徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

最後の夢(第五話 女と涙)

2005-09-30 16:53:00 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 「ねえ…きみ。 」

 講義が終わって帰り支度をしている時に、面識のない学生から突然声をかけられて真貴は少々驚いた。
 栗イガの髪型から城崎だということが分かった。周りにはまだ大勢人がいる。
真貴はすぐに障壁を張った。

 「きみ五人組の男の子たちの仲間だろ? 紫峰透くんのさ。 」

城崎は親しげに語りかけた。

 「仲間ってか…いとこだけど…。 」

何だこの子も一族か…と城崎は思った。

 「きみさ。 人助けしない? せっかくすごい力を持ってんだからさ。
有効に使おうよ…。 」

 「何だ。 ナンパじゃないの? いい男なのにな。 」

真貴は笑いながら言った。

 「ナンパ? そんな軽いことはしないけど…勧誘してるわけよ。 」

 「あ~あ。 あんたかマジシャンを探している妙な兄ちゃんて。 
老人ホーム巡りが好きなんだってね。 やっぱハトとかウサギとか使う系? 」

 城崎はまた目が点になった。
いとこ同士でよくまあ同じ冗談を言ってくれるじゃないの…。

 「だからそれは誤解だって。 僕が探しているのは超能力者。 」

真貴は訝しげな顔をした。

 「超能力? スプーンとか曲げるやつ? そんなのほんとにできんの? 」

 城崎はやれやれというように肩をすくめた。
透の一族はみんな役者だと思った。

 「きみの張った障壁に気付かない僕じゃないんだけど…。 
スプーン曲げよりは障壁の方が格段に難しいと思うんだけどねえ。    
ま…いいでしょ。 それが返事ってことで…。 それじゃ気が向いたらまたね。」
 
 手を振りながら城崎はその場を立ち去った。
あたりに張り巡らせた障壁を解くと真貴は急いでみんなにメールした。




 城崎の姿が連日雑誌やテレビで紹介され、それに伴って城崎の取り巻き連中も何人かテレビなどに姿を現すようになった。

 西野が調べた限りでは未だ紫峰の若手でそのような番組に姿を晒したものはいないが今後のことは分からない。 

 透たちは自重しているし、長老衆や世話人も末端まで目を光らせている。
藤宮では笙子の配下の者たちが監視を怠らない。

 西野が感心するのは家庭生活ではハチャメチャな悪妻として名高い笙子が藤宮の中枢部では優れた智将振りを発揮しているということだ。
 さすがに藤宮の長だけのことはあり、在学中に会社を立ち上げた力量も頷ける。
 
 そう言えば人一倍作法やしきたりにうるさいはずの伯母はるが何故かこの奥さまを気に入っていて、まるで修に仕えるように笙子にも礼を尽くしている。
伯母には何か通じたり感じたりするところがあるのかもしれない。

 紫峰内部のことばかりを調査していても埒があかないので、取り敢えず末端のことは長老衆に任せるとして、西野は内密に城崎の実家を調べてみることにした。




 年寄りではあっても元気いっぱいの一左の世話は、することといってお茶を入れるくらいしかなく、鈴(れい)にとってはここ紫峰の暮らしは退屈なものだった。

 本を読んだり、習い事に行ったりもしているが、ひとり疎外されている身ではなにをしても楽しいとは思えず、虚しいほうが先にたった。

 長老衆に命令されて未だ留まっているものの、修の気を引くことすらできず、かえって怒らせるばかりで、自分がここにいる意味はないのではないかと思い始めていた。

 長老衆の思惑が知れる前は、宗主も気軽に話かけてくれたし、機嫌が悪くなることもなかったのに、今はまるで人が変わってしまったようだ。
そんなことを考えては溜息をついていた。

 離れにあてがわれた自分の部屋の縁側で、何をするともなしにぼんやりと夜空を眺めていた。
 外灯の明かりで、庭の敷石の上を雅人がゆっくりこちらの方に歩いてくるのが見えた。
空の星を眺めながら時折背伸びみたいなことをしている。

雅人は部屋の近くまで来るとチラッと鈴の方を見た。

 「何してんの? 明かり消したままでさ。 」

ひとりで寂しそうにしている鈴に雅人は何気なく問いかけた。

 「星。 何となく星見てた…。 雅人くんは散歩? 」

 「まあね…。 身体冷やしに…。 」

 縁側の鈴の隣に腰を下ろして雅人はそう答えた。
それほど背の高くない鈴にとっては巨人に見える修よりも、雅人の身長はさらに大きい。縁側に座っていても鈴より雅人の方が大人に見えるくらいだ。

 「ねえ。 あなたにこんなことを訊くのはおかしいけれど…宗主は本当にそっちの趣味の人? 」

 えっ?と雅人は思いながら自分の姿をチラッと見た。
カーゴパンツに首からスポーツタオルを引っ掛けただけの格好でほとんど上半身を晒している。
 いままでのような男所帯なら別段問題にもならないが、鈴の前に出るにはちょっとまずかったかなと思った。

 「まあ…僕ともうひとりいるわけだから…そっちの趣味がまったくないとは言えないけど…どちらかと言えば女好きかなあ。 

 子どもの頃は豊穂さんに惚れてたらしいし…今は笙子さん命だし。
結婚前には付き合ってた女性も何人かいたしさ。

あんな態度に出てるけど、鈴さんのことも本当は好きなんだからね。」

鈴は信じられないというような顔でまじまじと雅人を見た。

 「嘘じゃないよ。 好きだから鈴さんを不幸にしたくないんだ。
幸せになってもらいたいんだよ。 ここに居ちゃだめなんだ。
長老衆が選んだ日陰の生活なんて捨てて、自分で自由に自分の人生を選びなよ。」

 雅人は修が鈴に言ってやりたくても言えないことを代わりに伝えた。
鈴が下唇を噛み締めた。鈴の眼から大粒の涙が零れ落ちた。

 「長老衆は宗主の子どもを産めと言うし宗主はここを出て自由に生きろと言う。
板ばさみになった私はどうしたらいいのかしら…? 」

 「ごめん。 言わなきゃよかったね。 
鈴さんが修さんの真意を量りかねて悩んでるんじゃないかと思ったから…。
いらぬお節介だったよね。 」

 突然鈴に泣かれて戸惑った雅人は思わず鈴の肩を抱いた。
長老衆のことが知れて半年余り、居心地の悪さと心細さに耐えてきた鈴は我慢も限界に来ていたと見えて泣き出したら止まらなかった。
 雅人は鈴を抱きしめてやった。
真貴とはまた異なる柔らかい香りが雅人を包んだ。




 城崎の実家を目の当たりにした時、西野は鬼母川の本家を思い浮かべた。
鬼母川ほど田舎ではないが、いかにも旧家という雰囲気に変わりは無い。
但しその歴史は数百年程度の比較的新しいもので、宗教性はあまり見受けられない。
 西野はそっと外から窺うだけのつもりだったが、西野が門の外に立ったとき、その家の主と思しき人が声をかけてきた。

 恰幅のいい白髪の男で上品な和服がよく似合った。
髪は白いが顔などの様子から見るとまだ50代手前のようにも思えた。

 「紫峰家のお使いの方ですな。今日あたりおいでになるような気がしていました。
まあ中へどうぞ。 ご予定にはないことではありましょうが…。 」

 正体を知られていることは軽い驚きであったが、城崎の一族も能力者だからそういう力があってもおかしくはない。
 
 主と思しき男は西野を案内して屋敷の中へと招き入れた。
奥から男の妻らしい品のいい夫人が現れて丁寧に挨拶をした。

応接間に通されて茶や茶菓子などを勧められてもどうも落ち着かなかった。

 「驚かせて申し訳なかったですな。 ご存知のとおり、城崎家は特殊能力者を持つ一族でして…私も先のことがある程度予測できるのです。 」

城崎は西野の顔色を探っているようにも見えた。

 「紫峰家については詳しくは存じませんが、表も裏も相当なお家柄と拝察致しました。
 その紫峰家にうちの馬鹿息子がご面倒をおかけしておるようで本当に心苦しい限りです。 」

城崎はそう言うと深々と頭を下げた。

 「お顔をお上げ下さい。 私はただの使用人ですからそのような丁寧なお心遣いは無用です。 」

西野は恐縮した。

 「いいえ…あなたが宗主の側近であられることは分かります。
宗主の代わりに動いていらっしゃることも…。
マスコミを騒がせている愚かな男の実家の様子を調べに来られたのでしょう?

 息子瀾は決して悪い男ではありません。
ただ青臭い正義感にのめり込むあまり、あのように考えなしに行動するところがあって、私どもとしても頭痛の種なのです。 」

 城崎は本当に困ったものだというように大きく溜息をついた。

 「取り敢えず紫峰家の皆さまはあいつの申し出を全部断ってください。
そうすれば紫峰一族の名前を世間に出したりはしないはずです。  」

 「だといいのですが…。」

 西野は呟くように行った。
父親がどれほど太鼓判を押そうと、はいそうですか…とは言えない。
何しろ相手は子どもに毛が生えたようなものだ。
その時次第気分次第でどうなるか分かったものじゃない。

溜息つきたいのは西野の方だった。





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最後の夢(第四話 恋人)

2005-09-28 18:15:57 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 マスコミが城崎を取り上げだしたのはそれからしばらく経ってからだった。
家出した人の居場所を超能力で捜し当てたとかで俄かに注目を浴びだした。
名が売れ出すとあっという間にワイドショーなどの寵児なった。

 マスコミが関わってきたことから紫峰も藤宮もさらに警戒を強めた。
透たち五人は殊更、城崎との接触を避けるよう心がけた。

 透たちは久々に黒田のオフィスに集まった。
いつもと違うのはそれぞれ今付き合っている女性が同席していることだ。
 透たちを直接口説き落とせないと判断した場合、城崎はその交際相手を的にして説得に乗り出す可能性もある。
今おかれている現状を女性陣にも知っておいてもらう必要があった。

 年長の悟は同じ藤宮の京子、晃は赤澤の知美、透は貴彦の娘春花、隆平も同じく貴彦の娘夏海、雅人は岩松の真貴…それぞれ高等部の同級生や上級生である。

 別に意図したわけではないが、五人とも慣習に従って同族或いは両一族の中から選んでいた。ひょっとしたらこれも危機回避教育の結果かもしれないが…。

 「城崎はきっとまた僕らに接触してくる。 
彼が近づいてきたら必ず障壁を張って他の者には知られぬようにすること。
何処からどんな情報が流れていくとも限らないんだから…。 」

