大陸旅遊倶楽部的日記

三国志・水滸伝・史記の旅と中国茶のほかモロモロ…

三国志子孫の村2002~孫権故里~

2005年06月30日 | 三国志・水滸伝・史記の旅


雄瓜地

…その時の気分で、文体も変るブログです。許してね(^_^;)。

本日は、孫権故里です。

孫権のおじいさん、孫鐘(そんしょう)が、瓜を作っていたという村は、龍門鎮から30分ほどの、場口鎮(じょうこうちん)瓜橋埠村(かきょうふそん)。行ってみると、瓜江のほとりに「瓜江埠」、「呉大帝故居」等と書かれた石碑が建っていた。石碑の裏に書かれた来歴によれば、

この川は、孫鐘の瓜畑の横を流れていたので瓜江(かこう)と呼ばれた。
瓜江にかかる橋は瓜江橋といい、橋が壊れた後は、そこに船着場(埠)を作った。
それでここを瓜橋埠というようになった。

ということ。孫家はこの船着場の西側にあったそうですよ。

石碑の写真を撮っていると、近所のじーちゃんが出てきて、この先にも別の石碑があると、案内してくれた。

………テレビに出ていた石碑だ…

「雄瓜地」という石碑が建っている辺りが、孫鐘の畑跡らしい。この時は青々とした水田になってた。石碑の付近にはスイカの食べかすが捨ててあったりして、生活感充分(笑)。
その後、じーちゃんプロデュースの瓜橋埠観光スポット(一番古いらしい建物と井戸)を巡り、一通り案内が終わると、家に寄ってお茶していけというので、図々しくもついて行ったりして…(笑)。


勿体無くも、お手づからお茶を淹れてくれるじーちゃん
ばーちゃんは後ろで、心配そうに見てました。仲良しって感じで羨ましい…

銘柄は定かでないが、ガラス瓶で緑茶をご馳走になった。多分龍井茶だったみたい。以前の中国ではインスタントコーヒーやクリープの空瓶でお茶を飲む習慣があったんですよ(…習慣じゃないか(笑))。蓋つきで、ガラスの質が良く、厚めで丈夫な空き瓶は、日用雑貨の質が粗悪な共産圏では、重宝したようですね。職場や列車の移動時に携帯している人が多かった。
90年代(80年代末にも売ってたのかな?記憶は定かでないですが…)に入ってからは、空瓶を模した携帯瓶が売り出され、最近のはちょっとお洒落になっているので、お土産に買ってきた友達も居たりして。ペットボトル飲料の普及からか、最近街中で持ち歩いている人を見なくなりましたねぇ。


孫権故里

さて、話しは戻って、じーちゃんは一生懸命この辺の来歴を語ってくれているのだが、言葉がまったく解らない(苦笑)。みんなで解ったフリをして、少々憩した後、瓜江の西側、孫権の旧宅跡地に行ってみた。所々水溜りができた畦道を歩いていくと、水田の中に、亭のようなものがポツンと建っている。

………テレビで見たその2だ(笑)

稲の緑が目に鮮やかで、野を渡る風は爽やか。三国志ファンの執念(?)怨念(?)で晴らした空は青く、久しぶりに時間の流れが緩やかに感じるところに来た気がしましたねぇ。やっぱ、田舎っていいなぁ。

ここ瓜橋埠には、上記の他、倉庫(?)って感じの、呉大帝廟もあります。いつか整備されるのを楽しみにしていますが、あまり期待できない感じ(笑)。

ところで、孫権故里そばの池(川?)にペットボトルが半分お尻を出した形で埋められていたんですけどね、気になったから何か聞いてみたら、これが何と、淡水真珠の養殖してるらしいですよ。ペットボトルで…。本当かな(笑)。


三国志子孫の村2002~龍門鎮 其の二~

2005年06月29日 | 三国志・水滸伝・史記の旅


孫氏宗祠

龍門鎮の入場料は25元(375円)。鎮(まち)の入口で入場券を買うと、鎮指定のガイドさんが案内してくれる。このお嬢さんの中国語はきれいな普通話なので聞き取りやすい。
先ずは、宗廟の孫氏宗祠から。両脇の回廊に家系図、中央の宗祠には正面に孫権、左に魯粛、陸遜、右に周瑜、呂蒙の絵がかけてあった。正面奥には代々の孫一族(中でも有名どころ)の位牌がある。


孫権像

扁額

周瑜と呂蒙の画の上には「進士」の額

何でも、孫権から21代目の孫さんが、科挙の状元(じょうげん:殿試のトップ)に及第したそうで、科挙関係の扁額があちこちに掛けてある。進士に及第している人も居るようなので、孫一族はかなりのインテリ家系だったらしい。

………三魁(さんかい)が揃っていたら凄いだろうなぁ…

三魁とは状元、榜眼(ぼうげん)、探花(たんか)のことで、皇帝が試験官を務める殿試のトップ3のこと。説明が無かったので、多分揃っていないらしい(笑)。
ガイドさんの説明では、革命の父孫文は孫権の38代目の子孫だということだ。近代史にはあまり詳しくないので、判らないが、そうなのか…。
ちなみに、龍門鎮の孫氏は、孫子(孫武)の次男が、ここに移り住んだのが始まりだそうだ。

 
楽山堂内部

続いて、装飾建築の素晴らしい、楽山堂へ。ここは51代目の孫さんの家。明、清代建築は精緻で凄すぎる。いちいちこんな背景を画かなきゃいけないのか…と考えると、明、清の漫画は絶対に画けない。
入り組んだ路地を抜け、明哲堂、義門、承恩堂等を回る。この辺に関しては詳しい説明が無かったので不明(笑) 。


