珍玉ぼやんのコピバン日記とその他諸々

わたくし「ぼやん」のバンド活動についての記録・記憶・告知です。

今一

2016-11-07 20:34:18 | 歴史
名古屋で「Lunatic Style」というLUNA SEAのコピーバンドをやっているのだが、ギターの一人が指を怪我してしまい、しかも重傷という最悪な事態になってしまった。

更にはしばらく単身赴任になるらしい。

どうなるLunatic Style!?






高校に入学してからのバンドは、とりあえず1年生の間は先輩達に目を付けられないよう大人しくしていることにした。

ヤンキーの多い高校は色々と大変なのである。

そして2年生の文化祭に向けて練習を始めるが、俺がドラムということでドラムを購入したので、うちで練習することになった。

うちは離れがあり仕事の作業場だったのだが、俺が勝手に自宅練習場へと改造してしまった。

今から考えたら親父に悪い事をしたなと反省しかない。

毎週のように集まり日曜日の昼間に練習をした。

三井くんだけは家が遠いので個人練習で、家が近い向井ちゃんと杉ちゃんの3人で練習することが多かった。

当然ながら生ドラムで練習するのだが、当然ながら部屋は防音設備などなく外には爆音が響いていた。

でも特に苦情とかは無く爆音で練習していた。

後から聞いた話なんだけど、実は親父が近所の人に

「うちの息子がバンドを始めたんだ。少しうるさいかもしれないけど若いうちしか出来ないことだし、勘弁してやってくれないか」

と頭を下げていたらしい。

有り難い話である。

ヴォーカルが居ないということで必然とインストナンバーを選ぶことになるのだが、音楽に疎い俺はベンチャーズ位しか浮かばなかった。

しかし丁度良いタイミング(?)でXJAPANのPATAがソロアルバムを発売し、その中のインストナンバーもコピーすることになった。

それでもまだ曲が足りないので、XJAPANの曲のギターソロをメドレーで四苦八苦しながらやってみたり試行錯誤してみた。


この頃から向井ちゃんは日本のロックより海外のロックバンドに興味を持ち始め、ド定番のディープ・パープルなども聞いていたので、そこからも何曲か誰もが知るギターリフをメドレーで組み合わせてみた。

そこで圧倒的だったのが向井ちゃんで、ヴァン・ヘイレンのライヴでのギターソロをそのままコピーしようとしたのである。

この頃から向井ちゃんは他のメンバーより抜きん出た存在になっていた。

そして本番が近付くなかある朗報が入ってきた。

なんと歌ってくれる人が現れたのだ。

しかも1つ上の女子の先輩二人である。

しかしある条件があり「PUFFYのアジアの純真なら歌っても良い」との事だった。

素直なうちらは条件を飲みアジアの純真をやることになった。

ならばと俺から、

「あのPUFFY独特のステップってやってくれたりします?」

とお願いしてみたら、

「それをやれと言うなら歌わない」

と断固拒否された。

このクソアm…。

という訳で本番前最後の体育館での練習になった。

そこで初めて三井君のギターを聞いたのだが、思ってた以上にアレで驚いた。

そして本番。

YOSHIKIに憧れていた俺は多点ドラムに憧れていたので、太鼓とシンバルの数はYOSHIKIと同じ数で揃えていた。

無メーカーの三流品だったけど。

その多点セットでベンチャーズを叩くというのは今更ながらダサすぎたと反省している。

ベンチャーズのナンバーから始まり洋楽有名リフメドレーと続けていくが、お客さんの反応はイマイチ。

そして向井ちゃんのギターソロになるため一旦幕を閉める。

そして向井ちゃんがギターを弾くためのステージを準備する。

その名を「跳び箱」という。

12段フルに積んだ跳び箱の上でギターを弾くのだ。

面白カッコいい演出になるはずだったが、跳び箱へ飛び乗るときにギターシールドを踏んでしまい、シールドが千切れて慌てふためく事態となったのは良い思い出である。

一通りの曲を終えてラストのアジアの純真を始める。

この曲はキーボードを使うので、ピアノを少しやっていたことがある杉ちゃんがキーボードを弾き、向井ちゃんがベースを担当することに。

そこでまたセンスを見せたのが向井ちゃんで、ベース担当の杉ちゃんよりも何倍も上手にベースを弾くのである。

しかもサラッとツーフィンガーで弾くものだからカッコいいにも程がある。

女子先輩二人は上手くハモりながら歌ってくれて、最後の最後に盛り上がってステージを終えることが出来た。

先輩二人が歌ってくれなかったらどうなっていたのか。

中学の時とは違う、何かやりきれない気持ちで高校での初ステージを終えることとなった。

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