いつもなら悟が仕切るところだが今日は珍しく透が仕切っていた。

 「末端の連中は僕らのことを良くは知らない。 
マスコミ受けするために嘘八百並べることだってあり得る。 」

 「僕ら自身を護るのはそれでいいとして、末端の連中をどうするかだね。 」

悟が言った。同族とはいえ、ほとんど顔も知らない者たちである。

 「しばらくはほっとくしかないよ。 
自分で痛い目に合わないと分からないだろうからね。
城崎が失脚するまではこちらの話には耳を傾けないだろうし…。 
僕らが動くのはそれからでいいさ…。 」

雅人が答えた。

 「私もそう思うな。 下手に動けばこちらの身が危なくなる。
どうするかは状況を見て判断するしかないよ。
先走りして失敗すれば、宗主に迷惑が掛かるだけだからさ。 」

真貴もそれに同意した。

 「説得だけでも出来ないかしら? 同世代なんですもの。 」

知美が言った。みんな一斉に首を横に振った。

 「無理! 完全に城崎の考えにのめり込んでるんだから。 」

晃が答えた。

 「でも…いざって時は助けてあげないと…それが上の役目だから。 」

隆平が遠慮がちに言った。

 「宗主の計画の邪魔に成らない程度にね。 」

夏海が付け加えた。

 「そうね。 足を引っ張ることだけは避けたいわ。 」

春花が夏海の言葉を受けた。

 「わたくしは真貴さんと雅人さんの意見に賛成です。 
その場の状況をよく見極めることが大切だと思いますわ。
どう動くにせよ…早まったことをしてはなりません。 
そうですわね? 悟さん。 」

京子が悟に同意を求めた。

 「そうですとも…京子さん。 」

 悟は満足げに答えた。
両族の宗主がすでに配下の者たちを差し向けて問題回避に乗り出している以上、それを無視した勝手な行動は慎まねばならない。
 ずるいようだけれどもしばらくは成り行きを見ながら身にかかる火の粉だけを払い落としていった方がいいと意見がまとまった。

 「しばらく間があったけれどまた時々ここで会うことにしよう。
とは言ってもみんな忙しくてそうそう全員が集まれないだろうから、連絡をより密にしないといけないね。 」

 そう言うと透は携帯を取り出した。

 「何もなければ、『今晩は』だけ…報告があればその内容を一日に一度送信するよ。 悪いけど女の子たち送信してくれる? アドレス教えて。 」

 みんなお互いに送信しあってアドレスを記録した。
毎日挨拶一言でもいいからできる限りメールし合うことを約束して黒田のオフィスを後にした。

 

 仕事から帰ってくるなり食事もしないで眠ってしまった修の様子を見に笙子はベッドルームにやってきた。
修はぐっすり眠っていてとても起きそうになかった。
 
 「可哀想に…よっぽど疲れているのね。 お腹空いてるでしょうに…。 」

 「お屋敷じゃきっとよく眠れないんですよ。 あの人がいるから。 」

後ろからエプロン姿の史朗が言った。

笙子はキッチンへ戻ってきた。

 「鈴さんのこと? うふふ…そんなことで眠れない人じゃないわ。

 それより…問題は例の男の子ね。 
ずいぶん有名になってきたらしいから油断できないわね。
親御さんはどうなさってるのかしら…? 」

 「西野さんが探ってます。 藤宮の方でも動いてるんでしょ? 

 ねえ気にならないんですか? 返しちゃえばいいのに…。
笙子さんがだめって言えば済むことじゃないですか。 」

 史朗は笙子を馬鹿にしたような長老衆のやり方が気に喰わなかった。
笙子だって内心面白くないだろうにずっと黙ったままだった。
 その気になりさえすれば笙子にはすぐにでも長老衆を黙らせる権限を持っているのに未だに反撃しないのが不思議だった。

 「史朗ちゃん…やきもちなの? 大丈夫よ。
修は手を出さないわ。 私がそうしなさいって言わない限りはね。 」

笙子は艶っぽい笑みを浮かべた。

 「別に僕が焼いてるわけじゃありません。 雅人くんとも話したけれど…いくらいい人でもやっぱり不自然だから言ってるんです。 」

史朗は憤慨した。笙子はますます微笑んだ。

 「そうねえ。 でも…史朗ちゃんや雅人くんのように一途な愛があれば自然に逆らっちゃっても何とか成ったわけでしょ?

 修なんともなかったものね…。 
もっと抵抗するかと思ったけど案外平気だったわね。 」

 笙子にそう言われて史朗は赤くなって黙った。

 「冗談よ。 ふたりとも何年もかかってやっと想いを遂げたんじゃないの。
修だって受け入れるのに抵抗がなかったわけじゃないのよ。

 唐島のことがあるからよけいにね。 
ふたりのこと本当に好きだから真剣に考えて決心したんだと思うわ。

だから慌てなくても大丈夫よ。鈴さんのこともどうすべきかちゃんと考えてるわ。
私も様子見の最中なの。 」

 笙子は不満げに俯いている史朗の首を抱き寄せた。
史朗は思わずベッドルームの方を見た。
いつものことながら笙子は修がいようがいまいが平気でモーションをかけてくる。 
 修に見られる度に史朗は心臓が止まる思いなのに笙子は気にもしていない。
聞くだに悩ましい音や声を修がどう感じているのかは分からないが、史朗の本音としては修の目の前で自分に触れるのは極力避けて欲しかった。

 案の定しばらくすると修がふらふらとキッチンの方に起きだしてきたので史朗の全身が凍りついた。 

 「修。 ご飯は? 」

そういう体勢じゃないだろう…と史朗は思うのだが、まるでかまっちゃいない。

 「いらない…。 」

 修も修で居間で戯れるふたりの姿には眼もくれず、水を飲むとお休み…と言いながら部屋に戻っていってしまった。

 「笙子さん…お願いですから…もう修さんの前では…。
いくら公認でも…ひどすぎるもの。 僕…本当はつらくて…。 」

ぼそっと呟くように史朗は本音を吐いた。

 「ごめんね。 史朗ちゃん。 そうよね。 こんなとこ見られたくないわよね。
修の恋人になっちゃったんだものね。  」

 そういう話じゃないっての…と史朗はまた思った。
このちょっとずれ気味の夫婦に魅了されて離れられない自分も自分だけれど…。
 

 
 岩松の家の近くの小高い所から見える夜景は結構綺麗で雅人と真貴は時々車でここにきて過ごした。 

 あれほど雅人の母親のことを貶していた岩松の長老も、雅人が後見の跡取りとなった瞬間から態度を変え、しかも近い将来、修の片腕として財閥を動かしていくひとりに成ると知ってからは下へも置かぬ扱いだった。

 真貴との付き合いには何の障害もなく、かえって奨励されているようで薄気味悪かった。

 「なあ…雅人…。 笙子さんがあんまり浮気するから、修ちゃんがあんたに走ったってのは本当? 」

真貴は雅人にはずけずけとものを言う。

 「あほか。 関係ないよ。 笙子さんはいつでも修さんの女神さまだ。 
めちゃ仲いいぜ。 」

雅人はそう言って笑った。

 「まあ…あんたのことだからきっと修ちゃんを襲ったな。 驚いただろうなあ。
眼に浮かぶわ。 」

真貴が機嫌よくからからと笑った。

 「図星。 さすが真貴…。 だけどおまえのことは襲った覚えはないぜ。
ちゃんと礼儀を尽くしました…つうか…僕の方が襲われたようなもんさ。」

真貴がまたからからと笑った。 

 「雅人…嫌だったら別れてあげるよ。 ん…? 」

雅人は苦笑した。そういうところ笙子さんにそっくりだ。

 「おまえはきっと紫峰の女大将になるよ。 僕はそれが楽しみさ。 」

真貴は温かくて優しくて強い女だ。
紫峰の基盤を固めるのに相応しく大きな心の持ち主でもある。

雅人は紫峰家の柱となる自分の真貴との将来を秘かに思い描いていた。





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最後の夢(第三話 勧誘)

2005-09-27 15:46:01 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 このところ笙子のマンションで夜を過ごす回数が増えたのは、昼夜を問わず監視されているような屋敷内の雰囲気に嫌気がさしたからだった。

 帰宅すればあの娘がいる…。そう考えただけで胃の痛くなるような気がした。

 とは言え宗主であり当主である修は、ずっと妻のマンションに入り浸っているというわけにもいかず、月に数回程度であったものが週に二回ほどに増えただけのことで、ほとんどは溜息をつきながらも本家に戻って来ていた。

 はるの給仕で夕食を済ませると、以前なら居間でしばらく過ごすところをそそくさと自分の部屋か洋館の方へ戻ってしまい、用がなければ姿も見せなかった。

 決して鈴(れい)のことが嫌いだというわけではないし、むしろ好ましい娘だとは思っているのだが、いざその姿を見るとなぜかしら総毛立つような気がして顔をあわせるのさえ躊躇われた。

 はるから頼まれた書簡を持って雅人が修の部屋へ来た時、修はベッドで本を読んでいた。雅人が渡した書簡の中に懐かしい人の名前があった。

 「孝太さんからでしょ? なんて? 」

 「こちらに用事があるらしいね。 ついでに寄って下さるそうだ。
隆平が喜ぶな…。 去年は受験で帰省できなかったものな。 」

 孝太はわけあって隆平の親戚ということになっているが隆平の実の父親である。
鬼面川と紫峰の両方の血を受けついだ能力者で、今はレストランを経営しながら隆平の故郷の鬼面川の祭主も務めている。

 「せっかくだからみんなで歓迎会なんてしちゃおうよ。 
バイト都合つけるからさ。 」

雅人が言うと修もそうだな…というように笑顔で頷いた。

 扉の向こうに近づいてくる足音を聞くと修は急に顔色を変え、雅人の手を引いて
ベッドに引き入れた。
 
 「宗主。 御大から言付かってまいりました。 お届け物でございます。
よろしゅうございますか? 」

ゆったりとした抑揚の鈴の声がした。

 「中へ入れておいて…。 」

鈴が扉を開けると修の身体の向こうからわざと雅人が顔を覗かせ頬を寄せた。

 「宗主にお世話になった返礼ということで赤松さまから…」

 鈴がどぎまぎしながら届け物の説明を始めようとすると、修は半身身を起こし、その無粋さにいらいらして声を荒げた。

 「分かったからそこにおいて出てってくれないか?  
見えてないのか? ゲームの真っ最中なんだけど…ね。 」

雅人が鈴の表情を伺いながら甘えるように修の身体に腕を絡めた。

 「申しわけございません。 失礼を致しました。 」

 鈴はおろおろしながら部屋を出て行った。
足音が消えてしまうと雅人は起き上がってにたっと笑った。

 「悪い人だね。 修さん。 鈴さん…きっと大ショックだよ。 」

 「諦めて何処かいい人のところへ嫁に行ってくれ…ってことさ。 
長老衆に命令されたからって僕の妾になんかなってどうするんだよ。 

 まだ若いのにさ。 恋のひとつもすればいいんだ。
いまから日陰の身でいることなんか無いじゃないか…馬鹿馬鹿しい。  」

 本当は直接、鈴(れい)にそう言ってやりたかった。
しかし、宗主の口からそれを言えば鈴の一族に対しての立場が無くなる。 
鈴が自分から出て行こうとしないかぎり、修にはどうしてやることもできない。
 