三国志子孫の村2002~龍門鎮 其の一~

2005年06月28日 | 三国志・水滸伝・史記の旅


龍門鎮入口

2002年杭州の旅、真の目的は、杭州にほど近い富陽市郊外にあると推測される、曹操の子孫の村を訪ねること(笑)。…ついでに孫権所縁の村も回る。
この年の5月、NHK特集で曹操子孫の村のことを取り上げていたのに目が釘付け(笑)。諸葛亮の子孫の村は有名だったけど、曹操子孫の村があったとは~っ!!曹操ファンとしては居ても立ってもいられず、とりあえず行かねば(笑)、ということで、杭州でまったり+一日だけ三国志ツアーとなった訳ね。

…が、曹操子孫の村は「上村」という名前以外、全く情報が無く、しかも本当にローカルな街なので、地図には影も形もない(…表記されてないだけだけどね)。河南省中国国際旅行社の三国志マニア、陳さんにも問い合わせてみたが、情報は皆無だった。まぁ、中国の史跡巡りは、行けばなんとかなる(笑)。しかも村の名前は判っているんだから。

上村上村上村!!

・龍門鎮(りゅうもんちん)/孫権の子孫が住んでいるという町
・瓜橋埠村(かきょうふそん)/孫権故里・孫権のじーさんが瓜栽培に勤しんでいたところ(笑)
・上村(じょうそん)/曹操の子孫が住む村 ←ここがメイン

行きたいのは上記3スポット。龍門鎮、瓜橋埠村は共に富陽市郊外にある。上村はどこか判らないが、龍門鎮からはそれほど遠くない感じだった。龍門鎮で聞けば何か判るだろう。タクシーは320国道を一路、富陽市へ。

中国に入って四日目、何と、この日は晴れた(笑)!!

西湖周辺ではお天気雨だったが、六和塔を過ぎた辺りから雨もやみ、かなり良い天気。昨日、龍井村のおばあさんに一週間雨が降り続いているよ、といわれていた後だっただけにかなり嬉しかった。超ラッキー。

………我々の執念のなせる業か(笑)。

杭州市内から50分程で、富陽中埠料金所に着き、ここを降りると、龍門鎮まで8キロという看板が出ている。テレビで取り上げていた通り、龍門鎮の孫一族は、かなり観光誘致に頑張っているらしい。畦道に毛が生えたような田舎道を進んでいくと、龍門鎮についた。途中、何度か上官行きのバスを見たので、富陽市内からはこのバスで行けるようだ。


龍門鎮の縁台将棋


天下第一?

2005年06月27日 | お茶/中国茶


無錫の惠泉(あまり飲みたい…という風情ではない(笑))

中国人はランキング好き。
中国を放浪していると色々な「天下第~」といわれるものに出会います。訪れた時には興味がなくても、後々興味が出てくることもあるので、何でも写真に収めておくのはいいことなのかもしれません。
天下第一ってのは中国一ってことで、同時に世界一ってことです。中国の人はあらゆる物に天下第一をつけたがります。関門世界一とか、山の世界一とか、温泉世界一とか、泉の世界一とか…。

関門の「天下第一」は万里の長城の東の端にある「山海関」。西側の嘉峪関は山海関が天下第一なので、「天下第一の雄関」になっていたりして。温泉の天下第一は西安郊外の「華清池」(…らしい)。周代から現在まで涸れることなく温泉として利用されているんだから、世界一といってもいいでしょうねぇ。山に関して云えば、五岳の長、東岳「泰山」が天下第一。これは権威の上でってことでしょうね。「黄山」は「天下第一の奇山」景観が比類するもの無く絶品ってことでしょう。(高所恐怖症なので行きたいとは思いませんが…。)

泉の天下第一は複数あって、審査した人により異なります。
茶聖陸羽(りくう)は江西省の廬山(ろざん)の谷簾泉(こくれんせん)に「天下第一泉」、無錫の惠泉に「天下第二泉」のランクをつけました。

清の乾隆帝は北京郊外の「玉泉」と済南の「突勺泉」(とつしゃくせん:勺の字は「足+勺」)に「天下第一」の称号を与えています。ランキングした人間が同じだと、どっちが第一よ?って聞きたいところですが、多分これも第一っぷりが違うんでしょう…。済南の方は水量が豊かで、玉泉はお茶用としてかな。でも乾隆帝なら何かに感動した時点で全てに天下第一っていいそうな気がする(笑)。
北京は水質が悪いので、西郊外の玉泉山から皇帝用の飲料水を運んでいたそうです。北京の地下鉄に「西直門(せいちょくもん)」という駅名が残っていますが、この門は皇帝用の水を運び込む為の門だったそうです。乾隆帝が玉泉を第一にした時に、鎮江の「冷泉」を「天下第二泉」、杭州の「虎包泉」、無錫の「惠泉」を「天下第三泉」にランクしたとか。この時の審査方法は水の重さが基準だったらしいですよ。

ちなみに鎮江の冷泉を「天下第一」にしたのは、劉伯芻(りゅうはくすう)だそうです。


龍井問茶2002 ~其の二 お茶ゲットだぜ!!~

2005年06月25日 | お茶/中国茶

坂道の脇にはお茶農家が建ち並んでいて、テラスではおじさん達が電気釜で龍井茶を炒っている。
日本茶は蒸して酸化をとめるが、中国緑茶は釜で炒る。釜炒りなので、非常に香り高いお茶になる訳ね。日本人は味を重視し、中国人は香りを重視する(と、個人的に思っている。)。
おばさんの説明だと、500gの龍井茶を作るのに、釜炒りの行程が三回。だいたい4時間半かかるそうだ。乾隆帝の龍井問茶話しが終わった頃、おばさんは我々に注意した。
「この辺でお茶を買ってはダメよ」
「えっ?」

 ………西湖周辺のお茶屋じゃなくて、龍井茶室のお茶もダメなの???

