ワルシャワ蜂起博物館に行きました

2010-02-28 | ●時々旅に出ます
ワルシャワ蜂起博物館に行きました。
『ワルシャワ蜂起』とは、1944年ナチス・ドイツ支配下のワルシャワで起きた武装蜂起のことです。
詳しくはこちら参照→ウィキペディア


まぁ当然、ワルシャワ蜂起に関連する人々の写真とか、
軍服とか、ポーランドの腕章とか、
無事を知らせる手紙とか、武器とか
徹底的に破壊されたワルシャワの写真とかが展示されているわけですが。
…こわかったです(涙)。
写真OKだったので何枚か撮ったんですけど、消しちゃいました。
平和について考えてしまう。
↑「何言ってんの」とか言わないでくださいよ、ほんとにココに来たら考えるって!
単純に考えて、私こんな中では絶対生きていけない。むちゃくちゃヘタレだし。
とりあえず日本もポーランドも今は平和でほんとに良かったです。

新しい施設なのか、なんだか遊園地のアトラクションみたいな部分もありましたが(^_^;)
(お金かかってそう…)
かなり小さい子もいたので、
遊びを交えながら学んでもらうっていうのは、大事かもしれないです。


ワルシャワには至るところ、無数にこんなのがあります。



「『祖国の自由のために戦死したポーランド人の血で贖われた場所』
1944年8月10日ここでナチスドイツが百数十人のポーランド人を射殺した」
と書いてあります。


ううう~、気分がずっしり…。
戦場のピアニストを読んでたときと同じ感じ…。


この気分をちょっとでも晴らそうと、民族博物館も行きました。
ここは民族衣装とか、レースとか装飾品とか、昔の宗教関係のものとかが展示されています。
古い楽器も展示されていて、それぞれどんな音がするのか小さなスピーカーが全部鳴っているので
うるさかったです(笑)。
写真を撮ってもいいか聞いたら「○○だけはOK」と言われたんですけど、
「○○」の部分が聞き取れなかったので、撮らずにおきました(^_^;)


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追記:
●ワルシャワ蜂起博物館への行き方(私の場合)
イエロゾリムスキェ通りのバス停から151のバスに乗り、
「ワルシャワ蜂起博物館」で降りました。
↑こーゆー名前のバス停があるくせに、すぐ近くにはそれっぽいところがないという(^_^;)
バスの進行方向に向かってしばらく歩いて信号を渡ると
左斜め前にレンガ造りの建物が見えてきました…。
『地球の歩き方』でこの建物の外観の写真を見ていなかったらわからないところでした。
入場券は門を入って正面のショップで買いました。

ワジェンキ公園に行きました

2010-02-27 | ●時々旅に出ます
昨日はワジェンキ公園に行きました。






たまたまなのか、この時期いつもそうなのかはわかりませんが
私が来てからワルシャワは霧が出ていることが多いです。
昨日の霧は特にすごくて、朝、ホテルの窓のカーテンを開けたら
真っ白で視界ゼロでした。
それが午前11時を過ぎたあたりから急速に晴れてくるんですが
晴れはじめの、霧の中に日が差してくる時がすっごく幻想的できれいなんですよ~~。



日中の太陽が肉眼で見れてしまうくらいの薄日。
こういう風景ってポーランドの人には当たり前なのかもしれないけど
これを当たり前として育ったショパンの音楽は
なるほどああなるわけだよな…とか思ったり。



リスさんとか、鴨さんとかクジャクさんとかがいましたよ。
リスは人馴れしてるみたいで、私の足元まで来ました。





この公園に来ようとしてバスを乗り過ごして1コ先の停留所まで行っちゃったんですが
降りたところに公園の南側の門があったので、そこから公園を縦断した後、
宮殿に行って、ショパン先生のところに行きました。
と冷静に書いてみるも実はどこをどう歩いているのか全然わかんなかったです(^_^;)。
でもおかげで広いこの公園をだいたい把握できたような気がします。
(でもこの季節にこの公園で迷ったら間違いなく凍死だよ…)

