今、この場所から・・・

いつか素晴らしい世界になって、誰でもが望む旅を楽しめる、そんな世の中になりますように祈りつづけます。

去り行く五月、思いは複雑にけれど未来を信じて・・・

2021-05-31 10:26:17 | 生きるための心得

大好きな五月だけど、もう今日で去ってゆく

これほどまでにも、時間と言う物に追われすぎた五月は悲しくて

そして、ほっとする、矛盾がある

ふっと、妄想してみる

けれど、この私には無理だよね

あの懐かしい地、檜枝岐村に「コロナ疎開」してみる

大自然のなかで思い切り心呼吸して歩きたいな~

なにしろ、村の人たちはもう望む人全員に「ワクチン接種」終わっているのだとか

羨ましいけど、良かったねと嬉しい気持ちになれる

何度も、なんども、訪れた懐かしい場所だから

なんだか、心が安心する、

そして、妄想まで描いてる

この見えにくい瞳の奥には、尾瀬、会津駒ケ岳などいくつもの

思いでの風景がよみがえる

吹雪の中で、萌黄色の季節を、幾重にも彩るにしき絵の中を

ふと、一瞬だけ見たくまさんのすがたを

記憶と瞳の奥には走馬灯のように回り始めて

出来る事はずも無い夢をみる

過ぎてゆく時間は同じはずなのに

ゆるやかで、穏やかな時の流れをえがく

あいたい場所、檜枝岐村

いつの日か、会いに行きます

 

(写真は無いので、大好きな山)


まごころと会話と・・・

2021-05-29 09:51:33 | 生きるための心得

思い悩む、そしてまた考える

けれど、伝わらないこの想い

むずかしいあぁ~人間て

でも諦めないよ

ひと、には、人間には真心があるから

信じて、待ちましょう

ふと、そんな思いにしてくれた言葉

清く、正しく、生きる

そうだってね

わが相方さんはいつだって

清く、正しく生きて来た人だから

この世界では辛い事、多かったね、わかってるよ

その一番が私だったからね

今、少しだけ頑固さを増し

けれど、真心は伝わっているよ

こんな時代だから

相方さんの隣りで

テレビに向かって毒付く私を

ただ、おろ、おろしながら見ているけど

「今日のお月様は」

ほら、こんなにも、綺麗に見えてるよと

おしえてくれる人だもの

私はもう、その一言で元気になりました

ありがとう

 


迷いに迷いながらも、書きますけれど・(改め)

2021-05-28 10:33:36 | 雨音らしく

本当に、どう書けばよいのだろうか、今だ心定まらず・・・

アメリカが日本、その他の国に対して「渡航禁止勧告」出しましたね、これは私にはとてもショックでした、今の日本はそれほどまでに怖くて、危ない国になってしまったのかと、「渡航禁止勧告」この言葉の意味する事私にはとても嫌な、思いがする、遠い昔何度も聞いた言葉だそれは、ゲリラ、紛争、テロ、そして大げさに言えば死をも覚悟なのだと・・・

とても複雑な思いで今も迷いながら、やはり、オリンピックは中止した方が良いのだろうと思います。

今の日本は見えない敵「コロナ」と権力と金それだけががんじがらめで、庶民に忍耐と我慢を強いてる。

私はコロナワクチンはあきらめてもよいと思うようになってきています、けれど、よくスーパーなど、で歩きたい相方の為に毎日コールセンターへ電話してますけど、お話中のプーの音がつづいてます。

いくつかの情報番組をみていると、やはり、IOCのゴリ押し的オリンピックで、言葉は悪いけれど「自分たちの居場所(権力)が消える事」だけでIOC

のあの発言「忍耐、我慢」「犠牲」など日本の国民への心遣いがない言葉の繰り返しで、そんな中でもこの国の関係者、何も言えない事の歯がゆさを感じている時に、アメリカの「渡航禁止勧告」でもアメリカはオリンピック選手は日本へ派遣しますって、これって、矛盾してる事ではないのだろうか、やはり、アメリカもお金なんだね~と、あと20日ほどで77歳になる婆さんはどう判断すればいいんだ・・・

今の状況で、ずるずると時間だけが過ぎて行き、夏の終わりには選挙があるんだけど、正直なきもち、誰も信じられないから白紙で投票したいけど、いったいどうすればいいのだろうか?

この婆さん、確かにがまんづよいとこあるから、図太く生きて行きます、なにしろ、生かされた命ですから、大切に図太く生きてみます私なりに・・・

(ドクターさんの人格をかえてしまうほどのコロナめが憎い!)