「この辺のお茶は質が悪いのよ…」
「そうなんですか…」
「買うなら、龍井村の農家から直接買わなきゃダメ」

 ………この辺のおじさんたちは農家の人じゃないのかな、それともおばさん家で買えってこと(笑)?


パッキングされた龍井茶@500g

私のは拙い中国語なので、どのように良くないのか、確認することはできなかったが、ふと見ると、タバコを吹かしながら、釜炒り作業をしているおじさんと目があった。タバコの臭いが染み付いていそうな龍井茶なんて…(苦笑)。

 ………あのおじさんのお茶だけは買いたくない

坂道を登りきると、今度は下り坂になる。正面は山で斜面一面お茶畑だ。おばさんに獅子峰はどれかと聞くと、右側のあの山だと教えてくれた。獅子峰で採れるお茶が獅峰龍井だ。

 「うちはすぐそこだから、お茶を飲んで行きなさいよ」

我々は、この言葉を待ってましたとばかり、おばさんについていった(笑)。 この辺りの家は、玄関前がテラスになっている。おばさんの家もテラスに白いテーブルと椅子が用意されていた。セールス用みたい(笑)。
テーブルに着いて待っていると、家の中からおばあちゃんが、例のお茶の入った洗面器と2つのグラス、お湯の入ったポットを持って現れた。例のごとく、高級と中級のお茶を淹れて飲み比べ。高級は獅峰龍井の明前茶、中級は獅峰龍井の明後だった。

明前明後の明とは、清明節のこと。清明節は春分から数えて15日目で、中国ではお墓まいりをして故人を偲ぶ慣習になっている。89年の天安門事件の発端も、清明節に故周恩来首相の墓前に集まった学生から派生したものだったと思ったな。日本のお盆やお彼岸みたいなものかな…。

茶葉は日光に当たると旨みが減って渋みが増すということで、あまり日に当たっていない清明節前に摘まれたお茶は珍重される。明前は素晴らしく透明感のある香りだが、個人的には香りも良くて旨みもある明後の方が好きだ。明前は500gで280元、明後は200元。おばさんの家では250g売りもしてもらえる。

………この2年でずいぶん上がったなぁ

なんて思いながら値切ってみた。値切るの得意じゃないけど(笑)。
「ちょっと安くして貰えないですか」
「あなた学生さん?」
「…いえ、だいぶ前に卒業しました」
大学を卒業してからあまりに久しいので、まさか学生とは言い辛かった(笑)。
お茶を買う量によって、ディスカウント率は変わるようだが、この時明前は260 元にしてくれた。

 ………さっき学生だと言っておけば、もっと安くなったのかも(笑)


パックに勤しむおばさんとおばあさん/おばあさんの手元には赤い蝋燭が…見えないかな(笑) 

明前500g、明後500g。おばさんとおばあちゃんは手際よくパッキングした後、蝋燭に火をつけた。何をするのかと思って見物していると、獅峰龍井と書かれたビニール袋の口を、ろうそくの火で閉じたのだ。ビニールの口部分に幅1cm程の鋸の歯を当て、その先を火であぶり、熱で溶けたビニールがくっつくという具合。

 ………すごい、荒技!頭いい~(笑)

龍井村の獅峰龍井を堪能し、お茶を1キロ買い込み、杭州旅行の目的をほぼ達成。
帰る段になったら、おばさんが、
「この前の道を左に行くと九渓(キュウケイ)に出るから、そこから4路で街中に戻るといい」
と教えてくれた。一度、獅子峰を写真に収めてから、言われた道を辿ろうと思っていたら、
「おばあちゃんが、途中まで送るから」
と、おばさんに促されてしまった。せっかく、おばあちゃんが露払いをしてくれるというのだから、ついていかねばならない。おばあちゃんは、村外れまで送ってくれた。
道々おばあちゃんに聞いたのだが、この連日の雨は、もう一週間も続いているといことだ。今回の旅行はずーっと雨に違いない。実際、三国志関係の土地を回った日以外、ずーっと雨だった。

九渓は龍井山の南面にある、九つの渓谷を流れる渓流のことらしい。散策コースとして整備されているけど、渓流には橋がかかっていない。足場となる飛び石が置いてあるだけ。水を楽しめということか。緑の木陰、きれいな空気、マイナスイオン一杯(?)の涼しげな渓流は、暑い時期にはオアシスだが、生憎の天候で涼しい為、魅力も半減だ(T^T)。


龍井問茶2002 ~其の一 茶農を探す~

2005年06月24日 | お茶/中国茶


茶葉博物館~昔の茶館を再現…って成都にこういう青空茶館あるよね。もう無いのかな?

安い龍井茶が買いたくて、前回「龍井お茶協会婦人部員」がたむろしていた岳廟周辺を散歩してみたけど、それらしい人影は無かった。西湖周辺の観光地にも茶缶を担いで商いしている茶農の姿は皆無。(実は、この後、虎包方面には若干いたのを発見(笑)。中国人観光客とかなり揉めていた…。しつこい販売行為が原因か?)
仕方が無いので、直接龍井まで行って、売ってくれそうな農家を探すことにした。

岳廟から2停留所ほど歩いた所で、27路のバスに乗ろうとしたところ、あろうことか、細かいお金がない!最小が10元だった。龍井茶室までは2元。二人で4元。昔のバスには車掌さんがいて切符をきってくれた。10元出しても選りすぐった汚い札でおつりが帰ってくるだけ(当時お札の質が悪く、子供銀行の札サイズ。バスで使う分や角などの小額紙幣は、汚れで幾らか判読できないものも多かった。便所紙にもならない札と揶揄されていた。)で、乗車に問題はなかったが、今はワンマンバスで料金箱にお金をいれるシステムになっている。中国のバスなので、当然両替機などついていない(笑)。2002当時の状況では(今はどうかしならいけど)、硬貨が普及しているのは発展した上海周辺のみみたい。
運ちゃんに細かいお金が無いことを告げると、とにかく乗れと促された。
乗った後に運ちゃんが両替してくれるのかと思ったが、そうでもないらしい。

