今、この場所から・・・

いつか素晴らしい世界になって、誰でもが望む旅を楽しめる、そんな世の中になりますように祈りつづけます。

私、正直に言いますね・・・(追記あり)

2020-08-31 19:15:03 | 頑張ろう、私

自分がこれほどまでに左右されるとは思ってなかったけど

まいりました、

安倍総理、ショックで

私に体はがくがくで、気力が出ない

そして、ポスト阿部さん選び

私は自民党、党員ではないけど

この今、国内はもとより、

海の外はえらく、大変な状態

次を受け継ぐ方は本当に大変だろう

どの国のリーダーのお顔を見ても、とても失礼なのだが

怪物、妖怪を相手に立ち向かわねば

この日本国は飲み込まれてしまいそうで

心配で、心配で

せめて、コロナ問題だけでも

地球人として、人間同士として

話し合ってほしいと思うは

やはり、青臭い、きれいごとなのだろう

政治家は裏も表もあることは承知していますが

やはり、阿部さんはよく頑張ったと

改めてご苦労様でしたと

申し上げます。

とにかく、戦争は嫌です

かと言って、地球上は同じ価値観のリーダーばかりではないから

もしろ、隙あらば、奪ってやれの世界ですから

このババは、あと50年、100年後の世を思いながら

祈る事しかできません。

この生かされた命を感謝して

 

阿部さんにはたくさんの意見もあるだろうかと思いますが、私は、の考えでして、ここの場所で吠えて下さい、聞こえにくい耳ですが聴き耳たてていますから・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  

写真は黒い山の奥に見えるシルエットがエベレストです、中国名チョモランマ、ネパール名サガルマータ、忘れてないみたい、良かった。

昨日、載せた花はエーデルワイスです。


ここで書いててもいいんだよね~自分にといてみる。

2020-08-30 10:25:03 | 頑張ろう、私

眼の前でいろいろとみる事が出来る事、考える事が出来ると

この私が思い、その願いや、祈りを

ここでしか言葉に出来ないのだから

いいんだよね~

ここは日本国だから

嫌だといいってもいいし

褒めたたえてもいいんだよね~

だんだん自分が言葉にしたことが確信が持てなくなった

少しだけ

立ち止まって見る

けれど、何をどう書けばよかったのだろう

もう一度自分に問いかけてみる

あ~あ、そうだってね

貴女の言葉がいつも私に勇気をくれているね~

たとへ「読者がひとり」だったとしても

その方へあなたの思いが伝わったのなら

このブログを続ける意味があると言ってくれたね~

貴女がこの世界を旅立ってから長い時間が過ぎて行きました

いくつもの死線をさまよっても

しぶとく生きている私に何が出来るのだろうと考えるけど

自分の言葉さへ確信が持てないけど

生かされた命だもの

命について

書いていこうか

お偉い人も、普通の人も、

命は大切


グレード ジャーニー、人間の起源(似合わない事書きますが)

2020-08-27 14:35:28 | 山、人、幸せな出会い

眼に良くないけど焦ります、突っ走ります。

テレビでは今、世界中のいろいろな争いごとが報じられてる、ひとつ、ひとつ、考え悩んだところで何の役にも立たないけど・・・

昔、観た「グレード ジャーニー、人間の起源」を思い出した、関野吉晴さんというおしゃさんが、人間の起源の地、アフリカ大陸から、南米パタゴニアまで、自転車で、人間が進化し旅に出た一歩から終着地パタゴニアにたどったドキュメンタリー番組だった。

私はこのような番組は大好きだったから毎回録画をして何度見たし、山仲間にも観て頂いた、今もおそらく家のどこかに眠っている・・・何を書きたいのか頭が混乱してくるけど、ようは、人間同士、地球人同士争ってる場合ではない、この連日の猛暑で、つくづく思う、地球が壊れかけてるとそれもかなり加速して・・・

地球人同士でこの地球を守る事を話し合わなくては、青臭いかもしれないけど、太陽系のひとつの星、いつから人間の優位がついてしまったのだろう、アフリカ大陸で人間が誕生した頃は同じだったはず・・・

昔、お偉い学者さんが言っていた、砂漠は人間が作り出した物だと、くしくも昨日、録画していた物をみて、日本の縄文時代は20000年以上もつづいたのだとか、おそらく、恐竜とも遭遇していた頃もあったのだろうと、思いをはせて、その頃の人間は生きるために食べて、それ以上は欲張らなかっただろう、そして、人は進化という現実にめざめ、他人の物をほしがるようになったのだろうか・・・