 

(改め)

アメリカの出した

「渡航禁止勧告」は私の間違いで正しくは「渡航中止勧告です。

けれど、私にはとてもショックな言葉で受け止め、とても悩みながら・・・

IOCの組織は今度の東京オリンピック、パラリンピックを開催し、その他だ、で得たお金はどうしても必要な財源で、今のIOCの組織は存続していけないほどの状況なのだとか・・・昨日は「アルマゲドン」まで発言されていたようですが、これって、地球が無くなる?確か映画で観たような、みてないような、もうすでに地球と言う星はひどく痛めつけられているのだろうと、それもまた、地球と言う星の歴史なのかもしれない・・・


あぁ~、あぁ~う~んで、どうすればいいのだろう

2021-05-25 10:19:03 | 生きて行くこと

今朝の青空を見ていると、なんと平和で、美しい風景

けれど部屋に入りテレビをつければ、ワクチン、オリンピックなどなど

この地球上で起きている事が次々とこの見えにくい眼にも否応なしに迫りくる

あぁ~う~んと深いため息しか出ない今日この頃だ

中でも心が痛むこと

若く美しい、かれと彼女の高く高く掲げる3本の指の先には言葉にもできない現実がある、私には政治的な事はたやすくは言葉に出来ないけれど、なぜか、私がまだ生まれてはいない頃だろうかこの日本にも「特攻隊」と言う残酷な時代の存在を思う、そのどちらにも私は出会ってはいないけれど、彼ら、そして彼と彼女たちは「私欲など心の片隅にもなかつた事」「ただ、正義、そして誰かの幸せになれる事を願いながら、覚悟した命」

日本は確かに今は平和だ、私の見える世界は穏やかに人々がさんぽ道を少しだけ遠慮がちに歩いている

情報というものと我が街のワクチン接種コールセンターだけはなぜか 、お話中のプーの音が虚しいだけ・・・

さざ波発言でやめた人もいれば、「日本人は忍耐強いと我慢強い」とおだて作戦を言われても、もう、正直な気持ちはあぁ~う~ん、もうどうにでもなれ~という気持ちなってきている私がいる。

それぞれの立場で考え行動、今はを願うしか、ただの平凡な庶民は婆さんは耐えて生きて行くぞと今日も誓う・・・

 


ありがとう、ありがとうで11ヶ月、感謝です。

2021-05-22 15:20:13 | 頑張ろう、私

気づけばもうすぐ6月ですね、体調の悪さ、失明状態の日、突然の弟の死、追い打ちをかけるように中村哲先生の理不尽な死とそしてコロナに苦しめられた日々・・・

何をするでもなく、心が閉ざされた日々は私に気力体力と物忘れが否応なしに迫っていた、言葉が出てこなくて「あれ、あれ、その~」が一日に何度も使っている自分にふと、認知症と言う言葉が、なを私に焦りと不安がつのって・・・

あぁ~このままではダメだと、幸いなことに眼はある程度視力が戻っていて短い時間であれば、ブログ再開できるのだろうかと、昨年の6月に、長くほったらかし状態のパソコンを開いてみた、なんと、動いてくれるではないか(電源も切っていたのであきらめていた)しかもわが懐かしの「今、この場所から」が見られた時には、おもわず涙ぐんでいた私。

長く留守にしておりましたのに、多くの方のご訪問頂いていたことに驚きと感謝の気持ちで、頑張ってみようと勇気を頂いたあの日から11か月が過ぎようとしています。

一言一言の言葉が出てこなくて焦りながら、本音を言えば、今でも言葉ひとつに確信が持てない、間違ってはいないだろうかと、けれど、今この時代、孤立無援状態を何とか頑張って生きて行けるのは、つたない文章と使いまわしの写真ばかりのこのブログにご訪問頂けてありがたくて、私が勝手に訪問させていただき、絵、写真や言葉、文章に心躍る気持ちと生きる元気さを頂いております、ありがたくて、感謝でございます。

つたないブログではありますが、どうか今ごともお付き合いいただけますようにお願いします、コメント欄は開ける余裕が無くてごめんなさい、私だけ、一方的にお邪魔させていただく失礼をお許しくださいませ・・・

八~月~の夏が過ぎ~何だかこの言葉がこだましています、そのころはきっと、今とは違う生き方が出来るのだろうか、期待を込めて祈ります。

 

(写真昔元気だった頃、パキスタンでの山旅でイスラムの赤ちゃんと私)


介護保険制度導入時期、介護ヘルパーの経験をして・・・

2021-05-20 15:15:58 | 生きて行くこと

私、介護保険制度を国が定めた時期(2001年)に介護ヘルパーさんの経験をしています。

その頃の私の本業(印刷の版下作成)も急激なデジタル化(コンピューター?)によって仕事が少しづつ無くなっていて、私の体も山へ向かう事

の体力の限界を感じ始めていた時期でもあって、いずれ私も介護ヘルパーさんにお世話になる身だから、今、元気で動けるうちに、誰かのお役に立ちたいと考えて、ヘルパー身体介護が出来る資格を取り、いざ、ある組織(けっして、怪しい結社ではない)が運営するデイサービス施設に面接を受けて合格、そこまでは本当に良かったのですが、その頃デイサービスを利用する方が少なくて、その施設のトップの方の言葉「少し元気そうで、お金のありそうな人を連れて来て」この言葉が、今も私は忘れられない、そして、数か月後、施設のトップが入れ替わりました、その方は音楽の何とかを勉強されて施設のトップになる資格を持っているとかで、本部から派遣されてきました、相変わらず、デイサービス利用者は少なくて、ヘルパーの数の方が多かったように覚えています、