………10元払えってこと????いくらなんでもそれは嫌

………ただ乗りしちゃうよ~

なんて考えていると、後ろに座っていたおばさんが両替を申し出てくれた。
地獄に仏だった(笑)。
「どこまで行くの?」
1元硬貨を10枚くれながら、おばさんが聞いてきた。
「龍井茶室です」
龍井茶室は前回、龍井村の茶農が商いに勤しんでいた所だ。
「そう…」
おばさんはにっこり頷いた。

………このおばさん、もしかして茶農(笑)???

私もちょっと期待して、ニャっと笑った。

27路のバスは途中、茶葉博物館、龍井寺(泉)と通る。茶葉物館の辺りも一面茶畑になっていて、近辺には観光客目当てのお茶屋が建っている。この辺はちょうど道路拡張(?)工事中だったから、今ごろ綺麗に整備されているに違いない。
クネクネした山道を暫く上ると、龍井茶室に着いた。龍井茶室は終点龍井村の一個手前だ。降りてみると、辺りは閑散としていた。前回は、ここで美味しい龍井茶を売ってもらえたのだが、今回、タイル貼りのテーブルはあるものの、そんな気配は全く無い。
雨だから(笑)???
キョロキョロしていると、両替えおばさんが声を掛けてきた。

………好感触(笑)

思ったとおり、このおばさんは龍井村でお茶を作っているそうだ。それが、終点の龍井村ではなく、龍井茶室で降りたということは、我々をキャッチしようという算段でしょ(笑)。待ってました。
龍井茶室から龍井村に続く坂道を上がりながら、最近出来たという山上の公園の話しになった。そういえば、バスのボディに「龍井山園」という広告が書かれているのを見た記憶がある。中国お得意のテーマパークの類だ。おばさんの話しでは、ものの30分もあれば、回れてしまうものだとか。


龍井村


杭州飯店?シャングリラ飯店?やっぱり友好飯店か?

2005年06月23日 | 中国の旅


2002年ケンタの販促キャラは名探偵コナン

今回は杭州の2002年版のお話などしてみたいと思います…。

2000、2001年と三国志史跡巡りで田舎ばかり放浪していたので、2002年夏は杭州で思いっきりリゾートしようと、杭州飯店に宿を取ってみました。しかも「れいくびゅう」(笑)。…といっても、かなりお高いので、杭州の4泊のうち2泊だけなんですけどね。
98年にここのレストランで食べたランチバイキングは絶品でした。もうバイキングも終わろうかという時間に入ったんですけど、食材が並んだテーブルの向こうにシェフが立っていて、自分でチョイスした具材を渡すと、その場で調理してくれました。調味料も並んでいるので、味付けも自分で指定できます。シーフードのバターソテーは絶品でした。
サービスも良かった。あのランチバイキングが忘れられず、今度は泊まってみようってことです。

杭州飯店は西湖北岸に建つ5つ星ホテルで、上の階に泊まれば、目の前に西湖を一望できます。

初めて杭州を訪れた時、共産党色濃い当時にドイツ人パティシエのブルジョワな美味いケーキが食べられるというフレコミだったので行ってみました。杭州一のホテルってことで見学も兼ねて。その時は中国に入って一週間程経った頃で、食生活に不自由していたため、美味しいケーキに対する期待はかなり高かったんですねぇ。
高台に佇む、赤レンガに緑の屋根、シックな内装の杭州飯店は、貧乏学生には少々敷居が高かった(笑)。中二階の喫茶店に行ってみると、ガラスケースの中で数ホールのケーキが回転しているじゃありませんか。

………おおっ、「寿」じゃない(笑)

当時中国のケーキは、見た感じバタークリームっぽいものでコーティングされたかなり日持ちしそうな平たい饅頭型。上にピンク又は赤で「寿」の字が大書されていたりして(笑)。留学した友達の話によると、このケーキは逆さにしても崩れないらしい。あまりの不味さに失神したら困るので、食べたこと無かったけど、今になると話しのタネに食べておけばよかったかも…。


2001年版ホテルのケーキin合肥ホリデイイン
見た目はだいぶ改善されたが、やはり期待を裏切らない不味さ(笑)

杭州飯店で回転しているケーキは、見た目日本のケーキと変らない。かなり美味しそうな感じ。友達3人でショートケーキ、チョコレートケーキを注文。皿に盛られ、紅茶と一緒に出された感じは、ホテルのケーキセットという感じでした。期待に胸躍らせ、フォークを挿入する…と、なんか当る(^_^;)。変な感触。それは幾日前に作られたか分からないような感じの、乾燥しきったパサパサのケーキでした。

………5つ星ホテルでこんなものを出してくれるとは、さすが、中国…

中国に期待した自分がバカだった。でもねぇ、ホテルの高級珈琲が「ネスカフェゴールドブレンド(しかもクリープ、砂糖入り)」だった時代ですからね。こんなもんか(笑)。ポットでサーブされるのは珈琲豆じゃないでしょ?っていう代用珈琲、牛乳といえば砂糖入りの脱脂粉乳だったし。

話し戻って2002年ですが、予定では部屋の窓から、南に向かって伸びる蘇堤を一望できるはずだったんですよ。が、しかし、何と!我々の部屋は新館で、しかも部屋の目の前は孤山でした(^_^;)。孤山は西湖北側にある島(山)で、秋瑾墓や西冷印社、杭州博物館があります。
一応「レイクビュウ」には違いないが、見える風景は殆ど山だった(T^T)。部屋は広めで設備もいいけど、敷地面積が広いので、門から部屋にたどり着くまで庭をかなり歩くは、しかも坂道だは、この年の杭州はずーっと雨だったは、踏んだり蹴ったり(苦笑)。

これなら、湖濱公園に近い友好飯店の方が断然good!

