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Fukushimaは人災か~隠蔽される福島第一原発の疑惑

2011年04月11日 09時52分21秒 | おかしいぞ
東電やNISAの説明を聞いても、どうにも晴れることのない疑惑があるのである。津波の高さを示す動画が公表された、という報道あったが、合成されたりしてないかどうかまでもが気になるわけである。そういった些細なことさえもが、疑わしく思えてくるということである。以下、いくつかの論点について、挙げておきたい。


①会長や社長が不在だった

連絡が容易ではなかった、本社にすぐ戻って来れなかった、などといった要因だか理由だかが紹介されていたようだが、そんなものは理由になるとも思わない。
例えば、元帥と大将が不在の為、意思決定できない、なんていうことがあれば、それは負け戦を招くだけである。現場にいない(連絡できる態勢にない、現に存在してない)人間ならば、戦死してしまって、既に存在してないものと思って扱うよりない。なので、元帥と大将が不在ならば、中将が指揮権を引き継ぎ行使するしかない。

従って、会長と社長がいなくても、次の副社長なり役員会のメンバーなりの幹部が判断し決定するしかない、ということだ。それに、原発のような重要施設については、現場の判断を尊重するよりない、ということは多いだろう。その責任は、東電幹部が負うしかないのである。不在は全く理由にならない。飛行機事故とか車の事故なんかで、同時に死亡した場合に、どうするの?
2人以外は、判断できず意思決定もできない、ということなら、会社の組織としてはヘンじゃないかと思うが。法的に制限があるということ以外、制約はないはずである。

そういうことができずに、判断や意思決定が遅れたのだとすれば、それこそが人災という要因だろう。


②本当にTsunamiで電源喪失だったのか

これまでに、まともな説明というのがなかったのが、この問題である。東電は重要な事実を隠しているとしか思えないのだ。

主な説明というのは、津波で非常用ディーゼル発電機が水没(冠水)した、発電機用の燃料タンク(重油タンク)が流された、というものだった。その為、13基ある発電機のうち、1基しか使えない、という説明だった。それは本当なのか?

1~6号機とその他施設の発電機の配置図と、燃料タンクの設置場所などについて、きちんとした公式の説明などは、見たことがない。タービン建屋の地下に設置されている、ということらしいのだが、12基全部がそうなのか?

それと、非常用バッテリーがあったはずだが、それはどうなったのか?
発電機が使えないとしても、バッテリーがあるのであれば、それで給電は可能だったということか?どの号機に、どのようにあったのか、それらは何時間程度持つものだったのか、という説明がないのは何故なのか?
バッテリーが水没位置にないのであれば、発電機が故障したとしても、給電はできていたはずでは?

電気屋さんに向かって言うのが憚られるが、津波のせいだ、ということだとして、それは、電気系統のどのような障害をもたらしたのか?配線などのケーブル関係がダメになって、送電できない状態になったということか?それならば、どの号機で、どの故障が発生したのかについて、個別に説明があるはずである。それができないのは、何故なのか?
外部電源が使えない状態だったのには、何か理由があるはずである。


以下の疑問点に、全て説明があるはずである。

・個々の非常用発電機
・個々のバッテリー
・個々の変圧器、配電盤、ケーブル等


③使用済み核燃料プール

4号機では、このプールの温度が上昇し、火災発生となった。建屋の一部は崩壊した。決死隊が水をかけに行ったわけだ。けれども、5号機と6号機は、プール内の冷却はできていた、ということであろう?
給電ができないのに、冷却ポンプが使えていたわけではないだろう。きっと電源があったということでは。発電機の1つが生きていた、ということの効果なのか、バッテリーが使えたということか、分からないけれども、4号機よりも多い本数を格納していた5号機では問題が発生しなかった、ということである。その違いには、必ず理由があるでしょう、という話だ。

(1号機から6号機までの本数は、順に292、587、514、783、946、876本である)

それと、1号機~3号機の使用済み燃料だが、原子炉建屋が爆発した1号機と3号機にあった燃料棒は、大量に飛び散った、ということでしょうか?
どの程度の損傷があったかは分かりませんが、かなりの量が飛散してしまった、ということなのでしょうか。


④空白の12時間

全交流電源喪失と通報したのが、11日15時45分頃である。外部電源が使えず、非常用ディーゼルで給電していたが、これを失ったというわけである。そこから、16時45分には15条通報(非常用冷却装置注水不能)となった。

さて、この後、事態が悪化するまでには時間があったわけだが、深夜までにバッテリーが切れるということは確定的だったはずだ。実際、政府発表においても、そのように発言されていたからである。

この時期、東電報告によれば放射能漏れはなかった、ということのはずだ。
ならば、作業環境は通常状態とほぼ同じはずであり、電源復旧作業がそれほど困難だったとも思われないのである。

まず、外部電源が使えないという理由は何だったのか?
水に浸かり、ケーブル類が全滅したからか?
それとも、外の発電が停電していて、給電できなかったからか?

外部電源が確保できないなら、いつまで持つか分からないバッテリーを当てにすることなどできないはずでは?
ならば、死に物狂いで電源車を現地に送るべきだったのでは?

15条通報があった時点で、兎に角ヘリでもいいから、電源車を空輸しろ、ということで、給電再開をすべきだったのではないのか?どうして、それをしなかったのか?
夜中過ぎには到着するだろう、みたいな、甘い取り組みは何故なのか?

電力供給ができなければ、冷却ポンプも動かせないとか、常識的な話だったのでしょう?
それなのに、どうして電力を確保しなかったのでしょう?
原子炉にとって、給電はまさに死活問題であり、その他のことは置いといて、何が何でも最優先で行うべきだったのでは?

その間に、運良く外部電源が復旧できたなら、それはそれでいいじゃないですか。

確か2号機は11日夜~12日未明にかけて仮設電源で給電が可能となり、水位が保たれているというのが判明したとか発表されていたように思うが、どうだったか。東電の言う、注水不能というのが、どの装置が不能なのか、それは電源が落ちているからなのか、ポンプ自体に起因するのか、ポンプへの配電が断線でうまく行ってないのか、配管が潰れて不通過となってるのか、パイプ接続が破断して漏れているのか、といったことがまるで判らないということである。


低圧注水系及び高圧注水系がどれもダウンしてしまったとして、隔離時冷却系が機能していなかったとすれば、それはどうしてなのだろうか?
2号機や3号機はそれで保たれていたのなら、1号機がダメになってしまったのは何故なのだろう?

そういった説明がないわけである。
東電にしてみれば、判りません、調査中です、ということで終わらせるつもりなのかもしれないが、判らないのなら復旧などできるはずもなかったであろう。要するに、「誰も診断できない」という状況だったのだから。


15条通報のあった、地震発生から約2時間後の16時45分頃からの12時間は、何ができたのか、何をやっていたのか、未だに秘密のベールに包まれたままなのである。


(続く)



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