ベック式!難単語暗記法ブログ

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総合・各国史 ★★★ イランの歴史

2019-04-23 | 入試問題+ゴロ合わせ

 2006 早稲田大学・教育

【問】以下の文を読み,設問1,2に答えなさい。

 642年の( A )の戦いでアラブ人がササン朝ぺルシアを破り、イランのイスラーム化は始まった。(1)9世紀に入り、アッバース朝が弱体化し,地方政権が次々に自立し始める,イラン東部から中央アジアにかけてはイラン系の(2)サーマーン朝が,続いて,イラン西北部にはイラン系のブワイフ朝がおこった。ブワイフ朝は,(3)946年にバグダードに入城し,カリフからイスラーム法を施行する権限をあたえられた。11世紀前半には,トルコ系遊牧民が中央アジアからイラン高原に入り,セルジューク朝が成立した。その最盛期の宰相(4).ニザーム=アルムルクはイラン系であり,(5).

ニザーミーヤ学院を各地に開きスンナ派復興につとめた。(6).セルジューク朝の支配下では,イラン系の知識人が活躍した。  その後,モンゴルの(7)イル=ハン国などの支配を経た後,カスピ海南西岸からおこった(8).シーア派の神秘主義教団の長が1501年サフアヴィ一朝を開いた。この王朝は(9).シーア派を国教とし,(10).アッバース1世の時に最盛期をむかえた。サファヴィー朝は18世紀初頭,アフガン人に首都を占領されて滅びた。その後いくつかのトルコ系王朝の支配を経た後,イラン人の軍人( B )がクーデタでパフレヴィー朝を開き,1935年に国名をイランとした。

設問1
 空欄( A )・( B )に入る最も適切な語を記入しなさい。
設問2
 下線部(1)~(10)に関する問いについて,最も適切な解答をa~eの中から一つ選び,その記号をマークしなさい。
(1)
アッバース朝からこの時期自立したエジプトの王朝は次のどれか。

a.イドリース朝   b.サッファール朝  c.トウールーン朝   d.マムルーク朝
e.ムワッヒド朝

(2)
900年以後のサーマーン朝の都は次のどれか。

a.イスファハーン  b.カシュガル    c.カーブル      d.ニーシャープール
e.ブハラ

(3)
この時カリフから授かった称号は次のどれか。

a.イマーム     b.シャー      c.スルタン      d.大アミール
e.ハン


(4) 彼について述べた次の文のうち誤りを含むものはどれか。

a.イクター制を整備した。
b.イスマーイール派に暗殺された。
c.「イマームのモスク」を建てた。
d.『統治の書』を著した。
e.マリク=シャーに仕えた。

(5)
ここで教授をつとめたイラン系神学者は次のだれか。

a.ガザーリー    b.タバリー     c.フィルドゥシー   d.マンスール
e.ラシード=ア(ウ)ッティーン

(6)
セルジューク期のイラン系詩人オマル=ハイヤームの代表作は次のどれか。

a.『西東詩集』   b.『シャー=ナーメ』  c.『シヤクンタラー』  d.『千夜一夜物語』
e.『ルバイヤート』


(7)イル=ハン国に関して述べた次の文のうち誤りを含むものはどれか。

a.ガザン=ハンはイスラーム教を国教とした。
b.『集史』が編纂された。
c.タブリーズやスルターニーヤなどを都とした。
d.チンギス=ハンの末子フラグが建国者である。
e.『東方見聞録』によると,マルコ=ポーロが立ち寄った。


(8) この長は次のだれか。

a.イスマーイール1世   b.セリム1世    c.トゥグリル=ベク   d.ナーナク
e.バーブル

(9)
シーア派の一派イスマーイール派の政権は次のどれか。

a.アッバース朝     b.オスマン朝    c.サーマーン朝     d.ファーティマ朝
e.ムラービト朝

(10)
彼がポルトガルから取り戻した地は次のどれか。

a.アゼルバイジャン   b.アデン      c.シナイ半島      d.ディウ
e.ホルムズ島

 
 

解 答 

設問1 ニハーヴァンド レザー=ハーン
設問2 10

※別解: 設問1 A:ネハーヴァンド   B:レザー=シャー  

解 説: 

設問1 A .