JUDO

2010-02-27 | ●時々旅に出ます
柔道(女子)のワールドカップがワルシャワであるみたいですね…。
http://www.judo.or.jp/article-reader/internal-1.0.php?id=1218-2010taikai

朝ごはん食べてたら国名の入ったスポーツウェアを着た人々が大勢入ってきて
何事かと思いましたよ…

ウッチに行きました

2010-02-27 | ●時々旅に出ます
ワルシャワにも飽きてきたので(←殴)、ウッチに行くことにしました。


ワルシャワ中央駅。
一人で切符を買うのも一人で列車に乗るのも初めてなので
ドキドキビクビクです(^_^;)

1時間半ほど列車に揺られてウッチ・ファブリチナ駅着。




ここへは2人(っていうか1人と1匹)に会いに来ました。


1人目は・・・・・あっ、


いた!ルビンシュタイン先生~!
(お鼻、テカテカですけど…(^_^;)


ウッチはアルトゥール・ルビンシュタイン先生の出身地なのでした。


市歴史博物館にも行きました。
ここはポズナンスキ家の邸宅だったところですが、博物館になっています。

この博物館の2階の一番奥には、ルビンシュタインゆかりの品々が展示されていました。
(写真は、撮っていいところと撮っちゃダメなところとあって、ルビンシュタインの部屋はダメなほうでした。残念)
おびただしい数のルビンシュタインの写真が飾ってあるんですけど
これがすごくしゅてきだったです~
ピアノを弾いてる写真はもちろん、若かりし頃の写真とか、
結婚式の写真とか、孫を抱っこしてる写真とか、日記?を書いてる写真(←個人的にイチ押し)とか、
いろんな音楽家(アルゲリッチとかストラヴィンスキーとか)との2ショットとかなんですけど
なんかどれもこれもほんとにかわいくて素敵でした。
思わずルビンシュタイン先生のファンになってしまった…CD買っちゃおうかな。

その他、この博物館はポズナンスキ家の当時の生活を再現した部屋とか、
あとなぜかポーランドの人が獲った札幌オリンピックの金メダルとか
なぜか昔のフィギュアスケートNHK杯のパンフレットとか展示してありました。
まさかこんなところで日本語と遭遇するとは思わなかった(^_^;)


さて、会いたいもう1人(1匹)はなかなか見つかりません…どこにいるんだろう?




…あれっ?!


いた!クマちゃん~!!
うしゃてく、会いたかったよ~!
ショーウィンドウの中にいるとは、予想外だったorz
(うしゃてく=クマちゃんについてはこちら参照。音が出ますのでご注意ください)
ウッチは、『おやすみ、クマちゃん』の制作会社・セマフォルスタジオがあるところなのでした。
(クマちゃんの銅像については追記あり→)

会いたかった2人には会えましたが
もっと行きたいところがあったのに、クマちゃん探しで力尽きてしまいました。
っていうか、場所をはっきり確認せずに行き当たりばったりで出かけたのが失敗だった(←あたりまえだ)。
心残りありすぎなので、もう一回ルビンシュタインせんせーの写真見たいことだし
また来ようと思います。



アンデルシェフスキ@ワルシャワフィルハーモニーホール

2010-02-26 | ●時々旅に出ます
一昨日の24日、ピョートル・アンデルシェフスキのコンサートを聴きに
ワルシャワフィルハーモニーホールへ行きました。

プログラム
バッハ/イギリス組曲第5番
シューマン/6つのカノン形式による練習曲
シューマン/暁の歌
ベートーヴェン/ピアノソナタ第31番
アンコール
バルトーク/チーク地方の3つのハンガリー民謡
(あとシューマンの曲…40-5と言っていたような気がしたんですけど違ったようです…(^_^;)
さらにもう1曲。曲目不明)
ショパンの誕生祝いコンサートだっていうのにショパンを弾かないヤツ。


