ロシアのブーグロー

 
 
 アレクセイ・ハラモフ(Alexei Harlamoff)という画家は、ロシアの甘美で可憐な少女たちを描いた。人呼んで、ロシアのブーグロー。……って、私が勝手に呼んでるだけなんだけれど。

 男性は女性に、聖母マリア的な母性と、イブ的な官能とを求める、と聞いたことがある。私はもう一つ、少女への憧憬があると思う。宮崎駿しかり、おおた慶文しかり。
 それぞれを切り離して、各々を別々の女性たちに求める男性が多いようだが、女性は一人で一つの人格なのだから、女性という存在は、母性と官能と純潔が三位一体となっている、多分。

 それはさておき、美を描く絵画においては当然、純粋で無垢な少女像は一つのテーマとなってくる。

 すべての国を見たわけじゃないけれど、ロシア諸国の若い女性たちはみんな本当に美しい。あまり美人な顔立ちでない人も十分に美しいし、太った人も十分に美しい。
 それがお婆さんにまで歳を取ってしまうと、肌は萎んで皺くちゃ、背は縮こまり、その分、身体全体が肉まんのように膨らんでしまって、美人の面影なんて影も形も消えてしまう。ただ、眼だけは独特の奥深さがあって、ああ、きっとこの人も若い頃は美しかったのだろう、と感じさせる。
 なので、少女たちの美というのは、ロシア諸国ではいっそう、花のような、はかなく短命なものなのかも知れない。

 ハラモフはそうした少女たちの美を描いた。彼女らを飾るのはただロシア的な衣装、ロシア的な顔立ちだけ。打ち解けた肖像は田園詩的で、とにかく美しい。

 経歴だけ見ると、つまらない画家。ロシア絵画史の面白い時期に、何をやっていたんだか。
 ヴォルガのほとり、サラトフ近郊の村で、農奴の家に生まれるが、やがて一家は解放され、自由民となる。
 14歳で早熟の才能を見せ、サンクトペテルブルクの美術アカデミーに入学。あとは一路、ただただ着々と、アカデミー画家としての名声の道を歩んでいく。
 金メダル、奨学金、パリ留学、と型どおりの出世街道。徐々に肖像画の才を現わすようになり、数々のタイトルを獲得、ツァーリの肖像画を描く栄誉にも浴し、欧米の富裕層から人気を得、……云々。
 
 パリでは貴族作家ツルゲーネフと親交を結び、のちにゾラが称賛したという彼の肖像画も手がけている。オペラ界のルイ&ポーリーヌ・ヴィアルド夫妻に頻繁に招待され、ポーリーヌの肖像画も描いているが、夫妻の住居の最上階には、ポーリーヌに一目惚れして以来彼女を追ってパリに移り住んだという、このツルゲーネフが居座っていた。
 終生、ヨーロッパとロシアを行き来して暮らしたツルゲーネフに倣って(?)、ハラモフもヨーロッパに居住、時々ロシアに帰国、という生活を送ったらしい。

 毎度毎度、帝国アカデミー官展に出品していたハラモフだが、やがて、ロシア帝国内のあらゆる人材が集まりつつあった移動派展にも参加した。このとき、かのクラムスコイに、「君のために勧めるんだがね、君は官展から我々移動派展へと移ってくるべきだよ」とかなんとか力説されたらしい。
 クラムスコイをそう言わしめたのは、やはりあの、ロマンチックでナチュラルでロシアンな少女像だったと思う。

 これがなければ、本当につまらないだけの画家だった。

 画像は、ハラモフ「夏季」。
  アレクセイ・ハラモフ(Alexei Harlamoff, ca.1840-ca.1925, Russian)
 他、左から、
  「赤いボンネット」
  「少女像」
  「少女像」
  「赤いショールの少女」
  「ロシア美人」
       
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