em-Pits : 千葉研究所

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江戸東京博物館と反省会という名の懇親会

2016年11月20日 | 日記
 話し込むと終わりが見えなくなる系の友人二人を呼び出して博物館に行くという、ある意味今年最大のイヴェントは幸運にも助けられ、おおむね成功裏に終わった。

 話がどこへ飛んでも、一人演説会みたいにならないバランスで盛り上がる。思考プロセスや知識の棚卸を共有している、とでも言ったらいいのか。自由に会話することで、既存の知識同士の再配線を行える集まりだと思う。この辺りは僕がTwitter等のネットでの人とのやり取りに期待しているものの一つだ。
 たまに先走って独り言を聞かせるような時もあるけど、会話の闇鍋みたいなカオスを仲間と共にできるのはとても幸せなことだと思った。

 結局博物館は(余裕かましてたら予想以上の密度で)回り切れなかったのだけど、次回へのフラストレーションを残せたことが結果的に動機づけになって良かった、ということでまとめたい。

日記151230

2015年12月30日 | 日記
 年末のここにきて久々に躁というかアッパーというか思考がクリアというか頭が冴えるというかまともな状態になってる。今日の昼まで一週間ほど思考が鈍く、ここ3日はかなり鬱に振れていた。大型書店で専門書コーナーを見てたら気分が晴れた。

 ここしばらくの状態は、一つのテーマを考え続けることが困難で読書ペースもかなり低下、ブランクが空きすぎて技能化していないプログラミングに至ってはとてもではなかった。既存の知識への断片的な上乗せしかできない。
 どうにも情報の処理のキャパシティーがグッと下がっていたらしい。また、ほんの少しの過入力で一種のパニックを起こす。ただ生活するだけの情報量が手に負えなくなっていたような気がする。新たな知識の効率的な獲得に必要な連想力、すなわち既存知識との複合的な関連付けにも(僕の納得する基準からすると)支障をきたしていたようだ。
 この程度の長文を書くのにも苦労していた。ただ書き散らかすだけならできるのだが、段落間の構成を把握しながら推敲するということができなかった。4年ばかり前はpomeraをポケットに睡眠不足の頭で外へ出かけ、この程度の分量の文章なら難なく書けていたので最近の自分の状態を認めるのは結構辛かったしとりあえず健康的と思われる生活をしながら待つしかなかったのが、もどかしいと言うにも頭の働きが鈍いので近い未来に期待しながら諾々と過ごす他なかった。

 こうなった今もこの状態がどれだけ続くか、何を以て維持したらいいのかわからないので、精々健康的な生活を続けようと思う。

ごくフツーの夢。150826

2015年08月26日 | 日記
 昨日は、他人に好かれて恋人になっていたという夢を見たのでとても引きずった。夢を引きずるの、僕に言わせれば要するに目が完全に覚めていないだけなんだけど。

 しかしながら、ふと女の子と遊びに行くことを考えて「いや、この間からあいつ(※僕の学生時代までの交友関係をベースにした実在しない人物)が彼女じゃん」という現実にはあり得ない体験をしたので、引きずるのもさもありなんという感じではある。『謎の彼女X』の序盤みたいだな。
 しかも彼女の方から僕を気に入って、である。
 これは一日ぐらいこの“脳内彼女”に惑わされない方がどうかしている。

 さておき、これは自分自身けっこう意外な夢だった。
 別に人に好かれる要素が皆無とまではさすがに思っていないけれども、りん田、“友達ならいいけど恋人にはちょっと”という感じと自認している。なので、実際に人に好かれて自分がどう反応するのか、あまり考えたことがなかった。
 そんなわけで夢での僕の行動も、特に縛られるもののない今の僕のスタンスをものすごく反映したもので、“現時点で友達の範囲において、僕に好意を持ってくれる人には僕も興味を持つ”というものだった。

 なんだか特に面白味のないごく普通のことを書いているのだけど、この「ごく普通」な自分というのが僕にとっては結構新鮮なのだった。

行き先も長さも違う線が交差し織りなす流れの中で

2015年01月10日 | 日記
 どういった形で書こうか悩んだのだけど、誰にともなく公開日記という形を取ろうと思う。

 人の持っているタイムテーブルは皆それぞれに違うのだな、という話。そのギャップの大きさに面食らうこともあるのだけれど、それって如何に普段の自分がそのタイムテーブルに固定観念を持っているか、そして見えて当然の事を見落としているかということなのだと思う。


