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権威喪失の時代?

2008年09月08日 12時29分44秒 | 俺のそれ
こういう感覚を抱くのはよく判る気がする。

はてなブックマーク - そして誰も「専門家」を信用しなくなった - インターネットください


専門家と呼ばれる人々が、必ずしも「正しいこと」を言うわけではない、ということだと思う。当てになるかどうかは、場合によると思う。


随分前にそうしたことを感じたので、記事に書いた>
「反専門家主義」が顕在化したブログ世界


このコメント欄で、小倉秀夫氏の指摘がこれだった。
(以下引用)

>残念ですが (小倉秀夫)  2005-07-27 02:09:35

 残念ながら、専門家の嘘を見抜くところまでは言っていないように思います。現在できているのは、専門家の意見が気に入らない場合に、嘘だと決めてかかって集団で嘘だということにしてしまって納得してしまうことくらいでしょう(人権擁護法案騒動などその典型ですね。)。
 「周囲の人々は洗脳にかかったままだが、自分は○○のおかげで洗脳が解けた」というのは一般的には非常に危険な状況なのですが、ネット上にはこの種の言説があちらこちらに見受けられます。
=====

で、次のように答えた。

>そうですね、完全に見抜くのは容易ではないですね。ただ、「権威」への疑念は確かに存在しそうで、日米関係なくトフラーが書いているのと同じような印象を持ちます。
あちこちに「フィルターのない言葉」(ドグマさんの記述された)が存在するというのは、私自身を含めてそうだと感じます。


今の感想を言うとすれば、やはり「専門家はウソを言うことがある」と思っている。記事でいくつか書いてきたと思うが、弁護士が「憲法違反だ」と言う事例―「貸金業法」関連で違憲だとする主張、「医療安全調査委」法案関連で各種行政手続が違憲だという主張や医師法21条が違憲ではないかという主張など―が横行しているのを見るに、「信頼に足る言説」というのはかなり怪しくなり、専門家だから必ずしも正しいということではないのだな、ということです。

参考記事:

大衆は何に対峙しているのか(追記後)

大学教授は信頼すべき有識者と本当に言えるか

「現代日本教養論」を読む


じゃあ、結局どうすればいいのさ、というところに行き着くわけだけれども、基本的原則としては、
・専門家をある程度信頼するしかない(自分が全部をやるのは無駄が多い)
が、それでは引っ掛かってしまうこともあるので、
・自分に疑問が生じるならば、考えたり調べたりしてみる
・他の対立意見や何らかの指摘があれば、立ち戻って考える
・自分は何を信じ選択するか、の基盤となるものを強化する
みたいなことでしょうか。

実際、そのようなことを実行できるかどうかは、判らないんですけれども。基盤強化って言っても、本読むとか、そういう何らかの努力をしたとして、正しいものだけをうまく取捨選択できるのかは判らない。エコ商品や健康関連グッズなどに引っ掛かってしまうかもしれない。なので、多少はしょうがないんじゃないかな、とも思う。まんまと嵌っている場合もあるかもしれないが、後々気付くとか、実質的に大きな被害を被らなければ、それでいいんじゃないでしょうか。どこかの段階で、自分を納得させるしかなさそうですし。

以前に、私は自分の感覚を信じている、ということを書いたことがあるが、それは今でも変わっていません。


<寄り道:
中には「以前から言っていること」を知らずに何でも判断している人がいるようだ。パソオタ?なのか何なのか知らんが、いい気になってるのが笑えた。
また喩えですまないが。
前から「××のHDDなんていらない」と言っているのに、それを単に知らないのだな。暫く後に書いた別な記事で「パソコン改造費用高すぎじゃね?無駄にぼったくられているんじゃないの?」と疑問を呈すると、妥当な価格とか他の人の改造費用とかそういう参考(比較)になるものを何一つ知らないクセに「費用は妥当」とか即座に結論を下す「結論ありき野郎」もいたな、『はてな』に(笑)。
で、以前からの主張である「××のHDDなんていらない」と記事本文ではなくコメントに書いたら、
「改造費用に疑問を呈しつつ、実は反対したいだけ。「××のHDDなんていらない」という真の主張を隠蔽する為に、改造費用にあれこれと言っているのだ」
みたいな解説まで付けて、自分だけは何かを看破したつもりになっているんだな。抱腹絶倒。前からはっきり書いてあることなのに、見破るも裏を読むも何もないだろ。ごくろうさん、としか言いようがない。
こういう色メガネ野郎というのはいるんだな、と思った。中身を考えないからだろうね。「誰が言ったか」の「誰」の部分にかなりのバイアスでもあるからか?これと似たようなことは前にもあって、「指摘している語句は、以前から書いてることに過ぎないよ」と示唆してるのに、また同じことをやっているのだな。学習効果がないのか?要するに、何でもいいから批判したいだけ。「中身」ではなく、「誰」の部分だけしか批判できないんじゃないの?(笑)所詮その程度、ってことなんだろう。>


できれば、専門家同士の中で「まがいもの」をある程度排除できるようにしてもらうとか、間違いを修正していってもらうとか、そういうことをやってもらい、一般人は専門家をある程度信頼して受け入れるといいのでは。信頼ゼロだと、いつまで経っても「信じないぜ」ということから抜けられないし、どちらにしてもほどほどに、としか言いようがないかな。



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