今、新コロナウイルス、これもまた地球上の進化か、それとも人間の欲望が作り出した物なのだろうか、

世界中が鎖国されていて、楽しむための旅は出来ない、私は本当に良い時代を生きられた、今、海外に旅したい方には申し訳ない思いだけれど、パタゴニアへの山旅も経験させていただいた、いつか、コロナが収束した時は行きたい国へ行けますように祈っています。


ある政治家との出会い、権力とは・・・

2020-08-25 15:30:36 | ひとりごと

いつ眼がダメになるのか、焦りがあるから、つい突っ走る

今、ニュースを見るとアメリカ大統領選挙の事がかなり多くみる、私はトランプさんの事を語ることは出来ないけど、ただ、トランプさんが大統領になって感じたのが「おげ○ん」な言葉使いもありなのだと(ツイッターの訳だからなのか)ご本人がこんな事?と思った事が何度もある。

私がある政治家と出会ったのはだいぶ昔の事、娘が(只今52歳)小学入学して、困ったのは放課後何処で過ごすかで困った、同じ問題で悩んでいた保護者同士で話し合い、市との対市交渉の場に市長として若く初当選した方が我々の話をとても熱心に聞いてくれた。

そして、われわれの問題は「学童保育所」と言う場所をつくる事で解決して、大いに助かった。

若きリーダーあの時、少なくとも本気で市を良くして、市民の為にどうすれば良いのか考えてくれたと信じていました。

あの若き市長さんは何期か市長を務めて、図書館も道路も大きな運動場も出来ました。

気が付けばわが子らは成人し、私は山にのめりこんでいた頃「賄賂」と言う言葉がちらほらと聞こえて来て、あの若きリーダーは市長やめて、国会議員に立候補し、初当選、あえて、どこの党だとは言いますまい、国会議員になった時のインタビューを聞いてあまりにも別人に変身していた姿、言葉に驚き、しっかり政治屋さんになっていた、私はとても複雑な心境になった。

彼は政治やとして、何年国会議員を務めたかは忘れたけど、ある日、駅前広場で立候補の演説をしているのを聞いて思った、政治家はこれからどんな社会にしたいかであって、自分の自慢をほこらしく演説するのは違う気がした。

けっか、落選し政界を引退と言うかたちで、消えて行った。

私は、あの熱心に我々の話を聞く、若きリーダー姿が政治家の姿だと信じてる私は青臭くて、時代遅れなのだろうか、

権力とは、かくも人間を変えてしまう、魅力あふれる事なのだろうかと、76年生きて来て、まだ、まだ、青臭く生きて行こうと思いながら、明日この眼が闇になってしまったらと焦る思い、

命ある事に感謝して・・・


価値観の違いで・鍵開けとけ・だけど怖いの・((追記あり)

2020-08-25 11:00:13 | 生きて行くこと

わが相方さんはかなりの頑固者

今どきは防犯、防護、当たり前だと思うのだが、カギをかけるのを嫌がる

私は異常なほど怖がりで寝る前に、必ず、小さい家だけど「戸締り確認、火の用心」を済ませないと寝れない気になって、物音など聞こえるはずないのに、誰かいる?になって、もうダメ、確かめないと・・・

そんなわけで、隣の部屋でお休み中の相方さんに気づかれないように、しずしずと、ぬきあし、さしあしで、カギを閉めに行く、熟睡しているころを見計らっていくのだが(夜這いなどの気は全くないのだ)何度かに一回は、相方に気づかれてしまう・・・

そんな時は決まって「あなたが息してるか」確かめてるだけよと言う

カギは開けとけ~が基本なので,その事は言葉にしない、けれど、相方さんは分かっている

カギを確かめに来たことを、

以前にこの事で言い合って気まずい思いをして、結局は私が折れた「まあ~ここは二階だから、大丈夫よね」という事に落ち着いて、私の夜這い行はつづいて、

相方さんのみてみぬふりがつづいて、

よくまあ~50数年ご一緒出来てますね~

ちなみに、お金、我が家はありません、私が山に全部使いましたから

宝物はこの命と思い出くらいで、ささやかな年金に頼っての暮らしです。

昭和の価値観で止まってしまったような相方さんの御命も大事でございますから

私は今日も右でも左でも従い、お慕い申し上げますです

この暑さ厳しきおり、自転車こいで

お買い物ご苦労様です

ありがたいです、感謝です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

追記

こんな貧乏我が家ですがなぜか、2度、詐欺にあいかけました。

あのにっくき、詐欺しめ、呪ってやるの思いで今も思い出します

1度目は前の家の時で、

わが相方は携帯を使っておりますので、まんまと詐欺師にコンビニまで誘導されて、けれど、これはへんと気づいて、あわてて近くの交番に駆け込んだけど「実害」がないと「立証」されないと言われて、あっちやら、こっちやら、引き回されて、疲れ切って帰ってきました、にっくき詐欺師め、我が家は医療費だけはたくさん払っていることを知っていたのか、5年さかのぼって返しますと言ったとか・・・