642年 ニハーヴァンドの戦い:ヤズデギルド3世 ウマル率いるアラブ軍に敗れる (651年滅亡)。

 

無用になるや 惨い死さ。

 

642年 ウマル ヤズデギルド3世 二ハーヴァンドの戦い 651年 ササン朝ペルシア

 

B.1925年 パフレヴィ―朝の成立。

 

特に号令パーフェクト。

 

1925 レザーハーン イランパフレヴィ―朝

 

設問2
(1)8~9世紀、アッバース朝の衰退に乗じていくつかの地方政権が成立した。イランではb.サッファール朝、ついでサーマーン朝(トルキスタンを支配)が成立、エジプトではc.トゥールーン朝、モロッコではa.イドリース朝が成立した。d、eは時期が該当しない。

788年   イドリース1世、モロッコに初のシーア派王朝イドリース朝を建国。

名、幅利かし もろ挑む。

788年   シーア派 モロッコ  イドリース朝

867年    イラン系最初のイスラム王朝、サッファール朝成立。 

やろうなイラン サッファール。

867年イランサッファール朝

868年   アッバース朝のエジプト総督(アミール)イブン・トゥールーンが自立してトゥール―ン朝を建国(~905)。

やろうや暮れごろ 獲る餌食。

868年~905年 トゥールーン朝 エジプト

(2)
ブハラは現在ウズベキスタンにある古都。サーマーン朝の始祖サーマーンの墓がある。
(3)
遊牧系・イスラーム系の国家では各種称号が重要。aはシーア派における宗教上の最高指導者のこと。bはイランでの王の称号。サファヴィー朝で使用。なおムガル帝国でも用いられた。cはセルジューク朝にはじまり、後にイスラーム圏各地に広がった王の称号。オスマン王国のスルタンはカリフを兼ねた。d大アミールはブワイフ朝だが、アミールはアッバース朝時代から提督の意味で用いられていた。
(4)
c「イマームのモスク」はサファヴィー朝の都イスファハーンにアッバース1世が建造した大モスク。他はすべてニザーム=アルムルクに関することがらとして正しい。
(5)
dをのぞきいずれもイラン系神学者なので間違いやすい。aはニザーミーヤ学院教授の地位を投げ打って諸国を巡礼し、神秘主義信仰を理論化した。〈ザー〉を意識。bのタバリーは9~10世紀にアッバース朝時代のバグダードで活躍した歴史家。〈〉〈リーcはイランの民族詩人で『シャーナーメ(王の書)』を著した〈ウ〉〈シ〉。dはアッバース朝カリフでバグダードを建設した人物。eはイル=ハン国に仕え、モンゴル帝国の歴史である『集史』を著した。

(7) dのフラグはチンギス=ハンの末子トゥルイの子なので誤り。cスルターニーヤは用語集に頻度1で見えている。いかにも早稲田らしい、引っかけ問題。
ソルターニーイェ現代ペルシア語 سلطانيه Solṭānīye、前近代の近世ペルシア語・アラビア語ではスルターニーヤ Sulṭānīya )は、イルハン朝第8代君主オルジェイトゥの命によって建設された都市遺跡である。テヘランの北西240kmのザンジャーン州東部にあり、かつて14世紀には、フレグ・ウルスの都であった。ソルターニーヤ(スルターニーヤ)とはアラビア語で「スルターンに関わるもの」の意味し、このスルターンとはオルジェイトゥ(・スルターン・ムハンマド・フダーバンダ)のことであり、スルターンの御座所、すなわち首都ほどの意味になる。2005年ユネスコ世界遺産に登録された。