杭州飯店=シャングリラ飯店ではなかったのねぇ。

やっぱホテルは現地調達がベストかも(笑)?

ちなみに友好飯店は西湖東側の商業地に建つタワー型のホテルで、上層階からは西湖が一望できます。日本との合資なので、日本語も通じる(人によってかも…)。何しろルームサービスで「素うどん」が注文できたんですよ。きつねうどんの揚げなしで…って注文したら、「ああ、素うどんね」って云われて(笑)。
エレベーターを降りれば直ぐに街中で、西湖まで歩いて400~500m。窓の立て付けが悪いのか、隙間風は凄いが、分厚いカーテンがかかってるので、風が冷たいシーズンはこれを引けば問題なし。(…でも冬は薦められないかも(笑)。)

杭州飯店リベンジする日は来るのか?


お茶セールス1999~龍井村お茶協会婦人部 其の二~

2005年06月22日 | お茶/中国茶


龍井村の農家

こうなると、もう事の真偽を確かめたくて仕方ない。既に15:30を回っていたが、龍井村に行ってみることにする。ケンタを出ると、お茶協会婦人部の、先ほどとは別の面々が三人程、我々を待っていた(笑)。
27路のバス停に行くと、そこにも別の婦人部員が待っている。バス停のおばさんは我々に聞いた。
「何処までいくの?」
「龍井村です」
「お茶を飲みに行くなら、龍井茶室で降りなさい。龍井村の一つ手前だから」
最初に杭州に来た時に、龍井村からのバスは16時が最終で、歩いて戻るハメになったとぼやいていたパッカーが居たのを思い出した。最初の杭州は1986年だ(^_^;)。
「帰りのバスは何時頃まであるんですか?」
…中国語会話のスキットみたいなやりとりが続く(笑)。
「18:30頃よ、バスは10数分間隔であるから、龍井茶室まで1.5元よ」
やっぱり、このおばさん達、お茶協会婦人部員なんだ~。かなり笑いたいのを我慢して、このおばさんに聞いてみた。
「おばさんは龍井村の人?」
この問いにおばさんは、一瞬間を空けて答えた。
「…私は違うの、この辺に住んでるわ」
ふ~ん…

27路のバスがやってくると、おばさんが教えてくれた。
中国のバス停は複数の路線が一緒になっている。来たバスの路線番号を確認して乗り込まないと、明後日の方向につれて行かれてしまうことになる。
「龍井茶室で降りるのよ!」
我々がバスに乗り込むと、遠巻きにしていた龍井お茶協会婦人部員が大挙して後に続いた。最初4人ほどだったおばさん達が7~8人に増えている。これが集団スリだったらかなり怖い(笑)。
27路は山道をクネクネと登っていく。私の側に陣取った婦人部員が話しかけて来た。
このおばさんは眼鏡をかけていた。
「日本人?何処まで行くの?龍井に行くなら、龍井茶室で降りなさい。私は龍井の人間だから、教えてあげるから」
「あれが龍井寺よ、もうすぐ龍井茶室だから」
………お茶を売る気だな。私はこの眼鏡おばさんにキャッチされたのね(爆)。
龍井茶室に着くと、我々に続いて眼鏡おばさんが降りてきた。
龍井茶室にはその名の通り、茶館があった。茶館というか、民家のテラスでお茶ができるようになっている感じの場所だ。いうなれば、龍井茶で儲けたお茶農家が、自宅を新築する時に、テラスを設けて喫茶スペースにしたような感じ。バス通りの左右にはテラスでお茶ができる茶館(多分ほとんどが民家(笑))がつづく。バス停付近には道の両脇に白いタイル張りの、テーブルのみが5~6個ずつ並んでいる。一見、流し台が続いているような感じ(笑)。
バスが着くと洗面器と魔法瓶を抱えたおばさん達が現れて、白いテーブルに陣取った。


お茶畑ごしの農家
最近はきれいに建て直された家が多い。かなり収入(副収入?)が増えてるのねぇ。

「こっちよ!」
眼鏡おばさんが、白いテーブルの一つに我々を導いた。テーブルの向こうには貫禄のある一見おじさん?と思えるおばさんが待っていた。他の洗面器おばさんは、残念とばかり我々を眺めている。バスで我々をキャッチできなかった婦人部員達は、しばらくすると、帰っていった。
「この人私の姉なの、龍井村でお茶を作ってるのよ」
眼鏡おばさんはそういって、貫禄のあるおばさんを我々に紹介した。
洗面器の中にはビニール袋が三つ。その中には龍井茶が入っている。
貫禄おばさんは、二つのビニール袋から茶葉を出し、ガラスのコップに無造作に入れると、魔法瓶のお湯を注いだ。間もなく、いい香りが漂い始める。
「飲んでご覧、獅峰龍井だよ」
云われるまま口にすると、過去に味わったことのない龍井茶の旨みと香りが口に広がった。龍井茶開眼(笑)。龍井茶は過去の苦い経験から、特に思い入れの無かったお茶だったが、ここに至り私の中国茶ランキングでグーンと上位に上がってきた。
この時一緒だった、京都在住日本茶好きの友達は、その香りを高級な宇治茶みたいと云っていた。…高級な宇治茶は飲んだことないので判らないが(苦笑)。
洗面器の龍井茶は、最高級、高級、普通と3クラスに分けられていて、飲ませてもらったのは、高級(雨前)と最高級(明前)だった。
「最高級って、明前茶ですか?」
「あら。そうよ明前だから最高級なのよ、しかも獅峰龍井よ。皇帝も飲んでたんだからねぇ。」
明前という言葉が出た途端、、貫禄おばさんは更に胸を張って答えた。どーだと云わんばかりに誇らしげだ。
「こんな時期でも明前って残ってるんですね」
「自宅用のよ、もうこれしかないの…。お父さんとお母さんに買っていってあげなさい、喜ぶわよ~」
500g単位の販売で、最高級が180元。
…値切って180元だったのか、言い値で買ったのか忘れてしまったが、500g3600円(確か1元20円弱だったような気がする)ってことは、100g720円、50g360円…。激安っ!本当に獅峰龍井明前なのか…?茶葉の色は薄いから明前っぽいが…。まぁ、いずれにしろ美味しければいいんだけど(笑)。