 「本当は好きなんでしょう? だからむきになってるんだ。 」

 「そうだよ。 だけど僕の傍にいたら鈴は幸せにはなれない。
嫌でも一族の期待が集まってつらいだけさ…。 ここを出て好きに生きたらいい。
笙子も鈴も子どもを産むための道具なんかじゃないんだから。 」

 修はそう言うと大きく溜息をついて眼を閉じた。
山積するさまざまな問題がぐるぐると頭の中を駆け巡っていた。

修の疲れきった表情を見つめていた雅人は思いついたように言った。
 
 「ねえ…修さん。 風呂行こう。 背中流してあげるからさ。 
透や隆平も帰ってきてるしさ。 みんなで久々に背中ごしごし流しっこしようぜ!  
馬鹿やってりゃ気も晴れるっしょ。 」

 「そうするか。 お祖父さまにも声かけておいで…風呂大好きだから。 」

 おっしゃ!…とばかりに雅人はみんなを集めに走った。
透も隆平もすぐに部屋から飛び出してきた。
一左はすでに温泉気分…頭にタオル鼻歌交じりで風呂場へ向かった。
なぜか慶太郎を含めて男六人の馬鹿騒ぎが始まった。 
やがて紫峰家の特大の風呂場から歌やら何やら久々に陽気な声が溢れ始めた。



 透が城崎に再会したのは梅雨の明けた頃だった。彼がどのくらい人を集めたのかは不明だったがその時はひとりで、広い講堂の中でわざわざ透の隣の席を選んで座った。

 「お久~。 その後ご親族ご一同さまお元気で…?  
僕の方は変わりないけどね。 」

城崎はこの前と同じように親しげに話かけた。

 「これは城崎くんじゃないの。 また手品でも見せてくれるの? 」

透はそらとぼけてそう答えた。

 「うふ…またまたご冗談を。 相変わらずガード堅いね。  
実はさ…きみの一族の末端あたりの人からきみら五人組のうわさを聞いてね。
やっぱり僕と組まないかってお誘いに来たわけ。 」

城崎はにやっと笑いながら透の顔をじっと見た。

 「誰よそれ…いい加減なことを言う人は。 僕らは手品はまったく出来ないよ。
それにマジシャン集めして何しようての? 」

透も笑顔のままそれとなく探りを入れた。城崎は身を乗り出した。

 「なに? 興味持ってくれた? 人助けに決まってんじゃん。
何か悪いことでも企んでると思ったぁ? こう見えてもいい子なんだよ俺って。

 ほら…せっかく力持ってんだから有効に使わなきゃ宝の持ち腐れでしょ。
古村静香って女知ってる? 森美大の…。 そいつの紹介。 」

 城崎は疑いもせず情報提供者の名前をしゃべった。
その名前に聞き覚えは無かった。

 「知らないけど…。 人助けって老人ホーム巡りでもすんの? 
手品しながらいつまでもお元気で~とかやるわけ? 」

城崎の目が一瞬点になった。

 「そんなわけないでしょ。 行方不明者の捜索とかそういったことだよ。 
日本じゃ僕らみたいな能力者を正式に捜査とかには使わないけどさ。

 僕らが実績を上げていけば何れは公のものとして成り立つはずでしょ。
そうすればもう息を潜めるようにして生きなくたって堂々と出て行けるじゃん。」

 城崎の声が熱っぽく語った。
透は危険だと感じた。紫峰も藤宮もこの青年に関わるべきではないと思った。

 修は事あるごとに透たちに世間に正体を晒すことの危険性を説いてきた。
紫峰や藤宮が千年以上もの間無事に生き延びてこられたのは、その徹底した危険回避のための思想教育の賜物だ。

 いま末端の若者たちからその思想が崩れ始め、城崎のような若者の軽い意見に同調するものが出始めている。

透は宗主の責任としてこれを何としても食い止めねばならぬと改めて決意した。

 「悪いけどさ。 僕らそんなすごい力持ってないから。
そういうのって何とかスペシャルってテレビ番組のやらせじゃないの?
僕も時々見るけどさぁ…信じてないし…。 ごめんね! 」

城崎ににっこりと微笑みかけると透は教授の方を見て講義に集中した。

 「まあ…気が変わったら連絡してよ。 」

城崎は残念そうに自分の連絡先を書いたメモを手渡した。



 西野は過去の一族の名簿に古村という家があるかどうか確認していた。
少なくとも現在の一族の中に古村姓を名乗る家は無い。
 末端までの家系をしらみつぶしに探したが、紫峰にも藤宮にもその名前は無かった。

 「伯母さん。 心当たりは無いですか? 」

紫峰家の生き字引とも言えるはるに西野は訊ねてみた。

 「古村ねえ…。 どこかで聞いたような…。
そうだわ…慶太郎…もう二十年以上も前に洋館の方で多喜さんと一緒に働いていた義三という人がいてね。
 この人が確か古村姓だったような気がするわ。
その時にもう結構な齢でね。 かなり前に亡くなったはずよ。 」

 はるは記憶を辿ってそれらしい名前を思い出してくれた。
西野は首を傾げた。

 「でも伯母さん…。 この古村静香という子が孫かなんかだとしても、今の紫峰家については知りようがありませんよねえ。 
なのに…五人組とか…。」

 「五人組…? それは透さまたちのことではないと思いますよ。
慶太郎…もし紫峰の者が透さまたちのことを組と言うなら三人組でしょう。
悟さまたちは藤宮の方ですもの。

 待って…確か当時は庭と母屋、洋館、離れ屋、車両の番人の長を五人組と呼んでいたわね。
そのことと勘違いしたのではないかしら…。 」

 そうか…と西野は納得した。城崎は話を誤解して聞いているんだ。過去のことと現在のこととを混同しているに違いない。
 
 西野の報告を受けた修はこの件については動かない方がいいと判断した。
動けばかえって情報を正当化するようなものだ。監視だけは怠るなと釘を刺した。
 
 西野は配下の者を使って城崎の現在の仲間を調べさせた。
もともとのふたりの能力者の他に数人の仲間が増えていた。
 何れもフリーの能力者のようだったが、彼らが紫峰の末端や藤宮の末端にも声をかけ始めていることが明らかになった。

 人助けの謳い文句が若い正義感を刺激するのだろう。
年配層の忠告を無視して、或いは保守的なものに対する反感から城崎の仲間になる者も出てこないとも限らなかった。

 西野はこの予想が現実にならなければいいと秘かに願っていたが、現実はすぐそこまで近づいてきていた。 




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最後の夢(第二話 超能力者募集します。)

2005-09-25 23:43:32 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 昨年一足先に大学へ入学した悟がまた仲間に加わって五人組が復活したものの、それぞれ大学や学部が異なるために高校時代のようにはそれほど頻繁に集まらなくなっていた。
 それでも始めのうちは時々黒田のオフィスで情報交換などをしていたが、紫峰の三人もアルバイトを始めたり、それぞれにデートの相手や遊び友達が出来たりで、次第に三人の間でさえも時間の合わないことが多くなり、黒田もとうとうこのオフィスを元の執務室に戻すことにした。
 子どもたちが無事成長した証ではあるが、黒田はこの部屋を潤していた若々しく賑やかな声が聞かれなくなったことに一抹の寂しさを感じていた。
 
 

 その青年に出会ったのは透がたまたま雅人たちとの待ち合わせで大学構内のブロンズ像の前にいた時のことだった。

 髪を亜麻色に染めて短めにカットし、ところどころ栗イガみたいに尖らせたその青年は、透の前に来ると突然手のひらを上に向けて差し出し光を放出させて見せた。

周りに人気がなかったとはいえ、紫峰の者なら考えられない大胆な行動だった。

 「俺…城崎…城崎瀾。 きみ…俺らの仲間にならない? 」

城崎は透に親しげに話かけながら近づいてきた。

 「すごいね。 きみ手品師? 」

透はわざと驚いたように言った。

 「とぼけないでくれる。 分かってるくせに。 」

 城崎はさらに近づいてもう一度手を開いて見せた。
炎が渦巻いて透の方へ向かってきた。透は反射的に手をかざして眼を護った。

 「おお…すげえ! どうやんのそのマジック。 」

城崎の背後に雅人たち四人が姿を現した。

 「うそ…五人もいるじゃん。 きみたちもう組んでるわけ? 」

城崎は虚を衝かれたように一歩退いた。

 「組んでるわけじゃなくて僕らはみんな親族。 で…何だっけ? 」

透は城崎に訊いた。 

 「親族…?  そうなんだ…きみは何処かの一族の人なんだ。
じゃあ…無理だろうな…。 
いいよ。 邪魔して悪かった…。 忘れて…。 」

 城崎はあっさりと引き下がった。どうやらフリーの能力者を探していたらしい。
去っていく城崎の後姿を見つめながら透たちは何かしら不安なものを感じていた。

 透たちの話を聞いた修はすぐに西野を調査に行かせた。城崎瀾という青年の身辺調査は思ったより簡単だった。

 この青年の実家も結構名のある一族らしく、できるだけ表立った行動を避けているようだった。
 青年はこれを不服として大学入学と同時に一人暮らしを始め、一緒に活動できる仲間を探しているらしい。

 現在、青年を含めて三人で動いている。
目立った力を持つのは城崎だけで、あとのふたりはたいしたことはない。
 城崎の目的が何かは分からないが、出来るだけ多くの仲間を集めようとしていることだけは確かである。

 紫峰と藤宮の若者には即日、危険なので彼らの口車に乗って仲間に引き込まれないようにとの警告が出された。
 いつの時代もそうであるように警告を無視する若者が必ずひとりやふたりは出てくるわけで、長老衆も世話人も神経を尖らせていた。

 
 
 バス停でいつものバスを待っていた雅人は急に気分が悪くなった。
講義が終わって大学から少し離れた場所にあるバイト先に直行し、今日に限ってやたら忙しく働いたのは覚えているが、だからと言ってこんなに急にふらふらしてくるなど何の原因も思い浮かばなかった。

