●江戸時代(天明3)
1783年〈司馬江漢、『不忍池図』〉★
Shiba Kōkan makes his first copperplate etching.
非難ヤーさん どうしばこ。
1783年 銅版画 『不忍池図』 司馬江漢
司馬江漢は浮世絵の鈴木春信に学んで錦絵の版下を描いた。次いで平賀源内と交わって遠近法・陰影法を取り入れた洋風画を描き、大槻玄沢らの協力を得て腐蝕銅版画技法を修得して1789年日本最初の銅版画を創始した。さらに西洋画法による風景画も描く。代表作に『不忍池図』がある。
高橋由一筆「司馬江漢」
[ポイント]
1.司馬江漢の代表作は、『不忍池図』。
[解説]
1.西洋画は、近世の初めに南蛮人がもたらしたのち途絶えていたが、蘭学の隆盛につれて油絵の具などとともに絵画の技法が長崎を通して伝えられ、18世紀後半に伝えられた西洋画では、司馬江漢(しばこうかん)(1747~1818)や亜欧堂田善(あおうどうでんぜん)(1748~1822)らが活躍した。
2.江漢は、江戸の町人の生まれ。はじめ狩野派、ついで浮世絵の鈴木春信、ついで平賀源内に学ぶ。腐蝕銅版画技法を修得して日本最初の銅版画を創始した。さらに西洋画法による、主に風景画も描く。
〈2016法大・文(哲史)営(営)人間:「
問6 下線部f歌川広重が制作した作品として正しいものを、以下のア~エのなかから一つ選べ。
ア『富嶽三十六景』 イ『不忍池図』
ウ『十便十宜図』 エ『名所江戸百景』」
(答:エ)〉
〈2015関西大・済文社会2/1実施〉
(E)幕末期、長崎通詞のひとりである(9)【ア)本木昌造 イ)高橋景保 ウ)亜欧堂田善】は鉛活宇を試作し、その後、鋳造鉛活字を完成させた。」
(答:ア)〉
〈2014立大・文:「
問3.これ町人文化に関する記述として正しいのはどれか。次のa~dから1つ選べ。
a.伊藤若沖は、尾形光琳の装飾性に写実性をくわえた画風をうみだした
b.小田野直武は、日本初の腐食銅版画を創製した
c.平賀源内は、文人画と呼ばれる画風を大成した
d.松村月渓は、錦絵と呼ばれる多色刷の画法を完成させた」
(答:a ※b×小田野直武→司馬江漢、c×文人画→西洋画、d×松村月溪→鈴木春信)
〈2013法大・法国際文化キャリアデザイン:「
問6 下線部a~cのなかから正しくないものをそれぞれ一つ選べ。なお、下線部a~cがすべて正しい場合には、dを選べ。
近世においては、異国の知識や文化の流入経路が限られるなか、かえって人々の間では異国的なものへの関心が高まった。絵画の分野では、a呉春が西洋画や中国画に触発されて独自に写生の技法を確立し、その後の絵画史に多くの影響を与えた。また、b司馬江漢や亜欧堂田善による、風景を写実的に捉えた西洋風銅版画が人気を博し、c池大雅や谷文晁らの文人画は中国的な風景や人物を描いて知識人たちに好まれた。」
(答:c×※池大雅は日本各地を旅行し中国とは違う日本の風景を描く)
〈2012京大・前期:「
18世紀半ば以降、日本の画壇に西洋画の影響を受けた動きが見られるようになった。円山応挙は遠近法や陰影法を取り入れ[ ケ ]を確立させ、[ コ ]は日本で初めて腐食液を用いた銅版画の作品を発表した。」
(答:ケ写生画、コ司馬江漢)〉
〈2012同志社・神商心理:「
問e.前野良沢や平賀源内らと交流し、遠近法・陰影法を取り入れた洋風画を描き、1783年に日本銅版画を創製した人物名を記せ。」
(答:司馬江漢)〉