古き良きロシア

 
 
 アンドレイ・リャブシキン(Andrei Ryabushkin)という画家がいる。43歳で死んでいる。
 申し分のない画力、独創的な美意識、それを十分に表現するためのたゆまぬ修練とセンスの研磨、そこに喜びを感じる資質……それらすべてを備えていても、認めてもらえなかった画家もいる。リャブシキンはそういう画家。

 彼の絵の主題は17世紀ロシアの日常。相応の服装で着飾った大貴族、官吏、聖職者、商人、農民たちが、葱坊主の屋根をした白いロシア教会を望む、木造の建築群が並ぶ街路を行き来する、あるいは華麗な内装の宮廷や教会の広間、木の小屋の居間にたむろする。
 絵がカラフルなのは、情景そのものがカラフルだから。絵がメルヘンチックなのは、情景そのものがメルヘンチックだから。……そんな、ロシアン・レトロな日常の情景を描いた。

 古き良きロシアという、周囲には理解されない孤立無援の嗜好。だから作品も、ほとんど趣味のように見なされる。でも、好きなんだからしょーがない。
 内気で謙虚で柔和だけれども、頑固なくらいに一途に、一徹に、彼はその嗜好を育み、護った。生き生きとした魂と肉体を付与するために、時代考証的な文献を研究し、古い街々の建築風景や生活風俗を見聞し、民間伝承を収集した。その信憑性はアカデミー時代の歴史画に現われ、教授連に舌を巻かせた。けれども、それだけだった。

 同じテイストでも、スリコフのようなドラマチックな歴史画や、ヴァスネツォフのようなファンタジックな民話画だったなら、もっと人気が取れたかも知れない。が、彼は事件を描かなかった。画面のなかで人々は、ただ普通に生活しているだけ。歩いたり、祈ったり、集まったり。
 民主主義者が好む社会矛盾も、保守主義者が好む懐古美もない。だから共感されない。

 それでも彼は譲らなかった。気にもしなかったかも知れない。名声には縁遠かったにしても、短い生涯、彼は画家としてやっていた。依頼者も庇護者もいた、多分。
 そう言えば彼の人生には度々、お助けマンが登場する。

 村のイコン画家だった父と兄を助けて、早くから絵を描くが、14歳で孤児となった。が、その夏、村に滞在中のモスクワ画学生に素描を見止められて、稽古の後、美術学校に入れてもらえた。お助けマン第1号。
 さらなる修業のためサンクトペテルブルクに赴くが、当局方針に追従しなかったせいで、貰えるはずの奨学金を貰い損なった。が、彼の作品を称賛したアカデミー校長に金を出してもらえた。お助けマン第2号。
 普通ならパリやローマあたりに行くのだが、代わりに彼はロシアの古都を渡り歩いて、自身の芸術の血肉とした。

 結核療養のためスイスに赴くも、助からないと知って帰国する。祖国で死にたかったのだろう。

 画像は、リャブシキン「貴族のお嬢さんの散歩」。
  アンドレイ・リャブシキン(Andrei Ryabushkin, 1861-1904, Russian)
 他、左から、
  「モスクワの娘」
  「訪問」
  「日曜日」
  「ダンスの輪に入る若者」
  「冬の朝」
       
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