ベンチも無いので仕方なくその場で座り込んでいた。
少し休めば何とかなるかも…そんなふうに考えた。
 
 「大丈夫かい? 雅人くん。 」

 聞き慣れた声が背後から聞こえてきた。
振り向くと史朗が買い物袋を片手に立っていた。
史朗のマンションが近くにあったのを思い出した。

 「僕んちにおいでよ。 すぐそこだから。 ちょっと休んでいきな。
後で送ってってあげるよ。 」

 史朗は雅人の大きな身体を支えてくれて、自分のマンションへと連れて行ってくれた。
 カーペットの上で伸びてしまった雅人に肌掛けを掛けてくれた。

 「ごめんね。 史朗さん。 」

雅人がそう言うと史朗は笑って体温計を渡してくれた。

 「ちょっと測ってご覧よ。 」

雅人は言われるとおりに熱を測ったが微熱程度で、ふらふらするようなものではなかった。

 「ああ…多分脱水だね。 今日はわりと蒸し暑かったしね。
きっと長時間何にも飲まずにバイトしてたりしたんだろ?
前にさ…僕もそれで倒れたことがあるんだ。 」

 言われてみれば今日は朝から妙にガタガタしていたので、昼にパンを食べながら缶コーヒーを飲んだだけで、他に水分らしい水分を取っていなかった。

 史朗が500mlペットのスポーツドリンクを持ってきてくれた。
雅人は一気にそれを飲み干したあと、また寝転がっていた。

 史朗は枕元に別のペットボトルを用意しておいてくれた。
部屋の向こうで史朗が着替えているのが見えた。

 「ねえ。 史朗さん。 聞いていいかな? 」

少し気分の良くなってきた雅人は史朗に離しかけた。

 「いいけど…なに?  怖い話? 」

笑いながら史朗は言った。
 
 「史朗さん…修さんとは…もう…? 」

少し間があってから史朗はまた笑った。

 「気になるの…? だろうね…。 少し前にね…そんなようなことがあった。 
ゲームみたいなものだね…あの人にとっては。
きみは…?」

 「僕は…入学してから…。 僕から迫った…というか…襲った。 」

史朗は声を上げて笑った。

 「きみに襲われたんじゃ逃げられないね。 」

雅人はまたペットボトルを開けた。治癒能力のある雅人はさすがに回復が早い。

 「でも…修さんが本当に触れたいのは笙子さんだけだもの。
僕の場合は気持ちを受け入れてもらったってだけの話。 それで十分だけどね。
僕にも彼女がいるしさ…。 」

史朗はふ~んと頷いた。そして妙に真剣な顔で雅人に訊いた。

 「雅人くん…彼女いるんだ…? まあ僕も笙子さんの愛人ではあるけれど…。
あのさ…僕は修さん以外に同性を好きになったことはないけどきみは…? 」

 「ないよ…でも修さんで目覚めちゃったとしたらこれからはわかんないよなあ。
もともとバイセクだったのかもね。 」

雅人は二本目をからにした。

 「何か食べられそう? うどんくらいなら作ってあげるよ。 」

 史朗がそう言うと雅人は素直にこっくりと頷いた。
くすくす笑いながら史朗はキッチンへ向かった。

 手際の良い包丁の音が聞こえて、やがて葱やかつお節のいい匂いがした。
意外とまめな人なんだ…と雅人は思った。

 史朗がうどんを煮あげる頃には雅人も起き上がれるようになった。
すると急に腹の虫が騒ぎ出したので史朗はまた声を上げて笑った。

 ふたりでうどんを啜りながら修のことをあれこれ話した。
突然同性ふたりに迫られた時の修のものすごく戸惑った顔を思い出して笑った。
それでも逃げること無くはぐらかす事も無く真面目に考え、長い時間をかけてふたりの想いを受け入れてくれた。
 
 「あの人のことは修さんも絶対受け入れないだろうけど…。 」

雅人がぼそっと呟くように言った。

 「あの人って…鈴さんのことかい? 」

 史朗もそのことは聞いていた。修でなくても頭にくる話だった。
笙子のことを馬鹿にしているとしか思えない。

 「鈴さん自身は本当にいい人なんだよ。 修さんに惚れてんのは確かだし…。
でも長老衆がついてちゃ絶対手をださない。
 
 最近修さん…滅茶苦茶機嫌が悪いんだ。 
厄介な問題が起きている時に長老衆がそんな時代錯誤なことをするもんだから。」

 さもあらん…と史朗は思った。ジェネレーションの問題はいつの時代、何処の場所にも存在するとはいえ、紫峰や藤宮の世代間の意識の相違は大き過ぎる。
今でなくともいつかは何かの形で噴出するだろう。

 両世代を背負っている宗主修の気苦労を思うと察して余りあるが、同族でない自分は何の手助けもしてあげられない。

史朗にはそれがもどかしくて仕方が無かった。




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最後の夢(第一話 長老衆の謀)

2005-09-25 00:20:02 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 修が最初の子を失ったのは透たち四人組が目的の大学に合格した頃だった。
笙子が身籠ったと分かった時の修の喜びようを知っているだけに、その落胆の大きさが思いやられて透たちの胸もきりきりと痛んだ。

 冬樹が亡くなった時もそうだったが修はそういう感情を努めて表に出さないようにする性格なのでかえって周りが気を使ってしまう。
心配をかけまいとするその心根が修を知る人たちにとっては切なかった。
 
 史朗のことがあるから笙子の御腹の子が自分の子であるという確証は何処にもなかったが、修はそんなことにはお構いなしのようだった。

 すでに史朗との間でどちらの子であっても協力して育てる相談ができていたし、
笙子の生む子ならたとえ全然知らない相手の子でも受け入れるつもりでいた。
そうでなければ笙子の際限ない遊びを黙認する意味が無い。

それなのに修はその手に子を抱くことすら出来なかった。

 それでも笙子の悲しみに比べれば自分などはまだましな方だと思った。
厳しい長の修練の中で自分の身体が自分のものとは思えなくなっていた笙子も、身籠って初めてそれを確信できたのだ。
 そのことも修は心から嬉しかったのに、子を失ったことで笙子はまた自己不信に陥ってしまった。

 史朗にとってもそれはつらい出来事だった。家族と呼べる者のいない史朗にとってその子はやっと手に入るはずの本物の家族だったのに…。

 そんなこんなで合格の喜びに湧くはずだった今年の春も何となく寂しく始まってしまった。
 勿論、修は可愛い子どもたちの合格を喜び盛大に祝ってくれたけれども、透たちも何となく手放しでは喜べなかった。



 紫峰の奥座敷では長老一左と宗主修を前に西野がなにやら深刻な話をしていた。
穏やかな修にしてはいつになく声を荒げて西野を叱っているようにも見えた。
西野が平身低頭詫びているところを見ると何か失敗をやらかしたらしい。

 「これはいまや紫峰だけの問題ではない。 藤宮でも頭を痛めていることだ。
些細なことだからといって報告を怠ってもらっては困る。 」

修は西野にそう注意した。

 「申しわけございませんでした。 以後心致します。 」

西野は心底詫びていた。

 「宗主よ。 事態はそんなに深刻なのかね。 」

考えられんとでも言いたげな不快な表情を浮かべて一左が訊いた。

 「ええ…。 このところ特に若い連中の間でおおっぴらに力を誇示するものがでてきているのです。
まあそんなに力のある連中ではないので例のスプーン曲げ程度のことですが…。」

 修は溜息混じりにそう答えた。

 特殊能力が手品やサーカスのように扱われ、娯楽番組などにそうした能力を持つといわれる者たちが登場するようになってから久しいが、紫峰や藤宮では力の存在を知られることの無いように力を使った外部との接触を厳しく取り締まってきたはずだった。
 
 極力外部の者の前での力の使用を避け、やむを得ず使う場合には必ず相手からその記憶を消去するように指導されていた。
 その紫峰や藤宮にあって遊び半分に能力を見せびらかすものが出てきたということは両一族の存続上極めて由々しき問題であり早急に対処すべき課題でもあった。

 今のところそういう連中はかなり遠い縁戚に過ぎないため、直接、紫峰や藤宮の名前が出ることはまず無いが、近い親族にその影響が波及しないとも限らない。

 「取り敢えずは長老衆と世話人衆に通達を出す。 
直系傍系を問わず末端までの監督指導と取締りを早急に強化するように。 」

 西野は一礼すると早速に宗主通達の手配に向かった。
西野と入れ違いに襖の向こうから鈴(れい)の声がした。
  
 「御大…お団子買って参りましたけど召し上がりますか? 」

 「おお。 悪かったね。 頂くよ。 」

襖が開いて盆を持った鈴が現れた。

 「遅うなりまして。 用事に手間取ったものですから。 」

 鈴は一左の前に座ると団子の皿をそっと一左の前に置いた後で、急須を傾けて二つの湯飲みにお茶を注いだ。

黒田の姪にあたるこの女性は笙子より少し年下で、二十歳の時に結婚したが不幸にしてすぐに未亡人となってしまった。

 去年の秋に遊びに出た一左が転んで足を痛めたときに、介護を頼んだのがきっかけでそれ以来一左の用人みたいなことをしてもらっている。

 明るくて面倒見がよく、おっとりした女性でどこか雅人の母せつを思わせるようなところがあった。

 「宗主。 新しいお召し物の生地見本が届いております。
後でご覧になってくださいな。 」

鈴は一左の前に湯飲みを置いた後、修にも湯飲みを渡した。  
  
 「生地見本? 頼んだ覚えはないが…? 」

修は訝しげに言った。鈴はにこっと笑って答えた。

 「お召し物にしみがありましたので洗濯させたんですけどおちませんでしたの。はるさんに訊いたら新調した方がいいと言うので取り寄せました。 」

修は少しむっとした態度で答えた。

 「しみのついた服って…きみが僕の部屋に入ってみつけたのかい?
僕のことは衣服にせよ何にせよ笙子かはるに任せてあるのだけどね。 」

機嫌を損ねた修の様子に鈴はおろおろしながら謝った。

 「ごめんなさい。洗濯物を置きに行きました時に見つけたもので…つい。」

 修は答えず無言のままその場を後にした。
背後で詫びる鈴の姿には眼もくれなかった。

 不愉快だった。
鈴がこの家に来たのは一左の介護のためだったが、実はもうひとつ訳があった。

 笙子の行状が一向に修まらないことを叔父貴彦を始め、一左や次郎左、笙子の両親さえもが苦にしていた。
 そこでもともと藤宮一族の中でも最高位にある笙子の正妻としての地位は不動のものとして、修には内妻をという計画が長老たちの間で秘かに進められていた。

 一左の介護に託けて選ばれたのが家柄と人柄の良い黒田の姪だったのだ。
修が気に入ればよし、気に入らなければまた別の女性を選ぶということで…。
黒田が内々にそのことを伝えてくれたお蔭で修もその計画を知ることが出来た。

