徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

三番目の夢(第四話 幽霊先生)

2005-08-31 11:59:26 | 夢の中のお話 『彷徨える魂』
 広い高等部校舎のあちこちを修と笙子は連れ立って歩いていた。
懐かしい校舎だけれども今は感慨にふけっている場合ではない。
輝郷に頼まれた件で全身のアンテナを張り巡らせて異能力の調査中なのだ。

 唐島の出現で修のことを心配した雅人が、修をひとりで学校に来させないよう笙子に頼んだので、こうして夫婦で母校を訪問することになった。

 「今のところ…異常はないように思うけれど…君は? 」

修は確認するように笙子に訊いた。

 「そうねえ…。 病気を招くほどの力は私にも感じられないわね…。 」

 ここは藤宮が創った学園だから、創るときにはそれなりに土地や建物に付随する異能力への対処はしてあるはずである。
 たとえその後に何か起こっていたとしても、その都度手は打たれてあるはずだ。

 笙子はふと教室の窓を見た。今は授業中だから先生も生徒もだいたい教室にいるはずだ。 うわさでは幽霊先生は新任の先生がひとりでいる時に現れるという。
 だとすれば放課後、先生たちが部活指導や他の仕事で構内のばらばらな場所にいる時の可能性が強いような気がする。

 「ねえ…時間的な問題もあるかもしれないわ。 少し間をおいて放課後に、もう一度探ってみない? 」

 笙子はそう提案した。修はそうだね…と言って頷いた。

午前の授業の終了ベルが鳴って生徒たちが休憩のために外へ出てきた。

 「修さん! 笙子さん! 」

 子どもたち三人が修と笙子を目ざとく見つけて駆け寄った。修は笑顔で彼らを迎えた。子どもたちは口々に調査結果を訊ねたが、まだ、何にもキャッチできていないことを知ると残念そうだった。

 子どもたちから視線をはなした途端、修の表情が固くなった。
近付いてくる唐島の姿が視角に入ったからだった。
唐島も修を見ると身体を強張らせた。
 修の中の鬼が目覚めようとするのを、笙子が腕をぎゅっと掴んで抑えた。
唐島は何か言いたげに唇を動かしたが言葉にはならなかった。
 
 「修さん。 国語の唐島先生だよ。 」

何も知らない隆平が唐島を紹介した。

 「ああ…そうだね。 この間、雅人の件でお会いしたよ。 」

修は引きつったような笑みを浮かべた。唐島は意を決したように口を開いた。

 「修くん。 少し時間をもらえませんか。 今とは言わない…。
君の都合のいい時に…。 」

 「殺されたいの? 」

雅人が言った。唐島はとても悲しそうな目をして雅人を一瞥したがすぐに俯いた。

 「それでも…構わない。 修くんがそうしたければ…。 」

唐島がそう答えると雅人は何をかっこつけてんだか…というように横を向いた。
 
 「雅人。 よしなさい。 先生に対してそういう態度をとるのは。

 唐島先生。 申し訳ないことです。 」

修は頭を下げた。唐島はいいえというように首を横に振った。

 「これは僕の連絡先です。 

 ひとことでも話を聞いてもらえるならどこへでも出向きます。 」

 唐島は小さなカードを差し出した。修はそれを受け取ってポケットにしまった。
受け取る時に唐島の手が震えているのを修は感じた。 
軽く一礼すると唐島はその場を後にした。 

 唐島の姿が消えてしまうと、修は深く息を吸い込んで吐き出した。

 「大丈夫…修…? 」

笙子はそっと手を握った。修は笑って見せた。

 「わりと…平気。 もう自分ひとりで何とかなるよ。 

心配ないから…。さあ。おまえたち昼ご飯食べに行きな。 時間なくなるよ。 」

 心配そうに見ている三人に向かっていつもの優しい微笑を見せた。
三人は手を振りながら学食の方へ駆けて行った。



 校舎の裏の人気のない陽だまりに唐島は腰を下ろした。
何を見るとはなしにぼんやり遠くを見つめた。 

 とうとう修に声をかけた…。
12歳の修とあんな酷い別れ方をしてからずっと今日こそは今日こそは…と思いながら修の家の門の前で、何度謝罪のベルを押そうとしたことか…。

 唐島は左手首を見つめた。
そこには無数の切り傷…複雑な家庭事情の中にあって追い詰められていたとはいえまだ子供だった修を苦しめた自分が許せなかった。  

 そんなことをしてどうなるの…姉の声が聞こえた。
死んだって許してもらえないわよ…かえって修くんを苦しめることになるのよ…。

 「古い傷だねえ。 」

背後からあの先生の声が聞こえた。

 「君は死ななくてよかったよ。 また罪を犯すところだった。
君が死んだら修は気持ちのやり場に困るだろう…。恨み言も言えなくてさ…。 」

先生は穏やかに笑いながら唐島の肩を叩いた。

 「…あんな酷いことをした僕は生きていてはいけないんだと思い込んだんです。でも姉に止められました…。

 真面目に生きることで、僕の気持ちがいい加減じゃなかったんだってことを修くんに信じてもらいなさいって。

 だから一生懸命勉強もしたし努力もしました。
この10何年もの間、良い人間であり、良い教師であるように努めて来ました。

 許してもらえなくてもいい。
僕の本当の心さえ知ってもらえれば…そう思ってそのために生きてきました。 」

唐島はなぜかこの先生だけには何でも話してしまう。

 「大丈夫だよ…。 修にはきっと通じるよ。 君が真心を尽くせばね。
修はそういう子だ…。 」

 先生はよほど修のことを気に入っているのだろう。
見た目の年齢から察するに高校時代に担任でも受け持っていたのだろうか。

 「高校時代の彼の話を聞きました。 修くんはまるで何ごとも無かったように明るく過ごしていたようで、僕としては少し安心しました。

 僕のせいで彼の人生に闇の部分を作ってしまったのではないかと心配していたのですが。 」

 唐島が言うと先生は真面目な顔になって忠告するように言った。

 「修には十分闇の部分があったよ。 君のせいばかりではないけれどね。

 切れると歯止めが効かなくなるのもそのひとつ。 基本的には一匹狼で誰にも頼れないのもそのひとつ…。 たったひとりで大勢を相手に喧嘩しようなんてのは自虐行為そのものだね。心のどこかで自分を捨ててかかってるんだよ。

 修を取り巻くいろんなエピソードに誰も気付いていない修の内面が覗いている。
修を知っている人はこの学校には沢山いる。 話を聞いてご覧…。 
きっと見えてくるものがあるよ…。 」

 先生がそう言った時、校舎の方から笙子が駆けてくるのが見えた。
別の場所から修も姿を現した。

 「あの…唐島先生。 今ここに誰か来ませんでした? 」

笙子は息を切らしながら訊いた。
突然の問いに戸惑いながら唐島は答えた。

 「誰かって…。 先生…誰か来ましたかね? 」

唐島は辺りを見回したが、先生の姿はすでになかった。

 「おや…何処かへ行ってしまわれたようだ。 さっきまで年配の先生と話をしていたのですが…。 」 

修がすぐ傍まで来た。

 「ああ…修。 ここで気配がしたんだけど…遅かったみたい…。 」

 「僕もだ…。 急いで戻ってきたんだが…。 」

唐島は何のことか分からず、修と笙子を交互に見ていた。

 「ごめんなさい先生。 お邪魔して…。 ちょっと探し物をしていましたので。
修…行きましょう…。 」
 
笙子は修の腕を引いた。修は何かに気付いたのか唐島の方を見ていた。

 「ちょっと待って…笙子。 唐島先生…ちょっと失礼…。 」

修の手が唐島の肩に触れた。

 「葉っぱ…。 付いてましたよ。 」

 秋でもないのに小さな枯れ葉が修の手の中にあった。
修は他には何も言わず、笙子と連れ立ってその場を立ち去った。
その後姿を唐島はぼんやりと見つめていた。



 唐島の居たところからずっと黙ったままの修に笙子は、修が唐島の肩に触れたその感覚から何かを探っているのだと感じた。

 記憶の糸をたどっているのか、それともいま現在の何かを分析しているのか…。
急に立ち止まると修は目を閉じた。

 「笙子…会ったことがあるような気がするんだ。 
唐島の肩に触れたと思われる人物…。君も多分知っているんじゃないかと思う。」

 笙子は修の唐島に触れた方の手を取った。しかし、痕跡が微弱で確かなことは分からなかった。

 「…そうね。 でも…これだけでは…難しいわ。 」

 「唐島が…心配だ…。 今はまだ大丈夫そうだけど…。
もし…憑依でもされたら…。 」

 笙子は呆れたように修の顔をまじまじと見つめた。

 「相変わらずのお人好しね。 あなたを苦しめた人でしょ。
どうなろうと構わないんじゃないの? 」

 修は首を横に振った。

 「それは違う。 唐島は異能力に対して何の抵抗力も持たない…。
僕はそれを知っているのだから護ってやるべきなんだよ。
ほっておくのはフェアじゃない。 」
 
 この人は生まれながらに宗主なんだわ…と笙子は思った。
修がまるで自分という個人は存在しないものであるかのように突き放しているのを見ると笙子はたまらなく切なくなる。

 たまには素のままの自分を曝け出して泣いたり喚いたりしたっていいのに…。
修のあの笑顔は温かさや優しさで作られたすべてを覆い隠すための仮面なんだから…。

 「今日は…もうだめだろうね。 ずっと待っていても多分現れない…。 
取り敢えず輝郷伯父さんに報告しておこう。 何か対策を考えるよ。」

 修はそう言って理事長室の方へ向かった。

 笙子は後について行きながら考えた。あれが幽霊なら…不思議だわ。
二年前までは全くそんな現象はなかったというし、この学校のどこにもそれらしい気配はないというのに急に現れるなんて…。
 まるでこの学校の何処かにぽっかり穴が開いていてそこから出入りしているみたいに。

悪意のようなものが感じられないだけ増しね。

笙子はそんなこと呟きながら先を行く修の腕を取った。
笙子のその手に反対側の手を重ねながら修は微笑んだ。




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三番目の夢(第三話 修という少年)

2005-08-29 23:58:11 | 夢の中のお話 『彷徨える魂』
 学園が主催した新任の先生の歓迎会の後で、唐島は同僚から二次会に誘われた。

 学園近くの小さな居酒屋には何のことはない、いくつかのグループに分かれてはいるが、他の先生たちもそこに集まっていて、唐島たちが来ると手を振って歓迎してくれた。店はさながら第二職員室といった様相を呈していた。

