大陸旅遊倶楽部的日記

三国志・水滸伝・史記の旅と中国茶のほかモロモロ…

黄鶴楼2016

2018年08月30日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

中華路埠頭からバンド沿いに長江大橋下をくぐって、長江大橋
記念碑側から上がっていくと、道の正面に黄鶴楼が見える。
去年は工事中で楼閣全体が網に覆われていたが、やっと工事も
終了した模様。
入場料80元(約1280円/2016年当時)。

▼黄鶴楼の軒先は鶴が羽を広げたような形になっている

黄鶴楼は武昌の蛇山にあり、黄鶴楼の元になった楼台は、
呉の黄武2年(223年)の建立と云われる。
当時、呉の孫権がこの要害の地に夏口城を築いた。

楼の荒廃、更に紀すること能わず

というくらいだから過去何回作り変えられたのか分からない。
清代だけで8回重建されているそうだ。
鶴が羽を広げたような絢爛華麗な楼閣は仙界の宮殿のようだった
ので、古来多くの伝説がある。…と中国名勝辞典に記載あり。

蜀の費禕(ひい)が鶴に乗って休みに来た。

唐の王勃(王子安)が鶴に乗って飛んで行った。

一番有名なのは、以下の件だ。
その昔、辛という人がここで酒屋を営んでいた。
辛さんは酒屋に毎日やってくる道士に酒をふるまっていた。
その道士がこの地を離れるにあたり、酒屋の壁にみかんの皮で
鶴の画を描いてこういった。

酒客至りて手を拍たば、鶴即ち下りて飛び舞わん

お客の手拍子に合わせて黄色い鶴が踊るのが評判になった酒屋は
大繁盛した。
そして10年の歳月が流れたある日、件の道士がふらりと現れ、
壁に描いた鶴に乗って飛び去った。
辛さんはこの地に楼閣を建て、この楼閣は黄鶴楼と呼ばれる
ようになった。

▼二階まで吹き抜け/黄鶴に乗った仙人の巨大なタイル画

黄鶴楼は唐代には隆盛を極めていたらしい。
現黄鶴楼は1985年に再建されたもので、
一代前の清末(同治7年/1868年)の楼閣を参考にしたそうだ。

黄鶴楼を最初に見たのは1986年3月で、当時はまだ瑠璃瓦が
華やかな黄色だった。

現在は落ち着いたオレンジに近い色になっている。
瓦を葺き直したのか、経年で色が変わったのかな?

▼三階(だったかな?)には、夏口に因んで三国志のタイル画

▼周瑜と劉備

▼黄鶴楼から長江を隔てた漢陽亀山方面を望む

▼黄鶴楼の脇には鉄道が走っている(丁度高鉄が通っている)

▼黄鶴楼公園内の岳飛像


武漢~長江の渡し船~

2018年08月20日 | 中国の旅

南昌から武漢に戻って、漢口の帝盛酒店に宿泊。
翌朝、帝盛酒店脇の江漢路を長江方面に向かう。
昨日滕王閣に行ったので、久しぶりに黄鶴楼へ行く気になった。
…入場料高いけど…。

黄鶴楼は漢口の対岸、武昌の蛇山にある。
江漢路から黄鶴楼へ行く方法は3つ。

①バス 2元
②地下鉄+バス 4元
③長江の水上バス(渡し船) 1.5元

バスで大回りして長江大橋を渡って行くのが一番歩かなくて済むけど
渋滞にはまると時間がかかる。
地下鉄+バスはコストパフォーマンス悪し。(地下鉄は風景見えないし)
天気も良いので、やっぱり、水上バスで行くことにした。

江漢路は歩行者天国になっているショッピングモールだが
まだ8時過ぎなので人は少ない。

江漢路の突き当りは時計台のついた立派な西洋建築。
その昔、ここは江漢関という長江の税関で、この立派な建物は
武漢のシンボルだったそうだ。現在は江漢関博物館になっている。

江漢関博物館の向こう、沿江大道を南に進むと、長江の渡し場
武漢関埠頭がある。
武漢関から長江大橋の横にある中華路埠頭までの便は、
6:00~20:30まで20分おきに運航している。
渡し賃は一般船1.5元(24円)、快速艇5元(80円)。

▼沿江大道越しの武漢関埠頭
 写真右側のおじさんと赤い女性は、自転車とスクーターの
 接触事故で揉めている最中。

▼武漢関埠頭入口

▼前方の船のような建造物は長江に浮いた待合室

▼待合室(船が到着した後なので人がいない)

▼船には既にバイクが乗り込んでます

▼長江に浮いた待合室(写真左)

▼対岸武昌のビル群

▼漢口のビル群

▼水上バス

武漢関から対岸の中華路埠頭まで所要時間は15分弱。

▼漢陽のテレビ塔

▼バンド沿いに歩くと長江大橋の袂に行き当たる