デイサービスの一日はお向かいして、まずお茶を入れて、そして「北国の春」など数曲をみんなで歌い、あとは何をするでもなく昼食を食べて、ちょっと、お昼寝?、あとはお帰りの時間になる、そん風に一日が過ぎて行きます。

そんな中で、私自身も多いに反省するべき点は有ることを承知していますが、とても、気になる利用者さんがいて、私は家にあった書道の道具を持ち込んで、その方に「春の日」という文字を書いてみせて、筆を渡しました、そしたら見事にまで生き生きと、さっと、とても達筆な春の日が書かれていて、周りにいた方々が大歓声を上げていた、この利用者さんは認知症が進んでいて、殆ど話すこともなく、おトイレも忘れるほど、一日をただ座って過ごされていましたので、私はどうしても気になってしまい、トップさんに相談なしで、行動したことが、どうも、その後の私の行く道をふさがれて、ことごとく、私に、いまでいう「パワハラ」だったのでしょうか、スリッパで私の手を叩き、最後には日程表から私の名前が消えていましたので、これは退職しなさいと言うことなのかと、トップの方の言いましたら「あぁ~やめるのねで」介護という仕事を離れました。

今、コロナワクチン騒動を報道でみていて、つくづく、お国の政策は、作ったから、その先は下々の者が勝手にやってくれ的な事なのだろうか、政じ家さんは、今、頭の中は選挙の事で浮足立ってるようで、与党も野党もたぶん同じだろう、年金生活者ですから、お国からの頂く生活費を切り詰めていくしか生きては行けない、けれど、元気で働けたときはしっかりと税金払いましたから・・・寝ずに働き、頑張ったけれど、1億5000万円は稼げてないし、使ってもいません・・・

後の世が

多いに気にし

されど手の

打つ手なしかな

不安つのりし

 

(写真は近藤謙司さんからお借りしたものです、たぶん、エベレスト登山中のものかと)

 


静かに、静かにこの心しずめて・・・

2021-05-19 11:17:53 | 生きて行くこと

最近の私、なんだか、焦っている

そてとも、何に恐れているの

どうも心がやさぐれて

そして、ひどく興奮しているみたい

そろそろ、静かに、穏やかになりたい感情がほしい

だが、情報と言う物が邪魔をして

やさぐれて心と体とが昔帰りして

あぁ~良い時代を生きて来たのだと思いながら

現実と希望が果てしなく周りはじめて

相方さんに今夜の夕食を聞かれて

まだ、昼食前ですけどと心でつぶやいてみる

見た目お元気な相方さんがいてくれて助かっています

ありがとうね・・・


夢なの?ハイジになった日・・・

2021-05-18 12:51:33 | 自然を愛でる

コロナワクチン分捕りがっせん(言葉が汚くてごめんなさい)テレビニュースを見ていると何だか虚しい気持ちになって、ワクチン狂争曲?なんて皮肉って毒付きたくなる、作家の湊かなえさんが言ゅてた人は誰でもが心の中に黒いものや闇の部分があるのだとそれを理性と言う物を働かせて物語を書く事で犯罪者にならず作家に・・・

あいかわらず、我が住む街(市)のコールセンタープープーのお話中でして、いつまで待てばよいのだろうかと、どうも、選挙とオリンピックとワクチン接種が絡み合っているような?小池都知事さんと総理大臣の距離感?がみように感じてくる、まぁ~この現実も、歴史の1ページなのだろう・・・

下の記事は2014年7月5日にかいたものですが、ふと、懐かしくなりまして、載せさせていただきました。

・・・・・・・・・・・・・・・

     <思い出のヨーロッパから・・・>


雨の中のさんぽから帰る
すこしお疲れ気味の私

起きてるのがちょっと辛い
すこしだけ横になろうとベットにいく

瞳をとじて
なにを思うの

いつのまにか瞳の奥にうかぶ風景

遠い日の「ハイジになった日」

なんだかうれしくて悲しい今の私

今日は雨

ただ何も考えず

静かに静かに
夢のつづきをみましょうか


想像のつばさひろげて・・・(追記あり)

2021-05-17 12:18:07 | 雨音らしく

ふと見上げる空は雨粒とよどむ灰色、けれどその奥には気づけない光があるのだろう

いくえにもおりなすクジャク色の虹を見たような思いになる

それは想像の翼をひろげ、今、この地球という星ものがたりを

現実の残酷すぎる遠い地の黒煙と地響きと悲鳴と赤く染まる血色の残像

豊かさに狂気乱舞し物欲と金の亡者の薄笑いにも見えてしまう虚しさを

いったい、いつまで続くのだろうか

この地球という星の歴史を刻みながら

やがて来る世界は氷の世界なのか、みどり輝くもののけ姫の世界

あの苔むした森をそぉーと触れてみる、なんと幸せな事よ

現実の世界は欲望と希望とをごちゃ混ぜにして

この地球という星の中で描く絵の中うごめく、夢を見る

私の願う平和はどんな人たちへも届きますようにと祈る

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

追記

昨日のニュース番組であのジョニーデップさんが「水俣病を題材にして」映画をつくるのだとか、日本を経済大国にするための犠牲になられた方々がいた事を忘れてはいけないと思いながら、最近の私は記憶も薄れていたことを思い起こさせて、「被爆の森」を見て、絶望だけではなくほんのわずかだけれど、未来をも希望の光があるのだと感じました、そして、「ビル,ゲイッツ」はまだ見てないけど、どんな風に感じるのだろうか・・・