(9)ファーティマ朝〈イ〉〈マ〉。

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advertise

2019-04-22 | Weblog

advertiseˈædvɚtɪz)「広告する」※ vert は〈回る〉。ad は〈~に対して〉。〈~に目を向けさせる〉から。アドバルーンは広告のための風船。

動詞 他動詞

1

a

〈…を〉(売る目的で)広告する.

advertise a house (for sale) 売り家広告をする.

b

〔+目的語+in+()名詞〕〔…に〕〈…を〉広告する.

advertise a job in the newspapers 新聞求人広告を出す.

c

〔+目的語+as補語〕[advertise oneself で] 〈…だと〉自己宣伝する.

advertise oneself as an expert in economics 経済学専門家だと自己宣伝する.

d

〔+that〕〈…だと〉宣伝する.

advertise that a new medicine will go on sale 新薬発売される宣伝する.

2

〈…を〉知らせる; 〈魂胆などを〉(うっかり)示す.

The remark advertised his intentions. その発言彼の意図ばれた.

自動詞

1

広告する.

It pays to advertise. 広告ならない.

2

〔+for+()名詞〕〔…を求める広告を出す 《★受身》.

advertise for an accountant 会計士 1 人募集広告を出す.

【語源】

ラテン語…へ(注意を)向ける」の

 

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総合・各国史 ★★ フランス史-1 

2019-04-20 | 入試問題+ゴロ合わせ
2004 聖心女子大学・文(改)

【問】フランスについて述べた以下の文章を読んで問に答えなさい。

(A)フランスは古代にはガリアと呼ばれ、ローマの将軍( ア )の遠征がきっかけで地中海文明圏に組み入れられることになった。この将軍の残した遠征記は当時のこの地域の社会を知るための貰重な史料となっている。

(B)カール大帝の死後、その大帝国は(1).何度かの条約を経て分割された。そのうちの( イ )王国の領域がほぼ現在のフランスに相当する。987年には侵入した( ウ )人を撃退したパリ伯ユーグ=カペーが国王の位につき、カぺ一朝を開いた。国王の権力は、当初著しく弱体であったが、13世紀はじめにイギリス王ジョンと戦って当時イギリス領になっていたフランス西部を奪回した( エ )はさらに、(2).異端のカタリ派に対するアルビジョワ十字軍を派遣し、国王権力の強化に努力した王の一人である。カペー朝の断絶からヴァロワ朝に代わった際にイギリスとの(3).百年戦争が起こったが、それを乗り越えた後には王権の強化が進み、国王( オ )は神聖ローマ帝国のカール5世と対抗した。

(C)ブルボン家は、16世紀から17世紀にかけてあいついで発生した、貴族を中心とする内乱を克服することによって絶対王政を確立していった。同家最初の王( カ )は、(4).ナント勅令の発布によりユグノー戦争を終結させた。また太陽王と称されたルイ14世にしてもその幼時には、高等法院の周辺に結集した貴族たちによる( キ )に直面したのである。そのブルボン家を打倒することになるフランス革命が、貴族たちによる(5).三部会召集の要求から口火を切られたことは興味深い。

(D)ストラスブール(シュトラスブルク)を中心都市にもち、中世には神聖ローマ帝国に属していた( ク )地方は、近代に入るとフランスの侵入を受けその領有に帰した。さらに19世紀後半から20世紀にかけて(6).いくどか生じた独仏間の戦争における領土争奪の犠牲となった。現在このストラスブールには1993年に成立したEUの欧州議会が設けられている。

(E)世界最初の労働者政権であった( ケ )を弾圧したブルジョワ政権である(7).第3共和政は、不安定ながらフランス革命後の最長の政体となった。1935年にモスクワで開かれたコミンテルン大会は、ドイツ.イタリアなどのファシズム政権に対抗するため、各国に人民戦線の結成をよびかけた。フランスでは( コ )を首班とする(8).人民戦線内閣が誕生したが、1年余りで倒れた。

