いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

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これは誇張が含まれます

2009年01月11日 18時05分41秒 | 社会全般
うーん、どうして歴史を紐解いたりしないのでしょう。

5号館のつぶやき パレスチナ・イスラエル・地図


イスラエル建国前は、元々イギリスの委任統治領でしたから、「パレスティナという独立国」が存在していたわけではありません。長年オスマン帝国の領土だったのですが、オスマン帝国が大戦で破れた為、戦勝国側の分割協議などを経て、英国統治が決まったわけです。主に英仏露が決めたものです。


左端の地図は、単純にイギリスの委任統治領の範囲を示すだけです。しかも、「パレスティナ」という地域を示しているだけに過ぎません。たとえていえば、「北海道」という範囲と地図が示されているだけで、「北海道」という国があるというわけではないのと同じです。

点在しているユダヤ人入植地は、北海道の点在する屯田兵の入った村落みたいなものと同じなので、とても少ない範囲に決まっています。
だからといって、その他の地域にびっしりとパレスティナ人が住んでいたわけではありません。色が塗ってあるからといっても、それが人々を表すわけではありません。人口が多かったであろう聖地エルサレムでさえ1900年頃には4~5万人の推定人口であり、1922年調査ではユダヤ人人口が34300人しかいませんでした。その後には移民が増加していきましたが、それでも建国時に全人口が78万人規模くらいになったに過ぎません。

47年の地図は、そもそも国連で協議された案です。
ユダヤ人が暴力的に奪い取ったという範囲ではありません。戦争で奪ったものではない、ということです。
国連にパレスティナに関する特別委員会が設置され、複数国からなる調査団が作られて、分割案が出されたものです。アメリカが先導した、ということはあるかもしれませんが、ソ連も賛成に回ったし、国連決議で決まったことです。イギリスは委任統治を放棄し、投票には棄権したようです。

この国連分割案に対して、ユダヤ入植側は受け入れ、アラブ側が拒否したのです。そしてアラブ側勢力は武力行為に及んだ為に、第一次中東戦争が勃発することとなったわけです。移民たちが好き好んで戦争したわけではないでしょう。むしろ、四面楚歌の状態で、絶滅危機に晒されながら戦い抜いたでしょう。

その後の中東戦争についても、発生原因が必ずしもイスラエル側にあるわけではありません。停戦協定によって国際間の取り決めでラインが決まるし、支配領域も決められると思いますので、イスラエルが侵略していった、というイメージはどうも違うように思います。

また、90年代以降にもオスロ合意など、いくつかのプロセスを経て、和平やパレスティナ安定の合意に向けた動きはあったものの、途中で頓挫してしまうわけですから、簡単にはいかない問題だろうと思います。

この地図は、歴史を知らない人向けに作られた、単なる情報操作の一つに過ぎないのでは。



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2 コメント

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TBありがとうございました。 (5号館のつぶやき)
2009-01-11 21:46:12
 私も、これらの地図が(どちらかというと)アンチ・イスラエル側から出されたもので、バイアスがかかったものであることは感じた上で、こういうものがあると紹介したつもりです。そういう意味で、イスラエル側から似たようなものが出されても良いと思っています。しかし、今のイスラエルに自分たちのやっていることの「歴史的正当性」を示すような資料が出せるのでしょうか。
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こちらこそ (まさくに)
2009-01-12 14:26:18
今のガザ攻撃について、「歴史的正当性」というのは難しいのではないでしょうか。ただ、攻撃の口実としてはハマス側からの攻撃があったからだ、ということは言えるのでは。

正当性というのを証明するというのは多くの場合に困難なわけですが、敢えて挙げるとすればガザ地区のユダヤ人入植地を全て失った、ということはあるかと尾思います。

小さい範囲に絞って見れば、ガザ地区には圧倒的多数派のアラブ系(パレスティナ人)に取り囲まれた、極少数のユダヤ系という構図があったわけです。入植者の拠点は大体4箇所くらいはあったと思われます。

北海道の例で言うとすれば、小樽、札幌、石狩、厚田にユダヤ人小が点在して数千~数万人居住、その周辺には数百万人規模のアラブ人、というような状態です。この範囲だけで見れば、ユダヤ人たちが常にパレスティナからの攻撃に晒された結果、全ての小から撤退させられたということになります。05年にユダヤ人たちはガザから完全に追い出されました。

現在の北海道で、これら4地域の土地に住んでいる倭人に対して、アイヌの人々が「元々はアイヌの土地だから、お前らは出て行け」といって、自爆攻撃を日々仕掛けてきたとしたら、どうするでしょうか?
アイヌ人側が150万人、対する倭人が5万人とか、そういう大差なのですよ?
ガザ地区ではユダヤ人を追い出すことに成功したわけですから、北海道でアイヌの人々が倭人にテロ攻撃を行った結果、上記小樽・札幌・石狩・厚田から倭人を追い出せたというのと同じです。こういう事態の時、どちらが正しいとか歴史的正当性とか、そういうのはあまり明確ではないのではないでしょうか。

北海道の日本人は「後から入っていった移民なのだから、元々のアイヌの人々に北海道を全部返せ」とかできるのでしょうか。北海道は倭人の侵略で支配領域を拡大したのではありませんか?
北海道全土を「アイヌの土地」として塗りつぶし、倭人の入植した函館とか小樽とか幌内とか、そういうごく少数の村落だけをドットでマークしてみると、北海道という土地がいかに侵略によってアイヌの人々から奪われていったかがよく判るのではないでしょうか。

「自分たちのやっていること」というのは、案外と自らの残虐性を隠蔽していて気づかなかったり、歴史的正当性を主張できない部分はあったりするものではないでしょうか。日本人だって同じなのではありませんか?

ですので、一方だけを責めるのは妥当ではないと思います。「殺戮は止めろ」と言うべきなのはその通りですが、でもイスラエル人は悪いがパレスティナ人は虐待されて可哀想、みたいな単純な話でもないのでは。どっちに味方とか、そういうことではなく、共存の可能な道や方策を模索する・理解を深めるとか、そういうことくらいしかないのではないかな、と。
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