 

(あなたたちは今もお元気だろうか、祈りながら、パキスタンでの山旅で)


自立して生きる事とスマホとカードと・・・

2021-05-15 11:02:23 | 生きて行くこと

昨日は公共交通機関を利用して、少し遠い病院への通院日でした、コロナ感染を恐れながらこわごわ、びくびく、電車に乗り、長い時間をひたすら待ち、検査と診察、今の私には拷問のような一日です、けれど、いつもこころのなかでこんな時間は本当の辛さや苦しさでは無いと自分に言い聞かせる。

最近、入院や検査が多かったので必ず聞かれるのが「ご家族は一緒ではないのですか」この言葉が私の返答に困る事だ、確かに家族はいるが相方は84歳の後期高齢者で今のこの時代に病院についてきてなど考えられないし、半2世帯住宅の1階にすむ息子もいますが、通院日ごとに仕事を休ませる事は出来ないので私一人で行くが、病院側はその事が理解できないほど、私自身の姿が弱弱しく、頼りなく見えているのだろうかと、複雑な思いになる、確かに眼は視力がかなり低い、耳は右がわずかに聞こえるだけで、3度の脳梗塞で持っていかれてしまった体力や体の機能低下でストックなしでは歩くのが不自由だが、歩けるし、このブログも53インチのテレビ画面をたよりに出来ている事はありがたいし、私の生き甲斐になっている。

数年前に死を現実の事として考えなくてはならずのときがあつた、その時に残された家族の大変さを思い、カード類すべてをキャンセルしてしまい、幸いにも奇跡のように生かされた命だから、大切に頑張って生きなくてはと日々心の中で誓いながら、介護保険を使わせていただくのは最後の最後だともおもい、今は自立して、最低限の家事をしてはいるが、ここ1年で42㎏になってしまった体は本音を言えば辛いけれど、まだまだ頑張れる・・・

この私もいよいよ「スマホ」を必要なのだと、思い知らされているこの頃だ、政府がデジタル庁とかを立ち上げるようだが、世界中の悪いハッカー集団が狙っているのではと心配になる、けれど、今の科学は途轍もなく早いスピードでこの地球と言う星の歴史を刻み込んでいるようで、そのことに私は付いていけてない自分が歯がゆくなるが、携帯電話の必要性を感じなかった私でも、やはり、スマホの便利さと頼るこの世界が必要なのだと思うけれど、このコロナが落ち着かなくては動けないし、行動出来ない事のイライラを自問自答しながら、時間とゆうものに押し流されて一日が過ぎていく・・・


政府のお考えと私の思いの違いと、一隅を照らす・・・

2021-05-12 21:02:55 | 頑張ろう、私

先ほどのニュースで政府のコロナワクチン接種をする大会場を東京、大阪に

設けるそうだけれど、私は多分その会場へは行けないとおもう、公共交通機関を使い病院に行く事さへこわごわ、びくびく、消毒のしまくりながら、月に何度か通院している身なので、今住む自治体を頼りにする事しか、考えられないし今は私には東京は遠すぎる場所になってしまった。

そんな思いの中で、ふと、思いついた事がありますが、とても無理な事なのでしょう、ニュース映像で「はとバスが駐車場を埋め尽くして停めているえいぞうです」あの観光用バスを利用して、ワクチン接種は出来ないものだろうかと、東京だけじゃなく、埼玉だって、千葉だって、神奈川だって、観光バス会社は今、どんな状況なのだろうか、助成金やら、救済金やらをその部分で使うことは出来ない事なのだろうかと、私の住む近くにコンビ二の大きな駐車場があり、いつも3割くらいしか車は留まって無くて広々で、我が家の引っ越しの時には「パンダマーク」の引っ越し屋さんがここの場所を利用させて頂き鮮やかなチームプレーによってわすか数時間であの大荷物をこの家にピタリと収めてくれました、引っ越しとワクチン接種を同じように考える事は出来ないだろうけれど、クリニックでの接種を国も容認して、はじめられたようですが、クリニックの待合室は狭い場所だとおもうし、私のすむ近くにはクリニックさんにお世話になっているのは眼科さんで、ワクチン接種をお願いできそうなところへ電話をしてみたけれど、断られました。

