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報道の中立性

2005年01月15日 13時00分04秒 | 社会全般
以前書いた記事で(日中関係の報道は?)報道について書いたが、偏りがないような報道というのは難しい。読者にある種の印象や考えを与えてしまうからだ。勿論そのことに意味があることは分る。しかし、ある特定の誘導となってはいけないであろうし、それを明確に意図しなくとも結果としてそうなってしまうこともあるかもしれない。読み手の問題意識の持ち方や判読レベルにも影響されるかもしれないし、また複数ソースを情報源に持つ人とそうでない人では違うであろうし、信じ込みやすい人と疑り深い人でも違うであろう。そういった、読み手の個人的資質に負うところが大きい部分がありながら、概ね多数の人々に「どの様な印象を与えるか」というおよそ不明確な評価によって、客観的な中立性も同時に作り出さねばならないところが、報道の難しさなのかもしれない。


比較的多くの記事や論説では、報道する側のある「意図」が演出されていることが多いとも思う。これは担当する記者やテレビ製作者の考えが反映されているのかもしれないが、そのことが果たして良いのか悪いのかは不明である。正しく作用する場合には、「偶然の結果」として多くの人がそれを支持し、世論がそういう方向へ向かう。だが、正しく作用しているとは思えぬこともあり、それはある「思想統制的」な面が出てしまったり、「大衆誘導」であったりすることもある。誘導される方が悪いという見方もできるし、多くの人々に支持されるならそれが大勢的なのだという解釈もできると思う。ただ、大衆が判断すればよいのであるという論理は、衆愚政治の如く、必ずしも良い方向や正しい選択とはならないこともあることを想起させる。

今回のNHK報道改変疑惑について、一つ疑問に思うことがある。「政治家は報道に意見してはいけないか」ということである。去年の選挙前の報道で、テレビ朝日の「ニュースステーション」が民主党の「影の内閣」のメンバーを登場させたり、一般的な印象が「やけに民主党に肩入れしてるな」という内容が目立った。これに対しては、自民党議員が反発し、「公平性を欠く」とか「意図的報道であった」とかの”介入”を申し入れたことがあったと思う。実際どの議員さんがそのように「テレビ朝日」に”介入”したのかは不明(わかりませんという意味)であるが、数人いたであろう。その後、放送の倫理審査会(?)のようなところで「公正さを欠いている面があった」として、テレビ朝日は注意されていたように記憶している。この時の自民党議員さんは”介入”として非難されなくともよいのであろうか?その理由とは何か?NHKの時とどう違うのか?

放送後だったら、介入とは見なされないのかもしれない。不適切な内容であることを議員が指摘して、放送後に「不適切であった」と認める場合と、事前に「公正に報道するように」と注意を促した場合では、「介入」の定義が変わるのであろうか。


小泉首相は記者会見で「NHK内部の問題」ときっぱり(彼は自信が無い時も、未定の時もそのような反応であるが。それが支持される理由なのかな?)答えている。また、記者が、野党が国会に持ち込む、としていることを告げると、やはりきっぱりと「勝手にやって下さい」と突っぱねた。支持し難い現政権ではあるが、この答弁だけは、小泉さんを「高く評価」したいですね。介入云々という問題以前に、NHK内部の政治的闘争のような面や、昇進や自己保身に走る幹部連中等の問題であって、政治家はただの「通りすがり1号2号」のような気がするが。


放送予定の内容に、報道する側の意図的表現があったか、とか偏りがあるか、という非常に曖昧な評価を「異例の試写会」などで「客観的に」検証するのは、たとえ行ったとしても難しい問題であることに違いはない。その検証作業を「政治的介入」に直結させるのは、かなりの困難があると思うのである。会長進退で揺れるNHK内部に、もっと政治力を発揮しようと画策する幹部連中がいることがあっても不思議ではないし、これを機会に「粛清」や「追い落とし」などを企む輩は恐らく存在するであろう。そうした内部事情から噴出してきた「不祥事」という感が否めないのである。
(一つ前の記事に、思いっきり推測で書いていますから、読んで下さいね)


製作担当者が「介入によって改変された」という感想を抱いたとしても、製作した番組内容の中立性についての彼の主観的評価が、必ずしも正しいとは言えないというのが現在の結論ではないかと思う。

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11 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ミクロとマクロ (o_sole_mio)
2005-01-15 16:02:19
まさくにさん、こんにちは。



今回のNHK番組改変に関わる騒動ですが、一点引っかかっていたことは、1時間足らずの一つの番組を捉えて「偏りをなくすることは不可能ではないか」ということです。つまり「偏りがない」ということは色々な立場からの番組を制作しマクロな形で示すしかないのでは、と思います。



もちろん偏っているかどうかは受け手の捉え方にもよるでしょう。例えば私と安倍晋三さんでは、基準が違うでしょうし。



健全な民主主義を築くためにはいろいろな立場からの番組を「偏りなく」放映し、かつ受け手のメディアリテラシーを育成していくことが必要ではないかと思います。
公正不公正 (shigezo69)
2005-01-15 17:43:53
トラックバック頂きましてありがとうございました。