 思えば最初にそれを強烈に意識したのはもう4年近く前、親友を亡くしたときだった。特に彼は僕に病状の一切を伏せて逝ったので、顛末だけを聞かされたその動揺も大きかった。彼は24歳の頃から、長くてあと2年程度というスパンのタイムテーブルを人知れず生きていたのだ。
 かといって僕が無意識に採用しているあと50年程度というタイムテーブルにも何の保証もない。今言葉を交わしている人にまた会える、ということの頼りなさときたら疑うほどにきりがない。

 この辺のことはかなりいい加減にしか意識してなくて、なんとなく同年代とは歩調をそろえて過ごしていくような気がして、そこで思考を止めているのだけれど。
 たとえば、一般論として1~10年というスパンなら祖母がもうその歳だし、10~20年ならば両親がそうだ。ゆっくりとした変化には感覚が麻痺しがちだけれど、1~10年なんて十分に衝撃的な事実に思える。もしこれが僕の同世代の友人の話だったらかなり動揺する。10~20年だってそうかもしれない。

 じゃあその衝撃を受けるなりの対応を僕は祖母や両親その他に対してしているかというとそうでもなく、正常性バイアスでもってなんとなく明日もその先も似たような推移を続けると漠然と信じている。幽遊白書の魔界トーナメントなら戸愚呂に警告されてしまうところだ。
 逆もまた然りで、友人に与えられたタイムテーブルが1~10年スパンだったと明らかになったとして、それは僕の祖母のものに相当する。
 我々が交錯する時間の使い方として、人生のステージという暗黙の了解を切り離してみるとそういうことなのかな、と少し思った。

 まだそこをフラットに捉えられるほど老成してはいないけど、そういう観点で見直してみると僕は誰のことをどのくらい大切に思っているのか、ということもまた浮き彫りになってくる。老成していない以上、そうやって優先順位を(という思考を少し冷淡に感じもするけれど)設定して納得とは行かないまでもせめて、少しでもあきらめのつく生き方をしておこうと思った。


 始めはもう少し主観的感情的、かつ具体的な記し方をしようかと思ったのだけれど、結局いつもの抽象化・一般化した当たり障りのない表現に落ち着いてしまった。僕自身はもっと情熱的な人間のつもりなのだけれど。
 ともあれ、何度か繰り返し書いてきた「残り時間」について、今回は質的にではなく量的に考える機会になった。自分自身、きちんと畳んで終われたらいいな、とは贅沢ながら思う。寄藤文平『死にカタログ』の締めくくりのイラストのように。

祝う事、悼む事

2014年12月03日 | 日記
 花嫁の結婚にまつわる風習と葬式にまつわる風習には共通性がみられるらしい。どちらも、人が帰ってこないように送り出す儀式だからのようだ、と昔何かのエッセイで読んだ。

 知人の婚約の話を目にした。末期癌だった親御さんに報告が間に合った、というような話だった。

 近年、人生の有限さについて考える機会が増えた。たぶん別に人の死に出会う頻度はさほど変わっていなくて、ひとつは歳をとって認識した人の死の絶対数が累積したこと、体感時間が短くなったこと、それから人の死に対する感受性・読解力が増したことがあると思う。

 今年亡くなった、ミュージシャン・佐久間正英の生き様は思い出深い。同様に胃癌で亡くなった友人を連想したせいもある。遠く地元にいた彼の最後の日々を僕はよく知らない。だから、自分の死を見つめる人に出会う度に、最後に会ってからの彼の日々に思いを馳せる。佐久間正英が癌を公表してから、僕は友人を重ねながらその生き様を見守った。僕には短すぎるように思えたその時間、見事に旅立ったように見えた。

 順当にいけば、だいたい今の僕ぐらいの年齢が、現代においては一般に人を送る立場なんだろう。そんな中、知人は本当に立派だったと思う。歳は同じなんだけど、いつだって見習うべきところが多い。

 自分が旅立つ準備として、当面は人を送ることと向き合っていこうと思う。

日記140407

2014年04月07日 | 日記
 昨今「結婚」を矢鱈に意識している人を見かける機会があったので、今日は少し死んだ友人のことを(また)思い出していた。

 まあ僕と同様にあまり色恋沙汰とは縁の無さそうな、あっても口にしなさそうな奴だったのだけど、今の僕ぐらいの年齢でしばらく会わないうちに実は結婚していたり…しても驚きはするけど納得してしまいそうな感は個人的にはあった。それぐらい、僕に比べると地に足の着いた人生を歩んでいるように思えていた。