一番奥の隅の席が空いていて、唐島たちはそこに落ち着いた。

 「唐島さん。聞きましたよ。どしょっぱつから雅人にやられたそうですね。
あいつが無断で出て行くなんて珍しいことだと皆が不思議がっていますよ。」

志水という唐島より少し若く見える教師がお絞りを使いながら無遠慮に言った。

 「そうなんですか…。」

唐島は気のない返事をした。

 「よっぽど虫の居所が悪かったんでしょう。 気にしなくて大丈夫ですよ。 」

唐島がよほど落ち込んでいるように見えたのか、松木という年配の教師が慰めた。

 「雅人ならいつもは言いたいことがあれば、はっきり言いますからね。
唐島さんが新任なんで雅人もどう話していいか分からなかったんでしょう。

 でもまあ紫峰の子どもたちは素直で扱いやすい方です。
ちゃんと話せば理解してくれますし、頼みごとも快くやってくれますよ。 」 

 「そうですか…。 安心しました。」

心にもない相槌を打って唐島はその場をしのいだ。

 「紫峰と言えば修が来てましたね。 」

志水が言った。

 「修って…志水先生。 修くんをご存知で? 」

唐島は訊ねた。志水の目が輝いた。

 「知るも知らんも僕は同期なんですよ。 大山先生もだ。 」

 「僕が何…? 」

隣の席から大山と思しき教師が訊いた。

 「修のことだよ。 紫峰修! 」

 「ああ…修ね! それならここに居るほとんどの先生がご存知だろう。 」

 にこにこと笑いながら大山が言った。
修か…修ね…笑い声とともにそんな声があちらこちらから上がった。

 唐島は意外に思った。唐島の知っている修は小さくておとなしい少年で、とてもこんなふうに人に強烈な印象を与えるような子ではなかった。

 「僕は小さい頃の修くんしか知らないんで…良かったら話して頂けますか。 」

唐島は志水に言った。志水は快く承諾した。

 「通常、藤宮学園では小学部から入学する子がほとんどなんですが、紫峰の子どもたちは大抵、高等部から入学してきます。修もそうでした。 」

志水は修のことを話し始めた。

 「入学してきた時の最初の印象はとにかく背が高い。 皆と同じ制服なのに何処かひとりだけ目立つんですよ。顔立ちが整っているせいもあるのでしょうが…。」

 

 高等部から入学してきたにもかかわらず、目立つ修の容姿はあっという間に学校中に知れ渡り、良くも悪くも他人から目を付けられる存在になった。

 目立つといってもアイドル系ではないし、どちらかといえば秀才タイプで下手をすれば鼻持ちならない男に見られかねないが、いつも穏やかでよく笑う修は先生受けも友達受けも好かった。
 修の包み込むような笑みに出会うとこちらも思わず微笑んでしまいそうになる。
修なら許せると他人に感じさせるような魅力があった。

 最初のひと月くらいは陽気で優しいイメージのまま何事もなく過ぎていったのだが、目立つ修をよく思わない者もいて、時が経つにつれ、何のかんのとちょっかいをかけてくるようになった。

 始めのうちは笑って受け流していた修も相手が腕力にものを言わせてくるようになると、黙っているわけにもいかなくなってきた。

 同級生の中での乱暴な連中が修を取り囲んだ時、危険を感じた志水が女子生徒に先生を呼んでくるように頼んだ。喧嘩に自信がない訳じゃないが、まだそんなに修を知らないこともあって、志水は物陰からそっと覗いていた。

 なんだかんだ言い合っている最中に手の早い奴が修に一発かました。
それを合図に数人が修に向かって行こうとしたのだが、修の表情がガラッと変わったのを見て思わず引いた。

 「一発は受けてやったからな。二発はねえぜ! 」

 その後の修の暴れようったらなかった。先生が飛んできたって止まりゃしない。
先生の声なんて耳に入ってないようだった。すげえとその時志水は思った。
  
 「修! ストップ! それ以上は病院行きよ! 」

笙子が声をかけてやっと止まらせた。先生を呼んできた女子生徒から急を聞いて駆けつけたのだ。

 修が大暴れしたことはすぐに全校に知れ渡った。
ぼこされた相手が相手なので先生たちも全く問題にしていなかったが、クラスの皆は修に恐怖感を抱いた。

 クラスメートが引き気味なのに、当の修はいつもどおり温和で陽気で全く変わらず、びびっていた友達たちも次第にまた打ち解けた。
   
 二年生に宇佐という男がいた。不良という訳ではないがこれがまた荒っぽい奴で、三年生でさえ一目置いているような喧嘩っ早くて腕っ節の強い男だった。
男気が強くて二年の男子生徒には人気があった。
 
 ふたりが出会ったのは、ちょうど修が二年生の暴れ者をぼこしている最中で、笙子がストップをかけた時だった。

 「こら。 てめえ。 先輩に対して何ちゅうことしよんじゃ! 」

宇佐は修にそう言った。

 「そっちが殴りかかってきたんだ。 不可抗力ってもんだぜ! 」

修はそう言って笑った。その時までは笙子が傍にいたが、もう勝手にして頂戴と言わんばかりに何処かへ行ってしまった。

 「てめえ! 生意気こいてんじゃねえぞ! 」

 宇佐が殴りかかると修は簡単に身を翻して避けてしまった。
だが、さすがに喧嘩好きだけのことはあって、すぐに体勢を立て直し、修に一発食らわした。

 「へえ…。 ちょっとは骨があるんだ。 今のは効いたぜ。 」

 お返しとばかりに修も1~2発かました。おお…こいついけるじゃんと宇佐は思った。久々のヒットだぜ!
 途端、修が構えるのをやめた。宇佐は訝しげに修を見た。

 「腹が減った。 飯喰いに行こうぜ。 」

 突然修が言い出した。宇佐は唖然とした。
何考えてんだこいつ…喧嘩の真っ最中に飯はないだろう。飯は…。

 「なあ…学食行こうぜ。 」

 「てめえ…俺を馬鹿にしてんのか?  」

宇佐は不服そうな声で訊いた。

 「馬鹿になんかしてないけど。 おまえ…ぜんぜん敵意ないじゃん。
敵意のない奴、殴る気がしないもん。 」

 宇佐はあっと思った。喧嘩好きなだけで宇佐は修にどうこうという悪感情を持っていたわけではない。修はそれを感じ取ったのだ。

 「そっか…。 そんじゃ飯食いに行くか…。 」

何となくそんな雰囲気になってしまった。
ふたり仲良く学食に向かう姿は、傍から見ると信じられないような光景だった。



 「まったく…こんな時間にあんたたち授業は大丈夫なのかい? 」

食堂のおばちゃんがカレーをよそってくれながら訊いた。

 「だっておばちゃん。 腹が減っては戦ができねえっていうじゃない。 」

修はご機嫌で答えた。
しょうがないねえ…という顔でおばちゃんは首を振った。

 宇佐はマイペースな修にずるずると引きずられている自分を感じた。
すでに午後の始業の鐘は鳴っていて食堂はガラガラだった。

 食堂のドアが開いて先生が顔を覗かせた時、さすがの宇佐もドキッとしたが、修はまるで意に介してないようだった。

 「修! 飯食ったらすぐ教室へ来るんだぞ! 」

数学の河原先生がそう声をかけて出て行った。

 「わっかりましたぁ! 」

 修は美味そうにカレーをほおばりながら手を振って答えた。
こいつの心臓はどういう構造をしとるんだ…?
宇佐はただただ呆れかえって修を見つめていた。

 

 二年生もやられたといううわさが三年生の耳に届いたのはその日のうちだった。しかも、授業をさぼってあの宇佐と仲良くカレーを食っていたというので、三年生だけでなく職員室の教師の間でもその話で持ちきりだった。

 当時の藤宮の教師には、男子校だった昔ながらの蛮カラ気質が残っていて、女子生徒を迎え入れた後でもその気風はそこかしこに漂っていた。

 喧嘩を正当化するわけではないが、命にかかわるようなことや陰湿な虐めでない限りほとんど問題にしなかった。ただの喧嘩は言い分を聞いてやってから両成敗で終わらせることが多かった。
 親が代々藤宮の卒業生だという場合が多いので、あまり問題にする人がいなかったこともある。  



 三年生の猛者たちは意地でも負けられないと息巻いた。うわさでは三年生の男子生徒全員が打倒修に立ち上がったということだった。

その話を修は宇佐から聞いた。修は腹を抱えて笑った。

 「馬鹿げてら! たったひとりに三年生全員? 男じゃないね。 」
 
 「おまえ怖くないのかよ。 すげえ数なんだぜ。 」

 宇佐は呆れ顔で訊いた。宇佐ほどの男でも三年生全員が相手となれば躊躇する。
それを修は笑い飛ばしている。

 「なあ…おまえ…何でいつもひとりで喧嘩買ってんだ…? 
おまえの学年にゃ他に骨のあるやつぁいないのかよ。 喧嘩できる奴は。 」

 前々から訊こうと思っていたことを宇佐は訊いた。
志水はこの時もたまたま物陰に隠れてふたりの話を聞いていた。
大山も志水の妙な行動を見て近寄ってきたところだった。

 「喧嘩強い奴もいるだろうけど…これは僕に売られた喧嘩だ。

 その喧嘩にわざわざ友達を引っ張り込んで痛い目に遭わせるのかわいそうだろ。
大好きな人たちが痛い思いをするところなんて見たくないじゃないさ。

 僕ひとりですむことなんだ…もし負けてどんな目に遭わされても。 」

修はそう言ってまた笑った。

 三年生全員相手にひとりで向かうなんて馬鹿としか思えないけれど、こいつってすげえいい奴なんだ…と宇佐は思った。

 物陰で秘かに志水と大山が感動していた。 男だぜ!