前半は、暗く静かな空間で薄明かりをじっと見つめるような
アンデルシェフスキの世界への導入。
シューマンの「6つのカノン形式による練習曲」を聴きながら、
シューマンとアンデルシェフスキって似てるんじゃないかという気がしてきた(性格が)。
純粋で、自分の考えに忠実でいるだけなのに、イマイチ他人に理解されにくくて
それでも他人に理解してもらうためにうそをつくよりは
やっぱり自分の考えに忠実でいる、というような。

この日の演奏で、深く心に刻まれたのはなんと言っても後半です。
『暁の歌』は、シューマンが精神を病む前に書いた最後の曲ということで
去年の来日公演でこの曲を弾いたときは観客に「拍手しないで」って紙が配られたけど
今回はどうするのかしらーと思ったら、そのままベー様31番になだれこみました。拍手拒否…(^_^;)
でもこの31番が、
絶望なのか希望なのかわからないシューマンの『暁の歌』を
壊さないように、優しく抱きとめて包み込むようでした。
今思い返してもちょっと涙が出そうです。
「後から思い返してウルウル」って演奏にはそうそう出会えるものではないと思いますが
(私も2~3回くらいしか記憶にないですが)
この暁の歌と31番ソナタのつなぎは、そのうちの1回になりそうです。

このベー様31番を聴いて、このヒトが32番なんか弾いたらさぞやと思ったんですけど
アンデルシェフスキのことだから、31番だけに一生粘着質にこだわって
32番なんか絶対弾かない気がしてきた。
でもそれはそれでいいかも。
私には、アンスネスの32番とちょうど「対」になっているような感じがします。


アンコールの2曲目で、これから弾く曲を言おうとして
「シューマンの…」と言いかけたら客席から「ショパン!」って声が飛びました(笑)。
みんなが思ってることを言ってくれてアリガト。
それでもショパンは絶対弾かないアンデルさんなのでした。


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本当はこの日は、アンデルシェフスキの前にペライアのリサイタルがありました。
実は最初は順番が逆で、ペライアまで聴いてしまうとあまりにも夜遅くなってしまうので
ペライアはあきらめたんですけど
1ヶ月前になって時間が逆になったので、結局夜遅く帰るハメになりました。
こんなことならペライアのチケットも取っておけばよかった…。
でもワルシャワで夜遅くなったとしても、対・人って意味じゃ怖い思いをしたことはほとんどないんですよね。
ただ夜遅くなるとあまりにも人通りがなくてゴーストタウンみたいでコワいという…(^_^;)

ワルシャワ街歩き

2010-02-26 | ●時々旅に出ます
ポーランドに来た2日目、ショパンの心臓におまいりに行ったあと
ワルシャワのお約束のコース(新世界通り→クラコフスキェ・プシェドミェシチェ通り→旧市街)をテケテケ歩いてみました。



↑スタバのポーランド1号店とのウワサ。
新世界通りにありました。


↑少し横道にそれてサスキ公園前。
そういえばサスキ公園ってなぜか1回も行ったことがなかった。
きれいな公園デスね。
この公園には昔、宮殿がありました。
ショパン一家が住んでいたこともあります。


左奥に見える2本の尖塔は、ショパンの心臓のある聖十字架教会です。


トレンバツカ通り(手前)とコジャ通り(左奥)が交差するところ。
ここには昔、乗合馬車の乗り場があり、
1830年11月2日、20歳のショパンがここで家族や友人と別れ、
ポーランドから旅立ったそうです。
(そのまま、母国に帰ってくることは出来なかった)
中央奥に見えるカフェが『テリメナ』。
当時の名前はなんだったっけな?ホノラトカ??
(違ってたらごめんなさい、帰ったら調べます)
ショパンが常連だったところです。