おばさんは棒計りで計ると、紙に包んで、獅峰龍井とプリントされたビニール袋を被せてくれた。小分けにして、土産として配るにはいいかもしれない。でも中国の緑茶は結構好き嫌いの分かれる所なので、配る人間によっては感謝されないかもしれない(苦笑)。まあ、気は心ってことで。どーせ期待できない、中国土産だしね(笑)。

龍井村婦人部のキャッチセールスは試飲した後の売り込みが結構厳しいので、購入希望のお茶好きにはありがたいが、お茶を買う気が全く無い人には薦められない…。


お茶セールス1999~龍井村お茶協会婦人部 其の一~

2005年06月21日 | お茶/中国茶


岳廟

通りの向こうに岳廟を眺めながら、ちょっと休憩。
例の如く、西湖遊覧をした後、花港観魚から蘇堤をブラブラと北上してきた。
今年は花港観魚公園には龍井茶セールスの茶農が居なかった。
のんびり、まったり観光できたのはいいが、あの安いお茶が買えないのはちょっと残念(笑)。
蘇堤の北の付け根に岳廟がある。岳廟は南宋忠国の英雄、岳飛(ガクヒ)を祭った廟で、ここには岳飛とその息子岳雲の墓がある。


岳飛、岳雲墓

中国の不味そうなパンを食べている友人を横目に、しばしボーっとしていると、おばさんが声をかけて来た。
「あなた日本人?」
「…なんで判ったの?」
昔から中国人に見えると云われつづけて来たので、日本人と聞かれると結構嬉しい(笑)。
「判らない言葉話してたから(笑)」
なるほど…。この後、いつ杭州に来たか、どこを観光したか等雑談が始まる。
「杭州はねぇ、北と南、2日あれば、観光できちゃうのよ~」
おばさんは杭州観光スポットの解説を始めた。
………ホテルのキャッチかな???
中国の駅前では、各ホテルや招待所の客引きが居る(多分今でも居ると思う)。
客室とトイレの写真をもってセールスしてる客引きも居た。
昔はうちのホテルに泊まってくれれば、人民料金で列車の切符をとってあげるわよ、などと付加価値をつけてセールスされたものだ。(当時、列車の料金も人民料金、外人料金に分かれていて、我々は中国人の2倍近い料金で列車に乗っていた。)

話は戻って、杭州の土産物から龍井茶の話題になった。
「龍井茶は、この辺のお茶屋で買っちゃダメよ」
この辺とは西湖周辺ということだ。
「どうして?」
「割高だからよ。龍井茶を買うなら農民から直接買うのがいいわ。良いお茶が安く買えるから」
「龍井村には行った?」
「いえ、まだ行ったことはありません」
「じゃ、岳廟の観光が終わったら、お茶しに行くといいわよ。27路のバスで行けるから」
「ありがとうございます」
このおばさんは、懇切丁寧な西湖周辺の観光案内をすると、去っていった。
何か裏があるのか?と思っていた私はちょっと拍子抜けした感じ。杭州の観光局のボランティアかな???なんて呑気に考えていた。
岳廟を回って出ると、出口付近でおばさんが寄ってきた。さっきのおばさんとは別のおばさんだが、同じように西湖周辺の観光スポット解説が始まった。最後は龍井村でお茶を飲めで締め括られる。特に西湖北側の観光スポットには熱が篭っているので、そっち方面在住なのかと思いつつ、岳廟脇のケンタッキー方面に向かって歩いていくと、そこにも観光案内おばさんが居た(笑)。

あまりにしつこいので、ケンタで休憩することになる。ちなみにここのケンタは回転が良く、揚げたてに当ることが多いのでお薦め。日本のケンタでパリッとした皮のフライドチキンを食べたこと無いから、かなり美味しく感じる。
ケンタで食事をしながら、友達とガイドおばさんについて話し合った。
二人ならまだしも、三人となると、あのおばさん達は龍井村のお茶協会か何かの人達で村に観光客を呼び込んで、龍井茶の販売促進に一役買っているのではないか、というところで話は落ち着いた。

命名、「龍井村お茶協会婦人部」

つづく…


杭州茶農のお茶セールス1998 其の二~恐怖!スッポンばばぁ

2005年06月20日 | お茶/中国茶


虎包の水/表面張力が高くて1円玉は沈まない

じーちゃんから買ったお茶をナップザックに入れていると、今度はおばあさんがやってきました。大きな茶缶入りの袋を下げて…。そして、こういったのです。
「お茶買わないかい?」
お茶セールスの波状攻撃を受けてしまった…。
「今、買ったばかりなんですけど…」
「見てたから、知ってる。このお茶はいいお茶なんだよ、ご覧よ」
そういって、缶のフタを開けて我々に茶葉を見せます。確かにいいお茶ですが、さっきのじーちゃんに比べると、盛りが少ないな(笑)。
「でも、さっき一缶買ったから、そんなに飲めないし…」
「何もあんたが飲まなくてもいいじゃない、お父さんとお母さんに買っていきなさいよ!!」
さすが、腐っても鯛!老いても元は中国のオバサン!押しが強いです(笑)。
「ごめんなさい、いいです~」と逃げようとした私の腕を掴んで、
「一缶10元でいいから買ってよ!」

