地理の部屋と佐渡島

2009年4月よりの佐渡単身赴任があけ、2014年4月より長岡へ。別れが絆をより深めた。今後ともよろしくお願いします。

10.23新潟県中越地震2

2004年10月26日 08時03分28秒 | 新潟県中越地震
 日没後に発生した地震は、短時間の間に3度の大きな揺れがあり、私たちは屋外待機を余儀なくされた。幸い当日の天気はよく、天気予報によれば25日までは良さそうであるとのこと。幸運であった。皆着の身着のまま出てきたが、中小の揺れの間にしだいに衣類やいすなどを自宅から持ち出し、長期戦に備えた。
 特に、お年寄りだけの世帯や家族の安否がはっきりしない家庭はまだまだ不安であった。かくいう我が家も妻と息子が外出したままである。携帯電話はいっさい通じない。とにかく、建物の重大な破損はないので、このまま町内の人たちとともに道路上で待機を決め込んだ。
 しかし、建物に重大な損害はないものの、家の中はぐちゃぐちゃである。皆口々にテレビやステレオが落ちたとか、食器棚からの食器が落ちて床上はガラスの破片で大変だとかいっている。当然我が家も例外ではない。幸い食器類は大丈夫であったが、ステレオや私がコレクションしていたラジオ類が床に落ちている。
特にラジオはつらい。よりによって真空管式の希少価値のあるものや、性能のよいものばかりが被害に遭ってしまった。

 いったいこの様な状態の復旧作業はいつできるものかと、思案しているうちに家族がそろった。これで一安心。町内の別のところに住む母親も元気であるし、後は今夜をどう過ごすかだけになった。続きはまた後日。

 写真は、翌日見附にある職場に向かう途中でのものである。長岡市から見ると震源に少し離れている中之島町でもかなりの揺れであったようだ。筋なしの塀や石積みはこの辺とはいっても崩れているものが多い。
ちなみに、長岡市郊外を走る国道8号は小千谷方向へは進入禁止。また、長倉IC~中沢IC間は通行止め。さらに、刈谷田川にかかる見附大橋も通行不能。長岡から新潟方面への道はいくつかの迂回路を使わなければならない状況。道路は至る所で、ひび割れや段差が生じている。さて、これらの復旧はいつになるものか..。

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