歴史の街京都は、世界中から注目を集める文化遺産都市である一方で、日本有数の最先端学術研究都市でもある。発明、発見やノーベル賞受賞者の数で東大を圧倒する京都大学を筆頭に、古都の街並みに割拠する大学は数知れない。この平安大学も理工系に特化した学部構成で有名であり、京セラや島津製作所など、日本を代表する関西の理工系企業との共同研究で異彩を放つ研究者を数多く抱えている。市西部の葛野大路四条に建つ近代的設備の整った学舎は、寝食を忘れて研究に没頭する人々のために夜中といえども灯火が途絶える事はない。鬼童海丸は、そんな明かりに引かれる昆虫のように、長駆夢隠村鍾乳洞から、ここ平安大学のとある研究室に辿り着いていた。
鬼童がわざわざ京都くんだりまで出向いてきたのは、もちろん理由がある。それは、夢隠村で辛うじて手に入れた、白い小さな粒のためであった。精神エネルギーを検知したそれは、明らかに時間とともに弱りつつある。何とかしたいが、残念ながら鬼童にはどうしていいかわからない。そこで鬼童は、自分にはない知識と経験を所有する、専門家の指導を仰ぐ事にした。幸い、鬼童の交友リストに、うってつけの人物があった。学生時代、植物学を専攻していた友人である。鬼童は直ちに西に足をむけ、ここ平安大学の地球生態学研究室の主、北岡俊弘助教授の元に直行したのだった。
突然の訪問を受けた北岡は、鬼童に倍するゆったりとした格幅の身体を窮屈そうに椅子に預けていた。
「で、また急にどういう風の吹き回しや? お前さんの方からこっちに出てくるやなんて」
研究者仲間における鬼童の評判は、さしていいわけではない。特に純粋に物理学を探求している古株は露骨に鬼童を嫌い、精神分析や心理学研究者などからは、裏切り者呼ばわりされている。結局、鬼童の提唱する超心理物理学という新分野が双方の権威から総スカンをくっているのである。もっとも、この画期的な新分野についてこられない旧守の研究者など、鬼童の方でも相手にしてはいない。学問の府、大学といえども、鬼童の目にかなうような優秀な人材は、そう多くはいないのである。その中で北岡は、植物学関係では鬼童も一目置く天才的手腕の持ち主であり、学生時代から妙に鬼童と馬が合う、という点だけでも、誠に貴重な存在と言えた。
鬼童は勧められたお茶を一口すすると、訪問したわけを北岡に話した。
「実は、こいつを見てもらいたいと思ってきたんだ」
鬼童は、親指ほどの太さしかない小さなサンプルビンを内ポケットから取り出して、北岡に見せた。
「多分僕は植物じゃないか、と思ったんだが、どうも良く分からなくてね」
「ほう? 天才にも分からん事があるんか?」
言うのが北岡でなければ、それはかなりの毒を感じさせるせりふだ。だがもちろん北岡に鬼童を揶揄する意図など無い。学生の頃とまるで変わらない、関西弁による軽い挨拶替わりである。もちろん鬼童もそれは心得ており、苦笑で頬をほころばせながら黙ってサンプル壜を北岡に手渡した。北岡は満月に目鼻を付けたようなふくよかな顔にいたずらっぽい表情をひらめかせ、じっと金色の砂に鎮座する、角の二本はえた真っ白の粒を見つめた。
「こいつ、サボテンの幼苗やな。種から生えたばっかりみたいやが、それも、アルビノか」
「アルビノ?」
「ああ。よう見てみ。真っ白の身体しとるやろ? こいつは、生れ付き葉緑素を造る事が出けへん突然変異が起こってるわけや。こんな風な色素欠乏を、アルビノっちゅうんやで。で、このサボテンがどうかしたのか?」
「実は、それから奇妙な精神波を検知したんだ」
鬼童は、発見直後の計測値をかい摘んで北岡に話した。
「つまり、これは何らかの精神活動を行い、精神エネルギーを放射している。心を持っていると言っても過言じゃないと思われるのさ」
ここで余人なら笑い飛ばすか馬鹿にするか、とにかくまともに鬼童の話を聞こうともしないだろう。だが北岡は、表面上はさして動じる事もなく鬼童の話を受けとめた。
「植物が心を持ってる、とはな」
北岡は湯飲みを傾けてお茶をすすると、鬼童に言った。
「確かに植物は、我々人間が想像してる以上に活発に情報をやりとりし、環境適応を計って生き延びてきた地球上最年長の生物群や。中でもサボテンは、特に過酷な自然環境に適応してきた、植物進化系の一極点と言っていい。そやけどだからゆうて心を持ってるっちゅうのは、ちょっと飛躍しすぎのように思えるな」
北岡の専門は、植物におけるコミュニケーションの解明である。植物は、一見個々独立したもので、外の環境を感じ取れるような感覚もないように見える。だが、実際には驚くほど豊富な感覚器官を持っており、様々な揮発性物質を駆使して、離れた個体と会話でもするかのように情報のやりとりをしているのだ。そのコミュニケーションのあり方を解明すれば、人間もそれを応用して植物と会話できるようになるかも知れない、と言うのが北岡の考えである。現に、樹医と呼ばれる、植物と話しをしているとしか思えない熟練の技で、各地の枯れかけた古木をよみがえらせている人物もいる。その機微を掴み、誰でも植物と意志が通じるようにする事が、北岡の夢であり、目標でもあった。だが、その北岡をもってしても、鬼童の言う事はやや突飛に過ぎた。