問1
(ア)~(コ)に適当な語句を入れなさい。
問2
下線部(1)~(8)について答えなさい。
(1)条約名のひとつを答えなさい。
(2)(a)アルビジョワ十字軍をきっかけにフランス王権はどの地域に勢力を拡げたか答えなさい。
 
(b)宗教における「異端」とは何か、説明しなさい。
(3)
この時、フランスの危機を救ったとされる女性の名を答えなさい。
(4)
内容を簡単に述べなさい。
(5)
(a)三部会を初めて召集した中世の国王はだれか。 
(b)その召集のさいの目的は何か答えなさい。
(6)1870年から71年にかけて戦われた戦争によって、この地域はどの国に帰属したか答えなさい。
(7)
この政体を揺るがした事件で、エミール=ゾラの『余は弾劾す』で有名な事件は何か。
(8)
この内閣の与党となった政党のうちひとつをあげなさい。
 

解 答 

問1

カエサル 西フランク ノルマン フィリップ2世 フランソワ1世
アンリ4世 フロンドの乱 アルザス パリ=コミューン ブルム

問2

(1) ヴェルダン条約      
(2) (a) 南フランス (b) 宗教教団の中で、正統とされる教義に対し異論を唱えること。
(3) ジャンヌ=ダルク (4) カルヴァン派の新教徒であるユグノーの信仰の自由を認めた。
(5) (a) フィリップ4世 (b)  聖職者に対する課税を各身分代表に承認させるため。
(6) ドイツ (7) ドレフュス事件  
(8) フランス社会党    

※別解: (1):メルセン条約    (8):共産党または急進社会党

解 説: 

フランスのカペー朝→ヴァロワ朝→ブルボン朝の三王朝ごとの重要な国王と事績を思い出そう。
設問1
(ア)カエルこんがり焚火で焦げる。

(ウ)

 987年 〈カペー朝の成立〉★★

Hugh Capet is crowned king of France, bringing a new dynasty to power.

急場(きゅうば)なら行く 壁に乗る。

987年 パリ     ユーグ=カペー  カペー朝 ノルマン人撃退

(オ)フランソ1世はヴァロ朝最盛期の王。神聖ローマ皇帝のカール5世とはイタリア戦争を戦った。また神聖ローマ帝国の背後にあるオスマン帝国からはカピチュレーションを認められた。宗教改革とルネサンスと同時代(フランソワ1世はダ=ヴィンチをフランスに招いたことも有名)の国王であった。

(キ)フロンドの乱はルイ14世がまだ幼く、宰相マザランが実権を握っていたときに起こった、貴族の反乱。それを抑えたブルボン王朝の権力が強まり、絶対王政の全盛期となる。

1648年 〈フロンドの乱(~53年)〉★

(ク).アルザスとロレーヌの帰属問題もどの時期にフランスとドイツのどちらに属することになるか、整理しておこう。「アルザ」「トラスブール」を尻取りにしてダメ押し!
設問2
(2)(a)南フランスの異端派カタリ派を制圧したアルビジョワ十字軍を派遣したのはフィリップ2世。次のルイ9世(聖王)がそれを完了させた。

アルビジョワ十字軍
13世紀、フランスのフィリップ2世、ルイ9世が南仏の異端派を鎮圧するために派遣した。
 1209年、フランス王国のフィリップ2世の時に始まった、南フランスのキリスト教異端派のひとつアルビジョワ派(カタリ派ともいう)を殲滅するための十字軍。ローマ教皇インノケンティウス3世の要請で始まり、北フランスの諸侯の多くが参加し、指揮官がシモン=ド=モンフォール(イギリスで国王に反旗を翻し議会の開設に貢献した同名の人物の父親)のもとで激しい攻撃が行われた。
 アルビジョワ派は20年にわたって抵抗を続けたが、ルイ9世の時の1229年にアルビジョワ十字軍の勝利に終わった。これによってフランス国内の異端は殲滅され、南フランスまでフランス王権が拡大され、フランスの統一が進んだ。その反面、トゥルバドゥール(吟遊詩人)などの南フランスの独自の文化も失われた。