2度目はここに引っ越してきてすぐの頃だったかな

私宛てに「財務省」と書かれたハガキが送られてきた、そこには「最後通告」だったと思うけど支払金がどうとか?裁判がどうとか、わけわからないことが書いてありました、私はあまりクレジット決済をしてないからなぜ??で、この地域の消費者センターに電話して、詐欺だと知りました。(ハガキに書いてある電話にかけては詐欺の始まりです)

2度の経験は不快で不安を募らせる、にっくき詐欺師め、呪ってやるの気持ちを今でも持ち

ごようじん、ご用心で、留守電話にしてるから、医療関係者からしか録音なしで、少し寂しいけど、仕方ない。

 


今、私に起きている事は奇跡なのだろうか・・・

2020-08-21 16:58:33 | 頑張ろう、私

ブログ再開出来てから2か月になろうとしている

眼が見えるという事はこれほどまでに違う世界を魅せてくれて

毎日が忙しい、けれど、楽しくて、ふと考える

眼が悪くなったり、耳が左は全くダメで、右が健康な人の3割くらいしか聞こえないだからお好きだった音楽もあまり聴く事が出来なかった、たぶん、10年くらい前から・・・

ところがブログ再開し、夢中でいろんな方のところにお邪魔して読みあさり(55インチのテレビ画面にツナゲテ)目が疲れると「you tvbe」に飛んで音楽を聴く、私には不思議な世界だ

確かに以前からその存在は知っていたが、あまり利用することもなかったけれど、今は私には欠かせない存在になった。

queenのマーキュウリーに、マイケルに、スティ―ビーワンダーに、ビートルズに、などなど、眼をとじて聴く、不思議なことに2か月前までは音、特に弦楽器の音や、自分の話し声も頭に反響して気分が悪くなっていたのだけど、もちろん歌など歌えなかったはずなのに、なぜか今、毎日声はりあげて唄ったり、おどったりしてる。

そして今日、不思議な事がおきた、

辻井伸行さんの奏でる「ラフマニノフ」「ショパン」が流れた時、おもわず胸があつくなり涙がたくさん流れたのだ、今の私はあまり泣けない、涙が出ないのだけれど、感動できる喜びを感じた瞬間だった、「ラフマニノフ、ショパン」は私が訪れた山々で常に私の傍にいてくれた、

不思議と山との対話する導きのように山と私と音楽がいったいになれる不思議な感覚をかもし出す、忘れがたき感情を思い出だしたのだろうか・・・

この光あふれる世界に再び出会えたことを感謝して生きよう・・・

たくさんの喜びが少しでもながくつづきますように祈りながら・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ネパールの山旅で、大好きな、アマダブラブ


このババは悩むのだ、心配して、でも何も・・・

2020-08-20 15:50:15 | ひとりごと

毎日暑い日がつづきますね

なぞコロナに、美しい島リゾート地への原油流出

大国の大統領選挙、

夜の海では領海線上に闇を照らす光の束で魚をかき集めて一網打尽採っていく泥棒漁船軍団

ただ、むなしく、警笛をならす事しか出来ないわが国の決まり事

おびえる民はなすすべなく、嘆き悲しむけど

たくさんの矛盾と平和の共存した今の世にありがたい事だと言い

この地球の壊れ方が加速しているのではと思い悩む

けれど,この老いた身を、どうしたら

誰かの役に立つのかわからない

日本が豪雨で被害が起きてることは

どこかのお国は灼熱地獄に

この美しい地球は

だんだんいびつになって

どこかの誰かがボタンをおしたら

そして誰もいなくなる

ひとつの流れ星になってしまうのだろうかと

ボケはじめたババは

思い悩み、ふかいため息ひとつ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アラスカ?パタゴニアだったのか?良く見えないので・・・


ビョンホンさんから頂いた不思議なおくりもの(小説、残酷な歳月を書くきっかけ)

2020-08-20 10:46:33 | 「美しき人」からのおくりもの

眼のぐわいがどうもうまく動いてはくれないので・・・

恥ずかしながら、2010年8月18日にこんなことを書いてまして・・・

ブログ再開してから多くの方のご訪問頂き、中には「残酷な歳月」つたない小説をお読み頂き嬉しく思いまして、あらためて、今日、載せさせてください。

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いつも私のつたない小説を本当に多くの方々に御読み頂けてありがたく感謝しています。