 彼を亡くしたのは約3年前の大きな地震の直前で、地震の後の混乱の中でこの歴史的一大事を知った自分とついに知ることのなかった彼との差について強く意識させられた。

 約3年経って彼のいない人生にも慣れてしまった。やっぱりまだあいつと色々共有しながら生きていたかったのは確かだ。失うという生きる上で全く当たり前の出来事について今はなぜか妙に感傷的に思うし、彼を失った直後の混乱をまたほんの少し味わっている。

日記140302

2014年03月02日 | 日記
 久々に総武快速の列車に乗っている。
 気軽に来るには少々遠くなってしまった東京だけれども、街はいつもの調子で迎えてくれた。当たり前だ。

 気軽に来るには少々遠くなってしまったので、買い物の仕方も慎重になった。ACアダプターが探しにくくなったので、今日は検討したジャンクのLCDを見送った。房総半島は少々中途半端な立地だと思う。千葉北西部方面の大きめのハードオフに行くには交通渋滞が避けられない。渋滞のコストを織り込むと一日アキバDAYを設けてジャンク屋をハシゴするのが効率的に思えてしまう。交通費は少々かかるけども。

 さて。富士通T8140というコンヴァーティブルPCを買った。Win xp Tablet PC EditionモデルにショップブランドのWin7をつけた形態だ。今までこの価格ではOSなしのジャンクPCしか買ってこなかったので、ツルシで使えるのは新鮮。OS代を考えるとほとんどタダ同然と言っていい。現在使っている、xpの東芝SS400に比べると解像度に劣るが、視野角と処理速度、サイズ、バッテリーの残寿命(容量ではなく)等ほとんどの点で勝る。これでSS400が3000円ほどで捌ければ完璧だと思ってはいるが、そんな都合のいい話もないだろうな。

 アキバは天気の割ににぎわっていた。昼を過ぎてもいくつかの飲食店の前に待ちの客がいた。アルバ、わりと好きだけど並んで入るほどとまでは思わない。伝説のすた丼にも待ち客がいた。サンボという気分でもなかったので結局これも久々のラホールへ。
 アキバで一番旨いカレー屋は個人的にはベンガルだと思うのだけれど、相応に高いからな。あととんかつの冨貴も非常に良い店だと思う。気持ちに余裕があるときはあのあたりでゆったり食事をしたい。

 訪ねる頻度が減ったというのはあるけれど、やはりあの街も様変わりしたと思う。ショップの看板が変わり、何となく流行り廃りが見えるのは面白いけど、そこにはやっぱり一抹の寂しさはある。ラジオ会館も今や建て替え中だしね。そんな中PC-98に高値がついてるのなんかを見ると、間違いなくアキバにいるんだなーなんて感覚になる。

 でも結局、僕は東京をはじめとする街にどこか昭和の痕跡みたいなものを探し続けてしまうのだと思う。新しいものを求め、常に生まれ変わり続ける街に、変わらない安心を探しに行ってしまう。
 どちらかというと、時代についていけないタイプなんだよね。

日記140211

2014年02月11日 | 日記
 久々に脱コタツして気分転換してる。

 近況。仕事は一応休日出勤が減り転職によるハイもかなり落ち着いた。自転車15分足らずの通勤に自動車のある生活、そして一般からすると大したことないが今までで最も高い固定給。ずいぶん良い環境になったと思う。今回は、今までよくあった“もっといいとこに引っ越したいなー”という思いがないし。

 ヘルメットを買い替える。というか、一応前のも取っておいてる。SHOEIのJ-StreamからJ-CRUISEに。
 前と同じマットブラックに、今度はどんな柄を貼るか考えてる。幸い雪が続いてこういうことをするにはいい機会だ。マスキングテープを貼りたくってマーカーで形を取ってる。相手は3次曲面なので、模様の見え方は実物を使ってデザインするのが一番いい。

 ヘルメットに先立つこと1ヶ月、バイクを買い替える。ER-6n。性能からすると重いのだが、ルックスが超好みなので目をつぶる。SL230からするとトルクの細さを感じる(MD33Eの粘りが異常なんだろうが)。そしてとっとと倒す。タッチアップしたいが適当な塗料がまだ見つけられていない。セルフステアの感覚も大分つかんだし、今年は遠くへ行きたい。

 VAIO Proの不調。一部microUSBケーブルが接触不良を起こしやすい。ケーブルの劣化もあるが、PCを変えたりハブをかませたりしてみる限りポート側の癖もある模様。まあ大したことないのでそのまま使ってきたのだが、先日SDカードスロットの蓋を破損。カードが差し込めないのでワイド保証を良いことに修理に出すことを決意。半端になっていたタワーPCを整備する。そしたらタッチパッドの誤タップが出るように。ここも点検だな。一回キーボードにはカフェオレ吸わせてるし。