(b)「異端」の説明では、その反対の「正統」を必ず入れること。正統と異端の関係はキリスト教で典型的に見られるが、仏教やイスラーム教にも同じような対立が見られる。
(4)
1598年の「ナントの勅令(王令)」はどうしてもはずせない事項。アンリ4世の事績として、フランスの宗教戦争であるユグノー戦争の経緯のなかで、シッカリと理解しておこう。また、ルイ14世の1685年に廃止されたことも必須事項。
(5)
(a)フィリップ4世で、アナニ事件や教皇のバビロン捕囚など、ローマ教皇ボニファティウス8世と争った国王。ローマ教皇との争いの原因が聖職者への課税策であった。
(6)
1870~71年の戦争とは普仏戦争のこと。この結果、アルザス・ロレーヌはドイツ領となった(1871年にプロイセンを中心としてドイツ帝国が成立)。尚この時、世界史上最初の労働者政権(ケ)パリ=コミューンが成立した。わずか数週間で鎮圧されたが重要事項である。
(7)
フランス革命以後のフランス史は政体の変化でまとめる。第三共和政は1870~1940年。ドレフュス事件は94年~99年。
(8)
フランスの人民戦線内閣は、1935年に社会党と共産党で成立。次いで急進社会党が参加した。首相となったレオン=ブルムは社会党の党首であった。

一組みゴーじゃ ブルム今日。

1935年人民戦線内閣社会党ブルム 共産党

 
解 説: ウ.987年 〈カペー朝の成立〉 
フランスのカペー朝→ヴァロワ朝→ブルボン朝の三王朝ごとの重要な国王と事績を思い出そう。
ベック式!ゴロ合わせ フランス
メロカロカペーヴァロワブル。
フランス カペー朝 ヴァロワ朝 ブルボン朝
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adventitious

2019-04-20 | 英検1級レベル難単語暗記法

adventitious  (`ædventíʃəs)「偶然の、偶発的な(a.) associated with something by chance and not an integral part」※〈到来する〉から。

形容詞

1

偶然の外来の.

2

【医学】 偶発的な.

an adventitious disease 偶発病 《後天性の病気》.

adventitiously 副詞

 

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総合・各国史 ★★ 東南アジア 前近代総合 

2019-04-07 | 入試問題+ゴロ合わせ
2011 龍谷大学

【問】次の文(1)・(2)を読み、下の問い(問1~問15)に答えなさい。

(1)インドシナ半島では. 1世紀項に、東南アジア最古とされる統一国家、扶南が①.メコン川下流域に建国された。その民族については、( 2 )ともマレー人とも言われている。扶南から真臘へ、そして9世紀に成立したアンコール朝へと③.カンボジアの歴史は続く。
 カンボジアは、豊かな水資源を利用して農業開拓をすすめ、河川の水運を活用した交易によって発展した。しかし13世紀頃より台頭してきたタイ人諸勢力により、アンコール朝は次第に圧迫され、1431年にアンコールの都を放棄してプノンペンに移すことになる。
 一方、インドシナ半島東部の⑤.ヴェトナムは、北に中国と隣接する位置関係から、中国の文化的な影響を大きく受けるとともに、⑥.中国に成立した各王朝からの支配をも受けた。しかし唐の衰亡とともに独立を果たし11世紀にはヴェトナム北部に李氏が⑦.大越国を建国した。その後、いくつかの王朝の興亡を経て、19世紀には( 8 )の保護国となり( 8 )領インドシナ連邦に組み込まれた。

