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肝炎訴訟に関する雑考~その12

2007年12月22日 13時48分13秒 | 社会全般
昨日追加する、といって出来ませんでした。失礼しました。
一応、続きです。


残念なのは、和解決裂の報道が出た後で、法律専門家たちがどういった考え方をしているのか、といったことが一切不明なことだ。裁判所判断に異議を唱えることはタブーなのか?地裁判決を並べて詳しく検討したり、どういった案であれば受け入れ可能になるか、とか、色々と考えるべきことはあると思うのだが。けれども、専門家たちでさえそうしたことをやってないのであれば、一般人がどれほど考えても判るはずないであろう。自分の担当じゃないから、ということもあるだろうし、裁判所に異議を唱えるのは憚られるとか、色々と業界内部の不文律みたいなものがあるのかもしれないが、何度も言うように、それでは知見の積み上げには繋がってはいかないだろう。司法への信頼醸成にもレベルアップにもならないだろう。


同日の社説は読売以外はどこも取り上げていたが、先日記事に書いたので再び産経新聞を見てみよう。

【主張】薬害肝炎訴訟 国と原告側は妥協点探れ - MSN産経ニュース

 司法は和解を勧告し、骨子案を提示した。その骨子案をたたき台に和解協議が進められたが、うまくいかなかった。司法判断の限界だろう。司法判断による解決が行き詰まったら、後は政治判断しかない。
 政府は平成13年5月、当時の小泉純一郎首相の決断で、ハンセン病訴訟の控訴を断念したことがあった。大方の予想に反する極めて異例な政治決断にもかかわらず、「血の通った優れた決断」との高い評価を得た。

 歯切れが良く、国民にとって非常に分かりやすかったからだ。

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随分と拘っていますね。前の社説で『遅くて歯切れが悪い』という文句を取り上げたからといって、今度は(小泉総理は)「歯切れが良く」ときましたか(笑)。まあいいんですがね。
小泉総理の時、郵政民営化法案問題では「賛成か、反対か」という二元論は危険だ、とか散々批判してましたがね、マスコミは(笑)。判りやすいのが政治じゃない、みたいなこととか評論家連中は言ってませんでしたか?まあ、都合のいいように、何とでも言えるのは文系専門バカの専売特許かもしれませんね。これは過ぎたことですので、いいでしょう。

ここで述べられているように、「非常に判りやすかったからだ」というのは、社説子にとっては、なのではありませんか?自分が判ってない問題であって、難しいことは考えられないので、認めるか、認めないかみたいに、非常に判りやすく「一律で」結論を言ってくれ、ということなのではありませんか?あなた方にとってはそれで満足かもしれないが、それでは制度的に問題があるだろう、ということを考えられないのですかね。

「血の通った優れた決断」を妨げているのは、あなた方なのですよ。
拙ブログ記事にサリドマイド、スモン、HIVを書いたからというわけではないでしょうが、偶然にも今回の社説には入ってますね(笑)。薬事行政の怠慢の例として。これは問題であった、ということは確かですから、おいておきましょう。で、小泉総理のハンセン病訴訟の控訴断念、という話ですが、これは確かに判りやすいでしょうね。松本清張の小説ではありませんが、ハンセン病に関しては、隔離政策みたいなことが国の主導で継続されてきたし、差別的な扱いを受けてきたのですからね。行政の責任は大きく、まさしく誤った行政が漫然と継続されてきたということはあるでしょう。しかし、この政治決断と肝炎の問題とは全くの別物ですよ。ハンセン病訴訟の問題というのは、一律の政治決断をしても今後の行政訴訟などについて重大な問題を生じる可能性は少ないでしょう。個々の役人レベルで変えるというのが難しく、前から引き継いできた政策の誤りを認め、改めるということが官僚レベルではできっこないですからね。役人というのは、そういう習性があるということです。決して誤りを認めようとしませんから。だからこそ、ハンセン病訴訟の決着は政治決断が必要であった、ということはいえるでしょう。

