:: dragonyan ::

日々のこと

父の命日

2020-07-27 | 日々の事とか

今日は父の18回目の命日です。

5年以上前にしたためておきながら
なかなかアップすることができずにいた記事を
なんとなく今日あげてしまいましょう。

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もう十年以上も前のことになりますが、
私は父の死に立ちあうことができました。

大阪の夏の風物詩である天神祭が終わり、その2日後の土曜日、
入院していた父の元には、たくさんの人がお見舞いに来ていました。

父の友人や、親戚一同が勢ぞろい。

すでに意識のなかった父に、
訪問者の声が届いていたかどうかは分からないけれど
賑やかな雰囲気は伝わっていたことでしょう。

日が暮れて、訪問者たちは帰り、兄は仕事へ、
姉達も幼い子がいたので一旦引き上げることとなり、
残った私と母だけが、その晩病院に泊まることになりました。

ひっそりといきたかったのかもしれない。

みなが帰ったすぐあとに容態は急変し、
私と母に見守られながら息を引き取った父。
最期の瞬間、その口からため息のように
「あぁーー」という声を発しました。

魂といわれるものかもしれない何かが、
煙のように父の肉体から出ていくように感じました。

肺に残っていた最後の空気が押し出されただけかもしれない。
でも私はそのあとに続く言葉を想像した。

「あぁーー、しんどかった」という解放感か
「あぁーー、おもろい人生やった」という回顧か
「あぁーー、なんやそういうことか」という発見か

死んだ父から教えてもらうことはできないけれど、
そのあとに続く言葉を想像することが
“生きる”ということのような気がします。

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・・・・このあとにもう少し文章は続いていたけど
今の自分にはあまりしっくりこなかったので消しました。

いま思えば、なるだけ自分の良い面を人に見せたい父だったので
命が尽きるさまをあまり多くの人に見せたくなかったのかもしれない。

ショーン・ペン主演の「21グラム」という映画をご存じだろうか。
内容は全く覚えてないけど、この21グラムという意味だけは鮮烈に覚えている。
それは「人が死んだ時に軽くなる重さ、魂の重さ」だそうです。

父がなくなる瞬間に発した声は忘れることはないと思うし
その声と同時に、本当に何かが抜けていくような感じがした。
そして不思議なことに、あの時私は悲しいという感情が全くわかずに
泣き崩れる母を横目に、命を全うした父の肉体を冷静に見ていた。
残された肉体にはもう父はいなかった。

死というものに対する考えは、取り扱いが全くもって難しく、
命と同様に尊重されるべきとは思うけど、
あまりにも厳かに尊ぶものでもない気がする。

ただ命の横にあるもの、ということは確かで
忌み嫌うものではないけど、その感覚は安易にではなく
じっくりと掴まなければ歪んでしまう気もする。

昨日は母と二人、
ご先祖様、父がいるであろう仏壇でお参りしましたら
お参り後、母曰く「今はお父ちゃんここにおらんけどな」と。
その母の独特の独白に「え?え?なになに」とツッコミを入れましたら
「今は店に行ってる時間やからおらんねん」て。

ここで言う店とは、父が生前に営んでいた飲食店で
現在は兄が引き継ぎ経営している店のことで、いまはそちらに行ってると。
これはなにも母が死者の言葉がわかるイタコでもなんでもなく
「夢に見た」とかなんとか言ってたけど
それ以上はつっこまずにソッとしときました。

というか命日前日やからお参りに来たのにおらんのかい。

その後母と二人、空に架かる虹を見ましたよ。
母は生まれて初めて見ると感激して手を合わせていた。
私は虹が見られたときは「大丈夫、その道で合っている」と
優しく背中を押されているような気がします。


大丈夫、大丈夫

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