ワクチン接種のいろいろな仕組みや法律があって、観光バス利用の接種は不可能なのだと理解はしていますが、ワクチンコールセンターの話中の虚しいふー、ふーと音を聞くたびに誰からもどこからも取り残されて行く不安感に怯えてしまう、ここは日本国で民主主義の国ですから、自分から行動し、その責任は自己責任だと思っています。

けれど信じていた政治、政党に何だか裏切られた想いになってしまう、かと言って、野党のかな切り声で攻め立てる姿もやはり信じられない思いになる、いったい誰を信じればよいのでしょうか、分からなくなってきて・・・

あの中村哲先生の「一隅を照らす」の言葉が私の頭の中でこだまして、ああ~もういないのだな~と悲しい思いになる、あの日、ニュースで知って、号泣して、底知れぬ不安感が広がって行った、今、この地球上の恐怖感の予感がしたように思えてしまう・・・

さざ波でも小市民(庶民)はもがき苦しみながら溺れて死にそうですが何とか頑張ろう、私で生きて、生きて、生き抜いてやるの思いあらたに誓う。


昔がえり、青春の日のアップルパイと恥テスト?(追記あり)

2021-05-11 10:29:13 | 雨音らしく

相変わらず、まだコロナワクチン予約は出来ない日々ですが、これも

私に定められた運命なのでしょう。

よくお邪魔させていただくある方のブログで「アップルパイ」の絵を拝見していてわたしの昔帰りは一気に華の東京へ出てきたころに思いが行ってしまった、ここで何度か書かせていただてますが「北川民治」と言う方の絵(本にのっていた)を観てなぜか東京に行こうと思った事が私の人生の大きな分岐点だったから・・・東京に出て来て、あまりにも私の置かれている環境の違いから、毎日が緊張の連続だったのでしょう、ある日耳の後ろを鏡で見て驚きました耳の後ろの髪の毛が無くなっていましたこれがおそらく神経ハゲと言う物だったのでしょう、それからの私は帽子をかぶる習慣が、今はハゲは無いけれど髪の毛はだいぶ薄くなりましたが・・・

あの時の緊張状態を自分なりに克服する方法として、自分がどれだけ恥ずかしさに耐える事が出来るのかを考えて「唐草模様の風呂敷に何かを包んで背負い」駒込駅前から本郷3丁目くらいまで都電に乗り自分の恥ずかしさに耐える事を試す行為がその頃の私に出来る行動だった若き日の苦い経験を思い出して・・・

その何年後かにあの懐かしい「アップルパイ」に出会いました、きっかけはもう忘れてしまったけれど、御茶ノ水、聖橋、ニコライ堂と共にその近くにあった小さなお店の「ジロー」と言うケーキ屋さんがあって、当時のお給料は今とは一桁も低い金額でしたので、アップルパイを食べられることは贅沢なことでした、それでも、私は数少ない友人や知人宅を訪問させていただくときには分発して、ジローのアップルパイが手土産と決めていたように思い出されます。

あの頃の友人、知人とはもう疎遠になってしまいましたが、アップルパイの美味しかったことと昔帰りが出来る私の人生に乾杯ですね、そしてありがとうです。 (5月9日記)

 

追記

今の諸々の苦しみから現実逃避なのか、私は今、昔帰りばかりしている、アップルパイ食い意地と同列で書いたらいけないのかもと思いながらも、同時期に思わぬお方と出会っていました、その方は昭和天皇の弟宮様です、たぶん仕事で乗っていたバスに東京大学の正門前だったか赤門だったかは忘れましたが、私が乗っていたバスに普通に乗り込んでいらっしゃいました、おつきの方がいたかどうかは忘れましたが、え~と驚いて、このお馬鹿さんの私は好奇心からずーとみていて、私が下りたのか宮様が下りられたのか忘れましたが、御茶ノ水駅前だったの覚えています、私などお馬鹿さんはバスの中から外を見るのが大好きなのですが、宮様は微動だにせずの状態でお席に座られていた事が思い出されて今ふしぎに思い出すことです、そして、何十年かすぎたある日、何処からの帰国だったのか忘れましたが、入国手続きがすんでやれやれと成田の飛行場の中で俳優の藤岡弘さんが隣を歩いていました、その姿はすきとおるような綺麗さでその場所だけが光輝やいていた、スターさんとはこんなにもきれいなんだな~と感じた記憶があります。

おかげさまで良い時代を生きさせて頂き、たくさんの飛行機に乗ることが出来ました、その多くは成田飛行場を利用が多かったことから多くの芸能人と遭遇するという経験をさせていただきました、その中にはいけない事をしてニュースのもとになった方もいたり、また、預けた荷物を受け取る場所の回るレーンの上で麻薬?探知犬にも遭遇して最初はどうしてこんな場所に犬がいるのだろうとおばかさんの私はワンちゃんが好きだから傍によって行きたくなってしまって、ふと、気づいて、慌ててやめた記憶が懐かしい・・・

今はコロナ鎖国状態で行きたい国に自由には行く事が出来ませんが、きっと、いつかは、夢も希望も叶う日が来ることでしょう、そんな日が少しでも早く来ることを願い、祈りながら・・・