社説子にとって非常に判りやすい結論が出せるのであれば、裁判所でも当然そうした判断が出されるでしょうね。裁判所だって、社説子如きのド素人に、「司法判断の限界」だの、「司法判断による解決が行き詰まったら、後は政治決断しかない」だのと言われたくはないでしょう。そもそも、訴訟での問題で政治を持ち出す、なんてことは、原則としてマズいでしょう。1審判決が出た後で控訴となったら、いちいち行政が介入していくんですかね。三権分立なんて話も、既にどこかに飛んでいってませんかね。要するに、都合のいいように書いているだけなんですよ。社説子は「自分の願望、意見」をただ並べているだけ。ハンセン病の政治決断とは異なるものである、ということがまるで判ってないのです。


社説子の言い分とか、他の多くのマスメディアの言い分はこうだ。
薬剤Aを投与されました。
薬剤Aが原因かどうかは不明ですが、投与を受けた一部の人に現象Bが起こりました。すると、「薬剤Aが原因だから、『薬剤Aの投与(を証明)された人』は全員一律に救済されるべきだ」ということになってしまいます。これがタミフルの場合であると、どうなるか?

・タミフル(薬剤A)を服用
・異常行動(現象B)が認められた
・死亡した人もいた

こうなると、現象Bが因果関係があるのか、ないのかに無関係に、「死亡している人たちさえいるのだから、全員一律に救済せよ」ということになりますが?

際限なく国の責任は広がり、救済対象は増えるでしょう。
「危険な薬を投与されたのだから、患者の線引きは許さない、命の線引きは許さない」
こう言われたら、自分が厚労省の役人であった場合に、何と答えますか?自分が責任を持つ立場で、大臣とかであれば、どういった決断を必要とすると思いますか?
よく考えてごらんなさい>マスメディアの方々、野党や公明党の方々

肝炎訴訟に関する雑考~2

この記事にも取り上げましたが、感染等被害救済制度や副作用被害救済制度が作られる時とか、今、政府批判とか舛添批判をやっているような方々は、誰かこれら制度について詳細に検討し、「全員一律に救済する制度にせよ」とか意見を出したりしていたのか?規則の内容について、不備があるじゃないか、改めるべきだ、とか、反対意見を出していたのか?

ただ単に批判だけやってるような連中というのは、みんな「当事者意識」みたいなものが、欠落しているんだよ。自分がその立場であるという、想像力が完全に欠けているんだよ。被害に遭われた方々の側にも立たねばならないのは当然だ。それらを同時に考慮して、「こうするべきだ」という考えを出すべきなんじゃないのか。

「現時点で考えられる最も事実と思われること」をまずベースとして出して、その上で、議論するのが当たり前なのではないのか。原告団にとっては不利と思われるような事実であったとしても、それを明らかにしない限り、問題の解決には繋がらないのだよ。その事実を原告団にも知ってもらい、理解してもらおうとしない限り、双方の距離は縮まらないだろう。

昔の薬事行政に関わる役人たちがもっと完璧にやっておけばよかったんだ、というのは、その通りですよ。今から振り返れば、「一つの正解」のようなものが出せるでありましょう。判決の出た5つの地裁にしても、もっと完璧にやっておけば「全部一律」の判決が出ていたことでしょう。何故なら、最高裁まで訴訟が継続すれば、判断は一つに収束しますからね。つまり、最終的には「判断は一つ」ということだ。それがバラバラになっているのは、「誰かが完璧ではない」からであろう。それを追及しない人たちの気が知れない(笑)。当時の厚生省役人がただ一つの正解を出せたかどうかは不明だけれども、過去を見た時に「間違っていた」ということを言うのは、誰でも簡単にできるということです。

私の個人的意見としては、集団感染が報じられて危険性が浮上した時に、全製品を緊急に一時使用停止(先天性疾患などで、絶対に使用しなければならない場合を除く)にするということをやっておけば、感染確率は低下していたであろうと思う。しかし、実際には会議を経たりするなど決定過程に時間がかかり、回収指示まで漕ぎ付けるのが速やかであったとも言えないだろう。それは責任を問われる可能性はあるかもしれないが、役人たちが危険性を公表したりすると、無闇やたらと騒ぎ立てるマスコミなんかが「薬害だ、厚生省の怠慢だ」とか言い始めるので(笑)、躊躇われたのであろうと思いますよ。20年も経っていて、少しは賢くなっているとか、レベルアップしていても良さそうなのに、未だにマスコミはタミフル問題の時みたいに大袈裟に騒ぐとか恐怖感を煽るとか、その程度でしかないのですから。多くは何ら改善されてもいないし、向上の跡など見られないのですよ。エイズ感染者が国内で始めて確認された時の、マスコミの大騒ぎっぷりも、今のマスコミの「薬害C型肝炎」の報じ方も何ら変わりがなく、「煽って炎上」を演出しているだけだ、と言ってるんですよ。そこには反省の欠片も、向上の努力も意志も、一切認められない、と言ってるのです。