遠巻きにそれらを見ていた笙子は、まったく…救いようがないわね…と呟いた。

 それから数日後には、運動場の真ん中にぽつんとひとりの修を取り囲むように三年生の男子が大勢集まっていた。

 誰かの号令のもとに藤宮学園創立以来の大喧嘩が始まった。
修が何人かの三年生をぶっ飛ばしたあたりで周りから喚声があがった。
 
 修も三年生も何事かと周りを見ると、志水、大山率いる一年男子と宇佐率いる二年男子が三年生と修を取り囲んでいた。

 「修ひとり相手に三年生全員はないぜ! 俺たち一年男子は修に加勢する! 」

 「おおよ! 卑怯者どもを蹴散らすぞ! 二年男子の心意気を見せろ! 」

修は驚きながらもちょっと嬉しかった。

 三年生は少し臆したかに見えた。各学年入り乱れての大乱闘。
いかに三年生が強くても二つの学年が協力して攻撃してきたのでは敵わない。
修だけでも手を焼いていたというのに。

やがて、三年生は運動場の隅に追い詰められた。

 「くっそ~! 俺らの負けだ~! どうとでもしやがれ~! 」 

指揮を取っていた三年生が観念したように言った。

修は加勢してくれた皆の方に向き直ると深々と礼をした。

 「みんなありがとう…本当に…ありがとう。 」

 日頃偉そうに威張っている三年生をやっつけたことで一年も二年も胸がいっぱいになって修の方を見つめていた。

 「この喧嘩…僕…めちゃ楽しかったぁ~!! 」
 
修の心から楽しそうな叫び声に、おお~っという歓声が上がった。



 喧嘩が終わった頃を見計らって職員室から教師たちが何人も駆けつけてきた。

 「まあ全学年集まって どえらい騒ぎを起こしよって。 誰じゃ首謀者は? 」

生徒指導部の先生が訊いた。誰も答えなかった。

 「僕です。 僕が皆を集めました。 」

修は笑みを浮かべながら言った。

 「修か…おまえじゃなかろう。 三年生の首謀者がおるはずじゃ。 」

 「体育祭に男子全員でど派手なパフォーマンスやるんですけどね。 
人数が多すぎて合戦ものになっちゃっただけで…。 」
  
先生は唖然として修の顔を見た。
三年生たちはもっと唖然とした。

 「じゃ…先輩たちそういうことで…もう一度ど派手なパフォーマンス考えてみていただけますか? 」

 修は背中に回した手で三年生に合図を送った。三年生はお互いに顔を見合わせていたが、指揮を取っていた少年が詰まりながら返事をした。

 「あ…うん…任せてくれ。 いいものを考えておくから…。 」

修は頷いた。一、二年生にも合図をした。

 「他の皆さんもいい案があれば…三年生の方へ。 」

 「おお…そうだな。 皆…わかったな。 」

おお~っと返事が返ってきた。

 嘘だとは分かってはいるものの、狙われた本人の修がそう言うのだから、先生としてもどうしようもなかった。
取り敢えず何か集会を開く時は届け出るようにと念を押して皆を解放した。  

 修は三年生に大きな貸しを作った。それ以後三年生はわりと修に協力的だった。
この喧嘩をきっかけに藤宮学園には修伝説が始まったのだった。 


 
 志水はそこまで話すとお絞りで顔を拭いた。

 「いやあ…いろんなことがありましたよ。 その後もねえ。 ほんといろいろ。
とにかく冷や冷やさせられましたが三年間楽しかったです。
修といると退屈しませんでしたね。」

大山が隣の席で嬉しそうに頷いていた。

 唐島の知らないあれからの修。できれば本人に会って確かめたかった。
傷ついたに違いないその心を本当に癒すことができたのか…。
君は本当にそれほど明るく生きてこられたのかと…。




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三番目の夢(第二話 優しい先生)

2005-08-27 23:44:22 | 夢の中のお話 『彷徨える魂』
 輝郷から内密に話があると連絡が入ったのは春先のことだったが、一応返事はしたものの、年度初めの忙しさになかなか手が空かず、修が藤宮家を訪ねたのは新学期が始まってからだった。

 この春休み中に輝郷は、校舎のありとあらゆる所を調査させたが、人によって敏感度が違うとはいえ、一般的に見てシックハウスの原因となるような化学物質は検出されず、校舎が原因で体調不良を起こすとは先ず考えられないことが分かった。 
 そうかといって、藤宮や紫峰の血を引く教師たちが隈なく調べても人に害を及ぼすような霊的なものも存在しない。
藤宮家としては今のところお手上げ状態なのだ。

 感度のよい笙子に確認させようと思ってもなかなかつかまらず、たまたま連絡のついた修にお鉢が回ってきた。

 「まあ…お前もこの高校の卒業生ではあるし、少しばかり手を貸してもらえたら助かるのだが…。 」

 わざわざ呼び出した割には遠慮しがちに輝郷は言った。
いかに義理の伯父とはいえ他家の宗主に無理強いはできない。

 「分かりました。 僕も仕事があるので始終学校へ出向くというわけにはいきませんが、時々顔を出して調べてみましょう。
何か適当な理由を考えてくださいよ。 」

 「紫峰家は理事のひとりでもあるわけだから、教育施設を拡充させるための視察ってのはどうかね。 
 今ちょうど、受験塾を大きくしようと思っているところなんだよ。 」
 
 少し考えてから輝郷は言った。
修は意味ありげに笑いながら答えた。

 「それは…寄付の催促ですか…? 」

輝郷は笑いながら、そういうわけではないんだが…と頭を掻いた。



 今年採用された教師は5人ほどいたが、職員室の国語担当のエリアにいる新人は唐島だけだった。新人といっても唐島はすでに10年ほども公立高校で教えてきたベテランで、教師としては高い評価を受けていた。

 隣のエリアで背の高い少年が数学の教師と何か話していた。 
用事の終わった少年が出て行こうとすると、別のエリアから声がかかった。

 「お~い紫峰。 次の時間は視聴覚室で授業をするから皆に移動するように伝えといて。」

 「わっかりました!」

少年は元気よく答えて出て行った。

 その名前を耳にした時、突然、唐島の胸が高鳴った。
紫峰…紫峰だって…? 

 唐島は少年のあとを追った。
紫峰と呼ばれた少年は廊下でさらに背の高い少年と合流した。

 「紫峰くん? 紫峰…透くんか…? 」

透は振り返って訝しげに唐島を見た。

 「そうですけど…。 」

 「やっぱりそうか…。 おや…きみも紫峰くんだね。 冬樹くんかい? 」

唐島は雅人の名札を見て冬樹の名を出した。

 「いいえ…冬樹は亡くなりました。 僕は雅人です。 」

 「ああ…ごめんなさい。 悪いことを訊いてしまった。 

修くんは…修くんは元気かい? 」

 唐島がそう訊ねた時、唐島の過去のビジョンが雅人の脳へ流れ込み、雅人は身体が震えてくるほどの怒りを感じた。

 「元気ですよ。 先生は僕等をご存知なんですか?」

 「うん。 ずっと昔にちょっとね。 会ったことがあるんだよ。 

そうか…修くんは元気なんだね…。 」

懐かしそうに唐島は言った。

 「透。 行こうぜ。 」

 雅人はその場にいるのはもうたくさんだと言わんばかりに透の腕を引いた。
その勢いに透は驚いた。

 「呼び止めて済まなかったね。 修くんによろしく。」

 「伝えませんよ…。あなたがここに存在すること自体…僕には伝えられません。
ご自身で電話でもなさればいい…。 できるならですけどね。 」

 雅人は吐き捨てるように言うと透を引っ張ってその場を離れた。
雅人の言葉を聞いて唐島は雷に打たれたようなショックを受けた。

 「…知っているのか…。 」



 下唇を噛みながら雅人は無言で教室へ戻ってきた。休憩時間なのでまだ誰も戻ってきては居なかった。

 「どうしたんだよ。」

透は青くなっている雅人に訊いた。

 「あいつだよ。 修さんに酷いことをした奴。 さんざ他人を傷つけておいて、よくもまあ教師なんかになったもんだぜ。 」

 「修さんに知らせなきゃ。 あいつがここにいるって。 」

透は携帯を取り出した。雅人はそれを止めた。

 「馬鹿だな。黙ってりゃいいんだよ。修さんの古傷刺激してどうするんだよ。」

 「あ…そっか。 」

 クラスメートが戻って来たのでその話はそのままになった。
透は急いで黒板に大きく『次は視聴覚室へ移動』と書いた。



 修が雅人の担任から呼び出しを受けたのはそれから間もなくだった。
雅人が担当教師を無視して教室を出て行ってしまったという内容だった。
 
 担任ともうひとりの教師の前で雅人は悪びれもせず堂々と修を待っていた。

 急ぎ駆けつけた生徒相談室の入り口のドアを開けた瞬間、修の目に飛び込んできたのは唐島の姿だった。修はそれですべてを察した。

 「理事をお呼び立てするほどのことではなかったのですが、何しろ雅人くんがこのような騒ぎを起こすのは初めてでして…。
何かあったのではないかと心配になりましてね。 」

 担任は緊張した面持ちで言った。
藤宮学園にとって毎年多額な寄付金を寄せている紫峰家の存在は重く、決して失礼があってはならないと上から内々言われている。

 「いえ…うちの方では特には…。受験で気が立っているのでしょう。
申し訳ないことを致しました。 」

 修は丁寧に唐島に頭を下げた。

 「いいえ…僕がまだこの学校に慣れないものですから…きっと何か気に障るようなことがあったのでしょう。 」

 唐島もそう言ってお辞儀した。 
顔を上げた唐島は何か言いたげだったが修はそれを無視した。

 二言三言担任から注意を受けて雅人は相談室から釈放された。



 修は相談室を出てから一言も話さぬまま雅人を連れて帰った。
校門を出ても、車の中でも、何を考えているのかずっと黙っていた。

 紫峰家の駐車場に車を止めて外に出た途端、修は大きく溜息をついて車の方に倒れ掛かった。

 「修さん。 大丈夫? ねえ。 大丈夫? 」

雅人は修の身体を支えるようにして訊ねた。

 「びっくりした。心臓止まるかと思った。なんであいつがあそこにいるの?」 

 雅人に顔を向けて修は言った。
いや…びっくりしたのはこっちだし…と雅人は思った。

 「けど…雅人。 間違えてはいけないよ。
過去のことは僕とあいつの問題で、お前にはいっさい関係ないことだ。

 お前にとってあいつは先生だ。理由もなく授業をエスケープするなんて無礼なことをしてはいけない。お前の人格を下げることになる。

 まあ最も僕も高校時代は相当なもんだったから、偉そうな事は言えないが…。」

 雅人の前では修はあくまでいつもの修だった。
悲しいほど理性を働かせて自分の中の鬼を抑え続ける。
笙子の前ならいま修はどんな姿を見せるのだろう…と、ふとそんなことを思った。

 「どうするの? 仕返しするつもり? 今ならあなたには何でもできるよ。」

 雅人が訊いた。
修は目を細めて首を横に振った。

 「30をとうに超えたおっさんの裸は見たくないなぁ。やる気も起こらない。」

 「あのねえ…。僕はそういう仕返ししろって言ってんじゃないんだけど…。」

 からからと笑いながら修は玄関の方へ向かった。
後に付いて行きながら雅人は修の胸のうちを考えた。唐島に対する怒りが消えたわけじゃない。雅人の前だから馬鹿なジョークで誤魔化しているだけだ。
ここはやっぱり笙子さんに頼るしかないか…と雅人は思った。



 夕暮れの職員室で唐島はぼんやり修のことを思い出していた。
あの頃に比べると別人のようだ。大きく逞しくなった。
よかった…。元気でいてくれて本当に…よかった…。

 「どうかしたのかね? 」

不意に初老の先生が声をかけてきた。穏やかそうな優しい笑顔の先生だった。
 
 「僕がまだ十代の頃にある人にそれは酷いことをしてしまったんです。
多分その人にとっては、今更取り返しがつかないほど酷いことだったと思います。
今日その人にやっと会えたのに…謝ることもできなかった…。 」

自分が何故、初対面のこの先生にそんな話を打ち明けているのか分からなかった。
この先生があまりに暖かな笑みを浮かべていたので、長い間心にしまっておいたことを思わず話してしまったのだ。
 
 「過ちのない人生はないよ。 
その人に会えたのなら君のできる限りの誠意を尽くして償うといい。
 たとえ許してもらえなくとも君の心が救われるまでね…。 
その人に対して何もしてあげられなかったと後悔するよりはいいじゃないかね。」

先生は穏やかにそう言って唐島を元気づけてくれた。
この学校にはこんな素敵な先生がおられるのだ…見習わなくては。
唐島はそう思った。

 「君が言うのは紫峰修のことだろう? 今日学校に来ておったからな。
あれは凄い男だった。 今でも語り草になっておる。

 この学校には修と同級生だった先生や修を教えた先生がおるよ。
いろいろ昔話を聞かせてくれるだろう。

 君の悩みの解決に役に立つかもしれん。 」

先生がそう教えてくれた時クラブを終えた教師たちが職員室に次々と戻ってきた。
先生はにっこり笑うと唐島の気づかぬ間にどこかへ行ってしまった。

 お名前を伺っておけば良かった。
ま…いいか…この学校の先生ならまた明日にでも会えるからな。

胸の中でそう呟くと唐島は帰り支度を始めた。




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三番目の夢(第一話 学校の怪談??)

