■ポイント フランク王国が分裂し、現在のドイツ、フランス、イタリアの起源となったことを理解する。
Aフランク王国の分裂 フランク王国では、ゲルマン社会の伝統的な固有法である分割相続法が続いていた。
- a カール大帝 の死(814年)の後、次の2段階を経て、三つに分かれる。
- 843年 b ヴェルダン条約 ルートヴィヒ1世の死に伴いフランク王国を三分割。
┌ ルートヴィヒ c 東フランク → d ドイツ の起源。
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→ ┼ シャルル e 西フランク → f フランス の起源。
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└ ロタール g 中部フランク → h イタリア の起源。
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→ ┼ シャルル e 西フランク → f フランス の起源。
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└ ロタール g 中部フランク → h イタリア の起源。
- 870年 i メルセン条約 ロタールの死後、中部フランクの北部を東西フランクで分割。
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- フランス、ドイツ、イタリアの起源 地図 左b ヴェルダン条約 右i メルセン条約
A 西フランク王国 B 東フランク王国 C 中部フランク D ローマ教皇領
a アーヘン b パリ c ヴェルダン d メルセン e ラヴェンナ f ローマ
●西ヨーロッパ(フランク王国)
The Treaty of Verdun divides the Carolingian Empire in 843. The treaty of Meerssen divides Lotharingia in 870.
野心3分(ぶん) 名を決める。
843年 ヴェルダン条約 870年 メルセン条約
カール大帝により統一されたフランク王国も彼の孫の代になると、伝統の分割相続により3つに分解。843年、ヴェルダン条約で西フランク、アーヘンなどを含むロタール領(中部フランク・イタリア)、東フランクに分かれ、さらに870年のメルセン条約で中部フランクが再分割され、今日のドイツ、フランス、イタリアの原型ができあがった。
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