 携帯電話を買い替える。房総の山中はかなりFOMAプラスエリア依存だったので。Xperia SX。割高だったがサイズと性能を考えるとまずまず。中古の割に綺麗(とても)だったし。

 結婚とか出産とか、自分の交友範囲でも多少目につくようになってきた。まあずっと文化部だった僕にとっての運動部みたいなもので、自分がなるつもりはあまりないがそれなりに関心はある。まあ、いくつになっても始めたい時が始め時なんだと思う。伯父が60代になり引退を視野に入れた時期になって初めて写真や自転車、登山を始めたように。余談だけど50代になってクラシック音楽を聴き始めたことも含めて、案外好奇心旺盛なところは見習いたい。まあ、親戚には色々継続している人もいてそちらの方が僕にはより欠けている要素なのだけれど。

 Facebookでとある旧友の投稿を見てると、素直に羨ましいと思う。“自分もああいう風に人生を楽しみたかったんだよな”という、まあ曖昧な憧れなんだけど、ひねくれを積み重ねてきた僕には珍しくそう思う。結局余計なことにリソースを割きすぎて三十路を目前にこんな有様なんだけど、予定もなくバイクで出かけては展望台に着いてる僕なんかも見ようによってはそういう部分あるのかなーとか思ったりもして、自分の棚卸みたいなきっかけにもなってる。

 こういう出来事の羅列みたいな日記を書けるようになったのがひとつ大きな変化かもしれないな。

日記131020

2013年10月20日 | 日記
 Xperia Z1fを見に行き、同じ4.3型画面ならXperia AXの方が持ちやすいし僕の求める性能も十分なのではないかと思ったが別に手元の機種でも十分なことに気付いた。壊れたらその辺にする。Xperia SXサイズが出ればいいのだけど、今や僕もかつて大きいと思っていたAXサイズがコンパクトに感じるようになってしまったのであった。
 でもiPhone5はちょっと大きいと思う。ホームキーの硬さによって握り方に制約が出るせいだけど。

 就職に伴う転居のための猶予期間というどこかあやふやな転換点的な立ち位置にいると、自分にとって時間というものが“今”しかないことを改めて実感する。幸いというか何というか、1か月先まで家賃は取られるので来月17日まではここに荷物を置いとけるのだがとりあえず生活必需品はまとめにゃならんのでガッツだ。うむ。

日記130903

2013年09月03日 | 日記
 久々に通学にバイクつかったら“楯なしでこの速度大丈夫なのかよ”とちょっと思った。他人を乗せる機会があったら慎重に行きたい。

 姿勢を改善しようと胴に少し筋肉つけたら運転がものすごく楽になった。背骨から上をうまく支えられてなかったのがあちこちの疲れに出ていたらしい。しかもバランス感覚が良くなった。また積極的に乗っていこう。ブレーキの効きがちょっと感覚と一致しきってない気がした。やっぱブレーキホースの古さが出てきてるのかもしれない。

 このところ精神的にやや不安定。悪いことばかりではなく、ただ少しアッパー気味な瞬間が目立つ。でもさ、そこで振り切って人に連絡とったりするぐらいで世間の平均的な社交性なんじゃねーのと思う。話を聞いてもらいたいのか、聞きたいのか。他人への興味なのか、自己顕示欲なのか。こうやって考えているうちにまたダウナーに戻って独りPCに向かってる気がする。
 結局は“積極性”なんてそんな下世話なモンの結晶なんじゃねーの、ぐらいに思っておくのが吉か。

 ともあれ最近はちょっとFacebookに影響され気味で、仲間が欲しい。僕はどうも“協力し合う仲間”よりは“心を許す友達”を欲しがる傾向にあるのだけど、せっかく都会にいるんだしそういう仲間を作ってみるのもいいかなというか今まで全くやってこなかったなーと思った。なんかここにきて人生の楽しみ方いろいろ間違ってたかなーなどと思っている。

 てなわけでまあ、勢い何人かに連絡とってみようかな。

雑記130703

2013年07月03日 | 日記
 とりあえず職業訓練が始まり無職ですが隠居でなくなりました。内容は機械部品に関することなので設計していきたい。
 通所に片道27kmばかり運転するので“やった! 運転が上達する!”などと浮かれていないこともなく。
 他に近況としては結局VAIO Pro 11注文。タッチパネルモデルは微妙なトコで好みでなかったので選んでいったら結果CTO最小構成に。来週届く。
 あと年金税金保険一気払いしたらかなりの額が飛ぶ。今年トライアルバイク買わなくてよかった。