このところ眼の状態があまり良いとは言えない、不自由さの中でもブログだけは何とか続けて行けるのはビョンホンさんから頂く不思議なパワーと御読み頂いている皆さんに勇気を頂きエネルギーに変えて頑張れています。

先ざきの事、体調の事を考えて、焦る思いから、今まで、思いあぐねておりました、小説『残酷な歳月』をやはり、ブログで連載させて頂こうと思います。

少しながいストーリーなので果たして、何処まで、続けられるのか不安もありますが、何とか、頑張ってみたいと思います。

私が60歳を過ぎて頃、恥ずかしながらも、小説なる物を書きたいと思い立ったきっかけと言いますか、その不思議な出来事をどう説明すれば良いのか・・・

ビョンホンさんにめぐり逢えたきっかけはここで何度か書かせていただいてますが、長い間、心の病気で苦しんでいた6年前、ある日突然、私の前に現われた!!!

まさしく、そんな感じのビョンホンさんとの出逢いでした!

「ビョンホンさんとのめぐり逢いで、私の命が救われたのだと私は思っています!」

そんな出逢いから2年目のある日、ビョンホンさんの2006年のカレンダーの表紙をなんとなく、眺めていた時、とても不思議な現象が私の中に現われたのです!!!

2006年のカレンダーを見ている方なら分かると思いますが、ビョンホンさんの強いエネルギーを感じる姿、けれど、私の前に現われた現象は全く違う、今まで、見た事の無い、映像でした!!!

たぶん、このような現象を「幻」と言うのでしょうか・・・

ビョンホンさんが『弓道胴衣を着て、弓を射る、美しき姿』でした!!!

その姿は、なぜか、ビョンホンさんの日本の現代の弓道、「弓矢を射る姿なのでした!!!」

「それは、本当に、美しい姿でした!!!」

その現象をみたその時まで、私は病気の為に、言葉を殆ど忘れていて、文章を書く事など出来ないし、言葉の意味に確信が持てなくて、とても苦労していましたが、とても不思議な事に、言葉が天から降って来るように、次々と言葉が生まれて来て、その言葉を書きとめて置きたくて、三日三晩、不眠不休のような状態で、ただ、ただ、思い浮かぶ言葉を書き留めていきました。

その時に書きました文章がその後5年間、何度も、何度も、書き直して、小説『残酷な歳月』になりました。

たぶん、この小説は私の生涯を通じて書き直して行くのかもしれませんが、いろんな意味で今、連載させて行くのが良いのかは不安もたくさんありますが、眼の状態や体調を考えて、今、皆さんに御読み頂ければ、私の生きるエネルギーに変える事が出来るような気がしています。

本当につたない文章や不確かな知識ですが、今でも、はっきりと思い出される、あの不思議な、現象、『美しきビョンホンさんの弓を射る姿!』を私の中から消えてしまうのではないかと不安になりますが、その為にも、つたない小説『残酷な歳月』としてどうしても残して置きたい想いであり、大切な感情、私の心の宝物です。

あのビョンホンさんからの不思議なおくりものを頂いた日から、昨年末の失明の危機を何とか乗り越えられたのは、ビョンホンさんへの想い、言葉をつづりたい想いを支えに頑張れました。

いつまで、ブログを続けられるかは分かりませんが、『残酷な歳月』だけは、何とか連載を完結させて行きたいですね・・・

そして、まだ、御読み頂いてないつたない物を出来るだけ連載を頑張れたらと願っています。

皆さんに御読み頂ければとお願いいたしますと共に、感謝致しております。


先生、私から光を奪わないで下さい・・・

2020-08-18 20:53:03 | 生きて行くこと

私は6月の半ばくらいまで、眼の痛さと、うす暗い、ぼんやりと周りの状況が判断できる程度ほどの視力の中で、いつ失明し見えない闇が来るのか絶望と希望を彷徨いながら暮らしていました。

元々10年前くらいから眼の痛さに耐えて、徐々に視力は落ちて行ったが、2018年の暮れにまったく見えなくなった時は本当に驚きと悲しみとごちゃ混ぜになって絶望した、けれど、幸いにも何日かで少し周りの判断が出来る程度に、視力は回復したが、ブログを続けることは出来ず、閉じていた、パソコンも放置したままだった。

ここに越してきて2年が過ぎようとした頃、ご近所さんに眼科が開院されて(それまで別の眼科医院にお世話になっていたが)あまり期待を持たずに開院された眼科医院へ行き、検査、治療、手術、などなどを繰り返し、そして今年6月の初めに「医療用、コンタクト」にたどり着いた。

