ルーシの貴族の情景

 

 移動派には、マコフスキーという画家が二人いる。コンスタンチンとウラジーミル。彼らはともに移動派の創設メンバー。
 私はずっと、この二人の名前を区別せずに、彼らが同一人物だと勘違いしていた。この人、随分タイプの違った絵を描くんだな、と思っていたら、二人は別々の人格、ただし兄弟だった。

 マコフスキー兄弟はモスクワの芸術一家の生まれで、父はモスクワ美術学校の創設にも関わった蒐集家、母は作曲家。二人のほかの兄弟姉妹も画家となった、とある。
 で、私が印象に残っているのは、兄コンスタンチンのほう。

 コンスタンチン・マコフスキー(Konstantin Makovsky)。彼が好んで描いたのは、昔ながらの衣装を着飾ったロシア貴族の娘たち。前世紀の上流社会の日常の、理想化された情景。ルノワールを連想する明るい色彩と軽やかな筆致、カール・ブリューロフのロマン主義から大いに影響を受けたとされる、デコラティヴな描写。なんだか知らないけど、際立っている。

 コンスタンチンのこうした歴史風俗画だけを考えると、この人がなぜ、旧態依然としたアカデミー画壇に抵抗する移動派に参加したのか、分からない。案の定、民主主義を標榜する批評家たちからは、コンスタンチンに対して、浅薄な絵で移動派の理念を裏切った変節者、とボロクソな抗議があるという。
 でも、移動派の理念は、一つには、西欧的ではない、ロシア固有の画題を扱うことにあったのだから、コンスタンチンがそこからそれほど外れていたとは思えない。民主主義者を名乗る人って、自分が非民主主義とレッテルを貼った人には、リベラルでないところがままある。体制を批判する画家は、体制を批判する絵を描かなければならないのだろうか。画家は、主義に画題を拘束されなければならないのだろうか。画家の社会的主義が、絵に対して真摯に向き合うという画家としての主義とぶつかったとき、画家は後者を選んではならないのだろうか。

 とにかく、コンスタンチンは申し分のない優秀な画徒だったが、クラムスコイらとともに、アカデミーの卒業制作を拒否して退学(「14の叛乱」)、画家のアルテリ(=協同組合)を作って、移動派創立に参加する。
 古き時代のロシア貴族の生活の、ロマンティックな情景をせっせと描いて、それを移動派展に出品する一方で、アカデミー官展にも出品した。
 で、彼は主要な移動派画家として活躍する一方、サロン画家としても大成功を収め、その絵は、当時としては最高額の相場だったという。
 馬車が路面電車と衝突して、革命前に死去。

 こうしてみると、画家は描きたいものを描いたもの勝ち、という気がする。

 画像は、K.マコフスキー「ココシニクをかぶったロシア美人」
  コンスタンチン・マコフスキー(Konstantin Makovsky, 1839-1915, Russian)
 他、左から、
  「ロシアの花嫁衣裳」
  「ミョート(蜜酒)の杯」
  「窓辺の若い貴婦人」
  「一休みする農家の子ら」
  「決起を訴えるミーニン」

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