こちらからもトラックバック致しました。



僕個人の思うところとしては、マスコミの仕事と言うのは「判断材料を与える」と言うことだと思うんですよ。

公正不公正は視聴者が判断するべきことであって政治家が判断すべきことではない、と言う意見がありますが、それは少し違うと思うのです。

それは放送内容に偏りがあっては正確な判断ができないからです。

今回の様な政治的プロパガンダでアジテーションを多分に含んだ内容を見て、実際にそちらの側にアジテーションされればその時点で番組に対する批判的な見方はできなくなる。

それは逆に大変な問題だと思うんです。
見ていて恥ずかしい (Yy 【税理士>GS>コンビニ】)
2005-01-15 18:11:13
始めまして、こんばんは。

とても面白く拝読いたしました。



「政治家は報道に意見してはいけないか」

という疑問には私も同感です。

特に「第4権力」を自負して憚らないマスコミ、

情けなく恥ずかしい話です。

如何なる意見・主張・圧力・干渉も受け容れ、

呑み込むぐらいの度量の広さを見せ付けて

もらいたいものです。

Unknown (まさくに)
2005-01-15 18:11:21
>o_sole_mioさん

コメント有難うございます。

ご指摘のようにメディアリテラシーが最重要と私も思います。一般に、作り手の主観は必ずしも否定されるとは思っていません。しかし、偏向を防ぐには、他者の意見も聴取する必要性はあると思うのです。内容的にどうなのかということは、正確に評価できませんが、少なくともそういった努力規定のようなものは報道側には義務として課せられていると思うのです。それを「改変」と呼ぶのかという点が、気になる所です。



>shigezo69さん

コメント有難うございます。丁度そちらにお邪魔して書きに行って居た所でした(笑)。入れ違いでしたね。

オーさんがおっしゃっているように、個人のメディアリテラシーが重視されるとは思うのですが、煽動に弱いのもまた、一般大衆の性質であると感じます。そこで、誤解や煽りをどう防ぐのか、ということは、報道側も、管掌する行政・審議会(のようなもの?)も、市民も率直に批評していくことであると思います。絶対基準がないものだけに、おおよその「合意」を具体化していくしかないのかな、とも思います。その意味では、政治家と言えども、オープンな状態での批評は許容されるのではないか、と感じます。
すごい偶然 (まさくに)
2005-01-15 18:28:33
TB有難うございます。書いたら、コメント頂いてました。僅か8秒差でした・・・ある意味スゴイですね(笑)同時に書き込んでいましたから・・・

そちらにコメント書き込みにまいりたいと思います。
Unknown (tomber)
2005-01-16 02:27:59
こんばんは。



報道の中立性というのは難しいテーマですよね。



ただ、個人的には厳密な意味での報道の中立性は成り立たないのではないかと感じています。報道機関といえども、全く主義主張を持たないということはありえないですから、その時点で「中立」とは言えないのではないでしょうか?



それを前提に私が報道機関に望むのは、自らの立場を明らかにした上で、「事実」の報道と報道機関自身の「主義主張」をきちんと分けてくれることです。



現在の報道機関は、中立性を建前としながら、「事実」の中に「主義主張」を紛れ込ませて報道しているのが一番の問題点だと思います。
Unknown (まさくに)
2005-01-16 13:07:34
そうですね。そして、それに誘導されてしまうこともあります(私もそうかも)。

峻別をつけやすくする一定の自主ルールのようなものが必要なのかもしれません。
中立性なんて存在しない (wowow_turk)
2005-01-17 17:33:26
>偏りがないような報道というのは難しい。



というより不可能です。例えば、昨日まさくにさんが何を食べたか、というのを「報道しない」ということ自体に主観的な判断が働いていますね。どのように報道する、というその前の段階で偏っているのですから、その先をどのように見繕っても偏りは永遠になくなりません。
Unknown (万打無)
2005-01-17 23:15:50
 すでに中立性を放棄している(例えば通名報道に見られる総連・民団へのおもねり)くせに何をいわんや、って感じですね。

 というか自分たちにとって都合の悪い事に対する指摘を「報道の自由の侵害」で済ませてきたマスコミは全産業でトップレベルの腐敗を誇るのではないでしょうか。

 もはや自浄能力無し、というか完全に放棄していると言えます。



Unknown (まさくに)
2005-01-19 02:06:13
>turkさん

こんにちは。

偏向は放送側の努力規定ですが、この問題はいくつかに分けて問題点を探る必要がありそうです。番組の性質と介入は別の問題かもしれません。



>万打無さん

コメントありがとうございます。報道側におもねる傾向が見られるのは多くの人が感じているようです。どこまで自律と中立が保てるのか、注視する必要があると思います。

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