 江戸時代じゃあるまいし…修はひどく憤慨していた。
紫峰一族としてはどうしても修の血を引く後継者が必要だった。
透や雅人の子でも悪くは無いが血統としては、やはり修が最も正当な嫡流である。
修はすでに次期宗主を透に後見を雅人に決めている。
だから本家当主には是非とも修自身の子をというのが長老衆の言い分だった。

 鈴はよほど長老衆にきつく言い含められてきたらしく、ことあるごとにあれこれと修の世話を焼こうとする。

 長老衆が背後にいるという裏を知らなければ、鈴という子は本当に心根のいい娘だから修としても何を任せてもいいのだが、手放しにそういう気にはなれない。
つい警戒してしまう。
  
 長老衆の考え方自体が時代錯誤も甚だしいのだが、紫峰も藤宮もおそろしく長い歴史をもつ旧家なだけにそれを異常なことだとは誰も思わないのだろう。
 
 多分笙子もこのことには気が付いているだろう。
笙子のことだから、それもいいんじゃない…と笑って済ませるだろうが、子どもを亡くした後だけに修としては気が重かった。

 頭の痛い問題が起きている時に傍で無神経にもいらぬお節介を焼かないでくれ。
修は心で呟いた。

 実際、今の紫峰にはさまざまな面で時代にそぐわない考え方が多く存在したし、また、若い世代には重要なことをあまりにも軽く考える風潮が見受けられた。

 それは紫峰や藤宮に限ったことではなく、今までほとんど係わり合いをもたずにきた別の一族にもまた同じような問題が起こっていた。

 それは同じような秘密を持つ一族が何処でも共通に抱えている問題だったのだろうけれど…。





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三番目の夢(第二十四話  最終回-生きていけるさ-)

2005-09-23 22:09:02 | 夢の中のお話 『彷徨える魂』
 食卓の上の笙子の伝言を読んだ時、修は初めてほっとした。
笙子はいつものように友達と遊びまわっている。
笙子にはいらぬ心配をされたくないから遊びに行ってくれている方が有難い。

いつものように…が今の修をどれほど安気にさせてくれることか…。
修と史朗の分と思われる大量のサンドイッチなどが大皿に盛られてあった。

 死霊と修たちの特殊能力に関する記憶を消した後、唐島を眠らせて彼の自宅のベッドまで運んだ。
 帰り際にさすがに力尽きたか史朗がのびてしまったので、そのまま史朗を連れて帰ってきた。
 子どもたちのことは黒田が何とでもしてくれる。今頃、受験勉強何処吹く風とカラオケに勤しんでいるかもしれない。

 氷水を入れた水差しを持ってベッドに寝かせた史朗の様子を見に戻ると、まだそれほど眠ってもいないのに史朗が眼を覚ました。疲れすぎて眠りが浅いせいかぼーっとしている。

  「がんばったね。 史朗ちゃん…。 素晴らしい祭祀だったよ。 」

その言葉を聞くと史朗は嬉しそうに微笑んだ。

 「でも…まだまだです。 途中…彰久さんに助けてもらっちゃったから…。 」

そう言って身体を起こそうとしたがふらついて起き上がれなかった。

 「無理に起きなくていいよ。  」

修は史朗の額に手を当てた。その後で自分の額を当ててみた。

 「熱は無いね…。 何か食べる? 笙子がサンドイッチを作ってくれたけど。」

史朗は首を振った。

 「いまは…食べられません。 その水もらっていいですか? 」

 史朗はサイドテーブルの上の水差しを指差した。
修はコップに水を注ぐと史朗に渡し、飲みやすいように史朗を抱き起こしてやった。よほど喉が渇いていたのか史朗は一気に飲んでしまった。

 考えてみればあの長い祭祀の間中、史朗は文言を唱えっぱなしで、しかも一滴の水も口にしていない。喉が渇かないはずがない。
ぐったりしているのは脱水によるものかもしれないと修は思った。

 「もっと飲める? スポーツドリンクの方が脱水には効くけど…。 
取ってきてあげようか? 」

 「水がいいです。 ご免なさい…ご面倒をおかけして…。 」

 修はまた冷たい水を注いでやった。今度は少しゆっくりと飲み干した。
史朗は生き返ったような顔をした。

 「倒れるまで我慢させちゃったんだね。 ごめん。 」

 「いいえ…何か飲むくらい自分でどうにかすべきだったんです。
子どもじゃないんですから…。 ちょっとうっかりしていて…。」

 うっかりじゃない…修には分かっていた。
仕事の時は別として普段の史朗は我慢強く遠慮がちである。
 祭祀が終わった時にはもう相当つらかっただろうに、みんなが急いで唐島を運び出しているあの状態では、ひとりだけ何か飲みたいとは言えなかったんだろう。
可哀想なことをしたと修は思った。

 「お邪魔だったかしら…? 」

修の後ろに笙子が現れた。

 「笙子どうしたの? 今夜はえらく早いご帰還じゃないか? 」

修は意外そうな顔をした。今日のうちに戻ってくるなんて雨が降るぞ…。

 「早いってもう結構なお時間ですけど…。 史朗ちゃんどうかしたの? 」
 
 「それがさ。 三度やったらのびちゃって…。 」

笙子はまじまじと修を見た。

 「三度ってそれはちょっとやりすぎでしょ。 相手を考えなさいよ。 」

 「え~? 何の話だよ? 」

修は首を傾げた。史朗が真っ赤になった。

 「違います…笙子さん。 祭祀の話です…祭祀。 
修さん…お願いですから言葉をはしょらないでくださいよ…。 」

史朗は勘弁してよ…とでも言いたげな声を上げた。

 「ごめん。 悪かった。 つい…な。 」

そう言いながら修はまたコップに水を注いで史朗に渡した。

 「冗談よ。 史朗ちゃんたらほんとすぐに赤くなって可愛いわ。 」

 そうやってからかってばかり…史朗は溜息をついた。
コップを返すと笙子は水差しを持って部屋を出て行った。

 「さあ…少し眠った方がいいよ。 」

 修に言われて史朗はまた布団の中に潜り込んだ。 
すぐに眠気が襲ってきてうとうとし始めた史朗の耳に修の声が聞こえた。

 暑くないかな…そう言いながら肌掛けを掛けなおし、まるで母親のように史朗の額にキスをしてお休みと囁いた。
子ども扱いしないで…と呟いたつもりだったが修には聞こえなかった。



 月曜日。理事長輝郷の機嫌は頗るよかった。
教師不足に陥った原因はすべて取り除かれ、今年は早々に辞める先生も無く、一度は体調を崩した唐島も入院前より元気になってまるで何年もこの学校で仕事をしてきたかのように周りに馴染みだした。

 河原先生からも二年ぶりに直接の連絡があり、リハビリが終わり次第高等部に復帰してもらうことにした。
 当分は体調も考慮して他の先生の補助をしてもらうが、来年度からは現場復帰という予定で人事の計画を立てている。

 これで当初の計画どおり、受験塾の拡充を実行に移せるぞ…集まってきた寄付金の集計に眼を通しながら輝郷はこみあげてくる笑いを隠せなかった。



 さっぱりと晴れ上がった空を仰ぎながら四人は屋上でのんびり寛いでいた。
四人の間でポテトチップスのケースが行ったり来たりしていた。

 「そんじゃさ…先生の記憶は全部消しちゃったわけじゃないんだ? 」

晃は10枚ほど重ねたチップスに歯を立てながら言った。

 「そっ! 生霊・死霊の記憶と僕らの力に関係する記憶だけ。 
あと…親父と史朗さんのことね。 

 だから…あの時修さんは僕らのことで理事長室に呼び出しを喰らったことになっているんだ。」

透が答えた。

 「それじゃあ先生もあんなに嘆くことなっかったのにね。 」

パリパリッと景気のいい音を立てながら隆平はチップスを噛んだ。

 「さっさと諦めりゃいいのに…。 
まあ…お人よしの修さんのことだから友達程度には関係を回復させちゃう可能性はあるけどさ。 」

雅人はお手上げ…と言わんばかりに肩をすくめた。

 「どう考えても恋愛は成り立たな…」

話の途中で突然、出入り口の扉が開いて唐島が現れた。

 「そこの四人組。 こんなところで何をしてるんだ? 」

唐島は訝しげな顔でに近付いて来た。

やっば~…晃が慌ててポテトのケースを背中にまわした。

 「今隠したものを見せてご覧。 藤宮。 」

 晃は仕方なくポテトチップスのケースを差し出した。
また父兄呼び出しか~…他の三人も内心焦った。

 「ふむ。 この学校は確か菓子の持ち込みは禁止だったよな。
だが…カラのケースを利用する分には文句のつけようはない。

 提出期限は明日。 忘れたら国語の期末テストマイナス10点。 」

 そう言って唐島は晃にケースを返すと出入り口の方へ戻っていった。

何を言ってるんだ…?と四人は思った。晃がケースを覗いた。

 「おわ! 何かはいってる。 げげっ! いつのまに…。 」

晃はケースの中に入っていた数枚のプリントを取り出した。

 「国語のワーク…宿題だぜ…これ。 」 

 四人は顔を見合わせた。
唐島のにやっと笑った顔が眼に浮かぶようだった。



 宇佐から電話で河原先生が復帰したと伝えてきたのは、新学期に入ってからのことだった。

 この夏に受験塾もリニューアルし、透たちも本腰入れての受験勉強を開始した。
その頃から先生は補助として復帰を果たし、時々、代理授業で教壇にも立つようになったらしい。

 宇佐はまるで自分のことのように喜んでいた。

 洋館の居間の文机に頬杖をつきながら修はほっと溜息をついた。
子どもたちの話では河原先生は唐島と親子のように仲がよく、国語と数学なんてぜったい気の合いそうにもないふたりが、よく一緒にいるところを見かけるという。
 
 お互いにどこかで支えあっているんだろうな…と修は思った。
唐島に対して激しい怒りをぶつけてしまったことは悔やまれるが、そのせいかこの頃唐島への抵抗感が心持薄れてきたような気がする。
少しは話を聞いてやってもいいかなと思い始めている。

 忘れることなんて出来そうにないがいつまでもそこに留まってはいられない。
今までだってそう考えて前向きに生きてきたんだから。
唐島に再会したことで止まってしまった時計のねじを巻きなおそう。

昨日のことを思うより、明日のことを考えていこう。 

12歳の僕に別れを告げて、これからの僕に会いに行こう。

何があるかなんて誰にも分かりゃしないけれど、何があったって生きていけるさ。

いまの僕はひとりじゃない。

そう…ひとりじゃないんだから…。




三番目の夢 完了

最後の夢へ














三番目の夢(第二十三話 君が好き!)