もう一月も過ぎれば77歳になりますが、自分自身の人生を顧みた時、本当に人の運に恵まれた良い人生を生きている事にありがたく、感謝の人生だと感じています。

(写真、パタゴニアの風景です)


小田和正、さだまさし、井上陽水・その詩の世界?(追記あり)

2021-05-08 10:18:36 | 日々の輝き

久しぶりに小田和正の映像を観て、ちょっと生意気な感じだけれど、小田和正さんの詩はとてもやさしくてわかりやすいんだな~とおもって、ふと、さだまさしさんの詩は直球(野球の事わからないけど)的な言葉で心の中にすとんと入ってくる、井上陽水さんの詩は摩訶不思議な言葉がつづいて、それぞれの言葉と言葉のつながるあいだにいくつものストーリーを描けれ気がする。

実際はこんな簡単なメッセージではないのだろうけれど、今の私には音楽は擬音でしかない聴力だから、昔、げんきだったころのなじみの曲しか聴こえてはこない、記憶の中で奏でる音楽だ。

けれどやはり、音楽は良い元気さを私に与えてくれる、小田さんのライブ映像を観ながら,気づいたら「ラブ・ストーリは突然に」をうたってた?新しい曲はぜんぜん聞こえていないから詩を読み込んで、お三方の詩の世界感の違いを感じたのかも知れない・・・

私の人生の大半は山と仕事と子育て、家事で寝る時間も無いほど、全速力で生きて来た、やりたいと思う事のほとんどをやれた素晴らしい人生をおくれたのだから、思い残しも悔いも無い、けれど、今、苦しいけれど生かされている事この命ある事の感謝を忘れてはいけないのだろう、まだ、相方さんに恩返しが出来ていないから、生かされている?

お久しぶりに観る小田さんのライブ映像を観ながら、昔帰りをしては、懐かしさと心の片隅の淋しさを感じて・・・

あるコマーシャルに出てくる「お母さんがパンかじりながら子供の持ち物に、何とか?大輔と書いている」その姿が私の人生の姿とダブって見えているから、にが笑いして、こそばゆい時間だ。

好きな曲やアーティストの方は多くいたけれど、ライブ会場には行った事が無いと言うよりは山につぎ込んだお金や時間が大きくて、ライブまでは手がお金が出せなかったのが現実の事だったのだろう、良い時代を生かされて本当にありがたい事だ、感謝の気持ちと、あとの世代の為に何かをしたいけれど、何が出来るのだろうか、せめて、のちの世が平和であってほしいと願いながら、戦争は絶対にしてはいけないと、叫びつづけることぐらいだ!

 

追記、5月8日

ライブに行った事が無いと書いてしまいましたが、イ・ビョンホンさんのイベントには何度か行きましたのでやはり、これもライブなのですよね、なにしろファンクラブと言う物に入会したのはビョンホンさんだけでしたので、初めの頃はファン同士の同好会の集まりのような和やかな感じで「無償の愛」の世界でしたが、其のころの時代は韓流と言う言葉が飛び交うようになってたちまち業界が入り込んでファンクラブ事務所が立ち上がりました。

私には何が何だかわからずにお仲間の方のお誘いで「入り待ち・出待ち」という事や追いかける事も体験させていただき、けれど、私にはあまり理解のできない事でしたので、3回ほどイベントにも参加させていただき、その後は財源も体力も無く、それでも、韓国での映画の試写会に行った事があります。ビョンホンさんの舞台挨拶は、日本の業者さんが座席を買い占めていて韓国のファンの方の不満の声をききながらも、私は業者さんにお願いしたわけでもないけれど奇跡的にビョンホンさんとの2mほどの近さの席を買う事が出来て驚きと、あまりにも素敵すぎる姿にまばゆいほどの、それでも韓国では映画館で写真撮影が出来るので、お写真を撮影させていただき、フラッシュがまぶしかったのか、私をみるビョンホンさんの眼が厳しかったように感じて何だか申し訳ない思いが今でもよみがえります。

日本の映画試写会は多分写真撮影は出来ないのではと思いますが、どうなのかわかりませんが、たった一人で韓国、ソウルの街をコンパスを片手に彷徨いながら歩いた記憶が鮮やかに思い出されます、感謝ですね。


ショック、大ショック、コロナワクチン予約出来なかった。(再)

2021-05-06 15:32:08 | 頑張ろう、私

4月の10日頃だったろうか、待ちに待った「新型コロナワクチン接種のご案内」がとどいてから、毎日毎日ワクチン接種コールセンターへ電話をし続けたがつながらず、今日やっと、つながったら「5月、6月の接種予約は終了しました」とつめたく電子会話が流れて来た、えええ???、私はしばらくの間呆然として、そして、ひどく裏切られた思いになった。