それはまさに「奇跡が起きたように」見えるのだ、この世界の光輝きを、痛みもさほど感じないし、太陽の陽射しは確かに眩しいけど、外に出て深呼吸が出来る、あの薄暗い闇の世界ではない光、なんと言葉にすればよいのだろう・・・

今年は年明けから体調の悪さとなぞコロナの恐怖におびえながら、必死でこの地域に溶け込もうとして頑張ってイベントへも参加していた会も、いきなり断ち切られて「孤立感」が深く、相方さんとふたり散歩も難しくなる。

そんな中の光だ、私は信じられない思いの中でパソコンを開けた、諦めていたわがブログにたどり着けたそして、なぞコロナから逃れたくて、毎日がブログにのめりこんでる日々・・・

だが、眼医者様から言われてる「コンタクトは一時しのぎだと」

コンタクトを外せば痛みと闇が隣あわせだ、毎回診療のたびに怯えながら「コンタクト」を入れてくださいとお願いしてる。

そして昨日が眼科診察日、私は手紙を書いた

「先生、私から光を奪わないで下さいと」

このままコンタクトをつけ続けさせてくださいと、気持ちの中では先生にすがりついて、土下座して、お願いして、もうしばらくはこのまま光の中にいられそうだけど・・・

いつまで許される事なのだろう、焦る気持ちが言葉をつくり、頭の中で囁く、あんなこと、こんな事が堂々巡りして、聞こえない耳が擬音と美しいメロディーを奏でて、昔帰りを繰り返し、今日も光が美しい

耳はわずかに残された聴力でもがまん致しますから、光だけは奪わないでくださいと祈る

命ある今をありがたく、感謝

 


私、ザバスで生きてます(プロテイン)

2020-08-17 16:08:13 | 生きて行くこと

昔帰りばかりしていた、最近、気持ちを切り替えて

今を語ろうか

若者ばかりに頑張れ、頑張ってとお願いしていてダメですよね・・・

まずは自分の身は自分でという事で

だけど、焼肉もりもり食べるわけにもいかず

毎日が玄米、カロリー計算、味なし野菜のわかめの塩気では生きてはいけない

こんな生活をしていたら、心までが栄養不足で死にたい気分になっていた

ありがたい事に、若き日のザバスとアミノバイタルが眼の前に登場して来て

これが、良かったのか、

死にたい気分もどこかへ消えた

お肉一切れ、魚一口、野菜は塩気なしでも食べられる

足りない栄養「ザバス」頼み、

アミノバイタル一本飲んで

さあ~出発だ、病院へ、お散歩へ今日は元気に歩けそう

朝、昼、晩と、

どなたかさまに、頂きました、

「中西圭三」さんのリズムにあわせて盆踊りかもしれないけど

すこし遅れて体、ふるふり、リズムにあわせるつもり

唄うは竹内まりやの「駅」

最近の私、頭の中でぐるぐる回って

眼が光をつかんでる

ありがたきかな「医療用、コンタクト」暗闇の世界から救い出してくれた

夢を希望と恩返し

明日も頑張りましょう

感謝の気持ちで、ひが暮れて

 

 


昔がえり・・・おばさんの家だったのか?

2020-08-16 20:52:23 | ひとりごと

最近の私は昔帰りばかりしている、やはりババになったんだね~気持ちだけでも若いとおもいたいけど、どうしても気になって「北川民治」さんの絵(本で)であったのは、たぶんおばさんの家だったのか?

おばさんとはつまり父の姉で、我々兄弟姉妹と同じく6人の子供がいた、男5人女の子ひとり、我々兄弟とは逆でとても優秀で頭の賢い子供たちだった、我が家と同じだとは言えないけど、暮らし向きは豊かだったとは言えない環境の中で男の子は全員国立大学を卒業した、女の子は私がいつもおねいちゃんと呼んでいた人だがやはり賢い人で地元の女子高で常にトップクラスで卒業後は大手の保険会社に就職していた、5人の男の子の中の誰だったか忘れてしまったけど一橋大学を卒業しある大手の銀行に就職した、いとこにあたる人が、たぶん持ってきたのだろう。

土地柄だったのか、時代がそうだったのかわからないけど、優秀な子は、学校が、地域がほっては置かない、地域ぐるみで子供を育て、導くのだ、大学も就職先、本人が望んだかはわからないけど、それぞれに、ストレートに社会人になり、結婚もそれぞれに上司の進めた女性と結ばれて・・・

