かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠 28(韓国)

2013年09月14日 | 短歌1首鑑賞

 ◆今回から、レポーターが佐々木実之さんに代わります。昨年の3月に佐々木さんは亡くなられ
  ましたが、ご遺族から掲載の許可を頂いています。

                           【白馬江】『南島』(1991年刊)P78

日本書紀では白村江(はくすきのえ)。天智二年秋八月、日本出兵して
    ここに大敗したことを太平洋戦争のさなか歴史の時間に教
         へた教師があつた。その記憶が鮮明に甦つてきた。


263 敗れたる百済のをみな身投げんと出でし切崖(きりぎし)の一歩また二歩

(レポート)2011年1月
 前回261参照。660年(白村江の戦いの4年前)、新羅・唐の連合軍に敗れた百済の宮女は、
白馬江の崖から身を投げた。その数三千。その身を投げた様を落花に例え、身を投げた岩を落花岩と後世呼ぶ。
 (出典未詳)
 実際に戦ったのは男であるが、男が敗れると必然的に女も敗れることになる。女は戦いにおいて受け身の立場とならざるを得ない。その宮女に唯一主体的な選択として残されているのが「死」であり、その選択を「一歩また二歩」と決断していく切迫感が伝わってくる。
 261では「宮女三千」、268では「女ら」となっているが、この歌では「をみな」はひとりであるところにひとりの決断に絞り込んだ効果がある。
 また、一連の詞書からも分かるように太平洋戦争を根底に意識している。これにより「バンザイクリフ」「ひめゆり部隊」といったつい最近の出来事が想起され、千何百年も昔のこともリアリティを持って読者に迫る。(佐々木実之)


(記録)2011年1月
 ★「をみな」の語の選択がよい。「をみな」は若い女の意で、古くは美女のことをいった。この
  語によって、いっそうの哀切感が伝わる。261番歌について、身を投げたのは自己の意志だ
  ったかどうかと沖縄戦などの関連から疑問を呈したが、ひとりの「をみな」に絞った今回のレ
  ポートでは、死の選択に説得力があって、これはこれでおもしろいと思った。(鹿取未放)