2005-08-26 23:18:37 | 夢の中のお話 『彷徨える魂』
 「合格おめでと~う! 」

 黒田が子どもたちに解放したオフィスの一室で小さなパーティが始まった。

 悟が国内最高と言われる大学に合格したのを知った雅人が、皆に呼びかけてお祝いすることにしたのだ。強気の悟も今日はちょっと照れ気味だった。

 「やったねえ! 悟! 」

透が感心したように言うと、悟は嬉しそうに気持ち鼻の下を伸ばした。

 「いや。 当然の結果です。 僕はそれだけの努力をしてきましたからね。」

 「お前のその鼻持ちならないところが素敵さ!」

雅人がコーラの入ったカップを掲げながら皮肉っぽく言った。

 「ありがとう! 君の先輩を先輩とも思わないそのでかい態度もね。 」

悟も負けずに言い返した。
会えば厭味と皮肉の言い合いになるくせに、このふたりは結構仲がよかった。

 働くのが身に染み付いている隆平はキッチンとテーブルを行ったり来たりしてみんなの世話を焼いていた。

 「隆平。 いいから座れよ。 」

晃が隆平の腕を引いて座らせた。座ったら座ったで、ジュースを注いだり、テーブルを拭いたりで忙しい隆平だった。
 
 「隆ちゃん。 はいチキン食べて! 」

透が強制的に隆平にチキンを渡したのでやっと落ち着いた。

 「でさ…今年は藤宮高は結構な合格率だったらしくて…来年の生徒募集に期待が持てそうだなんて言ってたよ。 さらに学校付属の受験塾に力を入れようってことで…。 」 

 「ふうん…それで新しい先生を何人か入れたわけね。」

 「だけど心配なのは…あのうわさ。 去年も一昨年も新人の先生が辞めただろ。
あれさ…何年か前に亡くなった先生が新人の指導に現れるってやつ…。」

 「ああ…でもねえ。 そんな霊、僕等キャッチできないもん。 うそでしょ。」

 新学期から、藤宮学園の高等部に新任の先生が配属されるらしいといううわさがあった。さすがに藤宮本家の跡取り、悟は裏話をよく知っている。

 「何? 受験塾って? 」

隆平が訊いた。

 「学校主催の受験生用補講だよ。1~2年でも週三で進学補講やったじゃない。

 藤宮の生徒は藤宮の大学へ進む組と他の大学を受験する組とに分かれるだろ。 ストレート組みはいいけど、受験組は進学補講の他にさらに受験用の勉強が必要だということで分けて補講するわけよ。 」

晃が答えた。

 「しかも、藤宮の補講は民間の大手塾にも引けを取らない実績がある。
隆平も選択するだろ?」

 「それは…そうだけど。 」

また修さんに負担をかけちゃうな…。そんなふうに隆平は思った。

 「あ…ところでさ。 A町のバス停の所に新しくゲームセンターができたわけ。
ここにコインと引き換えのサービスチケットがあるんだけど今度行かない? 」

雅人がチケットの束をぴらぴらさせた。

 「乗った!」

透と晃が同時に答えた。出遅れた隆平はただ頷いた。

 「おまえら受験生じゃないのかよ? 」

悟が呆れて言った。

 「悟。行かないの? 」

透が言うと皆がいっせいに悟を見た。

 「行きますよ。 せっかくですから…ね。 」

笑い声がオフィスの外まで響いた。



 透たちの通っている藤宮学園は、藤宮の本家が理事長を務める私立の学校である。

 有名難関大学への進学率を誇る超エリート進学校として有名だが、小学校から大学まで備えているせいか、受験に関しても長期的視野で対応していくというのが基本方針で、それほどがりがりと勉強ばかりをさせているわけではない。

 スポーツや学園内の行事も盛んで、生徒会の活動もできるだけ生徒の自主性を重んじている。
 自ら考えて行動する力とその行動に責任を持つ心を養おうというのが狙いだ。 

 そのせいか、今の時代にしては中途退学する生徒も問題を起こす生徒も少ないのが自慢である。
 

 少子化の影響でどこでも経営が苦しくなってきているのが現状だが、有難いことに入学数は減少しておらず、むしろ増えていて、このところ理事長輝郷が頭を痛めているのは教師不足の方だった。

 教師同士の仲も悪くはなく、勿論、他の学校に比べて給料が安いわけでもなく、教師にとってはまあまあ仕事のしやすい環境であるにもかかわらず、新人の教師たちが居つかない。

 採用するとすぐに体調を崩してしまい結局は退職してしまう。
ベテラン勢に何とかがんばってもらっているが、間もなく定年の人もいて、早急に新しい世代を育てなければ学校が立ち行かない。
 
 しかも、併設している受験塾の入塾希望者が年々増え続けているために、ベテラン勢たちは休む間もなくフル回転で働いているようなものなのだ。

 何とかしなければと思っていた矢先、妙なうわさが耳に入った。

 新しく採用された教師を指導するために亡くなった先生の魂が現れる…。
新人教師はそれが怖くて辞めていくのだ…と。

 馬鹿な…と輝郷は思った。
そんなことが本当にあるのなら我々藤宮の一族が気付かぬはずがない。
この学校に居る藤宮の一族からも、紫峰の一族からも、別段異常を感じたという
報告は受けていない。

 だが…これまでの採用者がはっきりした原因を言わずに体調不良で辞めていったところを見ると何か原因はあるのだろう。ひょとするとシックハウスのようなものかも知れないが…。

 そっちの線で調査してみて…それでも万一の時には笙子か修に来てもらうかな。
藤宮の血を引く教師たちは何人も居るのだが…残念なことにあのふたりほど感度がよくないから…。

輝郷はふとそんなことを思った…。



 新しい赴任先を目の前にして唐島は少し気後れしていた。
これまでの公立の高校とは何もかもが異なっている。

 この学校の理念に共感して就職したものの、高級マンションの如き校舎もさることながら、設備から何から至れり尽くせり。
さすがに金持ち相手の学校は違うとしみじみ思い知らされた。

 まあ…いいか。 
僕のできるだけのことをすればいいんだから…。

大きくひとつ深呼吸をして唐島は学校の門をくぐった。





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二番目の夢(第三十八話 最終回 春の足音)

2005-08-26 00:00:54 | 夢の中のお話 『鬼の村』
 裏の林の中の道を隆平はゆっくりと洋館に向かって歩いている。
見上げると林の木々のところどころに早咲きの桜がぽつんぽつんと花をつけてい る。隆平はこの細い道をのんびりと散歩するのが好きだった。

 この道を何度通ったことだろう。仕事中の修に修練の成果を見せに行くために。
透たちより遅れている分、修が特別に指導をしてくれている。
 但し、忙しい修はなかなかまとまった時間が取れないため、修が家にいる時にはいつでも修練においでと言われていた。

 あの時修がくれた力は、あの後すぐにまた修が取り上げた。
基礎のできていない隆平が使うには危険すぎるということで、ある程度の力がつくまでお預けとなった。

 おかげで気が楽になった。やっぱり実力で手に入れないとね…。
隆平はそう思っていた。

 この頃では全く発作を起こすこともなくなり、すっかり紫峰に馴染んだ隆平は、はるとも冗談が言えるまでになり、使用人たちとのコミュニケーションも取れるようになった。

 それは紫峰の家族のひとりとして生きる決心をしたせいでもあった。

 去年の暮れに孝太が結婚して新しい家族ができた。
結婚する時に孝太は地元に帰ってきて一緒に暮らすかと訊いてくれた。
 奥さんも隆平が孝太の子どもであることを知っていて、何にも遠慮せんと戻っておいでと言ってくれた。
 
 それは本当に涙が出るほど嬉しい話だったのだが、もともと親子として一緒に暮らしていたわけではない孝太の新しい門出を邪魔したくはなかった。
気持ちだけ有難く受け取った。

 紫峰家の面々は、まるで隆平が生まれてからずっとこの家で生活してきたかのように隆平の存在を受け入れた。
 まったく余所者扱いをされない分、はるからびしびしと紫峰家の何たるかを仕込まれ、紫峰宗主の家族のひとりとして遠慮なく仕事を任されもした。

 はるという教育係がいる分だけ、鬼面川にいた頃よりも行動規制や躾などの指導は厳しくはなったけれど、精神的には誰に気兼ねすることも何を怖れることもなしにのびのびと生活することを許された。

 透や雅人と一緒に悪戯をして叱られたり、ゲーマーのお祖父さまとお祖父さまの好物餡団子を賭けて対戦したり、成績表に一喜一憂したり…そんな普通の生活を当たり前に楽しめることが隆平にとっては夢のようだった。



 昼間は、多喜に取り次いでもらうのが面倒であれば、屋敷の裏に廻って居間側のテラスからそのまま修のところへ行けばよかった。

 修は、たいてい居間の文机で仕事をしていているので、わざわざ玄関から遠回りしなくても済む。

 屋敷に一歩踏みいれた時、いつもと違ってパソコンのキーを叩く音がしないのに気付いた。

 文机の上に突っ伏している修の姿を見つけた。修は眠っているようだった。
そっと近付くと修の前には写真が置かれてあって、中学生くらいの男の子が笑ってこっちを向いていた。 
 
 時々肩が震えて、眠っている修の睫毛を濡らしながら、一筋…また一筋と涙の滴が流れ落ちた。

 見てはいけないものを見てしまったような気がして隆平はその場を立ち去ろうとした。

 その気配に修は目を覚ました。

 「ああ…ごめん。 うっかり眠ってしまった。 」

 修はいつもの笑顔で隆平を見たが涙の後は消えてなかった。

 「招待状を…作っていたんだよ。 冬樹の追悼会のね。 
早めに作って出しておこうと思ってさ…。

 どれだけ月日を重ねても…胸が痛いよ…。 」

修は寂しそうに言った。

 冬樹が透や雅人の親違いの弟だということは聞いていた。透にとっては父親が、雅人にとっては母親が違う兄弟だ。
 この子も生まれてすぐに親を亡くして修の手で育てられたが、不幸にして中学三年になったばかりで酷い事件に巻き込まれて命を落としたという。

 子煩悩な修にとって身を切られるより辛い思い出だ。
透や雅人からその時の修の様子を聞いていたので、隆平はできるだけ冬樹のことには触れないでいた。
 本当は修から訊きたいこともあったのだけれど…。

 「冬樹は…力らしい力を持ってなかったんだ…。
僕が護ってやらなきゃいけなかったのにね…。
24時間べったりくっついてでも護ってやればよかったんだ…。

 …馬鹿だなぁ…そんなことできやしないのに…言っても仕方ないよな…。 」

修は自嘲した。

 「そんなに子どもが可愛いの? 自分の子じゃなくても? 」

隆平は修につられて思わず訊いてしまった。
修はこれ以上の笑みはないというくらい温かい笑みを浮かべた。

 「可愛いさ…。 

 子ども育てるのは口で言うよりかずっと大変だけど、育つの見てるだけで報われるね…。

 やっとここまで育ったかって感じた時のなんとも言えない満ち足りた気持ち… 幸福感がいいよ。 」

 そんなもんかなあと隆平は思った。隆弘はあまり表情を変えない男だった。
隆平を殴ったり蹴ったりする時以外はいつも仏頂面で過ごしていた。

隆弘は…どう感じてたんだろう?

