怒るなかれ、抗うなかれ、裁くなかれ

 
    
 高校の頃、博愛主義の人格者になりたいと願って、聖書を読んだことがあった。献身の姿勢さえ身につければ、かなり前途有望な弟子になれそうだと自負していたところが、突然、博愛とは異なる精神に感化された。私は急激に開眼したけれども、汎愛からは遥か遠のいてしまった。
 それでも、キリストの思想と生涯というのは、今でもやはり興味深い。 

 ワシーリイ・ペロフの絵がドストエフスキー的なら、ニコライ・ゲーの絵はトルストイ的だと言われる……わけではない。そんなこと、別に誰も言っていない。でもまあ、そう言えなくもない雰囲気が、ゲーの絵にはあると思う。 
 ニコライ・ゲー(Nikolai Ge)は移動派創立メンバーの一人。福音書からのシーンを感銘深く描き出し、宗教画の新しいスタイルを築いた。

 祖父はフランス革命の亡命貴族(多分)。両親を早くに亡くしたゲー坊やを育てた農奴の乳母は、彼のなかに、虐げられた人々の屈辱と悲哀に対する鋭い感覚をも培った。
 大学で専攻した物理と数学を投げ出して、科学者から画家へと転向。
 多分にロマン派的な新古典派の画家、カール・ブリューロフから大いに影響を受け、自分の趣向とマッチしたアカデミーの古典主義にしっかりと則って、金賞を受賞してイタリアへ留学。一旦のロシア帰国を挟んで、実に十数年ものあいだイタリアに滞在した。

 今度こそロシアに戻ると、移動派の創立に参加。で数年後、ゲーはトルストイとの交友を通じて、その思想の熱心な信奉者となる。

 新約聖書でイエスが説く非暴力の思想。その実践を訴えたトルストイの非暴力主義が、かのガンジーに強く影響を与えたのは有名な話。
 社会悪を糾弾する一方で、悪に対する抵抗は非暴力をもって貫くべし、という信条。それを支えるのが自給自足労働であるとして、トルストイは農奴とともに農作業に携わった。
 
 人は絵を売ってではなく、農作業をして暮らすべきだ。……ゲーもウクライナに小さな農場を買って、そこに移り住む。後に彼が急死したのも、この農場でだった。
 農耕と信仰の簡素な生活を経て、再び画業へと戻った彼が手がけたのは、福音書の主題。人々に省みられない時間と場所の片隅でひっそりと進行する人間ドラマのように、意味の重きを外さず、けれどもまるで歴史風俗のような普通さで、日常情景的に描かれた、キリストの運命。

 トルストイの思想はやがて教会や国家の権力の否定へと行き着き、結果、トルストイ自身もそれら権力から否定されたのだが、ゲーもまた似たような扱いを受ける。彼が発表した新しい宗教画は激しい論争を引き起こし、民主的な批評家からは絶賛され、保守的な批評家からは非難されたが、権力からは一切無視されたという。
 が、論争の種となったおかげで、ゲーの画家としての名声は確たるものとなった。

 ゲーには誰もが自分の肖像画を持つべきという主義があって、彼の作品一覧を見ると、ゲー自身が押しかけて描いたトルストイのそれを初め、肖像画がずらりと並んでいる。が、彼を有名にしたあの宗教画シリーズは、あまりない。 
 解説によれば、それらの多くは行方不明なのだという。彼はスイスの女慈善家に全作品を遺贈して死んだのだが、彼女の死後を待って覗いてみれば、その地所にゲーの絵は影も形も残っていなかった、という話。

 画像は、ゲー「ゲッセマネの園に赴くキリストと弟子たち」。
  ニコライ・ゲー(Nikolai Ge,1831-1894, Russian)
 他、左から、
  「カッラーラの大理石輸送」
  「老いた農夫」
  「レフ・トルストイの肖像」
  「キリストとピラト」
  「磔刑」
       
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