私は母を子供時代に亡くしてるので、たぶん、寂しかったのだろう、よくおばさんの家に行って、おばさんの子供たちと食事した、育ち盛りの男の子だ、おかずはこんにゃくの煮物と味噌汁くらいだったがとにかく早ぐいで、競い合って食べないとご飯もおかずも無くなってしまう、だからよく噛まずにたべたように思い出す・・・

かたや、我々兄弟姉妹は誰も大学へは行けず、それどころか、父が起こす問題に振り回された人生だったようで、私はひとりで18歳の時、本の中で「北川民治」さんに出あい、東京に出て来たから、私の身に降りかかる父の問題は少なかったけれど、それでも、突然現れてはお金をせびられることは耐え難い事だった、けれど、そんな苦しみから救われたくてキリスト教に救いを求めたからこそ相方に(夫)出会えたのだから、やはり、救われたのだろう・・・

おばさんやその子供たちとは父が起こした問題が原因で徐々に疎遠になってもう50年近い歳月がすぎていった。

そして、人間にはたてまいと本音があることは分かっていたはずだけれど、見てはいけないものをみた気がして、もちろん私の我儘な性格から、教会からは遠ざかり、それと同じころに自然に惹かれ山の世界にのめり込んだ。

山に行くために寝る時間も犠牲にして働き、今、ボロボロな体で生きながら、相方やわが子に恩返しの人生だと思いながら、今日も明日も頑張ろうと自分に言い聞かせてる。

(相方が育てたお花の写真)


私はやはり人の運にめぐまれて・・・あるご夫妻の物語(追記あり)

2020-08-15 20:28:00 | 山、人、幸せな出会い

今日、8月15日は終戦記念日ですね、75年前、私は1歳でしたから、それに東北の山奥で育ち、父親はのんだけれで、あまり仕事をしない人だった。母が寝る間も惜しんで働き生活する、私は物心がつた頃にはたまに家にいる父が、「内地の奥様」と母を殴りながら言っていたことが、気がかりのひとつでした。後でわかったことですが父親は家族を連れて朝鮮で日本軍の仕事をしていて、その頃が父の人生でおそらく一番華やかだった、昭和20年の春に朝鮮から引き揚げて、帰国、かなりあったという財産は持ってかえれずわずか身の回りの着がえ位だったと、誰かに聞かされたことを、そして母が42歳の若さで亡くなった。

何処で観たのか忘れてしまったけど「北川民治」という画家の絵(たぶん本)を観たときに自分でどんな目的だったか忘れてしまったけど、東京へ行かなくてはと思った事だけは確かなことだった。

東京で仕事をしていた中で、あるご夫妻に私はなぜか優しくされた、そのご夫妻は父母とおなじ位の年齢だったこともあり親しみを感じたのかもしれないけど、とにかく私は優しさに飢えていたのかもしれない、旦那さんはいわいる学徒動員で戦場駆り出されて「シベリア抑留」を何年も耐えて帰国後大蔵省(今は財務省かな)お勤め、奥さんは専業主婦だったと思うが、なぜ私が知り合いになれたのか、どんなきっかけだったのか思い出そうとしても思い出せないけど、

何度かご自宅に招待していただきご飯を食べたがどんなものだったのか記憶にない、けれど、旦那様は物静かで、奥様はケラケラとよく笑う人だった、

ただ一度だけ、私の仕事はどんな事をするのかと聞かれた旦那様に、私は正直に答えて、小さな印刷所だから、外回りから、工場での印刷まで何でもやっていることを話したのを記憶している、何年のお付き合いだったかご夫妻からは一度もシベリア抑留の事、戦争の事は聞いた事がなかつた、

ただ、読んでいる本の事などを話した記憶がある、あの頃の私は生意気にもロシア文学に惹かれていて、読みかじっていた、特にプーシキンの詩が好きで読みかじった、好きなところだけを読んでいた、そんなことをたぶんご夫妻に話していたのだろうと今になって複雑な気持ちになる、私の憧れたロソア文学の世界と今のロシアは全く別の価値観なのだろう、プーチン大統領は生きている限り自分が大統領でいるつもりみたいだから・・・

考えてみると、海の向こう国々は何をしたいのかわからない怖さに満ちている、日本の若者よあなたの肩には多くの歳よりが乗っかっているのだ、そのじじ、ババは、良くも悪くも頑張って、頑張って、今のにっぽん国をつくってきた人々です、平和を守り、美しき日本でいられるかは、若き、君たちに託すしかないのだから・・・

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追記

青春の日のある日、東京大学のまえの通りの小さな画廊で本物「北川民治」画家の絵を見る事が出来ました、あの独特の画風にであえた、そして何十年もすぎて、長谷川恒男さんの(登山家)事務所のスタッフさんのお一人が北川民治」さんのお孫さんと美大一緒に学んだと聞いたときは驚きと懐かしさと、偶然なのか、必然なのか、ひとのめぐりあわせの不思議さを感じた、そのスタッフさんも今はこの世界にいないお人になりました。

私だけがしぶとく生かされている事のいみを常に考えてしまいます、まだ何かをしなさいと神という存在があるのであれば、何をすればいいのだろうか・・・

 


あと10分、後10分で~あれは?、熱中症だったのか?

