式サイトにももう情報がない中頑張ってググったところFormula製のようなのだけれど、現在代理店がなく9年前のパーツは自転車の方のメーカーでも手に入る望みは薄いとのこと。前輪に至っては他車からの流用なので追跡はさらに困難。
 ま、古いのは確かなのでホイールを換えてしまおう、と思うのだけれど、慌てて新調することもないしセンターロックディスクにするとローターも買わなければいけないので悠長に考えることにする。玉当たりの調整で回転は軽くなったし。

 その絡みもあって県内のサイクリー2店舗に行ってきた。あ、フロントディレイラーは48T対応に変えた方がいいんだよな。あと580円飛ぶ。

 もう一つは、現リアディスクローターが歪んでいてブレーキの効きに波があるのがずっと気になっていたので380円9部山(山?)のディスクローターを購入。フロントと同じのが欲しかったけど、近いので妥協。安いし。番号の違いはメタルパッド対応なのかな。

 とりあえず、主要で大掛かりな整備はこれで済んだ、ことにしておこう。

ドリーム4号(自転車)-5

2013年02月21日 | 
 クランクとチェーンを交換してようやく一段落。真新しいクランク。


 BB軸長が10mm長くなり123mmに、クランク長が5mm短くなり170mmに。ペダリング中の膝の曲がりと姿勢変化は自然になったものの、ペダル間の広さはやや気になる。すぐ慣れると思うけど。ギア比も常用範囲の上と下両方に余裕があり、フロントインナーも使えるようになった。
 BBは結局同クラスでの交換になったのだけど、経年劣化は隠せずこれで気持ちよく回るようになったのはうれしい。
 一番時間を食ったのがフロントディレイラーの調整。'04年の一クラス下の部品なので、対応が微妙。調整範囲を目一杯使って一応使えるかなというセッティングに。
 

 結局、BB取り外しのためのモンキーレンチ延長には古いFフォークを使った。というか、それ位しか使えるものがなかったのだが案外なんとかなって回せた。

 ここまで約¥61,000(工具・本等を含む)。ネットで5万円ちょいか。

ドリーム4号(自転車)-4

2013年02月20日 | 
 前回の記事では色々と恥を晒してしまったのだけれど、カートリッジタイプのボトムブラケットは決め打ちで製作、規定トルクで締めっばなしで調整の余地なしという予想外の仕様だった。そらセレーションとか他のタイプに取って代わられますわ。

 結局シマノ対応(純正)の工具を仕入れ、BBも買って(うまく店頭在庫が手に入った)、いざ交換と行きたかったが左ワンを外したところで今日は時間切れ。右ワン(逆ネジ)がおっそろしく固い。自慢の300mmモンキーレンチも歯が立たなかったよ…。


 ちなみに今日はクランクを頼んだ自転車店はお休み。BBの店頭在庫が入手できなかったら、どうせ乗れないのでFフォークの塗装に着手したろうかと内心思っていた。

ドリーム4号(自転車)-3

2013年02月18日 | 
 さて機会をうかがっていたクランクとチェーンの交換に手をつけたのだが、グダグダに。

 最初にチェーンのコネクトピンを抜く方向を誤り、十数分無駄にする。チェーンカッターの損傷に警戒してて本当に良かったと思う。
 そしてクランク自体は問題なく取り外すが、実は手元の14mmソケットの肉厚では入らなかったので昨日ようやくTONEのソケットを買ったのだった。ここまではいい。

 まず右クランク(+チェーンリング)のクリアランスがおかしいことに気づく。チェーンリングとフレームの最短距離、1mm足らず(!)である。しかも、スクウェアテーパーが最後まで入っていないようだ。新しいクランクはインナーリングの内径が小さく、フレームに当たってそれ以上は差し込めない。予想外であった。
 ひとしきり悩んだ後、BBを右にずらすことを思いつき、左クランクも外す。ここで、明らかにBBが左に寄っている事が判明。

 先日ついにドリーム4号の年式と仕様を突き止め(2004モデル)、思ったよりオリジナルのパーツが多く残っている事が判って油断したのだけども、どうやらクランクだけでなくBBも変えられていたようだ。そしてBBは突き当たりまでねじ込まれていた。チェーンラインの実測は約45mm
 機械整備をナメているとしか思えん。

 なるほどそれで以前フロントディレイラーの調整のとき、おっそろしくシビアな上ベストセッティングが出せなかった訳だ。
 そしてあさひ店員の言っていたテーパー嵌合部の劣化によるチェーンラインの話も街乗り範囲の話じゃなかった事が判った。現時点で5mmもズレていたんだから。

 で、BBの位置を調整せねばならないのだが、安物セットのBB工具が上手く噛んでくれないのであった。
 自転車店で外してもらいたいのは山々なのだが、乗って行って乗って帰れないのが困ったところ。やはりBB回しを買うか…?