接種予約券案内には確かに「希望者全員のワクチンを確保致しますので、慌てずにお待ちくださいと書いてありましたが、私は後期高齢者です、のべつ電話に張り付いてかけ続ければ、予約が取れたのかもしれないけれど、1日に5回も電話していたけど予約できなかった悲しみがこの胸の中で複雑に政治家への不満と怒りがこみあげてくるが、それでも、日本て、いいな~やはり、今この場所にいられる事に感謝なのだと気持ちを入れ替えて、7月の予約を待ちましょうと相方さんと話したりしては、心穏やかにと自分に言い聞かせている・・・

今日は5月6日、今日只今もコロナワクチン接種予約は出来ていません、毎日何度か電話してるけど相変わらず、話中の悲しげなプー、プーの音がするだけです、政府のお偉い方はそれぞれにテレビ出演して、7月末までにはワクチン接種希望者全員に出来ますからと言われてるけど、本当に大丈夫なのだろうか・・・

ニュース番組ではどこかの自治体での「チケットとりあい合戦」親の為にかぞく総出でネット予約、電話予約をしているようですが、我が家には誰も助けてくれる人がいない孤立無援の自立して生きています。

この街に越してきて3年半、まだまだ新参者でしかない、この自治体に心のどこかで、見放されて取り残されているような気分になる情けない「後期高齢者」のふたりの今の虚しくて悲しい思いは、何処かで切り捨てて、頑張って生きなくてはと、思いながらも、毎日襲い掛かる不安感との葛藤で一日が過ぎていく・・・

昨日、札幌ではオリンピックのテスト大会「マラソン」がありました。

夜のニュース番組で、オリンピックの決まりごとがいろいろと、政治、権力、お金の絡み合いの複雑さを改めて感じた、オ・モ・テ・ナ・シ・出来ないオリンピック、引くモ地獄、おしても地獄、それに、大作曲家と同じ名前の方のなんとなく、気分を害する言葉が嫌になる。

いろんなことをがんじがらめにしているにっくき「怪物コロナめ」いったい誰を恨めばこの気持ちが楽になるのだろうか・・・

アスリートファースト、と言う言葉がとても切ない気持ちにさせられた一日でした。

願わくば平和のためのオリンピックであってほしいです。

 

 


私を輝かせてくれた3人の騎士 (追記あり)

2021-05-04 09:44:58 | 日々の輝き

今を生きるには毎日が登山の苦しみのように辛さに耐え、生きなくては、恩ある方型に申し訳ない、もちろんわが相方に感謝だけれど・・

(追記)

歳月はあまりにも早い、ビョンホンさんの突然の出逢い、あれからもう15年以上が過ぎて行った、あの頃の魂の揺れる感情はもう私の中で感じる事が出来ないけれど、いちファンとしてやはり素晴らしい俳優さんだと思う、突然の出逢いの時は私は心の病に苦しんでいた真っただ中だった、あまりにも偶然だったのか必然だったのか、あとで知ったことだけれど、私が突然の出逢いをしたドラマを撮影していた頃にビョンホンさんも同じ病に苦しみながら演じていた事を知った。

下の記事は 2013年に載せた記事です。

今を生きるために私のひとのめぐりあわせの幸運に感謝して、再び載せさせてください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<オーラの渦の中で、長谷川恒男氏>

私が、この方と出逢ったのは、もう20年以上前の事だ、私は一人で、どうしても、八ヶ岳の冬景色が見たくて、出かけた、赤岳鉱泉へ、一人で雪山へ入るのは始めてだった事もあり、かなり緊張していて、不安もあり、どうしても早歩きして、休憩もなしで、ただ、黙々と歩いていると、数人のご婦人を連れた「長谷川恒男氏」に出会った。

今まで、山関係の本でしか出会っていなかった方で、私のやっている登山とは、およそ、かけ離れた世界で活躍されている方が、今、目の前を歩いている事に、そして、なんだか、表現の出来ない、輝きを見たような気がして、ただ、吸い寄せられるような思いになった感情を今でも、あの時の昂ぶる感覚を、時々思い出している。

そして、八ヶ岳でのすれ違いから、数ヶ月後に、ある雑誌を読んでいて、どうしても、逢って、お話をしてみたいと、思い切って電話をかけさせて頂いた、その時に、なんと、ご本人が、いきなり、受話器の向こうから、長谷川です!と答えたのです。

その時の、驚きは、その日一日、家の中を、飛び跳ねて、踊りだしているほどの、興奮を覚えて、家族が帰宅する度に、今日の出来事、すごい事があったのだと、話しては、私一人、舞い上がっていたのでした。

その出来事を機会に、私の登山は、それまでの山の世界とは、まったく違った、体験の連続で、いよいよ、私は、雪山から、岩からの魔法に完全に呑み込まれて、山からの魂の虜になっていきました。

元々体力のなかった私は、ただ、頑張る事しか、その魂を、体のすべての細胞が喜びに打ち震える、幸せを追い求めて行く事なのだと・・・

もう、私にはこれ以上の、能力も、力も、尽き果ててしまったと思えた時!!!
長谷川さんの、的確なアドバイスの一言が、思ってもいなかった力と登山技術が私に授かるのです。

