ギリシャ神話あれこれ:恋されたアンキセス(続)

 
 おお、女神のように美しい乙女よ、と迎えるアンキセス。自分はプリュギアの王女だったところを、あなたの妻となるよう伝令神ヘルメスによって連れて来られたのです、なんちゃって偽るアフロディテ。
 こうしてすっかりその気になったアンキセスと、もとよりその気のアフロディテは、手に手を取って小屋の奥へと入り、牧人の熊や獅子の毛皮でしつらえたベッドで交わる。

 やがてアフロディテはアンキセスに素性を明かし、後にトロイアの王となる息子が与えられるだろう、だが、女神と交わったことを他言しないように、と言い残し、天へと帰ってゆく。

 こうしてアフロディテから産まれたのが、英雄アイネイアス。

 アイネイアスはニンフによって養育され、麗しい若者へと成長したとき、父アンキセスのもとへと返された。
 アイネイアスはトロイア戦争で、総大将ヘクトルに次ぐと謳われた武勇をもって活躍。このときアフロディテは、戦争からは程遠い権能にも関わらず、可愛い息子を助けるべく何度も戦場へと駆けつけた。

 ところで、アンキセスはその後、ついうっかり、アフロディテの愛を受けたと世に自慢してしまった。このため、ゼウス神の雷霆に撃たれ、脚が利かなくなってしまう。
 ……これで、アフロディテの愛も醒めたらしい。この女神、アンキセスのことはうっちゃって、後はただただアイネイアスを溺愛する。

 トロイア滅亡の際、アンキセスは息子アイネイアスに背負われて、敵軍が押し寄せるなか、焼け落ちる都から脱出する。その後、しばし息子と放浪を共にするが、病に倒れる。
 だがアイネイアスはイタリアへとたどり着き、ローマ建国の祖となった。

 画像は、アンニーバレ・カラッチ「ウェヌスとアンキセス」。
  アンニーバレ・カラッチ(Annibale Carracci, 1560-1609, Italian)

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ギリシャ神話あれこれ:恋されたアンキセス

 
 ギリシャ神話では、神と人間が交わり、結果、神ではなく人間として生まれつく子を産むことがままある。人間として生まれついた神の子は、自身の出自をあるいは誇り、あるいは呪いつつ、他の人間と同様、神々の前に一線を画し、人間として生きてゆく。
 ギリシャ神話中の人間の物語に、ある憐れさと同時に力強さを感じる理由の一つは、人間たちが、自らが神ではなく人間として生まれたという「不遇」に嘆くことなく、死すべき人間として、生をまっとうしようとするからだ。

 さて、あるとき大神ゼウスは、言い訳がましく考えた。……自分が性懲りもなく人間の女に恋してしまうのは、愛を司るアフロディテ神のせいだ。仕返しにあの女神にも、人間への恋を知らしめてやろう、と。
 白羽の矢が立ったのは、トロイア王家の傍系に当たる、小アジアに住まうダルダニア人の王、アンキセス。彼はシナリオどおり、この上ない美男の若者。

 イデ山にて牛を牧するアンキセスの姿を見た途端、アフロディテは激しい恋に落ちてしまう。彼女は美しく身繕いすると、早速、アンキセスの休む山小屋へと向かう。彼女の後ろには獣たちは付き従い、いつしか互いに番いとなって交わり始める。
 アフロディテはアンキセスを驚かさぬよう、人間の娘に姿を変える。彼のほうも、眼前に現われた女神と見紛う(って、女神なんだけど)美しい乙女を見るなり、たちまちボッと激しい恋情を燃え上がらせる。

 To be continued...
 
 画像は、W.B.リッチモンド「ヴィーナスとアンキセス」。
  ウィリアム・ブレイク・リッチモンド(William Blake Richmond, 1842-1921, British)

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君に思う(続々)

 
 その種の人々は「キズ」を持つ(と思い込んでいる)。彼らはその「キズ」に触れないために、事物の他面を避けて通る。
 そして、人間本来の欲求である自己実現も、自己表現も、その執着した一面のなかで追求する。その事物の一面に、彼らの存在意義がかかっているかのように。