鬼童は、その反応を至極当然と思いつつ、ここに来た要件を切り出した。
鬼童がわざわざ京都くんだりまで出向いてきたのは、もちろん理由がある。それは、夢隠村で辛うじて手に入れた、白い小さな粒のためであった。精神エネルギーを検知したそれは、明らかに時間とともに弱りつつある。何とかしたいが、残念ながら鬼童にはどうしていいかわからない。そこで鬼童は、自分にはない知識と経験を所有する、専門家の指導を仰ぐ事にした。幸い、鬼童の交友リストに、うってつけの人物があった。学生時代、植物学を専攻していた友人である。鬼童は直ちに西に足をむけ、ここ平安大学の地球生態学研究室の主、北岡俊弘助教授の元に直行したのだった。
突然の訪問を受けた北岡は、鬼童に倍するゆったりとした格幅の身体を窮屈そうに椅子に預けていた。
「で、また急にどういう風の吹き回しや? お前さんの方からこっちに出てくるやなんて」
研究者仲間における鬼童の評判は、さしていいわけではない。特に純粋に物理学を探求している古株は露骨に鬼童を嫌い、精神分析や心理学研究者などからは、裏切り者呼ばわりされている。結局、鬼童の提唱する超心理物理学という新分野が双方の権威から総スカンをくっているのである。もっとも、この画期的な新分野についてこられない旧守の研究者など、鬼童の方でも相手にしてはいない。学問の府、大学といえども、鬼童の目にかなうような優秀な人材は、そう多くはいないのである。その中で北岡は、植物学関係では鬼童も一目置く天才的手腕の持ち主であり、学生時代から妙に鬼童と馬が合う、という点だけでも、誠に貴重な存在と言えた。
鬼童は勧められたお茶を一口すすると、訪問したわけを北岡に話した。
「実は、こいつを見てもらいたいと思ってきたんだ」
鬼童は、親指ほどの太さしかない小さなサンプルビンを内ポケットから取り出して、北岡に見せた。
「多分僕は植物じゃないか、と思ったんだが、どうも良く分からなくてね」
「ほう? 天才にも分からん事があるんか?」
言うのが北岡でなければ、それはかなりの毒を感じさせるせりふだ。だがもちろん北岡に鬼童を揶揄する意図など無い。学生の頃とまるで変わらない、関西弁による軽い挨拶替わりである。もちろん鬼童もそれは心得ており、苦笑で頬をほころばせながら黙ってサンプル壜を北岡に手渡した。北岡は満月に目鼻を付けたようなふくよかな顔にいたずらっぽい表情をひらめかせ、じっと金色の砂に鎮座する、角の二本はえた真っ白の粒を見つめた。
「こいつ、サボテンの幼苗やな。種から生えたばっかりみたいやが、それも、アルビノか」
「アルビノ?」
「ああ。よう見てみ。真っ白の身体しとるやろ? こいつは、生れ付き葉緑素を造る事が出けへん突然変異が起こってるわけや。こんな風な色素欠乏を、アルビノっちゅうんやで。で、このサボテンがどうかしたのか?」
「実は、それから奇妙な精神波を検知したんだ」
鬼童は、発見直後の計測値をかい摘んで北岡に話した。
「つまり、これは何らかの精神活動を行い、精神エネルギーを放射している。心を持っていると言っても過言じゃないと思われるのさ」
ここで余人なら笑い飛ばすか馬鹿にするか、とにかくまともに鬼童の話を聞こうともしないだろう。だが北岡は、表面上はさして動じる事もなく鬼童の話を受けとめた。
「植物が心を持ってる、とはな」
北岡は湯飲みを傾けてお茶をすすると、鬼童に言った。
「確かに植物は、我々人間が想像してる以上に活発に情報をやりとりし、環境適応を計って生き延びてきた地球上最年長の生物群や。中でもサボテンは、特に過酷な自然環境に適応してきた、植物進化系の一極点と言っていい。そやけどだからゆうて心を持ってるっちゅうのは、ちょっと飛躍しすぎのように思えるな」
北岡の専門は、植物におけるコミュニケーションの解明である。植物は、一見個々独立したもので、外の環境を感じ取れるような感覚もないように見える。だが、実際には驚くほど豊富な感覚器官を持っており、様々な揮発性物質を駆使して、離れた個体と会話でもするかのように情報のやりとりをしているのだ。そのコミュニケーションのあり方を解明すれば、人間もそれを応用して植物と会話できるようになるかも知れない、と言うのが北岡の考えである。現に、樹医と呼ばれる、植物と話しをしているとしか思えない熟練の技で、各地の枯れかけた古木をよみがえらせている人物もいる。その機微を掴み、誰でも植物と意志が通じるようにする事が、北岡の夢であり、目標でもあった。だが、その北岡をもってしても、鬼童の言う事はやや突飛に過ぎた。
鬼童は、その反応を至極当然と思いつつ、ここに来た要件を切り出した。
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