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少子化と労働問題2

2005年12月18日 14時16分12秒 | 社会全般
問題が非常に大きすぎて、個人の手に余るのですが、もう少し考えてみたいと思う。私が以前から提案していることは、個人単位の社会保障を確立した方がいいのではないか、企業等の雇用側は正規・非正規雇用に関係なく応分の負担をするべきではないか、ということでした。これは個人に入ってくる賃金という形(要するに貰う側にとって目に見える形)での平等効果(言葉が変ですが、表現が思いつかないので)ではなくて、社会的負担とか制度的なバックアップになるかと思います。個人の賃金を「同一労働・同一賃金」という金科玉条で解決しようとするのは甚だ困難である、ということには同意します。これはどこまでを「同一労働」と考えるかにもよると思うからです。ここを区分することはかなり困難だろうと思います。


また例で申し訳ないですが、仮にとあるラーメン屋があるとします。人気店でいつも忙しく店員達も休む間も無く働くということになるのですが、一方不人気の店もあってこちらはダラダラと仕事をしたりするとします。これはどう見たって、人気店の方が大変で不人気店は楽かもしれないですね。となれば、同じ「ラーメン店」ということであっても、賃金が異なるのは仕方がないのですね。これは売上ということにも相関しており、ひいてはお客様が「仕事の価値」を判断するという市場原理が働いているということにもなります。店員の賃金を間接的にマーケットが決めるという部分がある、ということです。これによって、とんでもなく不味い小料理屋とかイタリアンレストランは、マーケットの評価を受けて安い賃金が決定付けられ(悪けりゃ退場かな?)、良い仕事として評価が高ければ高い賃金も可能ということです。経営者の判断もあるので一概に言えませんが、従業員達にとっては良い評価を受ける店での就業によって、「不人気店よりも高い賃金が貰えるかもしれない」とか「賃金は少ししか変わらないが良い店の作り方を学べるかもしれない」というような利点が生まれます。なので、同じ仕事として「同一賃金」ということを実現するのは、中々難しいと思います。業務格差が少ない、例えば「中学校教員の業務」や「廃棄物回収業務」のような仕事においては、それなりに似た賃金体系が望ましい場合もあると思いますが(これも、最低賃金という意味で水準を設定することには意味があると思いますが、業績評価(それに応じた賃金上乗せ)はまた別の判断が必要なのだろうと思いますけれども)。


同一賃金という方法ではなくて、雇用の大きな分断となっていると考えられる社会保障の部分について、「格差を縮小する」という方が望ましいのではないかと思っています。それは例えば年金モデル世帯における「専業主婦」世帯と、共働き世帯の不平等にも現れています。専業主婦に優遇的であり(政策として女性の就業率を下げたい、という目的でもあるならば別ですが)、女性が自分の仕事を続けることによって不利となってしまう面があります。今後労働人口が減少していく中で、貴重な労働力として考えるのであればなおのこと、仕事をすることが賃金や年金に反映されるような社会保障制度が望ましいと思いますね。

それよりももっと大きな問題は、所謂フリーターと呼ばれる若年者達の「労働者としての権利」は考慮されているのか、ということです。国民年金や国民健康保険という制度に加入可能ですので、決定的な不利とまではならないとしても(しかし一部には未加入・未払い問題がある)、雇用保険にも未加入となってしまったりすると失業時の「保障」というのは全くありません。雇用契約においても不利な取扱となってしまい、実質的には正規雇用者達と大きな違いがない業務従事であるのに、権利は殆ど守られることがありません。こういう若年者達が増加することを許容するのであれば、それも仕方がないでしょうけど。


若年者達がフリーターやニートと呼ばれるような状況となってしまうと、その後の採用においても新卒者に比べて不利を覚悟しなければなりません。企業への調査においても約3割が「採用しない」としており、影響がないと考えている企業もあるものの、就業チャンスは少なくなってしまいます。それだけ「狭き門」となる、ということです。またフリーターの5年後滞留率(今フリーターの人が5年後にもフリーターである割合)は6割弱となっており、一度フリーターの道を歩み始めると、もう正規採用への道が閉ざされることも有りえる、ということです。このような人々は一生涯労働者としての権利を守られることなく過ぎてしまうかもしれないのです。それならば、働き方による区分を設けないようにして、賃金の差があるのは受け入れる(個人的能力などの違いもあると思うので)としても、社会保障という部分では大きな格差が生じないような方向性の方が望ましいと思います。すなわち、「正規雇用」「非正規雇用」という区分を、社会保障とか労働者権利からは無くしていく、ということです。現在のフリーター達にとっては、いかに転職を繰り返して沢山の仕事に就き、色々な経験を積み重ねたとしても、その後の仕事や賃金には反映されない場合が多いのではないかと思います。フリーターの職歴はほとんど評価の対象とならない、ということであれば、その人にとってそういう働き方はマイナスでしかないのですが、現実には雇用側がそういう若年者を求めて求人を多く出していたりするのは、別な見方をすれば大変ズルイやり方なのです。


雇用者側の社会保障負担が直線的になるのであれば、評価も概ねそのようになっていくと思います。一定の能力を持つ個人に対しては、その仕事の出来に応じてそれなりの賃金が支払われると思います。市場創生期では派遣・契約社員達の保障が不十分であることも多かったと思いますが、改善が進んでいる面もあるかと思います。正規雇用ではなくとも、そうした労働者達の権利を保護しようという意味だろうと思います。流動的な雇用ということも理解できますので(特に景気循環に左右され、昔のようにクビになってしまうリスクというのもそれなりにあったのかな、と)、働き方などによらず仕事の評価を受けられること、それに見合う保障や権利が確保されること、などが望ましいと思います。それによって、従来の正社員達の中に起こりつつある過重負担(週60時間以上の労働など)も緩和されるかもしれません。多くの若年者達は何か特定の仕事の能力とかスキルとかを身につける前の段階ですので、どこかでそうした教育とかトレーニングを受けないと、派遣にも契約社員にもなれない、という面もあると思います。正規雇用から漏れてしまって、キャリアを積める機会すらない、という状況が続くということになります。それがフリーター歴が長く続いてしまう理由の一つなのかもしれません。


若年労働者達の権利とか保障をどのように考えるか、職歴と個人の能力アップをどのように考えるか、幾つかに区分して問題解決の糸口を探すしかないと思います。





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