………あーあ、嵌っちゃった。南京のダンボール仙女(女性の乞食)よりシツコイかも~。

「でも本当にいらないから、ごめんねぇ」
「あんたがこれを買ってくれないと、家の孫にご飯を食べさせてやれないんだよ~っ!!」
高圧的に出てもダメだと判ると、今度は泣き落としに掛かる。さすがは亀の甲より年の功!老獪なばーちゃん。
「服も買ってやらなきゃならないし…」
「………」
「あんたは日本の友達だから、大負けに負けて、二つ10元でいいから。」

 ………このお茶って一缶5元なのかな(笑)。

「御願いだから、買っておくれよ」と再拝して懇願のポーズが始まります。
傍から見ると、なんか、私が老人を虐めてるような図です。
いいかげんウザくなり、猛ダッシュで逃げる我々の背中に、
「なんであのじーさんからは買って、私からは買わないんだい!××△○÷※~(←自主規制(笑))」
と大声で、罵声を浴びせつづけるばーちゃん。
この時、ばーちゃんに猛ダッシュで付いて来られたらどうしようかと思いました。なんとなくこのばーちゃんなら猛ダッシュできそうな雰囲気だったし(爆)。

その後このばーちゃんは、観光していた我々の前に二人の孫を引き連れて現れ、小一時間つけまわしてくださいました。

恐るべし、スッポンばばぁ…。


杭州茶農のお茶セールス1998 其の一

2005年06月17日 | お茶/中国茶


夏の茶摘風景

改革開放政策のお陰か、西湖周辺のお茶農民は、観光客にお茶を売り込むことに尽力している様子。1998年秋、西湖周辺の観光地ではお茶缶担いだ茶農家の方々が、龍井茶のセールスに勤しんでおりました。
当時の私はといえば、まだ「緑茶<青茶」だったので、龍井茶にそれほど思い入れもなく、特に気にも留めていなかったのですが、花港観魚(西湖南西岸にある公園)をブラブラしていると、目の前から味のあるじーちゃんがニコニコしながらやって来るではありませんか。茶缶の詰まった袋を抱えて…。しかも、最近ではとんと見かけなくなったブルーの人民服着用です。中国じーちゃん愛好会会長を自認する私のストライクゾーンど真ん中です(笑)。

「お嬢さん、お嬢さん」と、じーちゃんは我々を手招きします。

「私?」

「お茶買わない?」

「………」

「虎包の龍井、世界一美味い龍井茶じゃよ!」(※虎包の包は「足+包」です。)

じーちゃんは、袋から200g以上は入ろうかという、お茶缶を取り出しました。


虎包泉

………虎包は泉しか知らないなぁ、まだ行ってないし。お茶作ってるんだ…。

当時龍井茶といえば、獅峰龍井しか知りませんでした(笑)。龍井茶はその産地によって獅、龍、雲、虎に分けられるそうで、虎包はその「虎」の龍井茶ってことです。虎包泉の水と龍井茶は「双絶」といわれています。(茶と水の最強コンビ。この組み合わせは天下第一ってことでしょう。)

渡されたお茶缶の蓋をポンと開けると、茶葉がパラパラとこぼれます。缶に茶葉をぎっしり詰め込んでいるため、蓋を開けると必然的にこぼれてしまうのです。

………じーちゃん盛りが良すぎだよ(笑)。

 盛りが良いといえば、中国のマクドナルドやケンタのジュース類もかなり盛りが良く、蓋ギリギリまで入っているため、ストローを刺すと十字の孔近辺から中身が溢れることが度々あります。…ジュースサーバーって一定量で止まるように出来ているはずでは?と思っていたのですが、当時はそうでもなかったみたい。最近の中国ファーストフード事情はどうなんでしょう。


容器持参で虎包の水を汲みに来た人々

話は戻って、茶葉は素人目に見ても、かなりいいもの(そりゃそうだ、西湖龍井だもの(笑))で、丁度ホテルで飲むお茶を買おうかと思っていた矢先だったので、とりあえず値段を聞いてみると、これがビックリ!こんなにギッシリ詰め込んだものが1缶15元(200円弱)というではありませんか。西湖周辺のお茶屋さんで買ったら、50g30~50元はしようかという龍井茶ですからね。そりゃもう、即購入ですよ。値段交渉もしなかった。…って関東の人間なんで、基本的に値切るという行為に慣れていないのですが(笑)。

いや~、いい買い物をしたねぇなんてニコニコ顔の我々を、次なる恐怖が襲うことになるとは、誰が想像しえたでしょうか。(いや、中華乞食の経験値からいうと想像できたはずだ(笑)。)続きは次回の講釈で。


老紅湯(ラオホンタン)

2005年06月16日 | お茶/中国茶

河南省許昌郊外の311国道沿いの陳化店(ちんかてん)は、良質な水が出るということで、地元では有名です。ここの井戸水は沸かさなくても飲めるんですよ。日本人にしてみたらあたりまえのことですが、中国の水は殆ど沸かさないと飲めません。
昔、そのことを知らずに水を飲みつづけていたというパッカー(男性)も居たので、要は消化器系が強いか弱いかの問題かもしれませんが、普通飲みません(笑)。
ミネラルウォーター等のペットボトル水の出現で、旅行者の中国飲水事情も改善されましたねぇ。ミネラルウォーターでなく、沸かした水もペットボトルに詰めて売られてます。缶ジュースも都会のホテル位にしかなかった時代は、マイ水筒は必需品でしたが…。


