民衆の物語の情景

 

 コンスタンチンとウラジーミルのマコフスキー兄弟は、いずれも移動派の創立メンバー。が、兄弟だからって比べるのもどうかと思うが、この二人の絵はテイストが全然違う。

 兄コンスタンチンが好んで描いたのは、古い時代の貴族生活の情景。ロマンティックでリリカルで、物語のないお伽話といった感じ。
 一方、弟ウラジーミルが描いたのは、同じ風俗画でも、同時代の田舎の情景。ただし、こちらには物語がある。
 ウラジーミルは、絵にユーモアを添えないと気が済まない。そのユーモアは絵に描かれた日常に生彩を与えるが、テーマが社会的問題を含意すればするほど、そのユーモアは明らかな風刺や皮肉となる。それらはときに露骨で、執拗で、軽蔑的で、容赦がない。支配する側、金や権力を持つ側の、民衆に対する欺瞞や抑圧・迫害、民衆の側の辛苦を当てこすり、訴え、攻撃した。

 ウラジーミル・マコフスキー(Vladimir Makovsky)。兄コンスタンチンとは7歳離れている。ウラジーミルがモスクワの美術学校を卒業してすぐに、サンクトペテルブルクを拠点とする移動派の創立に加わったのは、おそらく兄の縁故でだろう。
 ウラジーミルの多作ぶりは兄の比ではなく、また、兄とは違って、眼に見えて民衆の側に沿った絵を描いたことで、彼は、移動派のみならずアカデミーを含めたロシア画壇において、最も傑出した民主的画家とされた。

 若い頃は外光派の明るい色彩と、田園生活の題材とのせいで、画家の社会意識と義憤も、微笑を誘う滑稽な情景として表現されていた。それが徐々に暗鬱になり、圧政下の無辜の民衆を断固擁護する立場を、あからさまに表明するものとなったのは、逼迫した時代のせいだったのだろうか。

 逝去したワシーリー・ペロフの後任として、母校で教鞭を取り、以降生涯、後任の育成に努める。
 彼のような絵は、革命ロシアでは真っ先に重宝されたことだろう。案の定、兄よりも遅く生まれた分、十月革命をぎりぎり経験したウラジーミルは、社会主義リアリズムの敷設に貢献した。どういう真意だったのかは、彼のみぞ知る、だけれど。

 画像は、V.マコフスキー「貧民訪問」。
  ウラジーミル・マコフスキー(Vladimir Makovsky, 1846-1920, Russian)
 他、左から、
  「ジャム作り」
  「無罪」
  「キエフからの途中の休憩」
  「ブールバールにて」
  「待つ」

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