 それとやっぱ軽いわ、外したDeore LXクランク。さすがアルミ。

ドリーム4号(自転車)-2

2013年02月10日 | 

 そしてこれが、タイヤ交換まで漕ぎつけたドリーム4号の姿。
 フロントのリムはブレーキ摺動面が未塗装だったので、タイヤ交換に際して刷毛塗りした。そこだけ光沢があったりはみ出しがあったりで近くで見ちゃイヤン。

 タイヤはGEAX Roadster 26"x1.5。大きな文字は好みでないはずだったけれども、装着してみると案外気に入った。
 以前の前1.75/後1.95の自前センタースリックなブロックパターンタイヤは、重く抵抗感こそそれなりにあったもののショック吸収に関しては有利だった。

 取りあえず見た目としてはこれで一応の完成なのだけれど、Fフォークの性能と適合に問題があるので思い切って交換した。のが下の姿。

 やはり白いので目立ちすぎて少々バランスが悪い気がする。このフレームの白(パール)塗装は撮影すると汚れが目立ちにくいのだけれど、実際には薄汚いのでフォークの真新しい白に完全に負けてしまってる。その独自の形状から存在感もあるし。
 性能は申し分なく、タイヤを変更して固くなった乗り心地をチャラにしてくれてる。フロントのブレーキングで沈まないのでジャックナイフもできるようになったし。以前のフォーク新品なら黒(Vブレーキ台座なし)が選べたのだけれど、この新車取り外し品の方が圧倒的にお買い得だったのであえて選ぶ。

 ちなみにこのFフォークの装着に当たっては、店員が案内してくれたプレッシャープラグが1"コラム用で使えずスターファングルナットを素人打ち込みしている。自分で打つ決意をしたのは購入状態でのナットが斜めに入っていたから。“なんだ、この程度の精度でいいなら俺自分でやっちゃうよ”てなものであった。たぶん今の方がまっ直ぐ入ってる。

 とりあえず今はリアスプロケット・チェーン・クランク待ち。そのギア比は完全にクロスバイクである。

ドリーム4号(自転車)-1

2013年02月10日 | 
 昨年11月の下旬、2年余り乗ってきたドリーム3号(LOUIS GARNEAU LGS-FIVE)を盗まれてしまい、期間満了で盗難補償も利かず思わずカッとなって中古購入したのがこのドリーム4号である。
 ドリーム3号はSomething ELseの『自転車ラプソディ #1』にちなむ「赤い自転車」だったので、今度も赤い自転車にしようかと思ったのだがこの2010年のカーマインレッドに限って気に入っていたのでこだわらないことにした。むしろ、銀フレームに黒系のパーツをあしらいHONDA SL230を黒リム化したようなイメージに支配されたのでそっちの方向で行くことにした。

 結果、この白いXC-Casper PROになったのだけれども、たまたま中古が出ている中で気に入ったから、という理由である。前と同じLGS-FIVE(白)を買うかで少し悩んだのだけれども、ブレーキ摺動面のない黒いリムに惹かれてディスクブレーキのこちらを選んだのだった@Yahoo! オークション。

 しかしまあ、この手の自転車に期待しちゃいけないのであって。不具合と不足はざっと
・スタンドなし
・ベル・リフレクターなし
・ステム動作(ベアリング)不良
・タイヤセンター2部山
・数km走行でリアチューブのパンク
・Fディスクローターの歪み
・リア4・5速の歯飛び
・Fフォークのサイズ違い(110mm幅ハブ対応?)
等。
 カスタムベースとして、どうせ換えるタイヤやスプロケットの消耗はいいのだけれども他で結構手間と金を取られてしまった。
 他にはざっと、
・パーツのグレードとがバラバラ
であった。基本的に、サドル・ハンドル・フレームの「LG」ロゴ入りのパーツ以外は寄せ集めだったといえよう。
 ホイールは前後で違うし、ディスクローターがセンターロックじゃない。ブレーキレバーはTektro(基本Shimano ALIVIOのはず)だし、FディレイラーがACERAでクランクがDEORE LX(5アーム)。ALIVIOが付いてるのはRディレイラーだけだった。前述のFフォークはおそらくMTBルック車からの流用。

 ここまで書いてて、こんなもんに金出してよく俺平気だなーと思った。

お蔵出し 2012年のマンガ紹介(書きかけ)

2012年11月05日 | 
 ギンダラとキンメダイ
 別の作品目当てで買った4コマ誌に載っていて、そのデフォルメとコマ運びの上手さに単行本を心待ちにしていた新人作品。作風が完成された後半の雰囲気が特に好き。

 ばくおん!!
 おりもとマンガは組み立てがものすごく巧いと僕は思う。多分映像作品の技法をよく知ってる人で、毎回のヤマ場を盛り上げることに関しては非凡。
 そんな彼が一般的な題材を描くのはこれが始めてでは?『ばくおん!!』。いわずと知れた『けいおん!』パロディのようで、悪乗りギャグマンガのようで、非バイクブーム的な価値観の下で“バイクに乗る”というささやかな感動体験をしっかりと表現している名作。


 あさがおと加瀬さん。
 まあ、人を選ぶと思うのですが、個人的な趣味であえてランクイン。でもね、こういう気持ちってこの歳になると忘れがちかなーと思うのですよ。生活だ人生だと色んなしがらみを思わない日はない今日この頃、たまには純粋で繊細なオハナシに触れたいのです。

お蔵出し 雑感121017(書きかけ)

2012年11月05日 | 
 僕はあまり器用でない。
 人並みに器用だと思っていたのだけどもそれはかなり限定された分野においての話で、「器用」という言葉が指す大半の意味においてはそうでないということを改めて自覚した。
 結論からいうと、生き方を間違ってきたのだと思った。目標と選択肢の間に大きな隔たりがあるのは僕の文章を読んでいる人の多くには自明のことだと思う。ひとつは僕が“普通の人”に擬態して生きられる程度に器用だと(謝って)自覚していたこと、もう一つは“普通の人”の立場から自分に見合った生き方を作っていける程度に有能だと思っていたことで、
「そりゃ無理だろ!」
と今になって思った。
 オリジナルな発想で始めから自分の枠を作れる人は天才だとして、既存の枠を自分のいいように作り替えられる人は秀才だ。いずれも僕の手の届く生き方ではなかった。


『ニートの歩き方』を読む。