2005-09-22 16:45:25 | 夢の中のお話 『彷徨える魂』
 『醒』の目的とするところは、幽体離脱によって抜け殻となった身体にその魂を引き戻し、本物の死が訪れるまで魂が身体から離れることのないように固定することにある。

 『覚』は例えば長年離脱を繰り返しているために身体が自分の魂を持て余しているような場合、一気に固定することはせず、徐々に安定させていく方法である。

 河原先生の場合、身体的には何処にも異常がなく、魂を持て余している様子も見られなかったことから史朗は一気に固定する方法を選んだ。
巧く先生の魂が身体に収まってくれれば祭祀は成功といえる。

 「少しだけいいかね? 」

先生は文言を唱えようとする史朗を止めて言った。

 「どうぞ先生。 」

史朗は笑って頷いた。

 「こんな形で皆さんにお会いすることはもう無いとは思うが…本当に有難う。 
心から感謝します。

 多分皆さんは坂下くんの魂を救ってくれたのだろうし、私の復帰の手助けをしてくださっているのだと思う。 

 今お礼を言っておかないと…次にお会いする時にはきっと皆さんを覚えてはいないだろうからね。 」

 先生はにこにこと笑いながらその場の皆を見回した。
皆も微笑を以ってそれに答えた。

 史朗は文言を唱え始め、先生は小さく手を振りながら小さく薄くなっていった。
白い美しい光の玉となって先生は白い空間の中の先生の身体へと戻っていった。

 鬼面川の麗雅な所作と文言はその後もしばらく続き、白い空間の中で先生の身体が目覚めたところですべてが消えた。
『醒』の終わりが告げられ、御礼奏上の文言とともに史朗は祭祀を終えた。 



 史朗はまた大きく深呼吸をした。

 「これで…すべての祭祀を終えました…。 黒田さんご協力感謝いたします。」

黒田に顔を向けながら史朗は軽く一礼した。さすがに疲れた様子が見て取れた。

 「何の…史朗ちゃんこそお疲れさま。 」

黒田は笑顔で答えた。

 修がゆっくりと立ち上がった。
史朗は笙子の言葉を思い出して一瞬ドキッとした。
雅人と黒田を交互に見るとふたりとも何もするなというように首を横に振った。

 唐島と向かい合ったところで修は唐島を見下ろした。
唐島ははっとしたように修の顔を見上げた。 

 「さてと…遼くん。 後はきみの始末だけ…。 
きみは僕らの力を見てしまったからね。 このままというわけにはいかない。 」

修の口元が笑みに歪んだ。唐島は驚きに目を見開いて修を見た。

 「きみの記憶を少しだけ操作させてもらうよ。 
もう…この幽霊騒ぎを二度と思い出さずに済むようにね。 」

何かもの言いたげに唐島の唇が震えた。

 「怖がらなくていいよ。 痛みも何もありゃしないんだから…。 」

 安心させるように修は言った。
唐島は否定するように首を横に振った。

 「違う…怖いんじゃない。 悲しいだけだ…。

 この二ヶ月ほど…僕はとても幸せだったんだ…。
きみに逢えて…言葉交わして…助けてももらった…。
きみと逢えなくなってからの10何年の中で一番幸せだった…。

 その記憶を消されてしまうのが堪らないだけだ…。 」

 「う~ん。 そう言われてもねえ。 これは僕の務めだから…。 」

修はそう言いながら頭を掻いた。子どもたち合図した。
四人は四方から唐島を呪縛した。
唐島は身体が固定されたことに気付いた。

 「動かないでね…といっても動けないだろうけど…。
明日からはすっきりした気持ちで仕事ができるよ。 あ…休みだっけか?
ま…どっちでもいいや。 」

修の手が唐島に触れようとした瞬間、唐島は身体を捩って叫んだ。

 「消さないで! きみの記憶だけは…お願いだから…!
嫌われようと憎まれようと…きみが好きだ!  」

 その言葉に修がフリーズした。修の中でやり場のない怒りが渦巻きだした。
まずい…と誰もが思った。唐島のやつ…要らん挑発をするな…。
史朗も、史朗を止めたはずの黒田もいつでも飛び出せるように立ち上がった。

 「汚らわしい! 僕をこれ以上その想いで穢さないでくれ! 」

修は唐島に対して修らしくない酷い言葉を浴びせかけた。

 「消して欲しいのは僕の方だ。 この身体からきみを消してくれ!
無垢なままの12歳の僕に戻してくれ! 

 きみがこの心から消えない限り僕は…愛することを躊躇ってしまう。
愛されることを拒んでしまう。 

…誰も幸せにしてあげられない…。 」

 笙子…笙子…僕を抑えて…殺してしまう…殺してしまうよ。
自分の中で渦巻く炎が外に溢れ出ないよう修は必死で堪えた。

 誰かがそっと両側から修を抱きしめた。
笙子の代わりに史朗と雅人が修の身体を支えていた。
修はほっと息をついた。

 「大丈夫…平気…暴れたりしないから。 馬鹿なこと口走った。 
宗主ともあろう者が…情けない。
済まない…遼くん。 汚らわしいなんて本気じゃないよ。 」

 唐島はもう何も言わなかった。
だめなんだ。どうしても分かってもらえないんだ。
修くんにとっては僕はただの犯罪者…。

 「僕を本当に好きでいてくれるならね。いまのままのきみで生きていってよ。
僕のためでなく…きみ自身のために。 きみが幸せになってくれればいい。
きみが本当はどんなに優しい人だったか…僕が知っている。

 心配してくれなくても…僕は幸せだから…。
僕には僕を愛してくれている妻がいるし、血は繋がっていないけれども黒田って親爺や子どもたちがいるし、友達も…それにほら…こんなに僕を慕ってくれている人がいる…。 」

 修は史朗と雅人の腕に自分の手を重ねた。
親爺かよ…兄貴ぐらいにしとけ…と黒田は思った。

 唐島は無言で頷いた。どんなに優しい人だったか…と修は言ってくれた。

少なくとも修はそういう唐島の姿も覚えていてくれたのだ。

嬉しさがこみあげてきた。

その言葉の記憶もすぐに消えてしまうのだろう。

唐島は眼を閉じた。 
次に眼を開いた時…どんな記憶の自分になっているのだろうと思いながら…。



 
次回へ

三番目の夢(第二十二話 おいでよ…)

2005-09-21 23:16:20 | 夢の中のお話 『彷徨える魂』
 藤宮の奥儀『生』は紫峰の『滅』と対を成す奥儀といっていい。
藤宮では当主は男性でも女性でもかまわないが長には女性を選ぶ。
 奥儀の中の『代胎』を始め、いくつかの業が身体的機能上女性にしか出来ないからである。
 但し、当主とその補佐は『生』の中の男性にも可能な業は身につけることになっているし、それとはまた別の奥儀を学ばねばならない。

 修が使った力は男性でも可能な業のひとつで闇の危険に対し生命の輝きを以って対抗するものである。

 その他に類するような簡単な業ならともかく、奥儀は本来『家』に付随するものだから、藤宮の奥儀を紫峰が使うなどということは考えられないことであるし能力的にも修得不可能に近い。

 それを完全ではないまでも修が使った或いは使えたのは、長年に亘る紫峰と藤宮の特殊な姻戚関係によって純血種といわれる修の中にも藤宮の血だけは混在するからだ。
 藤宮と紫峰は繰り返される同族間の婚姻による遺伝的弊害を回避するために時折お互いに新しい血を取り入れてきた。いわばその結果である。



 鬼籍に入ってしまった者が藤宮の『生』に触れることはドラキュラが陽光に触れるようなもので耐え難いものだ。
唐島の生命の光に触れてしまった坂下は苦しみ悶えた。

史朗はいくつかの文言とともに坂下に触れその苦しみを和らげた。

 「その光にさえ耐えられぬようではとても命あるものの身体に住まうことなどできまい。
 この上は人としてあるべき道をとることが肝要かと思うが…? 」

 「くそくらえだ! 」

坂下は強気で抵抗を続けた。

 「先生…あんなことを言っていますが…。 」

黒田は河原先生の方を見た。先生は悲しそうに首を振った。

 「他人の身体に入り込んでもきみがきみの人生をやり直すことにはならんよ。
その人の人生の中に埋没してしまうだけだ。

 坂下という男の人生はすでに終わってしまったのだから…。 
きみがきみ自身の手でで終止符をうってしまったのだから…。」

坂下は耳を塞いだ。頑なに光への道を拒む。 
 
 「自分の思い描いた通りの人生など何処の誰が手に入れられる…?」

唐島がまた口を開いた。

 「失望したらまた同じことを繰り返すのか…? 
教師のきみがそんな姿を子どもたちに見せられるのか…? 」

 子どもたち…坂下はその言葉を繰り返した。
捨ててきてしまった…。何も言わずに…。お別れもせずに…。
何を思っただろう…。突然いなくなった先生…自殺してしまった先生…。
 
 史朗はもう何も問うことをせず、ただ坂下の自問自答に任せた。

 唐島はまた自分自身にも問うてみた。
修に信じてもらうために一生懸命いい教師であろうと努力をした。

 だけど本当は決してそれだけのために努力してきたわけじゃない。
子どもたちが好きで…この仕事が好きだ…。
そういう自分自身のためでもあった。

 勿論、理想を追えば現実に潰されるのは分かっている。
ずるい考えかもしれないが、理想は高く掲げながらもそれに向かってできうる限りの力を尽くせばそれでよく、必ずしも理想に届かずともへこまず、焦らず、諦めず、一歩ずつ…そんな歩き方をしてきた。

 思えば…そういう生き方は病弱で生きることさえ儘ならなかった姉に教わったのだ。唐島は今更ながらに姉の存在を有難いと思った。 



 長い沈黙の後に史朗は再び祭祀を始めた。
坂下はもはや邪魔をすることもなくただ項垂れてそこにいた。

 闇の中の無数の星。鬼面川の御大親の光はいつもと違う光景を坂下に見せた。
光の中から先に逝った魂たちが手を差し伸べ、幸福そうな笑みを浮かべて坂下を呼んでいる。
 
 先生…おいでよ…一緒に行こう…行こう…。  

 自殺した魂は救われぬと誰かが言っていた。
そうかもしれない。自分を殺すという罪を犯したのだから…。

 向こうの世界にはそれを償うための罰が待っているのかもしれない。
それは耐えられないほどの苦痛なのだろうか…?
だったら…あの子たちを支えてやらなければ…その責めに耐えられるように…。