 「そりゃあもう手が掛かって仕方がないし、ほんとうるさいの何の…少しは言うことを聞け!とか怒ったりもするんだけど…。

 こいつらいなけりゃもっと自分の時間が取れるのに…とかさ…。
だけど居ないと物足らないし…寂しいわけよ…。

 育ったら育ったでとんでもない覗きはするし、一端の口は利くし、生意気でどうしようもないこともあるんだが…。

 あ…これはあくまで僕の主観だからね。 」

 この人は本当に子どもが好きなんだなぁと隆平は思った。
怒っていない時の隆弘…あまり思い出せない。
暴力の記憶があまりに強烈で他の事は忘れてしまった。

 隆平が本当に知りたいのは二度と会えない人の心…そのことに修は気付いていた。他人の子を育てた修の気持ちを聞くことで隆弘の本心が知りたいのだ。
 
 「隆弘は隆平にまったく愛情がなかったというわけではないのです。
他から攻撃を受ければ、隆弘は隆平を庇ったに違いない。
他人には決して隆平の悪口を言わなかったし言わせませんでした。

 …孝太さんが前にそう言っていたな。」
 
 修が呟くように言った。
隆平は驚いたように修を見た。 

 「隆平へのあの暴力は確かに許せないけれど…隆弘は少なくとも自分でお前を殺そうとは思っていなかった。
 むしろ…生き延びて欲しいと願っていた。 そのことは僕も信じるよ。 」

 隆平も素直に頷いた。
それが愛情であったかどうかは別として隆弘が隆平を護っていたのは事実だ。 
あの久松がそう言っていた。

 修の携帯が鳴った。
 
 「メールだ。 」

文机の上に置きっぱなしになっている携帯を取り上げ修はメールを読み始めた。

 その様子を見ていた隆平の脳裏にひとつの映像が甦った。

 高校の入学式の前の日、朝からどこかへ出かけていた隆弘がいつものようにむっつりとした顔で帰ってきた。
 玄関をくぐるなり無言のまま、小さな紙の手提げ袋を隆平に渡したのだ。
驚く隆平を尻目に『これが流行だとよ。』、そう言っただけで奥へひっこんでしまった。袋の中には携帯電話や付属品が入っていた。
 思いがけない隆弘からの入学の祝いだった。

 隆平は熱いものがこみ上げてくるのを感じた。
あの仏頂面の隆弘がどんな顔をしてどんな思いで祝いを選んでくれたのだろう。
あの時は怖いだけで怯えながら礼だけは言ったが…父親の気持ちにまで思いを馳せなかった。

 「修さん…。」

 隆平は震える声で修に言った。

 「僕…きっと愛されていたんだね…。」

 修は微笑んで頷いた。

 「父さんは…憎んだり愛したり…それを繰り返していたんだと思う。」
 
 それが真実かどうかはどうでもよかった。
隆平の中で納得できる何かがあれば、隆平は疑問から解放されるだろう。 
真っ直ぐ前を向いて歩いていけるだろう。

 「修さん…メールは? 」

読んでいる途中で隆平が声をかけてしまったので修は返信しなかったようだ。

 「ああ…あれね。 藤宮でなにかあったらしいね…。
でも…急ぎじゃないようだから後で連絡するよ。

 さてと…修練はどこまでいきましたかねぇ…。 」

 

 孝太兄ちゃん…。修さんは皆に頼られていつも忙しそうです。
僕にとって三人目のお父さん…そんなふうに思ったら失礼かな…。
 でもそんな感じ…。 
陽気で、子ども好きで、時々変わったこともするけど、温かい人だよ。
 だけどいっぱい悲しいことや辛いことを経験しているに違いありません。
何となく僕には分かります…。
 
 そんな手紙を孝太宛てに書いてみた。けれども隆平はそれを出さずに破いた。

 もう甘えた手紙は出さない…。一歩踏み出そう。
先ずははるさんの手ほどきで習った…紫峰式の手紙を書くぞ!
 
 間もなく高校生活最後の年の新学期がやってくる。
隆平は確かに春の足音を感じていた。
  
  

 

二番目の夢 完了

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二番目の夢(第三十七話 鎮魂の想い)

2005-08-24 22:53:47 | 夢の中のお話 『鬼の村』
 修の中の鬼が目覚めても今度は笙子も止めには入らなかった。
修の全身を青白い焔が覆うと同時に辺りは真冬のように寒くなった。

 彰久は修の『滅』を感じ取った。
史郎もまた凄まじい気の動きを察知した。

 「末松よ…おまえの見た地獄がどんなものかは知らぬし、知ろうとも思わぬ。
だが、今のお前は人に信用され、頼られている一族の重鎮ではないか…。
何故…それで良しとせぬ? 」

 焔の中から凍てつくような冷たい声が末松に向かって響いた。

 「お前のように大家の主としてちやほやされ、何不自由なく暮らしてきた者に何が分かる!  」
 
 吐き捨てるように末松が言った。修は少し眉を吊り上げた。

 「分からぬな…分かろうとも思わぬ。 
お前を苦しめた当代長だけならまだしも、久松や孝太、隆平まで地獄へ引きずり落とそうとするその心根…。
無関係な人々の魂まで巻き込もうとするその身勝手さ…。 」 

 修はそう答えた。あたりはますます底冷えてきた。

 ぴりぴりと凍りつくような冷気にさすがの末松も身を震わせた。
冷気と言うよりは霊気というべきか…たとえ暖房を最高温度に合わせたとしても温かくは感じられまい。
 
 修は末松の方へ左手を差し出した。
手のひらの上に青い焔が舞い立った。

 「私はこれを使いたくはない…。 お前の心に少しでも救いが残っていれば使わずに済む…。 紫峰にも慈悲はある…。 」
 
 怒りを押し殺したような修の声に末松は嘲笑を以って答えた。

 「紫峰の慈悲などくそくらえだ! わしは鬼面川に生れ鬼面川に育ったのだ。
紫峰の指図は受けぬ! わしを裁くものがあるとすれば鬼面川の御大親のみ! 」



 ちょうど旅立ちかけていた久松の耳にその声が届いた。
久松は今、自分たちのせいでさまよっていた魂たちをすべて見送り、ふたりの祖霊鬼将、華翁に世話になった礼を言ったところだった。

 見れば、醜い鬼と化した末松の憐れな姿がある。
久松の見るところ紫峰宗主は只者ではなく、末松がどうあがいても勝ち目はない。

 「祭主どの…あの御方は今『滅』を使おうとしておいでだな?
とすれば…相当の使い手であられような? 」

 久松は彰久に問うた。

 「あの御方は紫峰の祖霊だ。 樹さまのお名前は御霊もご存知であろう? 」

 久松の胸が高鳴った。紫峰 樹…口伝に残る伝説の御方ではないか…。
ああ…それではとても末松は助からぬ。
決して無礼があってはならぬ御方に…刃を向けた…。

 「祭主どの…。 『滅』は完全なる死。 魂が消滅する怖ろしい業…。
これほど祭主どのに世話になったのに申し訳ないが…俺は…弟を見捨てられぬ!」

 彰久が制止する間もなく、久松は境界を抜け出た。



 「では…紫峰は末松を見放すとしよう…。 紫峰祖霊 樹の名において末松に『完全なる死』を与える。 」

 末松の態度に救いはないと感じた修は今しも末松に向かって『滅』の焔を飛ばそうとしていた。
 
 「お待ちくだされ! 宗主! 」

 久松は修の前へとその姿を現した。修は手を止めた。

 「久松…何故出て参った。 お前…逝かれなくなったらどうするのだ? 」

 修は境界の中を見た。彰久も史朗も久松のために必死で時を稼いでいる。
久松は修に対し祈り拝むようにして頼んだ。

 「俺が末松を連れて逝く。 どうか…どうかご無礼をお許し下さい。 
魂もなしでは弟があんまり惨めだ。 

 こいつは捻くれてしまってこの有様だが救いがないわけではない…。
悪ぶってはいるが本当は長兄によう仕えた真面目な男だ。

長兄が生きておれば…少なくとも俺が死にさえしなかったらこうはならなんだ。」

 そう言うと久松は鬼の身体を羽交い締めにした。

 「何をしよる! 久松! わしはまだ逝かん! 放せ! 久松!
この男を倒してどこまでも生き延びてやる! 紫峰などには負けん! 」

 久松は凄まじい力で末松を引き摺り、境界の中へと引っ張り込んだ。

 「わしは逝かん! わしは…。」

 末松は叫んだ。『こんなところで朽ちてたまるか!』

 「末松よ…思い出せ。 竹馬…缶蹴り…竹とんぼ…めんこ…かちん玉。
蝉取り…ザリガニ釣って俺らぁよく遊んだが…。
 
 あの頃はお前もこんな苦しい生き方をするとは思わんかったろうに。
まあ年も年だで楽しもうよなぁ…向こうへ行ってまた二人で遊びゃあいいに。」 

 抗う末松を久松は優しく宥めた。
大きく目を見開き、断末魔の叫びをあげたまま末松は連れて行かれた。

 御大親の見えぬ手が二人の魂をその懐に迎え入れた…。
 
 彰久も史朗も久松のために祈った。犠牲になった者たちのために祈った。
そして憐れな末松のためにも…。

 修は焔を収めた。大きく溜息をついた。

 彰久と史郎による御霊送りが終わって社はしんと静まり返り、最後の文言を述べる二人の声だけが響く。

 祭祀は『救』のすべてを終えようとしている。

 修の前に元に戻ったの末松の悲しい躯が転がっていた。



 日が翳り始めると孝太を中心として慌しく『鬼遣らい』の仕度が始まった。
朝方の騒ぎによって乱れた社は村の世話役たちによって急ぎ清められ、行事用に整えられた。

 急を聞いて駆けつけた村の医者に、加代子は爺さまが狂って人を殺せと叫んだと話した。
 村の人たちは、あまりに立て続けに死人が出たので末松が心乱れて社で暴れ、脳溢血を起こしたに違いないと考えた。
 