 だから彼らが互いに批判し合うときも、相手の一面に対して別の一面を持ってくるだけで終わる。これは批判ではない。モメントに落としていないのだから。

 だが、相棒のような人間が彼らを批判するとしたら、どうだろう。事物に対する基準のなさや、間主観的な基準は、それ自体否定される。金銭、権威や権力、地位や名誉、他者への勝利や優越感、他者の私物化、他者からの評価、などなどの凡俗な基準は、より普遍的な基準の前に、モメントに落とされる。
 彼らにとって、モメントに落とされるということは、自分の全世界、全存在を否定されるということだ。だから、悪意ある人々は、相棒から批判されるのを極度に怖れる。彼らは相棒を嫌忌する。自分の世界、自分の存在を固守するために。

 なら、ただ批判するだけでよい。それで凡俗な価値観が崩れるなら、崩れるにまかせればよい。
 そして、普遍の担い手が生きた個人である以上、その個人にもまた、凡百の個人と同等の喜びや楽しみが許されてしかるべきだ。

 画像は、W.M.チェイス「瞑想」。
  ウィリアム・メリット・チェイス
   (William Merritt Chase, 1849-1916, American)


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君に思う(続)

 
 さて、相棒の理性が問題とする“それ”とは、一言で言えば人間の尊厳だ。 

 善意ある人々なら、相棒の思惟を、いかにも相棒らしい、と言って放っておく。悪意ある人々なら、哲学臭だの瞑想癖だのと言って、わざわざケチをつける。
 だから、悪意ある人々だけが、相棒を怖れ、遠ざける。相棒は私を「鏡」と呼ぶが、彼もまた別の一つの「鏡」なのだ。

 ヘーゲル哲学(だと思う)に、「モメントに落とす」という表現がある。

 「モメント(Moment)」つまり「契機」とは、事物の全体とその発展とを規定する、本質的な要素のこと。事物は体系であり、様々な諸契機から構成されている。思考は、その事物を他の事物から区別し、規定を与える。
 この規定は当初、事物の全体に対する、つまり事物そのものに対する規定であるように見えるかも知れない。が、事物をより深く洞察すれば、それが全体の一面にすぎないことが分かる。その規定が、全体のなかでどの一面、どの契機を担うのかを示すことを、一契機(モメント)に落とす、という。

 つまり、モメントに落とすとは、それまで普遍と思われていたものを、より普遍的なもののなかの、単なる特殊的な一側面として捉え直すことを意味する。この、モメントに落とすという思惟こそが、批判であり、だから批判は必ず体系を持つ。
 
 認識の過ちというのは往々、事物の一面しか見ない、あるいは見えないことから生ずる。世界は開放系であり、人間の脳もまた本来、開放系である。だから、認識の到らなさが原因なら、事物の他面を把握することで、その認識は容易に発展できる。
 が、大抵の場合、そうはならない。ある種の人々は、事物の一面だけに囚われ、執着するからだ。

 To be continued...

 画像は、ルドン「瞑想」。
  オディロン・ルドン(Odilon Redon, 1840-1916, French)

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君に思う

 
 例えば相棒のような人は、世界を捉える高い認識力を持ち、世界をどう捉えるかの高い判断力を持ち、捉えた世界にどう立ち向かうべきかの強い意志力を持ち、実際に立ち向かうべく強い行動力を持つ。
 そんな人に、あなたは一人で何でも解決してしまう、と評すれば、それがもし相棒のような人なら、多分傷つくだろう。その人が一人では解決できない、解決したくない繊細さ、敏感さをも持つことを、無視されたから。

 繊細さや敏感さというのは、それ自体は個性に過ぎない。大雑把で鈍感な個性と等価の、同じく一つの個性に過ぎない。そして、そうした個性を慈しむ人もいれば、煙たがる人もいる。
 だが多くの人々は、個性以前に、彼の理性にしか眼を向けない。それほど理性は透徹している。彼の繊細さ・敏感さは、もし彼から理性を抜き取ってしまったら、外界との接触に耐えられない脆さ、弱さとなり得るほどに繊細・敏感なのだが、一方、理性は、そうした繊細さ・敏感さを、負け知らずの強さに変えるほどの、まったき理性だ。

 理性的でない人は、彼の理性を理解できない。理性的な人でも、彼の理性がなぜ“それ”をそれほど問題とするのかを、なかなか理解できない。
 ただ、察知する人がいるだけだ。彼と同じく繊細で敏感な、善意ある人が。

 人間は、何に対して憤るかによって、その中身が分かる、と言われる。私は彼ほど生真面目な人間ではないが、私が憤るものは、彼が憤るものと一致している。だから私は、彼を理解できている。

 To be continued...

 画像は、ベックウィズ「物思いに耽って」。
  ジェームズ・キャロル・ベックウィズ
   (James Carroll Beckwith, 1852-1917, American)


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