 坂下は一歩足を踏み出した。
眩い光が坂下の実体のない影のような身体を包み込み、坂下を待つ若者の魂たちのもとへと引き寄せた。 

 坂下は一度だけ振り返り、尊敬する恩師の河原ではなく唐島を見た。
唐島が頷くと軽く微笑んでみせ、後は光の中に吸い込まれていった。

 光は次第に薄くなって消えていき、辺りはまた静寂を取り戻した。
史朗は『導』の終わりと御大親への感謝の文言を述べ祭祀を終えた。



 ふーっと大きく溜息をつくと史朗はその場にへたり込んだ。
へたり込んでいる場合じゃないとは分かっていたが一息つきたかった。

 「透…雅人もうそこに腰を下ろしてもいいよ。 隆平…晃おまえたちも…。 
これから先はおまえたちに危険はないから。 」

 修は子どもたちに声をかけた。

 「先生…やっぱり復帰なさるべきですよ。 
先生のお身体が良くなるように今から祭主にまじないをしてもらいますから。」

黒田は教え子の死を悼んでいる先生を元気づけるように言った。

 「あの子を救えなかった私に…その資格があるだろうかね…。 」

先生は哀しい溜息をついた。

 「資格なんてものはね先生。 最初からないもんだと思っときゃいいんですよ。
まっさらな気持ちでね。 これからの子どもたちを育んでやってくださいよ。 」

そう言って黒田は笑った。

 「黒田さん…先生のいまの体調が分かりますか?
常駐に耐えられそうですか? 」

史朗がそう訊いたので黒田は先生の身体の方を透視し始めた。

 「内臓に問題はない。 脳の方も大丈夫。 いたって元気だよ。 」

 「有難う…。 では…やはり『醒』でいこう。 」

 史朗は居住まいを正し大きく深呼吸した。その場に再び緊張が走った。

 鬼面川の天と地と御大親への祭祀の許しを得る文言が三たび唱えられ、三度目の祭祀が始まった。

 祭祀は一度でも全精力を使い果たすほどの大仕事である。
予定では二度で終わるはずだったのが三度目に突入して史朗の疲れも相当なものであろうに、その所作にも文言にも一部の隙もなかった。

 両の腕が柔らかく宙を舞う。彰久の切れ味の良さとはまた異なった趣がある。
所作と文言に没頭する時のこのふたりの醸し出す独特の雰囲気が修には堪らなく魅力的に感じられる。

 修が史朗の所作と文言に陶然とした眼差しを向けているのを雅人は複雑な思いで見ていたが、唐島もまたなぜか胸を締め付けられるような気持ちになっていた。

 やがて新しい空間がその場に開けてきたが、今までの祭祀のような闇と光の空間ではなく静かな白い部屋のようだった。
 
そこには河原先生の身体が居てぼんやりと宙を仰いでいた。

河原先生の生霊はそれを見ると可笑しそうに声を上げて笑った。

 「何とまあ腑抜けた顔をして…。 こんな姿を人さまに晒していたのかね。 」

やれやれというように生霊は首を振った。

 「さあ…先生。 戻りましょうね。 あなたの在るべき場所に…。 」

そう言うと史朗はなにやら今までとは感じの異なる文言を唱え始めた。

先生は特に何をどうすることもなくただみんなに優しい笑顔を向けていた。





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三番目の夢(第二十一話 差し上げましょう…)

2005-09-20 23:48:20 | 夢の中のお話 『彷徨える魂』
 祭祀が中断されたためにせっかく現れかけていた大宇宙が消え始めていた。
史朗は何とか体勢を立て直そうともがくが、死霊たちの妨害にあって思うに任せない。
 このままでは祭祀は完全に失敗に終わり、史朗自身も無事では済まない。
いや…自分のことよりも呼び出したこの霊たちがみんなにどれほどの災いを及ぼすか…。

 その時、唐島の座っている方から意外な言葉が聞こえてきた。
確かに…それは鬼面川の文言のように思える。隆平の声かと思ったが隆平は扉のところにいる。隆平自身も驚いたような顔をそちらに向けていた。

 史朗は目を疑った。
いつの間に移動したのか唐島のすぐ脇のところで修が不思議な動きをしている。
それは史朗にとっては見慣れた動きなのだが、修がそれを行うことは先ず不可能、ありえないと言っていいものだった。

 修の手は正確に鬼面川の所作を…それも熟練した動きを見せている。
唇からは紛れもなく鬼面川の文言が唱えられ途切れることなく続いている。

 やがて失われつつあった空間は姿を取り戻し始めた。
あまりのことに史朗は死霊に抗うのも忘れて茫然と修を見つめていたが、修の所作に見覚えがあることに気付いた。

 「彰久さん…彰久さんだ…。 」

 その力強く切れ味の鋭い所作の運びはまさしく彰久独特のもの。  
いま彰久は修の中にいて祭祀の中継ぎをしてくれている。

 史朗は急ぎ死霊たちを身体の回りから追い払うと、再び『導』を再開した。

 やがて再び御大親の光が差し始め、今度は死霊たちも惑わされることなく本物の光の方へと向かっていった。

 史朗が体勢を立て直すと彰久は安心したように修の中から出て行った。
史朗は心から彰久に感謝した。

  「先生…。 どうです。 その男なんかは…」

黒田はあの若い男を指差した。

 「おや…あの子は…坂下くんじゃないかね? 」

先生はびっくりしたような表情を浮かべて黒田の方を見た。

 「坂下くんというのは自殺なさった方ですよね? 」

黒田が訊くと先生は悲しげな顔をして頷いた。

 「そうなんだよ。いい子だったんだ。優しくて真面目で…努力家で。」

 「坂下くんと話をしてみますか? 」

 先生は勿論というように再び頷いた。
黒田は、彰久の助けでようやく『導』を終えた史朗に先生の意向を伝えた。

 史朗は先ずその坂下と言う男に問いかけた。

 「汝に問う。執拗に唐島を追い、憑依せんとするは何故か? 」

 「この男が教師だからだ。 俺はもう一度教壇に立つ。 
俺の理想とする教育を行うために…。 それには身体が必要なのだ。 」

男は青白い顔を史朗に向けて答えた。

 「汝はすでに自ら命を捨てた身ではないか? 
この世に執着するあまり他人に乗り移ろうとするのはあまりに身勝手。
決して許されることではない。 」

史朗の言葉に坂下は哄笑した。

 「おまえの知ったことか! 俺は俺のしたいようにするだけのことだ。 」

 「坂下くん…。 」

河原先生が声を掛けた。坂下は驚いたように声のする方を見た。

 「なぜ…だね? なぜ…死を選ぶ前に会いに来てくれなかったのかね? 」

先生はいかにも残念そうに言った。

 「きみが亡くなったと聞いて私は本当に自分の無力さを呪ったよ。
何ひとつしてあげられないままきみは旅立ってしまった。

 せめて話しだけでも聞かせて欲しかった。
きみの悩みや苦しみや何も分からないままで…。 

 私だけじゃないよ…きみの家族や友達たちもみんなそうだ。
なぜ…なぜ…なぜ…?
答えのない問いかけをそうやって一生繰り返していかなければならない。
突然消えてしまったきみを心の重荷としてずっと背負っていかなければならない。

きみはきみを知る人に悲しみだけじゃなく苦しみを遺して逝ってしまったんだ。」

坂下は返す言葉を失っていた。

 「ひとりで大変だったね…つらかったね…苦しかったね…。
本当はそう言ってあげたいよ。
そう言ってきみを抱きしめてあげたいけれど…。

 それはきっとお母さんやお父さんがなさることだろう…。

だから私はきみを叱ってあげるしかない…。」

河原先生はそれだけ言うと大きく溜息をついた。

 「もう…帰っては来られない…。
逝ってしまった以上はどんなに後悔をしても戻ることなど出来ないんだよ…。 」

坂下は嫌だというように首を横に振った。

 

 河原先生と坂下の話を唐島は身につまされる思いで聞いていた。
もはや唐島には恐怖心のかけらもなく、さんざん不思議なものを見たにもかかわらず、それを不思議と感じることもなくなっていた。

 ぼんやりと手首に残る幾筋もの傷跡をぼんやり眺めた。
死んでしまっていたら…修をよけいに苦しめることになっていたのだろうか…。
それとも…。

 「僕は逃げるのをやめた…。 」

唐島は呟くように言った。

 「恋焦がれた上の過ちを償うために死のうと…何度も何度も…自殺を図った。
だけど…それは償いじゃない…自分がつらいから逃げただけだと知った。

 僕がいい加減な生き方をすれば…いい加減な気持ちでの過ちだと思われる。
だから…必死で生きてきた。 」

坂下が唐島を見た。唐島も怖れることもなく坂下を見た。

 「あなたはきっと真面目で本当に一生懸命な人だったんだろう。
苦しくて…どうしようもなくなってつい人生から逃げてしまったのだろう。

 今それを後悔してもう一度やり直したいと思っている。
だから僕の身体が必要だと…。 」

 その場の人の目がすべて自分に注がれていることなど唐島にとってはもうどうでもよかった。修の存在でさえも気にならなかった。

 「僕の身体を手に入れることであなたが本当に人生を全うできるなら…どうぞ差し上げましょう…。

 けれどそれは…あなたがまた人生から逃げることに他ならない。
いま教師としてあなたが本当になすべきことは、あなたとともに自殺したあの若い人たちの霊を正しい方向へ導くことだ…。

 そう…僕は思うのだけれど…。 」

唐島の言葉を受けて坂下は唐島に近付いてきた。

 「きれいごとは沢山だ! そのお蔭でどれほど痛い目に合ってきたか。
いい教師になろうとした。 理想を追い続けた。 だけど現実に砕かれた。
おまえはいい教師だといわれている。 
でもそれは罪を覆い隠すための仮面に過ぎないじゃないか! 」

 昨日までの唐島なら坂下が近づくだけでも震え上がったに違いない。
いまは微動だにしなかった。 

 「仮面を被ってでも僕は生きる。 僕に与えられた命を全うする。
もう許しを乞うこともしない。 許されるはずもない。
僕のために傷ついたその心が癒されぬ限り…。

 ただ生きて生きて生きてその人のために僕が出来るすべてを捧げていく。
だから逃げない。 決して逃げないと決めたんだ。  」
 
唐島は坂下を堂々と直視した。

 「どんな大口叩こうとも俺が乗り移れば俺の意のままさ。 」

 坂下は引きつったような笑みを浮かべると唐島に襲い掛かった。
唐島は覚悟を決めたように目を閉じた。

 坂下が唐島の身体に触れるその一瞬に唐島の身体からとてつもない生命の光が溢れ出した。

 霊体である坂下に耐えられようはずもなく坂下は悲鳴を上げた。

晃は驚きのあまり声を発した。

 「藤宮の…奥儀『生』…まさか…。 」

隆平が訊いた。

 「きみがやってるの?」

 「やってたらこんなに驚かないよ。 」

晃は夢か…と思った。  
 
透が雅人に囁いた。

 「笙子さんか…? 」

 「いいや…藤宮の奥儀ってくらいだもの…笙子さんならこの程度じゃすまないでしょう。 」

雅人はほら…とばかりに修の方を顎で示した。

修は透たちを見てにやっと笑った。

まったく…何処が傍観なんだか…雅人は呆れたように天を仰いだ。 





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三番目の夢(第二十話 祭祀の危機)