 数増には孝太が本当のことを話した。数増は黙って頷いていた。
複雑な思いがあったに違いないが、ただ静かに末松の死を悼んだ。
思えば、最も運命に翻弄され続けたのはこの数増ではなかったか…。



 観光行事である『鬼遣らい』と末松たち三人の葬儀が同時に始まった。
祭祀は孝太が務め、隆平は介添えを、彰久と史朗は後見を、紫峰の三人は立会人をそれぞれ古式ゆかしい姿で務めた。

 村長と弁護士は貴賓席で居眠りをしていた。
大勢の人を死なせておきながら意に介さないほどのホラー好きならば、きっと楽しく夢を見ていることだろう。 
繰り返し鬼に喰われる悪夢であっても…。

 何も知らない観光客の前で、流麗な所作と格調高い文言の『鬼遣らい』絵巻が繰り広げられた。
 人々はその美しさに魅了され、夢見心地でしばし時を忘れる。 
客たちは平安朝の祭祀を上質なパフォーマンスと受け取っているだろう。

その祭祀に込められた演じる側の鎮魂の思いを誰も知らない…。




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二番目の夢(第三十六話 極上の快感 )

2005-08-23 16:39:18 | 夢の中のお話 『鬼の村』
 隆平にはしばらく事態が飲み込めなかった。
『奥儀伝授』と言われても実際には何も教わってないわけだし、何の修練もしていない。修の意図が読み取れずにいた。

 紫峰家で暮らすようになってから、透や雅人に相伝の話は聞いていたから、ふたりが奥儀を伝授される前には何らかの修練を積んだということも知っていた。

 紫峰では次期宗主と後見のみに奥儀が伝授されるので、その点からいっても、隆平には伝授される理由が無いのだ。

 うっかりそんなことを考えてぼけっととしているうちに、隆平の倍くらいはあるだろうと思われる化け物が上から覆いかぶさってきた。

 「しまった! 」

 隆平は潰されるのを防ぐため、反射的に化け物に向かって手を出した。
薄い朱の焔が隆平の両腕を覆い、それは化け物めがけて放出された。
 見る間に化け物の身体が焔に巻かれ、のたうちまわる姿が目の前にあった。
あっという間に化け物は燃え尽きてしまった。

 隆平は自分の手と化け物の燃えた跡を交互に見た。
『今の…何?』怒りの焔ともまた違う、色のわりには冷たい感触の焔だった。

 隆平は修の方を見た。修はただ静かに微笑んでいるだけだったが、透や雅人が呆気に取られているのが分かった。

 孝太は驚きながらも、先ほどの修の行動はこれだったのかと納得した。
強くなっていく隆平を見るのは嬉しくもあり、寂しくもあった。

 後ろを見ると、こんな状態でも祭祀は続けられ、彰久も史朗も決して振り向くことはしなかった。
 孝太の祖母が旅立った時と同じような空間がその場にできつつあった。
何事も無ければ魂たちは間もなく旅立つことになるだろう。



 末松の身体が怒りに震えだした。修が余りに若くのんびりと構えているので、紫峰の宗主だと知っても、その力を完全に見下していたが、本当は油断できない相手だと気付いた時にはすでに遅く、その外見に騙された自分を腹立たしく思った。
『おのれ紫峰の若造が…要らぬ手助けをしおって!』

 そこいら中に散らばっていた化け物が集まってきた。
次々と合体を繰り返し何体かの強大な化け物を作り出した。

 末松はそれを彰久たちめがけて突撃させた。
透も雅人も急ぎ境界ぎりぎりまで出て来て化け物を彰久たちから引き離そうとした。
 しかし、これらの化け物はもとが人間であるだけに人為的に作り出した魔物より知恵が働くので簡単にはこちらへ向き直ってはくれない。

 ここまで大きくなると比較的衝撃の穏やかな『消』を使っても、その反動が彰久と史郎にまで波及する恐れが出てくる。
透や雅人にはまだ修ほどの力はなく、反動無く静かに消滅させることができない。

 「どうする? 透。 隆平は『滅』を使ったぜ。 」

雅人は透に声をかけた。

 「あれは…『熛(ひょう)』…じゃないかなあ。 よく判んないけど…。 」

 透はそう答えた。
自信があったわけではないが、修が初心者である隆平に修自身が最も使いたくない『滅』を使わせるとは思えなかった。
 それに透も一度しか見たことはないが焔の色から考えると透の知っている『滅』とは違うような気がする。

 けれども、修は時々とんでもないことをするから絶対に『滅』じゃないとは言えないのだ。

 例えば化け物の足の裏くすぐったら笑うかどうかなどというようなことを突然思いついたら、化け物ひっくり返して本当にくすぐりかねない人だ。

 「少し難しいけど僕等も『熛』を使ってみない? 」

透はそう提案した。どの道このままじゃ化け物を止められない。

 「よっしゃ! 」

雅人は威勢よく答えた。

 ふたりが気を高めると両手に朱の焔が立ち上った。その手を化け物に向けると焔は化け物に乗り移った。

 そこまでは良かった。

 朱の炎に身を包まれた化け物は猛り狂い暴れまわり祭主めがけて突進したのだ。
修が咄嗟の判断で塵にしてしまわなければ、彰久も史朗も仲良く吹っ飛んでいたところだった。 
 
 「やっべぇ! 違ったみたい。」

 透が頭を掻いた。 
呆れたように二人を見ながら修は首を横に振った。

 「減点! 『熄(そく)』だ。 」

 『熄』とは消えていく火で滅びを表す。『熛』は飛び火。どちらも紫峰奥儀のひとつだが相伝奥儀とは異なって、相伝を終えた者が『滅』を完全なものとするために修練する。
 隆平がこの業を使ったということはすでに相伝を終えたということにも繋がる。
後で長老衆と揉めなきゃいいけど…と透は思った。

 修に力をもらったおかげで隆平はずっと楽に戦えるようになった。
近付く化け物を簡単に焼き払うことができた。
 ただ、境界の向こうでも透や雅人が同じ業を使い始めたが、ふたりが修練して得た力を楽に手に入れてしまったという後ろめたさが隆平には重かった。 

 操っている化け物が次々と焼き消されていくのを末松は苦々しい思いで見ていたが、もっと忌々しいのは化け物退治を子供らに任せて、目の前で平然と祭祀を見学しているその男の存在だった。

 孝太と隆平…紫峰の血を引くふたりを利用して鬼面川を乗っ取るつもりでいるのではないか?
 彰久や史郎だって分かったもんじゃない。
後継にはならぬなどと巧いことを言って、本当は裏で紫峰と手を組んでいるのに違いない。
騙されてたまるか…。
 わしの手に入らぬような鬼面川は存在すべきではないのだ…。




 化け物がすっかり片付いてしまうと、境界の向こう側は別世界になっていた。

 彰久たちの呼び招いた天空の闇と光の世界が広がって、さまよえる魂たちは姿無き御大親の導きに従って次々旅立っていった。

 修は結構この瞬間が好きだった。鬼面川の『救』によって、魂が安らぎを得る瞬間の穏やかでありながら崇高この上ない雰囲気が…。
 
 将平の祭祀は相変わらず素晴らしい…。
何と輝きに溢れていることか…。

 精神的な快感とも言うべきその心地よい安らぎの中に身を委ね、修は千年ぶりに満たされた気分を味わっていた。

 修の背後から今や怒りと憎しみのために自らを鬼と化した末松が忍び寄ってきた。

 「邪魔をするな…老翁。 僕は今、極上の快感を味わっている最中だ…。 」

 修は振り返りもせずに言った。

 末松は牛のように巨大化し、黒々と不気味な闇を纏っていた。
修をめがけ剣のように鋭い爪を振りかざした。

 「老翁…今一度おのれを振り返ってみよ。 
そのおぞましき姿…それがお前の望みであったのか…? 」

 一瞬、末松がたじろいだ。
 
 「やかましい! すべてはわしを認めなかった奴等のせいだ! 
誰よりも優れたこのわしを蔑ろにした奴等の…! そしておまえの! 」

振り下ろした腕は跳ね返され末松は仰け反った。

 「僕…? 僕は何もしていない。 ただ傍観していただけだ。
簡単なテレパシーさえ人任せで…。 」

修は微笑みながら笙子を見た。笙子が微笑み返した。

 「嘘をつけ! 隆平に何やら小細工をして鬼面川の祭祀に干渉したではないか!
この目でしかと見たぞ。」

修はやれやれというように肩をすくめた。

 「祭祀に触れた覚えはない。 祭祀を妨害するものを制するのは立会いとして当然ではないか? そのためにご助力申し上げたまでのこと。 」 

 修の言動はいちいち末松の癇に障った。
世間知らずの若造めが…目にものを見せてくれる。

 末松が怒りに身を震わせると、地響きとともに祭主の体も揺らいだ。
彰久も史朗も辛うじて堪え事無きを得た。
 今もし中断となれば、せっかく旅立とうとしている魂のいくつかは置き去りにされてしまう。その中には久松の魂もいるのだ。
 
 「爺さま。 もうやめてくれ。 情けねぇわ。 」

孝太が境界を出て鬼と化している末松を止めに来ようとした。

 「境界を出るな! 戻れ! 」

修が激しく孝太を叱咤した。
その勢いに押されて孝太は止まった。

 「お前の役目は祭主を護ることだ! 忘れるな!」

そう言ったのはいつもの穏やかな修ではなかった。

 「お前の気が済めばあの兄の魂は救われずともよいのか…?
お前の犯した罪までを自ら背負って旅立とうとしている兄を…。
その潔い心をおまえはまた踏みにじろうと言うのか…? 」

 ぞっとするような冷たい表情を浮かべ修は末松を見た。
冷気とも思える寒々とした空気が辺りに充満し始めた。

 隆平が思わずごくりとつばを飲んだ。
成り行きを見守っていた透と雅人が言葉を失った。
それが何の前触れか二人はよく知っている。

 孝太はあの時の…本家で再会した時の修を思い出した。

 「一度だけは見逃してやろう。」

 修はそう言ったのだ。
あれは久松への言葉だと思っていたが…。

修の身体のあちらこちらから青白い焔が少しずつ立ち上り始めた。




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二番目の夢(第三十五話 霊送り妨害)

