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Wikileaksを巡る戦いで現出した「Stand Alone Complex」

2010年12月13日 17時21分30秒 | 俺のそれ
世界の構造が変化してきたことを思わせる出来事だった。
Wikileaksが世界中のサーバーから追い立てられ、恐らく政府系組織の手下どもによるサイバー攻撃によってダウンしかけた時、名もなき世界中の人々―Anonymousと呼ばれる掲示板の「名無しさん」と似た人々―が立ちあがったのだ。まるで西部劇の騎兵隊よろしく、それとも『パイレーツ・ロック』の沈没後に救援に現れた多くの船のように、ぼくには感じられた。窮地に立たされたWikilealsを救ったのは、名もなき人々が作った、数百ものミラーサイトだった。

その事実を知った時、何故か思わず涙がこみ上げてきた。
Wikileaksという存在には、これまで何らの関係もなければ、大きな関心さえも持っていなかったというのに、自分にとって重大な何か、という思いがした。そういう「何か」を感じないではいられなかった。


今までのWikileaks支持派の戦いを見ていると、思い浮かぶ構図がある。それは、Wikileaksには直接的な繋がりを持たない、指揮命令系統も存在しない、バラバラの個人が世界各地で戦っている、ということなのである。そこには、強制力の存在しない、ユルくて目に見えることのない関係というのがあるだけなのである。
恐らく、唯一あるのは、人々の信念、のようなものではないか。
それはアサンジ氏の考えている・目指しているものと同一かどうかは分からない。けれども、多くの賛同者や支持者が集い、行動している、というのは事実なのである。サイバー空間―ネット住人にとって最重要な世界―の自由と言論が脅かされているという危機を感じ取って、立ち上がった人々ではないかと思うのである。理想を守ろうとする信念と、互いの共感というものが支えになっているのではないか。

そのような共感こそが、国境を越えた協調行動を可能にしたのではないかと思う。ぼくにとってAnonymousが救世主のように見えたのも、そうした共感からだろうと思う。

こうした現象は、『攻殻機動隊 S.A.C』に登場する話とよく似ているように思えるのである。まさに、「Stand Alone Complex」なのである。
Anonymousは、「Wikileaks」という本体組織には無関係であり、そのネットワークや団体などに属しているわけではない、という、まさしくstand-aloneなのである。それでいて、世界中の個人が共に支持や賛同を表明して支える、という、まるで特定の団体であるかのような「複合体を形成」しているのだ。その複合体が一斉行動を起こせば、古典的と言われて鼻で笑われてしまったけれども、DDoS攻撃などといった手段を取らせることになるわけである。これは、誰かの命令でもなければ、強制でもないのだ。「呼びかけ」という、曖昧なものがあるだけなのである。


今後にも続くであろう、国家権力との対峙ということを考えると、こうしたSACの活動が重要になってくるだろう。「笑い男」に該当するのはアサンジ氏かもしれないが、「オリジナルなきコピー」のような現象は既に始まっている。たとえアサンジ氏が斃れるようなことがあろうとも、目覚めたAnonymousはそう簡単には止められない。Openleaksのような別組織が、まるで模倣のように活動を開始するようになる。これこそが、サイバー空間における共感と共闘の持つ意義なのではないか。


重要なことは、犯罪行為を増やすことや称えることではない。サイバー攻撃なんて、対策を立てられればそう簡単には通用しない。それよりも、恥知らずな連中に、恥をかかせるということの方が、よりダメージが大きいのである。
「人々の記憶、脳裡に刻み込む」ということこそが、最大の武器なのだ。それが昇華すれば、戦いの記録・記憶が歴史となり、物語を生むだろう。
カッシウス・ロンギヌスの名が2千年も刻まれてきたように、権力に跪いて協力をしたものたちの名を永く留めておくべきなのだ。自由と言論を奪うことに協力したものたちの名を、このネット世界で知らぬ者がなきように、物語を紡ぐのである。巨大な権力を有する国家が、多くの国民や世界中の人々をどのように騙し欺いてきたのか、「真実を知らしめる武器」をネット住人は守らなければならない。




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