王宮広場前からヴィスワ川をのぞむ。
手前の手すりのところまで行きたいと思ったんですけど、


足元のこの段差がこわくて降りられないヘタレさん。

ワルシャワは、歩道を歩くのが難しいです。
理由その1=建物に寄って歩くと軒から雪解け水がしたたってくる(傘が欲しいくらい)
理由その2=歩道は基本雪かきされてますが、日陰など部分的に凍っていて滑りやすい
理由その3=改装工事による立ち入り禁止区域が多すぎる
なんか道歩いてると突然赤と白のテープに行く手を阻まれるんですよ。
↓こんなふうに

改装するなら建物だけ立ち入り禁止にすればいいのであって
歩道を通行止めにしなくてもいいと思うんですけどねー。



旧市街から脇道に入ってみたら


ここにもヴィスワ川を見れるところがありました。


ところで、観光シーズンではないことは重々承知ですが
表通りのにぎわいと比べて旧市街の閑散としていることに
ちょっとびっくりしました…世界遺産なのに。
なんか心配になってしまいました。
それでも観光客っぽい人はいましたけどね。


ワルシャワは思ったより全然あったかいです。
私が来てから気温は多分0度を下回ってないと思います。
寒いことは寒いですけど、
ダウンコート着て地元の人々と同じテンポで歩いてると汗かいちゃいます。


ぎゃー!このポスターの並びったら!
私の好みを知っている人?!



よろしければ…

2010-02-25 | ●時々旅に出ます
ショパンの200歳のお誕生日をお祝いしにワルシャワに行きたいなと思い始めたのはいつごろだったか…
確か2007年だったと思うんですけど。
コンサートも何もなくても行くつもりだったんですが、
何もないわけないですね。
そのコンサートの具体的な情報が入った1年前から、このブログの非公開カテゴリ(『KONCERTY URODZINOWE』)で
自分の頭を整理する意味で準備段階のことを色々と書いていました。
なんで非公開にしていたかというと、このカテゴリに書いた情報は
私の拙いポーランド語読解によるものを含んでいたからです。
うっかりしたこと書いて間違ってたらタイヘンですからね。
結局、私の読解力以前に元の情報自体が二転三転したので
非公開にしといてよかったなぁと思ってるんですけど。
このたび、このカテゴリを公開することにしましたので、
興味を持っていただけたらお読みください。
旅行記も今後このカテゴリに移します。

KONCERTY URODZINOWE



この旅行の計画を立ててる間はすっごく楽しかったんですけど
あまりに長い間あれこれ考えてたもんで、直前には疲れてしまっていたというおばかさん(^_^;)




ポゴレリチ@ワルシャワフィルハーモニーホール

2010-02-24 | ●時々旅に出ます
昨晩は、イーヴォ・ポゴレリチ&ゲオルグ・チチナゼ指揮シンフォニア・ヴァルソヴィアを聴きに
ワルシャワフィルハーモニーホールへ行きました。

プログラム
ショパン/ピアノ協奏曲第2番
シューマン/交響曲第4番
ピアノ:イーヴォ・ポゴレリチ
ゲオルグ・チチナゼ指揮シンフォニア・ヴァルソヴィア


さんざん焦らしてようやくステージに姿を現したおポゴ様。
会場からはそれだけで歓声が上がりました。熱狂的ファンがいるみたい。
若い指揮者の5倍くらい貫禄のあるポゴレリチは楽譜を持ち、譜めくりの人を従えていました。
コンチェルトでも楽譜を見るのか…。
オーケストラの前奏が始まったというのに、椅子がお気に召さなかったようで、
譜めくりくんの椅子と交換なさってました(^_^;)
ただでさえ緊張の面持ちの譜めくりくんをこれ以上緊張させてどーするんだ。

