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オール人力狙撃システム試作機

原発の資産価値

2012年07月29日 18時34分58秒 | 社会全般
保安院の連中は、また小細工を弄しようという魂胆であろう、恐らく。
電力会社も経産省も、本当にゴミ屑どもが巣食ってるってことなのかもね。


コレ>http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120727-00000173-jij-soci


玄海1号機は「健全」=原子炉脆弱化の予測式改善へ―保安院

時事通信 7月27日(金)20時25分配信

 1975年に運転を始めた九州電力玄海原発1号機(佐賀県玄海町)で、原子炉圧力容器が中性子照射で予測以上に脆弱(ぜいじゃく)になったと解釈されるデータが出たことについて、経済産業省原子力安全・保安院は27日の専門家意見聴取会で、日本電気協会の予測計算式に問題があり、圧力容器の健全性は詳細調査で確認されているとの報告書をまとめた。
 老朽化した原発が増えるにつれ、脆弱化の状況を正しく把握する必要性が高まっている。保安院は9月に原子力規制庁に移行するが、同協会に予測式や評価方法の改善を求めるほか、原子炉内の試験片のデータを素早く収集する態勢を整える。



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玄海原発なんぞ、ほぼ40年選手なんだから、引退であっても不思議ではない。

なのに、ここに来て「健全だ」とお墨付きを与える原子力安全・保安院。どうしてこんなバカなことを今になってするのか?


批判をいくら受けようが、組織改編で消え去る運命だから。
なので、別に「今更、何が批判されようと、どうだっていい」と。自暴自棄にも似た、やりたい放題、と。組織が消えれば、後々になっても責任を問われないし、もし問題が表面化したとしても新たな組織の連中が責められるだけで、それでいい、と。


それから、電力会社にとっても十分なうまみがある、ということだろう。

それは、再稼働が困難になっていても、まだ「金になる方法」というのを諦めていないから、だ。


動かせなくても、換金できる方法というのがあるのだよ。

これはどういうことか?


残念なことに、拙ブログでも幾度か書いたことがアダとなってしまっている、ということだな。
全国の原発を買い取らせる方法を考慮する、という意見を書いたわけだ。


まあ、原発中毒者たる経団連が自分たちで買い取ればいいのだが、電力会社の寄生虫どもは違うことも考えるわけだ。それは、国に金を出させる、ということ。国が出すというのは、国民の税金だから、どっちにしろ電力会社も経団連の企業群も「自分の懐は痛くも痒くもない」ということだ。


で、国に買い取らせるということになった場合、資産価値がどのように認められるか、というのが問題意識である。

廃炉同然ならば、処分費用だけが嵩むから、マイナス査定、というのが普通。
だが、金の亡者たる電力会社と原発寄生虫どもは、現金化しようとするわけだよ。


そうすると、玄海1号機がほぼ廃炉同然だよね、と言われても、「いやいや、まだまだ現役です、使えます、だから査定は現役炉と同様です、遜色なしです」と言い張る、ということだ。その根拠として、「だって、保安院が使えるって言ったから」とするわけだ。


ゴミ屑どもは、ワル知恵だけは働く。
自分たちの金の為には、いかにして立ち回るかを正確に計算して行動する。その為の未来予測も、下準備も怠りなし。こういう能力は、もっと別な方向に使えばずっと有意義になるし、社会を良くすることにも繋がるのだが、何故か狂った連中はそうはならない。


再稼働の見通しは立たない状況で、超大な不良債権化した物件が原発なのだが、少なくともこれをプラス査定させて金をゲットしようという心意気だけは旺盛である、ということだな。



あれだ、中古車なんかと同じようなもんだ。
非常に古いので走れるかもしれないが、修理・メンテ費用や維持費がかさむのと、廃車費用がそれなりにかかるので、「この車の資産価値は、マイナス査定ですね」ということになる。ところが、金に汚い奴が言うには、「大丈夫だってば、この車はいつも新品同然に修理してきたし、傷んでなんかいないよ、保安院も大丈夫との太鼓判だから」、ということらしい。だから「もっと高値で買い取って」と。


そこに行きつくわけ。


玄海1号がそうできたのなら、他のアレも、こっちのアレも、ソレもコレも…ということになるわけだな。査定に大幅に下駄を履かせて、国民の金を毟り取ろう、と。そういう魂胆が見えるわけだ。もし再稼働に踏み切れたなら、やっぱり「まだまだ現役だよ、新品同然にイケるぜ」くらいの出まかせで、これまで通りに稼働させようってことだな。


本物のカスだな。
性根がとことんまで腐ってる。どうすりゃあ、こんなに外道になれるんだろうねえ。


究極の無責任体制。
汚い手を使おうが、出鱈目を通そうが、別にどうってことない、と。心も痛まない、と。どこまでもゴミになり切れる、と。それが、人の道に反することであっても、全然平気、と。


こういう連中が寄って集って、失敗を繰り返し、更なる害を社会にもたらす、と。




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