五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

職人に思う構想

2012年06月03日 | 第2章 五感と体感
昨日、六本木の新国立美術館でセザンヌ展を観ました。公募展やエルミタージュ美術館展も開催されており、芸術を愛する日本人の好奇心向学心をしみじみと感じて、椅子に座りあまり好きではない美術館のウネウネした建築をぼんやりと眺め、私の前を通り過ぎてゆく人々の鑑賞も愉しんできました。

日本の美術館にもセザンヌの代表的な絵画が所蔵されており、海外の大きな美術館に行けば当たり前のように展示されているセザンヌ。印象派の代表格として有名ではありますが、これだけの規模の展覧会はなかなか実現できるものではありません。
極東の日本へ運ぶための費用と保険の費用は鑑賞者には見えませんが、それらが整わなくては展覧会は開催できないのです。

今回の私のお楽しみは、セザンヌの絵も勿論ですが、額縁でした。

誰もが知っている画家であるが故、その絵画を生かすための額縁は、素晴らしい出来です。フランスの歴史的建築物の切れ端が集約されたような技術の深さを改めて拝見させていただきました。
石を彫るかのごとく、厚みのある木材を深く彫刻してある額縁は、これだけの大家の作品展でないと観る事はできないのです。

バリ島の木彫も手の込んだ繊細なものであるし、勿論、日本は仏師による木彫技術は言うまでも無く素晴らしいものです。
明治時代の廃仏棄釈で、平気で仏様を投げ捨ててしまったことで、どれだけ素晴らしい彫刻が捨てられ、どれだけ腕利きの仏師が職を失ったか想像すると、とても哀しくなりますが、日本人の持つ腕の良さは、私達の遺伝子に組み込まれているものであることは確かなのです。
美術館にこれだけの人が集まるというのも、巧みな何かが遺伝子に組み込まれていて、それが展覧会に足を運び、何かを表現する情動現象に表れている証拠であると思うわけです。

明治時代、ヨーロッパ絵画がどんどん日本に入ってきた時に、売れない彫刻家が額縁を作り出した話はよく聞きますが、仏師が洋画の額縁を彫った話は、そういえば耳にしたことがありません。多分、私が知らないだけの話であり、気に留めて調べてみようかな、と思います。

安易に額縁を手に入れる事の出来る時代が、果たして豊かであるのか…
機械で安易に表装をしてしまう時代が、果たして望ましいのか…

ちょっぴり考えさせられた一日でした。

人々が極上の一品を愛すると、それに纏わる何人もの職人が、自分の技でご飯を食べて行くことができるるのです。

入学者のいない大学を放置することよりも、現代でいえば、シルク ド ソレイユのような団体を一つ作ったほうが、より経済が活性化するように思います。
質の高さは、は命がけの技が必要ですし、命がけの人を支えるためには、更に人の手による繊細な技が必要になってきます。
本気のものを作ろうとすると、ほんとうに好きなことをしながらご飯が食べていけるように思うのです。

大学を作るより、一つの理想的な村を作ることのほうが、本気度が増してくるかもしれません。
そこでNPOというシステムを上手く活用すれば、大学よりも魅力的な学び舎ができるように思います。

セザンヌから、だんだん逸れた日曜の朝の長い呟きでございました。

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