ポゴレリチはショパンの2番を25年以上も前に録音していますが、
当時20代だった若者が弾いた演奏とは当然全然違ってました。
ショパンの2番と言えば究極にろまんちーっくな曲だと思うんですけど
そういうロマンスとも、10代のショパンの若々しさとも完全に縁を切った演奏でした。
フォルテがどかーんがつーんと来てごつごつしていて、
でもところどころ現れるピアニシモはとても繊細(でもロマンチックではない)。
なんか、人生の酸いも甘いも知り尽くしてすっかり世に背を向けてしまったおじいさんが
時々、本当に時々、昔のことを思い出しているような、そんな感じだと私は思いました。

ポゴレリチはケゼラジェ夫人の死後、一度自分の音楽を完全にぶっこわしたと思っていますが、
昨日の演奏は、その後の最初の来日公演の時の「残骸」とも、その次の来日公演の「残骸よりは形をなした音楽」とも
ちがっていました。
オーケストラに気を使ったというのも多少はあるかと思いますが、
ポゴレリチの音楽の2度目の完成に向けて着々と工事が進んでいるのではないかと。
でもまだ完成品じゃないような気がする。調理途中でまだ食べられないゴハンみたい。
ブレハッチのショパンはまるで水のように体にしみこんできますが
昨晩のポゴレリチのショパンってとても飲み込みにくくて消化にも悪くて、
食べたところで滋養があるかどうかもわからないって感じでした。
それでも随所にポゴレリチらしい独特のフレージングがありました。
ああ、この解釈の仕方に昔どっぷりとハマったなぁ。
独特のピアノに対して、オーケストラはすごくまっとうな解釈だったと思います。
もうちょっと、ピアノに合わせた解釈をしてくれてたら
もっとずっと面白く、画期的だったんじゃないかと思うんですけど。
とかなんとか思っていたら、第2楽章をもう一度演奏してくれました。
後から思い返すとアンコールというよりはやり直しって位置づけだったように思います。
2回目の方が、オーケストラもピアノも歩み寄ったって感じでしっくり来ました。
それもポゴレリチも感じたのか、最後の音を弾き終わってピアノのふたを閉じた後(←閉じるなよ)、
指揮者に向かって投げキッスをしておられました。
この投げキッス、素敵すぎた~!
なんかこの映像が目にこびりついて離れません。キャー

25年前に録音されたCDはアホかって言うくらい繰り返し聴きました。
一番好きなのは、第3楽章の「レ・レミレドレファーミーソーラ♪」(だっけな)の後なんですけど
(わかりにくくてすいません)
そこは当時のまま弾いてくれて嬉しかったなぁ。
当時とは変わったと言っても基本的なところは変わってないと思います。
コーダの、アルペジオの指示がある大きな和音を
全部同時にバン・バン・バン・バン・バン・バン!って弾いちゃうところとか(どんだけでかい手なんだよ)。
第3楽章、ショパン独特のヘンなアクセントをきっちり弾くのはさすがスラヴの人と言うべきか、
あのリズムはスラヴ人にしか弾けないと思います。
…昨日「この曲はブレハッチ以外で聴きたくない」と言いましたけど、ポゴレリチは別です。
だってすでに曲自体がすでに全然別の曲になってるんだもん(-_-;)


1曲目終わったあと、出待ちしようかなぁと思ったんですけど、
2曲目にギリギリ間に合いそうになかったのであきらめました。
またしてもオマケと考えていた2曲目が昨日みたいな名演だったら困るし。
でも、でも、でも…シンフォニア・ヴァルソヴィアは私の耳には・・・・・・。
会場からブラボーも飛んでたし、指揮のチチナゼもすごく満足のいく出来だったみたいなんですけど、
私は昨日のワルシャワフィルの方が断然好きです。


(妙なたとえをいっぱいしました…スミマセン(^_^;)