問1.①について。メコン川の位置として正しいものを、次の中から一つ選びなさい。


① A   ② B   ③ C   ④ D   ⑤ E

問2 空欄( 2 )に入れるのに適当なものを、次の中から一つ選びなさい。
①チャム人  ②シャン人  ③モン人  ④シンハラ人  ⑤クメール人

問3 ③について。カンボジアの歴史に関する記述として誤っているものを、次の中から一つ選びなさい。
 ①
扶南の貿易港からローマ貨幣が出土した。
 ②
フエ(ユエ)は真臘の貿易港である。
 ③
真臘は唐に朝貢した。
 ④
アンコール朝は分裂した陸真臘と水真臘を統一した。

問4  ④について。以下の王朝の中でタイ人王朝として正しいものを、次の中から一つ選びなさい。
①チョーラ朝  ②コンバウン朝  ③クディリ朝  ④アユタヤ朝  ⑤トゥング一朝

問5 ⑤について。ヴェトナムにおける中国文化の影響に関する記述として正しいものを、次の中から一つ選びなさい。
 
① 両班という特権階級が形成された。
 
②.交鈔という紙幣が発行された。
 
③.字喃という文字が作られた。
 
④.ワヤンと呼ばれる影絵芝居が行なわれた。

問6 ⑥について。ヴェトナムと中国各王朝との関係に関する記述として誤っているものを、次の中から一つ選びなさい。
 
①.漢は南海郡を設置してヴェトナム全域を支配した。
 
②.唐はヴェトナムに安南都護府を設置した。

③.明の永楽帝はヴェトナム北部を併合した。
 
④.ヴェトナム最後の王朝である阮朝は清を宗主国とした。

問7 ⑦について。大越国の王朝に関する記述として誤っているものを、次の中から一つ選びなさい。
 
①.李朝(大越国)はサイゴンに都を置いた。

②.陳朝はモンゴル軍の侵略を退けた。
 
③.西山(タイソン)党の反乱によって黎朝がほろんだ。
 
④.玩朝は国号を越南とした。

問8 空欄( 8 )に入れるのに適当なものを、次ぎの中から一つ選びなさい。
①イギリス  ②オランダ  ③アメリカ  ④フランス  ⑤スペイン

(2)アンコール朝の歴代の王たちは、アンコール=トムや⑨.アンコール=ワットなどの壮大な石造りの建築物を次々と造営した。アンコール=ワットは、12世紀前半に( 10 )が造営したヒンドゥー教寺院であった。回廊の壁面はインド文学に題材をとった浮き彫りで飾られ、あるいは神と王を合体させた特別な神像も作られた。このように⑪.インド文化の影響を強く受けつつカンボジアの民族文化を開花させていった。

 しかし後にアンコール=ワットは仏教寺院へと改修された。16世紀末から17世紀前半にかけて、日本の貿易船が東南アジア各地に航行し、アンコール=ワットを訪れる日本人のいたことが記録に残されている。
 ところで、 8世紀にはイスラーム世界の成立にともなって、⑬.ムスリム商人がインド洋をわたり、マラツカ海峡をこえ、交易路を拡大して東南アジアや中国に進出してきた。また10世紀には宋の経済発展にともない海の道の交易が飛躍的に発展した。マラッカ海峡は、このようにインド洋と南シナ海をむすぶ海上交易の要衝となり、⑮.マラッカなどその海域周辺の諸国が交易の主導権をめぐり勢力を競った

問9
 ⑨について。アンコール=ワットはどれですか。正しいものを、次の中から一つ選びなさい。

① A   ② B   ③ C   ④ D   ⑤ E
問10
 空欄( 10 )に入れるのに適当なものを、次の中から一つ選びなさい。
①ラーマ4世 ②スールヤヴァルマン2世 ③ハルシャ=ヴァルダナ ④パーブル ⑤ティムール

問11 ⑪について。インド文化に関する記述として誤っているものを、次の中から一つ選びなさい。
 
①.ヒンドゥー教の神に破壊神としてのシヴァがいる。
 ②
クシャトリヤはバラモンより下位の階級である。
 ③
『マハーバーラタ』はサンスクリット語で書かれた叙事詩である。
 ④
『アヴェスター』はヒンドゥー教の聖典である。

