▲濃色の部分が両シチリア王国の領土
●イタリア(両シチリア王国)
Roger II of Sicily becomes King of Sicily.
ベック式!ゴロ合わせ
人々(ひとびと)去れば 領地有る。
1130年 パレルモ 両シチリア王国
ルッジェーロ2世
ノルマンディー公国から進出したノルマン人、ロベール=ギスカールは南イタリアに、ルッジェーロ1世はシチリアに公国を建てた。
1130年、ルッジェーロ2世は両方をあわせ両シチリア王国とした(「両シチリア」とは、シチリア王国とナポリ王国の2つの国を指す)。諸勢力の干渉も多く、政情は不安定であった。
都のパレルモを中心に、ノルマン、ビザンツ、イスラムの要素が混在する独自の文化が花開いた。
▼シチリア王国の繁栄。ノルマン人の王ルッジェーロ2世を描いたパレルモのマルトラーナ教会の壁画
両シチリア王国は1860年、イタリア統一運動(リソルジメント)の最終局面でガリバルディは千人隊をひきいてシチリア島に上陸し、最終的には南イタリアの両シチリア王国を征服した。
ガリバルディは占領地をサルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世に献上し、翌1861年にイタリア王国が成立した。
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