そして、又、一段と、山の魔力に取り付かれて、長谷川さんの放つ、オーラの渦の中で、これ以上の幸せな事は無い!と思える日々でした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


<山の世界で、はじめて出逢った、心温かき人、近藤謙司氏>

この方との出会いは、もう何年になるのだろう、岩のぼりをはじめて間もなくの頃、私の周りには、中々岩のぼりをする人が少なくて、仕方なく一人で、鹿沼の岩山へ、ザイルを担いで、出かけて、その頃覚えたての、単独で岩をのぼる方法を試しにやっていて、手違いから、宙吊りになっていた私を、たまたま、そこを通った近藤さんが助けてくれた、命の恩人でもあるのです。

そのあと、しばらくの間、お逢いする機会も無く、数年が過ぎた頃、ある場所で、偶然お逢い出来た事が、私の幸運な出逢いなのでしょう。

そして、私には、とても、大切な、ボリビア、パリナコータ峰への登山は心の中の宝として残っています。

現実の山の世界は、私が生意気に言う事ではないのですが、とても、激しい競争社会なのです、それは、多少の差こそあれ、一般の山岳会のような場所でさえ、競争心の働く、よく言えば、ライバル意識であり、それと同時に心のつながり(絆)お互いを励ましあいすることでもあるのですが・・・

そんな世界で、これほどの心が穏やかで、優しさと気遣いの出来る方に出逢ったのは、まさに幸運な事だと、感謝しています。

何度も、国内、海外へと、ご一緒させて頂きましたが、一度として、嫌な感情になった事がないのです。

時として、登山家と言われる方々は、独特で個性が強くて、特に山へ入ってしまうと、人格が変わってしまい、失望してしまう事も多いのです(言い過ぎなのかもしれないけれど・・・)

でも、近藤さんは、いつも、人としての温かさを感じさせてくれる、そして、ご自身の山に対する思いも大切にして、ご自身が選ばれた道を進む姿がとても魅力あふれている、そんな思いにさせてくれるのです。

以前に出した「美しき魂にささえられて」私の書いたつたない本へ快く、推薦文を書いて下さった、とても、忙しい体なのに!!!
現在では「エベレストをはじめ、多くのヒマラヤの高山をガイドして、ヒマラヤや南米、ヨーロッパアルプスなどの高山や岸壁にあこがれる人たちの夢を叶えてくださってる心優しき岳人、スケジュールの中で書いていただけたことを心から本当に感謝しています。

私の書いたつたない小説の中で近藤さんのイメージを私なりに描かせていただいたものがいくつかの物語の中で出てきます、あくまでも私の勝手な思いを書かせていただいたものですが!!!

お人柄の良さが、多くの方から、頼れる存在として、とても、ファンが多い方なのです。
私も、元気な体になったら、何処へ、ご一緒させて頂こうかと、夢を膨らませていますが・・・

<私は今、10年ぶりに山のぼりに復活を夢見て、毎日体力増強に頑張っています。>
<秋山に向けて毎日の散歩、目標に向かって、不自由な体を奮い立たせています!>


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


<苦しみの中で、突然の出逢い、イ・ビョンホンさん>

あれからもう、8年の歳月を迎えようとしています!!!
あの日、なにかの、啓示のように、突然目の前に現れた、ビョンホンシ、本当に予期せぬ出来事でした。

今、このブログに、こんな風に言葉を綴れる事が不思議に思えるほど、あの頃は、この頭に何も言葉も、感情もなくて、ただ、息をしてそこにいるだけの私でした。

ただ、お前は生きていても何の価値も無い人間!!!
何の希望も無い、これから益々、苦しい、体が弱って行くだけだ!!!
それなら、いっそ、誰にも、迷惑がかからない、今、終わりにした方が!!!

そんな言葉が、時々現れては、消えて行く、そんな日々でした。
でも、何処かで、生きなくては、と、言う思いがあったのでしょう、その、わずかな思いが、ビョンホンシの魂の演技に繋がったのだと、私は思えるのです。

あの日、生きる事へ方向転換させて下さった、ビョンホンさんの魂が、ひとつの言葉・・・
『美しき人』この表現が、次の言葉、『愛しさや感性、感情と情熱そして諦めない努力』につながり・・・

今、こんなにも言葉が生まれて、喜びにあふれて・・・

感謝の気持ちで、胸が熱くなる・・・

私の人生の中で、本当に多くの人に出会い、影響され、私自身をたかめる為に、又、誰かの役に立ちたいと思った時もあったけれど、私に出来る事は本当にわずかな事、けれどたくさんの人に助けられて、今の私がここにいられる事が、ありがたくて、嬉しい・・・

これからの私は、どんな人に出会い、私を輝かせてくださるのだろうか・・・

きょう、書かせて頂いた御三人方には、私の人生を特別に輝かせてくださった人・・・

私がお返し出来る事は・・・

『感謝』この言葉でしか、表せない思いです・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

★以前に書いたきじですが少し手直しして、だしてみました。
 お読みいただければ嬉しいです。