2005-09-19 23:44:05 | 夢の中のお話 『彷徨える魂』
 まったく梅雨というのはどうしてこう鬱陶しいんだろう。
雨雨雨…の毎日で息苦しいほどだ。
少し冷え気味な時はともかく、ねっとりと蒸し暑い日は気分も滅入りがちになる。
 史朗は肌にへばりつくようなシャツの感触を厭うように一番上のボタンをはずした。


 理事長室の扉はすでに開いていた。
雅人が史朗の到着を待っていた。史朗の姿を見ると僅かに頭を下げた。

 「早いね…雅人くん。 」

史朗は雅人に声を掛けた。

 「史朗さんが不安がっているだろうと思ってさ…。 」

雅人は生意気そうな目を向けた。

 「僕が…? 」

史朗は首を傾げた。雅人はにやっと笑った。

 「笙子さんがなんと言ったかは知らないけど…止めなくても大丈夫だよ。
黒ちゃんも同じ見解…。 
 
 修さんはいつまでも高校生じゃないんだ。
笙子さんの頭の中にはずっと子どものままの修さんが住んでいて成長していない。

 寝込みを襲うとかさ…そういう突発的なことじゃない限り、もう…自力で抑制できるはずだ…。 」

 史朗は驚いてまじまじと雅人の顔を見た。
笙子が史朗に語ったことを雅人はすでに察知していて黒田の意見まで訊いている。
しかも、笙子の欠点までちゃんと見抜いていた。

 「雅人くん…きみ本当に高校生? 洞察力の鋭さに感心するよ。
あ…これは皮肉じゃないよ。 言っとくけど。 」

そう言われると何となく雅人の表情が翳った。

 「皆が思ってるほど…僕は子どもじゃないんだ…。 
透たちの前じゃ同じ年の僕しか見せてないけど…ちょっとだけ先を走ってる。
…修さんは全部知ってるよ。 
 
 僕のことなんかどうでもいいんだよ。
とにかく万が一修さんが発作を起こしてもそれほど問題ないから心配しないで。
それだけ…。 」

雅人はまだ時間があるから暇潰してくる…と理事長室を出て行った。

 史朗は何となく雅人のことが分かってきたような気がした。史朗も早くに両親をなくして苦労したけれど、他所にできた子と言われながら育ってきた雅人にもいろいろ大変なことがあったに違いない。
 
 単に背伸びをしているだけなのではでなく、本当に大人の世界を覗いてしまった経験があるのかもしれない。見なくても済んだかもしれないものを…。
 
 理事長室の中で方角の確認などをしながら史朗はそんなことを考えた。



 夕べ憑依される恐怖をさんざんに味わったせいか唐島は少しやつれた様子で理事長室に現れた。これから起こる事に対する恐怖心がないわけではなかろうが、わりと平静を保っている。その表情からは覚悟めいたものさえ感じられた。

 理事長室の周辺は人気もなく静まり返っていた。
極秘会議中なので出来るだけ近付かないようにと警備員たちも命令を受けていた。

 入り口の扉が閉じられた。計画では扉の外に雅人と透、内に隆平と晃という配置になっていたが、意外に窓が大きく外部の者の覗きや進入を防ぐために雅人と透の持ち場は窓の内側に変更された。

窓という窓は閉じられてカーテンが引かれた。 

 先ず唐島を中央に座らせてから史朗と黒田が唐島と向き合うようにふたり並んで座った。史朗が唐島に対して祭祀をしている間に注意すべきことなどを簡単に説明した。唐島はひとつひとつを確認するように頷いた。

 鬼面川の祭祀が先に始まり史朗が天と地と鬼面川の御大親に祭祀をおこなう許しを得る文言を唱え出した。
 
 史朗が滞りなく御大親の許可を得ると、今度は黒田が河原先生とのコンタクトを始めた。

 修はその一部始終を史朗と黒田の後ろで見ていた。

 黒田は事前に病院へ行き、本人の確認のため河原先生を見舞ってきた。
本来なら必要ないことかもしれないが、一左の時に何回もコンタクトを取っていたとはいえ、半分以上は一左からのコンタクトを受けたもので、自分の力に不安があったために万全を期したのだ。

 その成果があってか、やがて唐島の背後に先生は姿を現した。
にこやかに笑いながら皆に向かって挨拶をした。

 「どなたかが私を呼んでくださったようだね。 今日は何の集まりかな? 」

黒田は先生に語りかけた。

 「ようこそ。 先生。 今日は先生のお話を伺いたくてお招きしたのです。
最近、お身体の調子はいかがですか? そろそろ復帰されてはいかがですか? 」

黒田は先ずなんでもない会話を始めた。

 「有難う。身体の調子は頗るいいようだが、なかなか退院許可がおりなくてね。戻りたいのはやまやまなんだが…。 」

先生はそう言って少し残念そうな顔をした。

 「先生は時々学校へ来られて唐島先生とお話をなさっているようですが…。 
以前にも他の先生とお話を…? 」

 「そうだねえ。 新しい先生がひとりで悩んでおられたりするとついつい話を聞きたくなってしまってね。 何をしてあげられるわけでもないが…少しは楽になってもらえるかと…お節介だねえ。 」

先生は声を上げて笑った。

 「ここへはどなたかとご一緒に…? 」

黒田は河原先生が死霊たちの存在を知っているかどうかを確認した。

 「いいや…いつもひとりだよ。 」

先生がそう言うと黒田は史朗と顔を見合わせた。

 「先生。 これからここに呼ぶ人たちの中にご存知の方がいましたら教えてください。 」

黒田が河原先生にそう頼むと先生はにこやかに頷いた。

 四人組は一斉に鬼面川流の障壁を自分の周りに張り巡らせた。

 河原先生に憑依している霊を呼び出すために史朗は招霊の文言を唱え始めた。
辺りに異様な霊気が漂い始め、先生の時にはあまり感じられなかった重苦しい空気が流れ始めた。

 河原先生の身体からひとつまたひとつ、ぼんやりとした影のようなものが抜け出てきた。それらは次第に人の形をとり始めついには、はっきりとした数人の若者の姿となった。
 
 史朗は再び彼らが河原先生の中に入ってしまわないように先生との間を障壁で封鎖した。

 彼らは唐島を見つけると唐島の方へ引き寄せられるように近付いた。
唐島の顔が恐怖に引きつった。
 彼らはまるでこの部屋には唐島ひとりしかいないと思ってでもいるかのように、執拗に唐島の周りをうろついた。   
声を上げそうになるのを唐島は必死で堪えていた。

 史朗は死霊の中にあの主犯格の若い男がいないのに気付いた。
隆平もそれに気付いて修のほうを伺った。修は分かったというように頷いた。
 
 「…御大親の御名において汝等に問う。 
汝等は相計って服毒自殺を遂げた者の霊に相違ないか? 」

 史朗は徘徊する死霊たちに向かって問いかけた。
死霊たちは無言で頷いた。

 「また問う。 河原なる教師にとり付き病を招いたのは何故か? 」

 『カワハラ…ニ…スクイ…モトメタ…ガ…』

 それから何度も史朗が確認したところによると、死霊たちは彼等を率いるあの若い男に従って河原という教師を頼ったが、残念なことに河原には彼等を感知できるだけの霊能力がなく、何人もの死霊に縋られたために体調を崩して倒れたらしい。

 しかし、教職を天職とする河原先生は学校への復帰を切に願っていた。気持ちが焦るあまり先生の魂は独り歩きを始め、かってに学校へ出入りするようになった。そのために先生の生霊が媒介となってこれらの死霊たちが学校へ運ばれてくるようになってしまった。

 自殺した彼らは逝くべき場所を失い、あてもなく彷徨うかその場にとどまるかしか身の処し方が見つからないでいたのだ。

 河原先生が親切心から新任の先生たちの悩みを聞いているうちに、彼らは逝き場所或いは戻る場所を求めてそれらの先生たちにとりつこうとした。

 当然、それらの死霊を見た先生たちは恐怖でパニック状態に陥り学校を辞めて逃げ出した。死霊の見えなかった先生たちは体調を崩して辞めざるを得ない状態に追い込まれた。

黒田は待機している河原先生にそっと訊ねた。

 「どうですか? 先生…。 ご存知の方がいますか? 」

 「いいや…。みな初めて会った人ばかりだね…。 」

先生はそう答えた。

 史朗はあの男はいないが、取り敢えずここにいる霊たちだけでも先に逝くべき所へ案内してやった方がいいのではないかと考えた。

 鬼面川の奥儀『救』を使うほどのことでもないのでその中の『導』だけを使うことにした。

 史朗が『導』所作と文言を始めると死霊たちは一斉に史朗の前に集まってきた。どうやら史朗が自分たちを救ってくれると感じ取ったらしい。

 その両の手の舞うが如き美しい所作と流麗な文言にその場の誰もが魅入られた。
何も分からない唐島でさえもその動きに見とれた。

 修はその見事なまでに完成された所作のひとつひとつを心から満足げに味わい尽くしていた。彰久の祭祀の美しさもたとえようのないものだが、史朗の祭祀にはまた別の趣があってその魅力は筆舌に尽くし難い。

 史朗の周辺に別の空間が現れ始めた。
上もなく下もなく、まるで大宇宙の中に身を置いているような不思議な感覚が皆を捕らえた。やがて空間には迷える魂を導く眩くも尊い光が…。

 死霊たちは我先にとその光を目指した。

 ところが突如、彼等は向きを変え、無防備な史朗の身体に襲いかかった。
祭祀の最中に誰かに触れられることは祭祀の失敗と命の危険を招く。

 史朗は一瞬気が遠くなった。

目の前に自分を見下ろす冷たい視線があった。

あの若い男がいつの間にか史朗のすぐ傍に立っていた。

 男は勝ち誇った笑みを浮かべ、他の死霊たちを操ってさらに史朗に攻撃を加えようとした。

 皆は戸惑った。
鬼面川の祭祀の最中に他家の者が動いてはならないのが常識で、助けようにも助けられないのだ。

隆平は修の指示を仰ごうとした。
自分なら同族だ。

さっきまで修が座っていたところに顔を向けると
そこにはすでに修の姿は無かった…。





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