いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

個人の意見表明(追記したよ)

2007年11月10日 16時36分06秒 | 俺のそれ
例1:「~には反対だ」と表明
→さては賛成してる”俺”を撃ってきたな?
 こっちも撃ち返してやるぜ!
 サタデーナイトスペシャルで(昨夜はフライデーだったけど)数発
 「パパン」と背中を撃つ。

→グフッ(瀕死)


例2:「~は解禁すべきではない」と表明
→それがどんだけ他人を不幸に陥れてるか考えろ!
 痛みをわからせてやるぜ!
 「タン、ターン」というトカレフの銃声が。

→内臓飛び出す


例3:「セカチュー大感動で号泣した」と表明
→どんだけ「泣き」が好きなんだよ!キモ~
 ピカチュー(?)か!
 「ドゴーン」というライフルの銃声が。

→ザクロのように吹き飛ぶ


例4:撃たれたから反撃するよ
→善人ズラしてたのはニセかよ!
 甘すぎだぜ!DMか?
 アクティブ・ホーミング・ミサイル連射。

→基地ごと攻撃され壊滅


例5:「貝ディフェンス」に徹するよ
→立て籠もるとは、卑怯な野郎だ!
 さては同情してもらおうって魂胆だな!
 崩壊した基地で掃討作戦、ミニバルカン斉射。

→貝殻バラバラ。基地は跡形もなし。


そして残骸とか貝殻の破片だけが、散らばっていた…



恐るべし、ジャングル。
いや、サイバーアリーナ。

逃れる術はあるのだろうか?
ハンターたちは、どこまでも追撃してくるし。
おまけに、ホーミングミサイルだもん。
「こちら○○地点。反撃を受けて膠着状態。空爆を要請する。」
A-10がやってきて、ドギャーン。


追手が途中で増えたりすると、もう逃げられない。
いくつか倒しても、次から次へと現れる。
そこに空爆支援要請。

基地壊滅パターン。



ちょっと追加。

「空爆支援」と書いたのだけど、空爆というよりも、
「追手として、降下兵が大量に落下傘で空から降りてくる」
みたいな感じかもしれないね。

そんなに個々の攻撃力は強くはないだろうから、空爆というのは違うか、と。
シュワちゃんみたいな人なら、たった1人の機銃掃射で増援部隊とか落下傘部隊とか全員やっつけるかもしれない。けど、そんな人はおらんわな。


そこそこ名の知れた賞金稼ぎみたいに、ハンターたちだって最低ランクばかりとも限らないし。そういうハンターから逃げ切るには、耐久防御力が高くないと難しいよね。それとも、防衛装備が強くないと。銃弾をはね返すだけの装甲とか、ミサイルを撃墜するか、至近弾を受けても損害を最小限にできるとか。

どっちにしろ、防御は難しいのさ。
ならば、早期戦線離脱か、猟犬には吠えさせておくしかないのかもしれない。



また追記。


あんまり意味のあることでもないから。
ヘンな話を書いちゃうよ。
特に何かについて非難とかじゃないよ。
誰かにお説教とかでもない(笑)。
聞き流してくれれば。



1人の人間は、全世界の人々の心を映し出すことはできない。
苦悩や悲哀や苦痛や喜び…色々あると思うけど、その全てを知ることも同一の体験をすることもできない。だから、全員に配慮することも、みんなに賛同してもらえることも、決してないのだ。

よくある話が、入学試験の合格発表みたいなこと。
今はネットで発表とかで、結果発表の場所に行かなくてもいいのかもしれん。よく知らない。

で、昔は、校門(黄門じゃないよ)辺りにデカイ板に、無味乾燥な受験番号の羅列が掲示されていた。
あの発表現場で、番号は飛び飛びになっているから、当然合格している人たちと、落ちた人たちとでくっきりと明暗が分かれた。合格した人たちは小躍りして喜びを爆発させる。落ちた人たちは、うつむいて涙で溢れた目をふせ、唇を噛み締めて足早にその場を立ち去るのである。
友人同士で発表を見に来ていて、合格している人と落ちている人がいたりもする。下手をすりゃ、テレビ局なんかが来てるから「胴上げやって」とか指示されて、落ちた人たちであっても、ワケも判らずに「ハイ、やって」とか言われる。どこの誰だかも判らないような人を胴上げするのだ(私はそれで胴上げしてもらえたことがある)。残酷だ。それでも、その結果を受け入れるしかない。

落ちた人は「オレが落ちたんだから、喜びを表に出すんじゃねーよ」みたいに言うことなどない。落ちた人は、受かった友人に「オレは落ちてるんだから、合格者は喜ぶなよ」なんて言うことはなかった。受かった人は勿論落ちた友に気を使うけど、元気出せよ、くらいしか言いようがないのだ。慰めの言葉などあまりないのだ。痛みは共通でもないのだ。

オレが落ちたのだから、お前らも落ちろ、とか願う友はいない。
誰かが幸福になれたのなら、「良かったね」と言葉を発せられるなら、それがいいと思う。「受かって良かったね、オレも次は頑張ってみるから」と言えたらいいな、と。



何かのことについて、無神経で「コイツらムカつく」という感情はあっても不思議ではないと思う。そういう時には、オレが落ちた人間全員の代弁者だ、みたいな大義の看板を背負う必要はないと思う。単純な個人感情の発露として、善悪とか理屈とか抜きにして、「ムカつく」という発言の方が素直でいいと思う。変に「社会的に抑圧されている人々に配慮せよ」みたいに大義を振りかざすことが、余計にコブシを固く強いものにしているんじゃないかと思ったりする。その方が、パンチ力は格段にアップするからだ。相手に与えるダメージも当然強くなる。


そういうことでなくて、少数派だけど「ムカつくぜ」という感情だってあるんだぜ、ということだけなら、争いには発展しなくて済んだかもしれないかな、と。自分にはそう簡単に「判るよ、そういう気持ち」みたいに言うことはできない。「同じ思いをしてないお前に何が判るんだよ!」と怒られてしまうと思うし。「幸せにドップリ浸かっているお前らに何が判るって言うんだ!」とか言われてしまえば、次の言葉なんてないもの。

「幸せになれて良かったね」
「病気がよくなって良かったね」
「合格できて良かったね」

祝福の言葉を与えることこそ、自らの祝福に繋がるんじゃないかと、私は考えている。自分が幸せだからそんなことを言うのかもしれないが。
別にキリスト教徒でもないし、他の宗教とかの熱心な信者でもないけれど、他の人々みんなが幸福になれるといいな、と思っている。




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