2020-08-13 23:33:33 | 生きて行くこと

今日の話ではないのですが・・・

あれは確か7月末の事、私には貴重なお時間でして、お医者さん参りは、少し長めの待ち時間をこらえて受診も終わり外に出たら急に冒険心が芽生えまして、ふらふらとまだ未知の世界に行ってみたい気になって、なにしろ、この街に越してきて2年と半年だからまだ歩いてない道がたくさんある。

私にとって貴重な自由、深呼吸して、なぜかうれしくなるわけで、帰宅時間が遅くなっても言い訳が出来るわけだから、好奇心むらむら、冒険心満々、で~歩きだしたまだ見ぬ街へ、家とは逆の方向へ、

歩き出しはるんるん、だが目当ての家電屋さんは現れないもうこの辺のはずなのに、で、しっかりマスクをつけて恐る恐るやわらコンビニへと入り、わかくイケメン?の店員さんに聞いてみるが、私が行こうとしてるお店は無いそうで、別の家電量販店を教えて頂き、あと10分くらい歩いたところだと、丁寧に地図らしきものまで書いてくれた、ありがたい、こんな婆ばのために貴重なお時間を使わせてしまい、悪いから私には食べられないサラミソーセージなど買い求め、地図の示す方向にあるけど、歩けど、目指すお店は出てこない、そこでまた、マスクをつけて勇気を出して、お尋ねしてもまた10分くらい歩いてとお答えが、そんなことの繰り返しが3回か?4回・・・

歩きました、歩きました、杖つくババは完全に迷い道でございまして、何処をどう歩いたのか、いまだになぞでございまして、やっと、たどり着いた「○○の家電量販店」では、わがパソコンの謎侵入者対策は無理だとのと答えにうちのめされて、疲れ切って、タクシーに揺られてなんとか無事に帰宅したけど、わが相方には、まだ、言ってないので・・・

その夜、なぜか変、体温計は38度をさし、慌てて濡れタオルで冷やしたら、35.9度になって、考えたら、あまり水分とってなかったし、暑さも感じてなかったけど、確かに気温は30度越えしてたはと、あれはやはり、熱中症だったのか?

いい年いたババがお灸をすえられた一日の出来事だった、ちなみに、今日の病院行きはタクシー、電車、タクシーでのほぼ一日、待ち時間ばかり長い、けれど、ひとさまには触れない、距離を保つ事に専念、ぶじ帰宅して、一休みして、今頃の時間にブログ更新でございます。

ご安全に、こあんぜんに、誰かの真似してるババのブログなんて、若者はみないだろうが、平和を祈り、考えよう・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

写真はパタゴニアかアラスカ、どっちかな?

 


苦手分野だけど私が思う事、携帯電話、今はスマホ・(追記あり)

2020-08-12 16:16:57 | 雨音らしく

世界の事、政治の事は私には似合わないと思いながらも、このところのニュースで聞く、中国製の携帯(スマホ)には個人情報を抜き取る事や看視機能が組み込まれているとか、確か、テレビ番組「クローズアップ現代」だったと思うけど、とても気になって見ました。

一帯一路の政策の一貫だとかで東南アジア諸国などにインフラ整備援助と称して電気さへも無い山奥まで、買わせてるのか、あげているのかわからないけどほとんどの人がスマホをサクサク?と使ってるのだそうだ、これぞまさしく監視であり、侵略の始まりだと言った言葉が聞こえにくい耳に焼き付いてしまって気になる。

文明の十字路シルクロード、この道筋が一帯一路の政策の道すじなのだそうで、そいえば遠い昔にパキスタンへ行った時に車で走った道は中パ友好で中国が殆どお金を出してつくられた「カラコルムハイウェイ」だったな~と思いながら、あの時はとてもロマンを感じた文明の十字路シルクロード、マルコポーロの時代に戻して侵略していくのだろうか・・・