問12 ⑫について。東南アジアの仏教に関する記述として正しいものを、次の中から一つ選ぴなさい。
 
①.ヴェトナムでは仏国寺が建てられた。

 ②
チャンパーではポタラ宮殿が建てられた。
 ③
パガンでは上座部の仏教寺院が建てられた。
 ④
ジャワ島ではプランバナン寺院群が建てられた。

問13 ⑬について。ムスリム商人に関する記述として誤っているものを、次の中から一つ選びなさい。

 ①.ジヤンク船という三角帆の帆船による交易を行なった。
 ②
奴隷をも交易品として扱った。
 ③
東南アジアのイスラーム化に貢献した。
 
カーリミー商人と呼ばれたムスリム商人の拠点はカイロにあった。

問14 ⑭について。以下の人物の中でマラッカ海峡を通らなかった人物として正しいものを、次の中から一つ選びなさい。

①.義浄  ②イブン=バットゥータ  ③マルコ=ポーロ  ④鄭和  ⑤マゼラン(マガリャンイス)

問15
 ⑮について。
(a)
マラッカと周辺諸国に関する記述として誤っているものを、次の中から一つ選びなさい。
 ①
シュリーヴイジャヤはスマトラ島のパレンパンを交易の拠点とした。
 ②
マラッカは明の支援をうけて国際貿易港として急成長した。
 ③
ヒンドゥー教国家のマタラムはマラッカと主導権を競った。
 ④
16世紀初めマラッカを占領したのはポルトガルである。

(b).ヨーロッパ勢力のマラッカ占領後、ムスリム商人を受け入れたスマトラ島北端のイスラーム教国を何といいますか。正しいものを、次の中から一つ選びなさい。

①アチェ ②ジョホール ③バンテン ④マラーター ⑤ヴィジャヤナガル
解 答 
10
11 12 13 14 15(a) 15(b)
解答不能

解 説

問1 C.チャオプラヤ川 E.イラワディ川  

問2.①チャム族Chàm)は、主にカンボジア及びベトナム中南部に居住する民族チャンパ族とも呼ばれる。

シャン族(シャンぞく、大タイ族)は、インドシナ半島に広がっているタイ系諸族の1つで、タイ国タイ人を構成する小タイ族(シャム人)などと同系の民族である。シャン 、タイ・ヤイ  、パイ・イ ともいわれ、中国人はこれを擺夷・白夷とも呼んでいる。一般にはミャンマーシャン州の平地に住んでいるシャン人をさしている。

なおシャンとはタイ族を呼ぶために外国が用いていたシャムの語がビルマ語風に訛ったものである。

モン族( - ぞく、Mon)は、東南アジアに住む民族の一つ。古くから東南アジアに居住しており、ハリプンチャイ王国を建てたことで有名で、後にミャンマーペグーに移り住んだのでペグー人とも言う。ラーマンあるいはタラインと呼ばれることもある。その後一部が中国雲南から南下してきたタイ族ビルマ族などと混血した。

シンハラ人Sinhalese)は、スリランカ民族シンハリ人とも呼ばれる。先住民のドラヴィダ人インド・アーリア人が混合した民族である。

問3 フエは中部ベトナムのチャンパ国に含まれている。

問4.チョーラ朝(Chola dynasty)は、9世紀から13世紀にかけて、南インドを支配したタミル系のヒンドゥー王朝(846年頃〜1279年)。首都はタンジャーヴールガンガイコンダチョーラプラム英語版
④タイ

ドヴァスコアユタ トンチャクリ。

タイ人の王朝は3つともタイのタがあることも意識!