リストの問題にしても多分同じような話であろうと思いますよ。
役人がこれを通知することに大反対、という個人的理由なんて多分存在しないんじゃないかと思いますよ。別に感染者の方々に個人的に恨みを抱いているとか憎く思っているとかもないでしょうから。可哀想だな、と思っていると思いますよ、殆どの人は。けれど、判りもしないでやたらとマスコミが騒ぐ、通知を受けた人たちも、因果関係も原因も判らないのに「薬害だ、薬害だ」と騒ぐ、他の理由で感染しているにも関わらず「投与されたからだ」みたいに賠償請求する、そういうことが容易に想像されるからでしょう。現時点でさえ、厚労省側の公式見解みたいな意見がマスメディアに多く流通していないでしょう。一方的な意見だけが取り上げられ、専門家の意見さえ誰も聞かない、役人の言い分なども誰も明らかにしない、そういう態度を目の当たりにした時、「こちらの意見なんて聞いてくれない、言ってもしょうがない、だったら、何も言わないでおくしかない」みたいになってしまいがちなんだろうと思いますね。リストが存在する、ということを言わなかったことは確かに責められるべきなのかもしれないが、こうした過剰な反応が起こることそのものが、リストの存在を言い出し難くしていたであろう。何度か指摘したけれども、公開情報の中に症例リストが存在していたのであるから、これを見過ごしてきたのは報道機関も同じだということ。責任を問われるのであれば、報道機関の人間も、国会議員の連中も、同じく責任を感じるべきだ。これら公開情報は必ずしも役人が隠してきたわけではない、ということ。


今後のことについてだが、もう一度和解のテーブルに戻りましょう、という大阪高裁の提案があったようです。この和解協議に賭けるしかないでしょう。

そこで、最初にやるべきことがあります。
それは、原告団の方々によく話を聞いて頂くことです。落ち着いて話を聞いてもらうことです。法廷での対決とか論争の類のものではありませんので、(厚労省と)全くの関係ない専門的な先生とかに判りやすい授業のように話をしてもらった方がよいでしょう。法廷での証言とかみたいにワケのわからんことを聞かされても、原告団には正しく理解でき難いと思いますよ。単なる「対決の場」となっていて、いかに自分たちの都合の良い証言を引き出すか、という法廷戦術が双方にとって重要なので、現時点で最も「本当のこと」と考えられるのが何なのか、というのは、原告団にも被告の国にも、判ってなかったんじゃないかな、と思うのですよ。

何故、C型肝炎が感染するのか。検査で判るようになったのはいつなのか。感染原因で多いものは、何なのか。フィブリノゲンを用いていないし、精度の高いHCVスクリーニングを行っているにも関わらず、現在でも毎年新たな感染者が数十人とか百人単位で誕生しているのは何故なのか。安易に「フィブリノゲンが原因だろう」などといった説明や解釈を行った医師とかがいるなら、それは自らの責任を逃れるだけである、ということ。ヒトの血液だけに限らず、生物由来の医薬品にどういった危険性があったかということについて正確な知識を持ってなかったとか、危険性を認識した上で使ってなかった根本の責任は医師にあるのだ、ということも言わねばなるまい。全ての真実が完全に明らかにできるはずだ、という幻想から抜け出してもらうこと、判らないけれども何かが起こってしまうことはあるのだ、ということに納得してもらう以外にはないでしょう。

原告団の方々には、全て「薬を投与されたからだ!」ということからまず離れて、よく理解してもらうことだと思います。多くの場合に、原因が簡単に確定できるものではないのだ、ということをよく考えて頂く、ということなのです。そこができない限り、双方の溝は埋まりませんよ。

だからこそ、法的に争うのがいかに困難なことなのか、法的責任を問うのが可能な範囲の問題なのかどうか、そういったことを冷静に考えてもらうしかありません。自分に落ち度がなくとも、感染している人たちは今でもいるのだ、という事実をよく考えてもらうほかありません。


