大陸旅遊倶楽部的日記

三国志・水滸伝・史記の旅と中国茶のほかモロモロ…

オマケ

2005年06月15日 | 三国志・水滸伝・史記の旅
前述の覇陵橋です。
いかに演義の舞台とはいえ、これはちょっと…って云う太鼓橋でしょ(笑)。
関羽ファンのみなさんどう思います?
私は曹操ファンですけど、ダメダメだと思います

復活の雷峰塔

2005年06月15日 | 中国の旅
2002年夏、小瀛洲から西湖西岸の花港観魚(花と鯉が観賞できる公園)に向かう遊覧船で、ふと南岸を見ると山の上にドテっとした見慣れない搭が建っていた。過去に見た記憶がないので、写真に収めてみたが、調べてビックリ、これが復活した雷峰塔だった

雷峰塔付近は「雷峰夕照」という西湖十景のひとつ。夕暮れの景観が美しいということだ。実際、夕暮れに行ってみたが、茜色に染まる佇まいは、それはそれは美しかった。まあ、西湖近辺の夕暮れはどこも素敵なんですけどね(笑)。

この搭は975年、北宋の呉越国王妃、黄妃が男子を産んだことを記念し建立されたもので、元の名は黄妃塔というらしい。この山はその昔、雷さんが隠棲していたことから、巷では雷峰で通っていた為、その塔は雷峰塔と呼ばれるようになったとか。

雷峰塔といえば、白蛇伝の舞台。伝説・物語では、この塔に白蛇が封印される。封印された白蛇は、1000年後に解き放たれることになっているが、伝説の通り、ほぼ1000年後の1924年に雷峰塔は突如崩壊した。一説には、この塔の磚(セン)を持っていると金持ちになれるとか、蛇が封印されているので眼病に効く等の噂があって、人々が基礎周辺から磚を抜き取ってしまったのが原因らしい。磚とはレンガのことだ。
旧雷峰塔は前述の通り1924年に倒壊してしまったので、実際に目にしたことは無いけれど、吉川幸次郎先生が戦前に撮影した写真では、スラッとしたスマートなイメージだった。磚が剥がれ落ちている為か(?)、風化した土の塔という感じ。美しい白蛇が封印されていると云われれば、さもありなんと思える。強いて云えば、蘇州郊外虎丘の塔に似ている。ほぼ同時代の建立なので、建築様式等は一緒だと思うけど。
今回再建された塔は重量感あふれていて、イメージが全然違う。白蛇とは結びつかない…。ダメダメだね
許昌の再建された覇陵橋(ハリョウキョウ。「三国演義」で許都を脱出した関羽を曹操が未練がましく追いかけてきて、戦袍を送った舞台。覇の字には「さんずい」がつきます)を見たときには笑ったが、こっちはかなりガックリ来た。