②と⑤はミャンマー。

ピューパガペグー トゥンコンバ。

ピュー パガン朝 ペグー朝 トゥングー朝 コンバウン朝(アラウンパヤー朝) 


クディリ朝(クディリちょう)は、10世紀初頭まで続いた古マタラム王国以後、13世紀のシンガサリ朝以前にインドネシアジャワ島東部に繁栄していたヒンドゥー教を奉ずる古代王朝で、広義には、古マタラム王国のダクサ王の子孫とされるイサナ家のムプ=シンドク王がジャワ東部のスメル山とウィリス山の間のワトゥガル地方に本拠地を移してから、1222年にシンガサリ朝を建てたケン=アンロクによって滅ぼされるまでの時期区分をさし、狭義には、アイルランガ(エルランガ)王が自らの王国をジャンガラ王国とパンジャル王国に分割したうち、クディリに都したパンジャル王国をクディリ王国、クディリ朝と呼ぶ。

問5.10世紀初頭にジャワ島東部に成立したクディリ朝(928~1222年)の頃になると、インドの叙事詩『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』などを題材にした影絵芝居・ワヤン(ワヤン=クリット)《「ジャワ」の〈〉と尻取りにして、「ジャワ島」とつなげよう!》が行われるなど、島嶼部のヒンドゥー化が始まった。

928年、ジャワにクディリ朝おこる(~1222):影絵芝居(ワヤン)流行

国はジャワ島 クディリ朝。

928年 ジャワ ワヤン クディリ朝 

問6 ①漢の南海郡は中国の南部。

③.建文2年(1400年)、安南を支配していた陳氏(陳朝)が胡季犛に簒奪され(胡朝)、胡氏がさらに南方の占城(チャンパ王国)を攻撃した。占城の巴的吏が明に援軍を求めてきたため、ベトナム地方の安南に永楽4年(1406年)に遠征し、直轄領とした(1407年 - 1427年)。

問7 ①.大越国の都はハノイ。

1009年、李朝大越国の建国。

先駆李朝だ 幸運は。
1009年 李朝 大越 李公蘊 ハノイ

問9.Aはボロブドゥール遺跡。

問10 ①ラーマ4世チャクリー王朝の第4代のシャム国王②するやる2回アンコール。

問11 アヴェスターはゾロアスター教の経典。

問12 ①は新羅、②はチベット、④のプランバナンは古マタラム国がジャワ島中部に建設したヒンドゥー教の寺院群。

問13 ジャンクは中国船。
ムスリムダウン 中毒じゃ。
ムスリム商人=ダウ船 中国船=ジャンク船
 ▲清代(18世紀)のジャンク船

④カーリミー商人は、東方の物資をインド洋・紅海方面からエジプトにもたらしアレクサンドリアやカイロを拠点にイタリア商人と交易活動を行った。
カーリミー商人の「カ」でカイロ、「リ」。

●カーリミー商人

 愛守るかい?(かおり)見ぃ。

アイユーブ朝

アレクサンドリア

   マムルーク朝

             カイロ インド洋 

              カーリミー商人

                香辛料貿易

問14
マゼラン船団はマラッカ海峡を通過しているが、マゼラン自身はフィリピンで死んでいるので、これを正解としたかったのであろうが、彼は世界周航の前に、ポルトガルのアルブケルケの部下として東南アジアで活動しており、そのときマラッカ海峡を通過しているので、該当しない。他のすべてもこの海峡を通っているので、正解なしとなる。出題ミス。

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adulterate

2019-04-03 | 英検1級レベル難単語暗記法

adulterate  (ədˈʌltərèɪt)「混ぜ物をした」※※adulterate の語源はalt-〈他〉で、「混ぜ物をする」。真面目に加工、してられぬ。「ああだる、テレっと 混ぜ物す

動詞 他動詞

(混ぜ物をして)〈…の〉品質を落とす 〔with〕 (cf. dilute).

adulterate food with additives 添加物ぜて食べ物のを下げる.

―/ədˈʌltərət,‐trət/

形容詞

1

混ぜ物をした.

2

adulterous.

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