2005-08-21 22:54:33 | 夢の中のお話 『鬼の村』
 社の外で見張りをしていた西野は異様な気配で空を見上げた。
夜はすでに明け切っているはずなのに、あたりは薄暗く社を中心に黒い雲が渦巻いて、今にも嵐が来そうである。

 鬼面川の鬼遣らいは日暮れ近くの行事だから観光客の姿はまだ無いが、社周辺のそこここに不気味な影が蠢いている。
 ソラが落ち着かない様子で同じところを行ったり来たりしているところを見ると何かの悪意が働いているものと思われる。 
  
 西野がふと本家に繋がる石段の小路のほうを見ると加代子が登ってきていた。

 「おはようございます。 朝食の用意が整いましたので…皆さんこちらに居られますかしら?」 

孝太に良く似た人懐っこい笑顔で加代子が言った。

 「おはようございます。 皆さんお集まりですが、社の中は準備中なので入れませんよ。 私が皆さんに伝えておきます。 」

西野は丁寧に礼をしながらそう答えた。

 「あら困ったわ…。兄と葬儀の段取りをしたかったんですけど…。
朝子さんたちを何時までもあのままにはして置かれないものですから…。」

 加代子は実際困っていた。いくら親戚とはいえ自分の家族ではない者の葬式で、しかも、本家で盗みを働こうとして心臓麻痺を起こしたとかいういわくつきのご遺体である。さっさと片付けてしまいたいというのが本音だ。

 「そうですねえ…。申し訳ないんですが…誰も入れるなとのご命令でして…。」

 西野も困ったように頭を掻いた。
加代子はその様子を見てくすっと笑った。

 「よろしいわ…。 皆さんがお出でにならなければ後からまた来ます。
お食事はいつでも召し上がれるようにしておきますわ。 」

 そう言って加代子はその場を去ろうとした。
すると突然旋風が加代子の全身を捕らえた。加代子が悲鳴を上げるが早いか、旋風は加代子を捕らえたまま社の扉を突き抜けていった。

 西野は瞬時の出来事になす術も無く、社の外から雅人に向かって叫んだ。

 「雅人さん! 雅人さん聞こえますか? 加代子さんが捕らえられました! 」

 扉の反対側では結界を破られた雅人が何ごとが起こったのか分からぬまま突き飛ばされていた。
突然扉の向こうから雅人めがけて何かがぶつかって来た。
それを背中で受け止めた格好で、加代子の下敷きになっていたのだった。

 「聞こえたけど…遅いよぉ。 」

雅人が答えた。加代子が慌てて雅人の上から身体をどけた。

 「ごめんなさい。 重かったでしょう? 」

重かったのはどうでもいいのだが、雅人の結界を破るとは尋常な力じゃない。

 「怪我は無い? 加代子さん。 雅人。」
 
透が駆け寄ってきた。 

 「私は平気ですけど…。」

 「大丈夫…だけどちょっとショック。 」

 雅人は憮然として答えながら修の方を伺った。
修は末松の方に気を向けていた。末松が動き出したのを感じ取ったようだ。



末松が声を上げて笑い出した。

 「ご覧…宗主どの。 そんな結界など役にはたたんよ。 」

修の口元が緩んだ。
分かってるよ。そんなこと…。

加代子が突然現れたので、孝太が目を見張った。

 「加代子! なんでここに? 」

加代子が孝太を見つけて傍へ寄ろうとするのを、慌てて孝太が止めた。

 「来るな! 爺さまが狂ったで! 」 
 
 加代子はまさか…と末松の方を見た。途端に加代子の身体は自由を失い、孝太と隆平の前へ引き寄せられた。

 「加代子…彰久と史郎を殺せ! 」

 末松が命じた。
加代子は自分が何を言われているのかが分からず、孝太の顔を見た。
 
 「聞くな! ふたりに近寄っちゃならん! 」

 孝太が叫んだ。
加代子の意思とは逆に加代子の身体は引きずられるように彰久たちに近付く。
 孝太は急いで加代子を抱きとめた。
加代子はすでに自分を失いかけていた。物凄い力で孝太に抗い、普段の加代子なら考えられぬ勢いで孝太をはたき飛ばした。

 彰久たちは危険が迫っていることは感じていたが、その場から動くことも単に振り返ることもできなかった。ただひたすら祭祀に打ち込むしかなかった。

 加代子が彰久に触れる寸前で隆平は加代子をその場から突き放した。
突き放された勢いで倒れた加代子の傍に跪くとその額に触れ気を放った。

 加代子の中の末松の意識が消えた。

 末松は訝しげな顔をして隆平を見た。
隆平は修に動かされているわけではない。ちゃんと自分の意思で行動している。
簡単な業とはいえ、教えられてもいないことをやってのけたのだ。

 それは修が、逆上して正気を失いかけた隆平に施した業で、隆平はそれを身体で覚えてしまったようだ。

 末松はたとえ微力な楯でも侮れぬことを知った。

 正気に戻ったのはいいが怯えて動けない加代子を透が扉の近くまで避難させた。
扉の前では雅人が新しく結界を張ろうとしていたが、外からまた西野の大声が響いてきた。

 社を取り囲んでいた無数の影が社目指して突進を始めたのだ。
西野がいくら強くても多勢に無勢、西野とソラだけでは到底対処できない。
取りこぼしたものたちが次々と社に入り込む。 
 
 ただの魔物ではない。
これまでに『救』を受けることのできなかった過去の魂がこの世に居残って異形の者と化した性質の悪い化け物である。

 結界を張ろうとしていた雅人にうじゃうじゃとたかり始めた。

 「やってられんわ!」

雅人は結界を諦めて化け物退治を始めた。

 透は加代子を庇いながら、襲い掛かってくる化け物を倒したが、相手を倒した際にあることに気が付いた。
ばらばらになった部品が復活を始めたのだ。

 「雅人! こいつ等復活型の化け物だ! 下手に倒すと増殖するぞ!」

透は猛スピードで化け物退治をしている雅人に注意を促した。

 「どうする? 透! 許可なしで『滅』は使えないぞ! 」

 雅人に問われて透は修の方を窺った。
相変わらずたいして動きもせず、化け物を消し飛ばしている。
修が良く使うのは…『解』…『散』…『消』。

 「『消』でいこうぜ! けど失敗したらとんでもなく増えちゃうかも…。」

透は言った。
 
 「やってみましょ。 男は度胸ってね! 」

雅人は一発勝負に出た。まとわり憑く不気味な化け物を一気に消滅させた。
 
 「いけそうでっせ! 」

透の方を見るとやはり巧くいったようだ。
ただし、透に庇われながら化け物との戦いを初めて目の当たりにした加代子はほとんど失神状態だった。

 「まあ…。寝ていてもらった方が世話無くていいかも…。」

ふたりはそう思った。



 後から後から湧いて出る化け物たち…救われぬ魂がこれほどこの地に多く存在するのか。これは当代長だけの責任にとどまるまい。いい加減な長が他にも存在したという証拠でもある。

 化け物は増殖するだけでなく合体もするらしく、相手が強いと分かると何体かがくっついて大型の強力な化け物へと変化した。

 彰久と史郎を狙い突進していく。
大半は修と笙子が消してしまうが、孝太や隆平に襲い掛かるものもいる。

 鬼面川の聖域なので、一族でない修と笙子は祭祀の間、孝太や隆平よりも向こう側には近づくことは許されない。

 孝太や隆平が四苦八苦している姿を末松は面白おかしく眺めていた。
 
 戦い慣れてきたとはいえ、今の力では化け物退治も思うに任せないだろう。
しかも、夕べから一睡もせず、水一滴飲んでいないふたりである。
修行を積んだ修たちとは違って体力的にも不安がある。

 修はそれまで敢えて動くことをしなかったが、急に隆平の傍まで移動すると、隆平に近付くように指示を出した。

 笙子が援護に入り、修の代わりに近付く化け物を消滅させた。

 隆平の額に中指と人差し指を当てると修はなにやら呟いた。
あの青みがかった紫の焔が、修の中からすうっと隆平の額に吸い込まれた。
僅かな量ではあったが隆平は驚きの声を上げそうになり、歯を喰いしばって堪えた。

 隆平には確かに聞こえた。

 修は間違いなくこう言ったのだ。

 『奥儀伝授』と…。





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二番目の夢(第三十四話  思いの丈)

2005-08-20 23:38:55 | 夢の中のお話 『鬼の村』
 傍目から見れば、この末松の野望など虚しいの一言に過ぎない。 
末松という男の年齢を考えれば、今更、鬼面川の実権を握ったところで残された時間がその先何年…。悪くすれば明日にでもお迎えが来る。
しかも、その実権を継がせるべき実の子はすでに災害で先立ってしまっている。

 実の子でなくとも数増なり、孝太なりを本当に心から身内と思い、愛情から彼らに引き継がせようと考えているのなら話は別だが、そういうことでもないらしい。

 ただただ、失った権利を取り戻したいがため、一族に真の実力を認めさせたいがため、末松はたとえ一瞬だけでも鬼面川の覇権を握らずにはおかれないのだ。

 その一瞬のために、どれほど大勢の心を踏みにじり、何人もの身内を殺し、己の心を満足させようとしてきたか…。

 久松の魂は今どんな思いで弟を見つめているのだろう。
自殺も復讐も久松が決めたこと…だがそれは末松に野望達成のための足がかりを与えることになってしまった。
供養されることもなく、ただ利用されて…。



 御大親への報告を終えた後、彰久が大勢の魂を救済するべく、ひとりひとりの魂と問答を始めた。
 今まで彰久の補助を務めていた史朗も緊急の場合と考えて、彰久の隣で同時に問答を始めている。

 その様子を久松は静かに傍観していた。久松とすれば自分たちが集めてしまったさまよえる魂を一刻も早く安らげる所へ逝かせてやりたいのが本音だ。

 彰久に『救』の力があるのであれば、もはや隆平が絶望という存在であろうがなかろうがどうでも良いこと。

 久松は大きく溜息をついた。

どうしてこうなってしまったのだろう。
 そもそも鬼面川という家は村の人々の安全と幸福を祈るために存在したのではなかったのか? 
 
 普通の人間の手の及ばない領域で災いをなすものを退治したり、封じたり、そうやって人々を助けてきたのではなかったのか?

 先代である長兄は長のあるべき姿を良く知っていて、権勢欲にとりつかれるようなことは無かった。 

 俺はそんな長兄に憧れ、万が一の時には長兄のような立派な長にならねばと思っていたのに…。

 それがどうだ。『救』を行うべきこの俺が『救』に救われようとしている。
自ら異形の物と化したり、人の命を奪ったり、こんな情けないことで祖霊の手を煩わすとは…。

 俺は生きるべきだったのか…?
生きて次兄を正すべきだったのか…?
俺が自殺さえしなければ、末松をこのような権勢欲の化け物にしてしまわなくてもすんだのか? 
 