一方、厚生省側ですけれども、たとえ法的責任を負わないとしても謝罪をするべきでしょう。感染原因が判らないということを認めてもらうわけですから、今度は役人の側が対応が不十分だった、もっと頑張れた、やれることがあった、という落ち度を自ら認めるべきだ、ということです。原告団が求めているのは「真摯な謝罪」であり、やり場のない憤りを鎮めるのは誰かを謝らせることができた時だけです。
端的に言えば、「あなた方が悪かったのよ!あなた方に責任があるのよ!」という感情を周囲が認めるということです。彼女達の正当性を承認してくれ、ということなのですよ。
裏を返せば、「感染したのは自分のせいじゃない、自分が悪かったわけじゃない」ということを、世の中に、社会の多くの人々に承認して欲しい、ということです。これこそが、彼女たちの心を救済する唯一の方法であると思います。「薬のせいだ、あなた方役人のせいだ」と誰かを責めたいのは、それまで自分を同じように責めたからでしょう。こうした感情は賠償金という金だけでは、救済できません。
「あなたは悪くありません(私が悪かったのです、悪かったのはこちらです)」
そう言って、頭を垂れる人間が必要なのだ、ということです。

「あなたは悪くありません、責任もありません」

その承認を必要としているのです。彼女たちの勝利条件には、これが第一位になっているのだろうと思うのですよ。だから、昔の役人たちのやったことであることは判っているけれども、今の役人のお偉いさんたち(局長級とかそれ以上とか)の人々が頭を下げて下さい。彼女たちの昇華できない感情を救済する為に、「あなたは悪くありません。本当に申し訳なかった」と役人が言うべきです。政治家が頭を下げるのは毎度のことであるので、有り難味は薄れておりますし、舛添さんは既に何度か謝罪して頭を下げているので、もう効果はないでしょう。

こうした感情的わだかまりを乗り越えることができれば、和解に至る道が開けてくるものと思います。原告団も、全ての責任が役人のせいでもなければ、製薬会社のせいでもなかったのだ、ということを踏まえた上で、「国にも責任がありますよね」という主張を役人側に認めさせる、ということです。双方が、一歩後ろに退いて下さい。一度でいいので、きちんとした事実に基づいて相手側の言い分をまず認め、その上で、相手側に指摘するのではなく「自分たちの悪かったところ」を出し合うようにしてごらんなさいな。非公式協議でいいから、やってみてください。公表されるとなるから、頑なになるのですからね。

役人側は「自分たちはここが悪かった」ということを正直に話しなさい。もっとこうすればよかった、ということを出せるはずだろう。
原告側は、事実と比較して、自分たちの主張点で誤りであった部分を認めればよい。
高裁が主導して、非公式協議の場を設けてあげるといいかもしれません。

相手側を攻撃しようとするから、物別れに終わるのですよ。そうではなくて、自分たちの側にあった問題点をまず自らが認めること、それをやるだけでかなり交渉は進むと思いますけれどもね。


最後に、一律救済についてですけれども、和解金は「総額で一括」支払としたらいいのではないかと思います。それぞれに等級みたいに区別がついているので原告団は「承服できない」ということになっており、個々に金額を正確に提示する必要性なんて実質的にはないのですから。役人側が支払う金額の算定というか積算の為に区分をしようと構わないのですし、提示金額は一括の総額で提示し、国と製薬会社の按分比率も内輪でキッチリ決めておけばいいのではないかと思う。

一括の金額を受取った原告団は、それをどのように配分しようとも自分たちで決めればいいだけだ。財団みたいな形式で受取ることにしたらよいのではないかな。そこから全員一律に分配したければそれでもよいし、年金形式の受取として分割で支払ってもいいし、支給対象をどのように限定するのかは、自分たちの内側で決めればよい。今後登場してくるであろう、被害者たちへの支給も同様に事前に決めておけばよいのではないかな。これならば「線引き」なしですから。


マスコミが余計な煽り報道をやればやるほど問題解決は遠のくので、今後暫くは静観しておいて下さいよ。



ええと、忘れてたので追加です。


先日NHKのクローズアップ現代のタミフル問題の放送を観ましたよ。あれがまともな報じ方だと思いました。やっぱり、NHKだけのことはある。誠実な報道ができていたと思った。

あれが普通のやり方だと思うよ。





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