横浜へ130527

2013年05月27日 | 日記
 土曜から日曜にかけて横浜に。
 ギークハウス横浜に接点ができたので、見学もかねて行ってきた(こういう時の僕は率直に他人の世話になるのが苦手でなかなか行動できない)。

 今うまい具合に噛み合ったと思うのは、申し込んだ職業訓練が住宅関係なこと。“シェアハウスを作ろう!”って訳ではないけど、今の関心は生活環境作りに向いているので流れとしてはこの方向性で仕事を探すのも悪くないと思ってる。やっぱデザイナー志向の血が騒ぐ点でもあったり。

 次いで友人とみなとみらいへ行って結果横浜観光計画を始動。
 ほか泊めてくれた友人宅で『俺妹』を初めて見たりカラオケの集まりに参加するなど。
 バイクでの往復だったのだけど、東京ゲートブリッジを両方向走破。やはりあそこの立地は走る展望台みたいなものなので、夜のデートコースにはもってこいだと思う。それから羽田のトンネルでは遠景のなさや反響するロードノイズからスケール感がおかしくなって自分や他車がミクロ化しているような感覚に陥るなど。

 そーいや、信号待ちで他車ドライヴァーから道を聞かれたのは2度目だったな。

P.S.詰めが甘くて友人には迷惑を掛けたのだった。この辺が会社員として上手くいかない一因であるのは間違いなひ。

Windowsキー

2013年02月06日 | 日記
 Windows8を使い始めて数日なのだけれど、さすがに一部動作が重くなった以外はさほど不便でない。
 理由を考えてみると、不評の中心であるスタートメニューにあまり依存していなかったからだと気付いた。

 スタートメニューは階層が深いのが面倒で、主要機能でスタートメニューから起動していたのは「マイ コンピュータ」と「コントロールパネル」程度だった。「検索」は[Win]+[F]だし、「ファイル名を指定して実行」は[Win]+[R]。よく使うアプリケーションはデスクトップにショートカット、あるいはタスクバーの追加ランチャー。おまけに戯れにubuntuだのFedoraだのを使っていたせいで、多少UIが変わるのには慣れっこだったのであった。

 チャームの[Win]+[C]とメニューの[Win]+[X]あたりを覚えてしまえば不便はほとんど解決してしまったのだが、やはり画面端をポイントするショートカットはマウスジェスチャーか何かから呼び出せるようにするのが筋だと思う。タッチパッドのスワイプに相当するマウス操作をこういう形でしか提案できなかったのは、20年あまりの時を経てもMSがAppleにもう一歩及ばない点だなー。などと思った。

日記130102

2013年01月02日 | 日記
本屋へ行く。月刊誌は新刊が結構出ていたようだ。『カスタム虎の穴(4)』は買えず。技術系の棚は結構面白いかもしれない。『脳は疲れない』シリーズが結構観光されているようだ。池谷裕二だったか。いずれ読もう。
親戚宅で米をもらう。3袋、止め具が見慣れない。乾燥剤だか脱酸素剤が入っているそう。古い一般販売物でない米袋を返さねばならない。
立体駐車場で苦戦。もう少し自動車を思った場所に導くことに関して訓練しておこう。4輪の位置とオーヴァーハング、前輪の切れ角を運転席から見切れるようになればよい。
毛布、ちゃぶ台、床マット(ウッド調)、カーテン等を旧宅より頂戴。部屋や車庫を見回し、正直、スペースがあるのをいいことにいろいろ溜め込みすぎたと思う。半分程度は大胆に処分すべきか。一度いろいろ纏めてフリーマーケットに出てみようか。
結婚や家庭を漠然と思う。数えで30歳であることに気づく。1000万円に届く退職金や家を建てるだけの収入などは想像もつかない。今結婚なりして地元に根を下ろしている友人たちは、おそらく僕が漠然と幼少期に思っていた生き方をなぞることに大筋では成功しているのだろう。僕は誰の生き方を参考にすべきなのかと最近思う。あまり僕も自分の人生に自信がもてないらしい。

雑記121231

2012年12月31日 | 日記
 近況報告のようなものを。
 12月21で辞職し、若隠居になりました。寮には住めなくなったため、広くて古い建物に引っ越しましたが木造のため寒い。とりあえずさらにローコストで楽しい生活の基礎を築くべく精進しようとしている今日この頃です。まあ、家事全般のスキルを上げようという試みです。

 まー細かいことは改めて書くとして、非常に穏やかな心で新年を迎える所存です。