 ああ…すべては遅きに失した。

 『いいえ…遅くはありませんよ。 』

久松の意識の中に修の意識が入り込んだ。

 『もうじき彰久があなたを呼ぶでしょう。 
あなたはその思いの丈を遺された人々に…そして末松に伝えて逝きなさい。

 それがあなたに課せられた使命でもある。
目的を果たせなかった末松は鬼面川を滅ぼすつもりでしょうから…。』

 久松は末松を見た。祭祀の邪魔をすることも無くひとり静かに座っている。
何を思う末松よ…。
双子に生まれながら俺たちは心底分かり合えてはいなかったのだなあ…。



 「面川久松の御霊よ。 我等はあなたの告白を御大親に奏上仕った。
 あなたのしたことは決して許されることではないが、生ける物すべての親にてあらせられる御大親は人の過ちにも寛大な処置をなされよう。
御大親の慈悲に御すがり申せ…。 」

 彰久の呼びかける声に久松は答えた。

 「鬼面川の祭祀をも司る我が身にありながら、その責任を忘れ、死を選び、あまつさえ異形の者に身を落とし、人に仇なしたる罪は重く…もはや御大親の慈悲を以ってしても贖うことはかなわぬと存ずる。

 ただ、ここにあるあまたの御霊は我が過ちにて集められし者達。
どうか御大親の御慈悲を以って寛大なる処置をお願い申し上げ奉る。 」

 彰久は久松の話を聞きながら、口の中でなにやらぶつぶつと文言を唱えた。

 「久松に申す。 あなたの置かれていた状況から判断して、あなたが過ちを犯したのはすべて末松の言によるものと思われるが、御大親の御前で申し開くことあらば述べてみよ。 」

 彰久が御大親への弁解を促した。
久松は一呼吸置くと思いの丈を述べ始めた。
その声は社の中に居るすべての者に届いた。
 
 「この期に及んで何を申し開きすることがあろうか。
何を申し上げても言い訳に過ぎぬものを…。

 自殺、復讐、殺人に至るまですべて我が身の過ちにて、これは動かせぬ事実。
末松が俺に何を言ったとしても、最終的には俺自身が決めたこと。

 たとえ末松に俺を利用して悪事をさせる意思があったとしても、口車に乗ってしまったのは俺の罪。

 孝太…隆平…末松を恨むな。

動いたのはこの俺だ。 手を下したのはこの俺だ。 」

 孝太も隆平も声のする方へ顔を向けた。

 「聞くがいい…。 お前たちに確かな伝授もせぬままに鬼面川の伝授者は皆亡くなってしまった。 

 彰久や史郎のおかげでお前たちふたりは所作と文言だけは受け継いでくれたが…鬼面川にはもっと大事なものがあるのだ。

 お前たちの四人の祖父である先代長は、力があってもその力を誇示しようとはせず、力のない者を見下すこともなかった。

 鬼面川の本当の力は特殊な能力ではない。人を想い、人を支え、人に尽くす心。
それがあってこその祭祀。
 いかに大きな能力が備わっていても心無き祭祀は本物ではない。
そんな伝授者からは人の心が離れていく。

 もともとは村の縁の下の力持ち的な存在であったものを…何時の頃からかその立場を逸脱し、権勢を誇るようになってしまったが…先代は良くその立場をわきまえていた。

 また、伝授者は何があっても責任を逃れようとしてはならぬ。
おのれが苦しいからといってすべてを捨てるようなまねをしてはならぬ。
ましてや他人に転嫁するなど以ての外だ。
そのような愚か者の成れの果てがこの俺だ。

 生きて生きて生き抜いて戦うべきであったものを…。
 
 お前たちが長になるかどうかは別として、鬼面川の伝授者としての心得を絶対に忘れてはならぬ。 

 必ずや次代に伝えよ。 」

 久松はそう言って黙した。
孝太や隆平が思わず目礼したのを見て、晴れ晴れとした笑顔を浮かべて頷いた。
ふたりにはその姿は見えなかったけれども。


 
 「潔し…。」

 彰久は思わずそう呟いた。
この男が生きてここに存在しないことを残念に思った。

 末松は久松の想いを何と聞いたのか。
表情ひとつ変えず、微動だにしなかった。

 『救』で行われる問答を『諭』と鬼面川では呼ぶが、禅宗における禅問答とは意を異にする。
 さまよえる魂の話を聞いてやることで、できるだけ心のこりをほぐして、苦しみや悲しみを軽減してやるのが目的の問答で、どちらかと言えば精神科医のような役目を伝授者が担う。
 
 彰久と史郎はその場の魂たちとの問答を終え、『導』の文言と所作を始めた。
すべてのさまよえる魂を御大親の温かい懐へと導くための祭祀であるが、祭祀の間は他に気を向けることができない。

 ただただ、御大親と魂の橋渡しのため一心不乱に所作と文言を続けなければならない。途中で途切れることは祭祀の失敗を意味する。
 相手がさほど難しい霊でなければやり直せるが、酷い場合には伝授者が信用を失って殺されるようなこともないわけではない。命懸けの祭祀である。 
 
『動く!』 

修の脳裏に突然閃くものがあった。

電撃のようにピリピリと身体中の神経が刺激を受けているように感じた。

まるで合図のように。




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二番目の夢(第三十三話  舌舐めずり)

2005-08-19 22:56:30 | 夢の中のお話 『鬼の村』
 人間は何度も同じ話を聞かされて内容を覚えてしまうと、その話しに対して関心を持てなくなる。
 さらにしつこく同じ話を聞かされると『またか…その話は隅から隅まで全部知っている…もう聞きたくない。沢山だ。』、そう感じるようになる。

 飽きてしまった話は聞き流すようになり、細部まで聞こうとはしなくなる。
全部知っているつもりになっているので聞き落しがあっても気付かない。

 多少今までと違うところがあっても、だいたいよければ見逃してしまう。
たまに…間違っているぞと文句をつける輩もいるが…。

 また同じ内容を何度も繰り返し聞かされると、脳に情報がすりこまれ、それが本当に正しいことなんだと思い込んでしまう。

そこが間違っているのかもしれないのに…。

 修たちも同じような内容の話を何度も聞かされた。

 ベースになっている復讐劇にそれぞれの立場から来る想像が加わり、思い込みが加わり、個人的な見解が加わり、感情が加わり、そうやって作られた話を聞いているうちに、知らず知らず自分たちもその話の型に囚われてしまう。
 
 修が先ず手をつけたのはすべての話から感情的な部分を取り去ること。
酷いとか、嫌いとか、悪いとかそういう先入観を持たせるような部分を削除する。

 不要と思われる飾り部分を切り捨てていき、いつ、どこで、何が起こったか、誰が、何を、どうしたというような骨組みを抜き出す。

 嫌というほど繰り返される共通部分…それを正しいと考えるか、或いは間違いと考えるかで二通りにわけ結論を導き出す。
 
 いくつかのパターンができたところに、先に捨てた中で関連性があると思われる部品を加えていくとそれぞれのパターンの間で矛盾点が出てきたりする。

 勿論、修の導き出した答えが必ずしもあっているとは限らない。
後は会話の中から臨機応変にパズルを組み替える。



 末松の前でそんなくだらない話をするつもりは毛頭ない。

そんなことどうだっていいじゃない。
重要なのは何故分かったかじゃなくて…あなたがどうでるか…だよ。

 末松の前でくだらない行動にでてみるかな。

 修はすぐ脇に座っている笙子の膝の上に手を置いた。
笙子は修に微笑みかけながらすぐにその手に自分の手を重ね軽く握った。 

 末松は呆気に取られた。『これだから若いもんは…。 人前でいちゃいちゃするもんだないで…』苦虫を噛み潰したような顔になった。

 笙子の手の中で修の手が語った。

 『奥儀を再開させろ…。』

 笙子はゆっくりと目を閉じた。
彰久の脳へ、史朗の脳へ修の言葉が伝達されていく。

 『早急に! もう限界だ! 鬼将…周りを見てみろ! 』

 彰久は浄几の方を見た。
久松を取り囲むように大勢の魂が落ち着き無く動き回っている。
その場の会話が鬼面川のことに終始するため、他の魂たちがじれているのだ。

 『華翁…先ずは御霊を落ち着かせろ。 忘れてはいないことを伝えるだけでいい。 できるな? 後は鬼将が何とかする。 』

 史朗は浄几の前に進み出て、片膝をたて剣を頭より高く捧げて拝礼し、略式の慰霊の文言を述べた。
 辺りを旋回していた魂たちはまた浄几の上辺りに集まり始めた。

 史郎が急に動き出したので末松は訝しそうにそちらを見たが、別段、史郎を攻撃することも無く落ち着き払っていた。

 彰久は史郎と隣り合う形で中央に座し、久松と末松の告白について御大親への報告を行った。
 
 隆平は一歩下がって控えた。隆平は今や自分の使命に気付き、健気にも隆弘の遺志を継ごうとしている。
 
 末松と隆平の間辺りに座っている孝太も事あらば身を呈するつもりでいるようだ。その目が警戒するように落ち着き無く辺りを観察する。

 彰久たちが動き出したのを見て修は少し安堵した。
彰久も史郎も確かに将平、閑平の生まれ変わりではあるが、現世での育った環境があまりにも普通だったため、危機感や緊張感に欠けるきらいがある。

 千年前の鬼将、華翁なら修の指示など仰ぐまでも無く自己の判断で機敏に行動しただろう。戦うことに慣れていたからだ。

 今のふたりにそうしろと言う方がどだい無理なのだが…。

 その点からすれば、隆平はとんでもない育ち方をしているだけに身の危険に関しては敏感だ。
 孝太にいたっては隆平を護るためにこの十何年もの間気持ちの上で戦い続けてきている。

 まさに、楯としてはうってつけかもしれない。
 
 『慶太郎…ソラと一緒に外を見張れ…人を近づけるな…。
鬼遣らいは祭祀だ。 開催時刻まで社に近付くなとでも言っておけ。』

 西野は頷くと社の外へ出て行った。

 『雅人…扉に結界を張れ。 誰も入れるな。 そして出すな。 
透は雅人の援護に回れ。 』
 
 雅人は社の入り口に陣取った。 その前あたりに透が座した。



 「やれやれ。 忙しいことだな。 宗主どの。 
わしに対する備えなら何をどうしようと無駄だで。 」

末松は可笑しげに言った。

 「あなたに…? とんでもない。 久松さんたちを送ってあげなければ気の毒じゃありませんか。 何時までもこのままじゃね。 」

修は皮肉な笑みを浮かべた。

 「もう二度と利用されずに済むようにね。」

あなたのことはそれからだよ…。

修の目に冷酷な光が宿った。
心の中で獲物を狙い唇を舐めている鬼を修自身が感じていた。




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