老紅湯の茶葉

話は逸れましたが、陳化店付近ではお茶が栽培されていますので、国道沿いにはお茶をここの良い水で飲ませてくれる茶店があります。栽培されているお茶は当然緑茶ですが、お茶しに来る人々のお目当ては老紅湯と呼ばれるお茶です。
地元ではかなり有名なこのお茶は、一口に言うと「ほうじ茶」かな…。味と香りは強いて云えば、日本のほうじ茶+高級プアール茶÷2という感じです。
1ポット1元(約14円)、お湯はお代わりし放題。でも国道沿いの為、土ぼこりを立ててトラックが通るので、長居する気にはなりませんが(笑)。
どんなにお金持ちが来ても、ここではこの老紅湯を注文するそうです。茶葉は見て判る通り、クズ茶みたいでしょ(笑)。少々燻されたような、透明感のある香りと、爽やかな後味がたまりません。こういうほうじ茶のようなお茶が美味しく飲めるのは、水がいいからでしょうねぇ。陳化店の良い水を使うと、クズのようなお茶でも美味しく飲めちゃうということなんでしょうか。この時は老紅湯よりかなり割高になる緑茶と老紅湯を注文。緑茶も美味しかったのですが、中国で日本的な感じの「ほうじ茶」に巡りあったことがなかったので、老紅湯はかなりインパクトがありました。


老紅湯を淹れてます

これは緑茶


復活の雷峰塔

2005年06月15日 | 中国の旅
2002年夏、小瀛洲から西湖西岸の花港観魚(花と鯉が観賞できる公園)に向かう遊覧船で、ふと南岸を見ると山の上にドテっとした見慣れない搭が建っていた。過去に見た記憶がないので、写真に収めてみたが、調べてビックリ、これが復活した雷峰塔だった

雷峰塔付近は「雷峰夕照」という西湖十景のひとつ。夕暮れの景観が美しいということだ。実際、夕暮れに行ってみたが、茜色に染まる佇まいは、それはそれは美しかった。まあ、西湖近辺の夕暮れはどこも素敵なんですけどね(笑)。

この搭は975年、北宋の呉越国王妃、黄妃が男子を産んだことを記念し建立されたもので、元の名は黄妃塔というらしい。この山はその昔、雷さんが隠棲していたことから、巷では雷峰で通っていた為、その塔は雷峰塔と呼ばれるようになったとか。

雷峰塔といえば、白蛇伝の舞台。伝説・物語では、この塔に白蛇が封印される。封印された白蛇は、1000年後に解き放たれることになっているが、伝説の通り、ほぼ1000年後の1924年に雷峰塔は突如崩壊した。一説には、この塔の磚(セン)を持っていると金持ちになれるとか、蛇が封印されているので眼病に効く等の噂があって、人々が基礎周辺から磚を抜き取ってしまったのが原因らしい。磚とはレンガのことだ。
旧雷峰塔は前述の通り1924年に倒壊してしまったので、実際に目にしたことは無いけれど、吉川幸次郎先生が戦前に撮影した写真では、スラッとしたスマートなイメージだった。磚が剥がれ落ちている為か(?)、風化した土の塔という感じ。美しい白蛇が封印されていると云われれば、さもありなんと思える。強いて云えば、蘇州郊外虎丘の塔に似ている。ほぼ同時代の建立なので、建築様式等は一緒だと思うけど。
今回再建された塔は重量感あふれていて、イメージが全然違う。白蛇とは結びつかない…。ダメダメだね
許昌の再建された覇陵橋(ハリョウキョウ。「三国演義」で許都を脱出した関羽を曹操が未練がましく追いかけてきて、戦袍を送った舞台。覇の字には「さんずい」がつきます)を見たときには笑ったが、こっちはかなりガックリ来た。

龍井問茶(ロンジンウェンチャ)

2005年06月11日 | お茶/中国茶
清の乾隆帝(ケンリュウテイ)は俗に云う風流天子。私に云わせれば文物収集マニア、友達に云わせるとオタク(笑)。江南大好き、漢文化大好き、文物収集旅行大好き、ついでに孝賢皇后大好きの皇帝。故宮の養心殿に三希堂(三つの希な書宝(快雪時晴帖、中秋帖、伯遠帖)の鑑賞部屋)なんて設けて、独りで快雪時晴なんか眺めちゃって、たまに臣下にみせびらかしてみたりして、悦にいってるなんて、やっぱりオタクかな(笑)。
江南好きの乾隆帝は、生涯6度の南巡(南方文物収集旅行)をし、そのうち4回杭州に来て龍井茶の詩を詠んでいます。(この人は何処でも詩を詠んで、字を書いて置いて行くんですが(笑)…。)その中に、龍井泉の水で龍井茶を賞味することの素晴らしさを謳った詩がありまして、龍井村のお茶農家のおばさんと話すと、必ずこの乾隆帝が龍井で龍井茶を賞味して感激した話を引き合いに出し、杭州に来たからには「龍井に茶を問いなさい」といわれること請け合いです。要するに、龍井(泉又は龍井村)の水で龍井茶を賞味し、その素晴らしさを知れということです。(そして、おばさん家の素晴らしいお茶を「直接買いなさい」という意味も含まれています(笑)。)
前にも書きましたが、龍井村で飲む龍井茶は絶品です!!乾隆帝が感動したのも判ります。お茶好きな方は、杭州に行くことがあったら、是非「龍井問茶」してみてください。

写真は龍井泉。旱魃の時もこの泉は枯れなかった為、土地の人々はこの泉は海に繋がっていて、龍神が住んでいると信じていたそうです。それで龍井と呼ばれるようになったとか。