確かにあの時代は西洋諸国が競って植民地をつくり、侵略して原住民を支配下にしていったのだろうが、日本だって110年前は同じことをして、今もそのことでもめているわけだから、なんだか、心が複雑で悲しい気分になる、ひとりのばばが思い悩んだところで何の役にも立たないけど「人は考える葦」と言ってた哲学の神様がいた、今はチベットもウイグルも中国の一部だけど、それぞれに、信じる神がいて、宗教とは人間がどう生きるべきかを考える事を教えるものだと私は理解している、昔、私はチベットにあこがれを持っていただから「物言わぬチベット人」の言葉を聞いた時も今もとても悲しくなる、昔、何処へいく飛行機だったか忘れたけど、ウイグルの女性だったか、隣りあわせに座って、何か言って?私の両手に山ほどの干しぶどうを手渡された記憶がある、そんな想いでも懐かしく物悲しく思い出されて・・・

人はうまれるとき、国を選べないし親を選べない、

確かに多くの問題もあるけれど、やはり、日本はいい国だ

だからこそ、のちの世を、のちの地球を思い悩んでしまうばばなのであります。

(追記)

中国の事ばかり書いてしまい気になります、チベットを中国が支配下に統合するときに手を貸したのがアメリカの諜報機関が関与していたとあるドキュメンタリー番組で観たときは驚きました。

あのアルカイダ組織を作るきっかけにも関与、そして、あのおぞましい2001年のテロの指導者「オサマビンラデン」を創り出したのもアメリカが関与していたそうで・・・

前大統領オバマさんの広島を訪れた時はアメリカの大統領として素晴らしい事だと思ったけど、あの「オサマビンラデンを」暗殺する時をテレビでリアル中継した時は驚き、恐ろしさがごちゃ混ぜになった。

このような事例が世界中たくさんあることが政治なのだろうか、私は美しい世界、自然と山々を多く観る事が出来た事を感謝して、生かされた命の意味をただ考えている日々だ、若者たちよ、もし、このにっぽんが徴兵制度が法律で決められてしまったら、どうしたらいいか想像してください・・・

「今そこにある危機なのだから」

 


スマホと「渡辺恒雄、戦争と政治」をみて・・・

2020-08-11 11:16:33 | 生きて行くこと

私は携帯電話(スマホ)を持たない人間です、その価値観も分かりませんので、情報はテレビだけです。

以前は本や新聞を見て私なりの考えを持って行動していました。

昨年の今頃は耳は左は全く聞こえない、右だけが健康な人の3割くらいしかきこえていませんし眼は「いずれ失明すると宣告されていて、今年の6月くらいまで眼が見えなかり、少し見えたりの繰り返しでとてもブログをやれる状況ではありません、ただ絶望的な日々を1年半ほど自問自答の日々でしたから、今、このようにブログ更新出来る事はやはり私にとっては奇跡ではと思うほどのありがたい事です。暗闇と言うのは本当に恐ろしく不安が増幅する事なのです。

本題まで前置きが長くなりましたね、

先日、テレビ番組で「渡辺恒雄。戦争と政治」と言う物を放送していた、私はみたい物はそのほとんどを録画して何度かに分けてみているのですがこの番組は一気見出来ました。けれど、答えがでませんでした。

渡辺恒雄さんはごぞんだと思うが読売新聞のそして野球の巨人軍ジャイアンツの人です。

今の若い方はスマホでサラサラと1日中使いこなして、どんな情報を見ているのだろうか、私はもう10年以上前から耳も眼も悪かったしそれほど携帯電話と言う物が必要性を感じてなかったので一度も持っていませんからその利用価値がわからない婆婆が生意気な事を言ってると、余計なおせっかいなのかもしれないが・・・

この「渡辺恒雄。戦争と政治」は政治に無関心で、kポップミュージックを好む若者にぜひ見て頂きたい、そして考えてほしい太平洋戦争後の日本がどのようなことがあって今を生きられるのかを戦争後の出来事を一つ一つ自分で考える事はとても大事なことだと思うし、今の日本ではそれが許されている素晴らしい事、世界の中で自分の考えを言えないし自分が人間であることさへわからない人たちがこの地球上にはたくさんいるのですから・・・

香港でのニュースをを見るたびに胸が痛くなります、人としての権利さへ奪われて・・・

太平洋戦争の前の日本がたぶんあのような事がおきていたのだろうと考えています。

私は何度も何度も絶望と死の淵をさまよいながら、生かされている身です、まだ何かをしなさいと言う意味なのだと受け止めて考えて、今、出来る事はこんなつたない言葉でブログを更新し、誰か一人でもこの私の思いが伝われたら、わたしの生きて行く意味があるのだろうと勝手に思っています。

このなぞコロナが収束したら、どんな日本になるのだろうか

戦争など無い、平和な日本でいてほしいと祈りながら・・・

(追記)

今日8月11日23時45分より再放送があるようです。