ブレハッチ&ヴィット指揮ワルシャワフィル@ワルシャワフィルハーモニーホール

2010-02-23 | ●時々旅に出ます




昨晩は、
ラファウ・ブレハッチ&アントニ・ヴィット指揮ワルシャワフィルハーモニー交響楽団のコンサートを聴きに
ワルシャワフィルハーモニーホールへ行きました。

プログラム
シューマン/交響曲第2番
ショパン/ピアノ協奏曲第2番
ショパン/マズルカop.17-4、50-2(ピアノのアンコール)
ピアノ:ラファウ・ブレハッチ
アントニ・ヴィット指揮ワルシャワフィルハーモニー交響楽団

ブレハッチは、ずいぶんテンポを揺らしたり、思ってもみないところで急緩つけたりして弾いていました。
それがこう、なんといいますか、「はっ」と息を詰める感じがするというか、
かなり「ドキッ」とするんですね(「きゅん」とも言う。笑)。
それがけっこう頻繁にあって、それも今までそんなん誰の演奏でも聴いたことないよと思うくらい斬新なところでやってました。
実は私、このコンサートを新鮮な気持ちで聴くために
去年発売されたCDをほとんど聴いていないんですけど
こんなにリズムやテンポを揺らしているんでしょうか。
(iPod持ってこなかったぜ…帰ったら聴いてみよう)
そこまでやっても、どういうわけかこの人は『ショパン』って枠からは絶対はずれない。
ほんっとにそれが不思議でたまらない。
多分、持って生まれた素質(ポーランド語を母国語として育ったことを含め)プラス
楽譜をよく研究しているんじゃないかと思う。
そうでなければあんなに、まるで直感のように弾いて自然に聞こえるわけがない。
彼は全身でショパンを理解しているんだと思います。

第3楽章の第2主題以降のリズムなんかはもう
私はこの人以外の演奏では聴きたくないですね。
言葉にするのは難しい。
聴いてるあいだじゅう頭の中で、「これだー!これなんだー!」って声がしてました。


ところで、このプログラムの中でオマケのように考えていた(←殴)シューマンの交響曲。
時差ボケもあることだし(現地時間19:30は日本時間の午前3:30)、
寝ちゃったらどうしようと思いましたが
これがすっごい熱演で、知らない曲だったけど夢中で聴いてしまいました。
ヴィット先生、気合い入ってました。団員にガミガミ言ってる姿が目に浮かぶくらい。
特に第2楽章、リズムと楽器の入り組んだいかにもシューマンらしいイヤらしい(笑)楽章を
キビキビビシビシに聴かせてくれました。カッコよかった。
第2楽章終わったところで一瞬の間をおいて拍手した人がいたけど
あれは間違ったんじゃなくて、第2楽章に対して送られた拍手だったと思うな。
私も心の中では拍手してたし。





この日は
「ショパンのアニバーサリーイヤーにワルシャワにいること」
「ワルシャワでブレハッチのコンサートを聴くこと」
2つの夢が同時にかなった日でした。



おまいり

2010-02-23 | ●時々旅に出ます
日本時間ではもう23日まわってますが
ポーランドはまだ22日です。

今日はショパンの200歳のお誕生日(かもしれない日・その1)なので
ポーランドに来た初日だし、おまいりせねばなるまいと思って
ココに行きました↓



聖十字架教会です。
ここには、ショパンの心臓が納められています。


去年の暮れから今年にかけて改修工事をしていたということだったので
まだ改修中だったらどうしよう、とか
心臓が納められている柱の石碑が「ショパンのための」ではなくて観光客のための石碑になっていたらどうしよう、とか色々思ったんですけど
工事は終わっていて、石碑は以前と同じでした。ッホ。キレイにしただけなのかしら。
(追記:2010年3月現在、教会全体が修復作業中のようです。ショパンのプレートあたりの修繕は終わっているようですが、あちこちから工事の音がしました)



石碑には
『Gdzie skarb twoj, tam i serce twoje = あなたの宝のあるところに、心もある』
と書かれています。
聖書からの引用文です。


今日ここにいられることを、ショパンの心臓の一番近くにいられることを
本当に幸せに思いました。