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続々・イルカはサメになれない~株主と従業員

2007年02月12日 17時10分20秒 | 俺のそれ
少し間が空きましたが、前の記事の続きです。

イルカはサメになれない
続・イルカはサメになれない~幻想崩壊


今でもそうだが、昔の日本企業というのは「株主利益」への配慮というのは、欧米なんかに比べれば少なかったのだろう。よく不満を言われていたな。でも、不満なのであれば「買わなければいい」だけだと思うんだが。何故か海外の投資家が日本株を買っては、「オマエらは株主に配当が少なすぎる」って文句を言うわけだ。よく考えると、そんなに文句を言うなら「買わなければ済む」という話なのですよね。元々会社がどんだけ株主に配当するかは、株主総会なんかで決めればいいことで、多くの日本人の株主たちは「じっと黙って」株を長年持っていたりすることが多かったのでしょう。大株主はみんなある種の「身内」というか「顔なじみ」みたいなもので、何らかの「関係」が築かれていたのだろう。資本関係なのか、ケイレツなのか、ちょっとよく判りませんが、そういうような関係だった、と。

日本企業では、一般庶民の株式投資は多いとは言えず、直接持ってない方が多かったかもしれない。従業員の持株会みたいなのはあったかもしれないが、そういうの以外では株式を保有している、という方が珍しかったかも。主に、資産家・金持ちくらいしか持ってなかったんじゃないかろうか。それはそれで、別な機能をしていた、ということかもしれない。

それはこういうことだ。
会社は株主の資金を入れてるが、その比重は大きいとも言えず、銀行の借入資金が結構な割合であったのかもしれない。株主資本に対する意識はあまり大きくはなかったのだろう。従業員たちは主に株主なんかではないが、会社から「賃金」という形で「配当」を貰えていたのだろう。社会全体として、「株式を持たない者たち」という普通の従業員たちが、あたかも「会社の一部を所有している株主」であるかのような立場にあったのだと思う。なので、殆どの従業員たちは形式的には株主ではないが、会社への帰属意識や会社の利益と自己利益の一致などがあった。運命共同体でもあり、「自分という資本」を会社に投資していた、あたかも株主のようでもあったかもしれない。このような株式を持たない圧倒的大多数のものたち―勤労者たち―に、賃金の一部はある種の「配当」として、割と均等に分配されていたのであろう。株式を通じて会社を所有すること、会社の統制をすること、そういうようなことはあくまで形式論的なことであり、社会全体としては株式を通じない配当や統制の代替的システムがあったのではないだろうか。

ところが、米国の「生まれ変われ」という厳しい要求を突きつけられ、それまで日本社会に浸透してきたシステムの破壊と変更が行われた。株式投資に回せる金を持つ者たち(=株主)への優先的な配当を行わざるを得なくなったのだ。持ってない者たち(=多くの従業員)に回されてきた分を、大金を持っていて株式を大量に買うことのできる連中に奪われたのだ。本質的な問題としては、配当が少ないことが問題だったのではない。企業の成長が鈍化したことが問題であっただけで、成長力が高い企業なんて配当が凄く少なくても十分株価は上がるし、配当利回りがたとえ0.1%未満であっても時価総額がどんどん大きくなることは可能なのだ。人気があって、みんなが買いたいと思う企業なのであれば、別に配当を増やす必要性すらあまりないのだ。株主利益に殊更配慮なんかしなくたって、実力がありさえすれば会社はデカくなっていくのだ。儲かるんだから。配当だって、僅かではあっても増えてきたのだ。

株式を持たない従業員たちに分配するシステムは失われ、代わりに、リアルな株主に分配するのが正しい、と言われたのだ。それまで「オレたちの会社だ」と心の何処かに思っていたのに、身を粉にして働いてきた株式を持たない従業員より、「金を出してくれる」株主の方が大事なんだ、と知らされた時、何の為に会社に尽くしてきたのか判らなくなった。「株主の方が偉いんだ」とか言われた時、自分の存在する意味を見失った。従業員たちは、会社の一部ではなくなり、分身でもなくなった。

配当原資を生み出す為には、利益を必要とする。その為に、人件費を削れ、賃金が高すぎるから減らせ、…そうして勤労者たちの多くは分配から漏れて貧しくなっていった。ハケンや偽装や契約社員や…そういうものに置き換わっていった。日本人従業員たちが削りとられた給料の一部は、大量に日本株を買った外国人投資家のような「金を持ってる連中」が分捕っていった。彼らを満足させる配当を得るために、日本の勤労者たちはたくさん切り捨てられた。

イルカはサメに騙されたのだ。
サメの狡猾な戦術に、まんまと引っ掛かってしまったのだ。

本当はサメになる必要性なんてなかったのだ。
イルカに合ったシステム変更のやり方がきっとあったはずなんじゃないか。そう思わずにはいられないのだ。ついつい過去を恨めしく思ってしまうからなのかもしれないが。本当にこれで良かったのだろうか?そう考えてしまうのだ…。




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