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幼きイエズスの聖テレジアおとめ教会博士   St. Theresia ab Inf. Jesus V.

2017-10-02 03:50:42 | 聖人伝
幼きイエズスの聖テレジアおとめ教会博士   St. Theresia ab Inf. Jesus V.   記念日 10月1日


 幼きイエズスのテレジアほど一朝にして世人の驚嘆感動を巻き起こした聖女は珍しい。彼女はフランスで生まれフランスで死んだ。しかし彼女に対する崇敬は幾ばくもなく全世界に広まった。彼女は僅か24歳というまだうら若い年齢で世を去ったが、彼女はその死後短時間で列聖された聖人は滅多にない。
 この聖女は1873年の1月2日に生まれて、1897年の9月30日に死んだから、先ず現代の聖人と言えよう。その生誕地は北フランスのアランソンである。彼女の父母は甚だ信心深く、その間に儲けた9人の子供を天からの授かり物として、そのことごとくを生まれぬ前から天主に献げた位であった。テレジアはこの9人の末子で、幼少から至って敬虔の念に篤かったが、それも生来の性質の外に大方両親の善い躾があずかって力あったのであろう。彼女は謙遜で従順で父母を熱愛し、別して父マルチンに懐いていた。8歳からテレジアはリジューにあるベネディクト会の学校に入り、その寄宿舎に起居することとなったが、早くも友達間に模範と仰がれるに至った。9歳の時重い病気に罹り危篤に陥ったけれど、童貞聖マリアの御取り次ぎにより全快することが出来た。その病室には一つの聖母の御像がおいてあったが、彼女はそれが自分に向かって微笑みかけたのを見たという。
 テレジアは15歳の年齢を迎えると、リジューにあるカルメル会の修院に入院を願った。しかしその時はまだ年が若すぎるという理由で許されなかった。彼女はイエズスに全く身を献げ、静かな修院に住んで主の為にのみ生涯を送りたいと日頃熱望していただけに、この拒絶に逢って大いに悲しんだ。その頃彼女の父は他のカトリック教徒とローマへ巡礼の旅に出た。テレジアは父に同行を許されたが、ローマでふと思いつき、今の年齢でカルメル会の修院に入れて頂くよう、教皇聖下にお頼みしてみる気になった。しかしそれにはどうしたらよいか、彼女にはその手続きが解らなかった。
 巡礼一同が拝謁して、教皇から御言葉を賜った時であった。勿論巡礼者各自は教皇に何も申し上げることが出来ず、ただその御指輪に接吻して退くことになっていたのであるが、テレジアは自分の番になると、勇気をふるって言葉少なに、年齢は足らぬが修院に入りたいとの希望を言上して見た。すると教皇は、そういう事なら、自分の教区の司教に頼むがよいと仰せになったが、彼女がなおも繰り返しお願いすると「安心するがよい、天主様の御旨であれば、必ず修院に入れるから」と仰せになった。
 テレジアは帰国すると早速司教に手紙を送った。暫くして許可の通知が来た。しかし修院長はなおも彼女を試みる為にもう3ヶ月待てと言ってよこした。それはテレジアにとって大きな犠牲であった。けれども彼女は辛抱してその言葉に従った。
 とうとう宿願叶って彼女が憧れのカルメル会修院に入ることが出来たのは、1888年の4月9日のことであった。その時彼女の母はもう世を去っていたから、父が彼女に付き添って行ったが。今愛するテレジアを修院に送るのは彼にとって随分忍びがたい苦痛であった。というのは、彼の娘は既に3人も同じ修院に入っており、テレジアで丁度4人目であったからである。しかし彼は天主の為にその愛別離苦を甘受したのであった。彼のこの尊い犠牲は立派に報いられた。彼が主に献げたこの末娘こそ偉大な聖女と世に仰がれるに至ったのである。
 けれども聖となるには常に奮励せねばならぬ。テレジアも不撓不屈の努力と数多の試練とを経て聖域に達したのであった。その苦行と犠牲の大部分に就いては、ただ天主のみご存じであろうが、人に気づかれた事も幾つかある。もっともテレジアにどういう長所があるのか、院長も他の修女達も久しく知らなかった。そして彼等が彼女の徳の衆に勝れている事実を悟った頃には、テレジアの余命はもう幾ばくもなかったのである。
 彼女は幼時の如く全く従順になろうとして絶えず努力し犠牲を献げた。その上自分の欲望と戦ってこれを抑え、あらゆる謙遜の業を喜び、怠らず己に打ち克つ事に勉めた。彼女は生来からだが弱く、病気に罹ったり具合の悪かったりすることも、稀ではなかった。それ故彼女がどれほど苦しんだか、どれほど勇気を奮い起こさねばならなかったか、それは天主ならでは窺う由もない事である。
 テレジアは天主を熱愛し、他人を熱愛し、すべての霊魂を救いたいという望みに燃えていた。それで彼女は罪人の改心の為、司祭の為、わけても遠い国々で布教に活躍している宣教師達の為頻りに祈った。そして最後の長患いに罹ったときも、その名状し難い苦痛を一言も訴えず耐え忍んで、世界の果ての布教地に働く人々の為犠牲に献げた。されば彼女も立派な宣教女であって、教皇が彼女をすべての神学校や宣教会の保護の聖女と定められたことももっともとうなずかれよう。
 テレジアの念願は死して後までも善事を行いたいということであった。彼女が臨終の言葉に「私は天に昇りましたら地上に薔薇の雨を降らせましょう」とあるのは即ちその意味で、薔薇の雨とは恵みを指すのである。そして実際彼女は天国から数多の人を助け救い、無数の罪人を改心に導いたのであった。
 彼女は1897年9月30日に帰天し、1923年早くも福者の位を送られ、1925年光栄ある聖女の列に加えられた。その記念の祝祭は10月1日に行われる
 テレジアに対する崇敬は死後たちまちにして全世界に広まった。その訳は彼女の取り次ぎによって沢山の奇蹟が起こった為ばかりでなく、またその聖徳の慕わしさによるのである。テレジアは別に世界史上に残るような大事業を成就したのではない。天主を愛する心から毎日の仕事を、取るに足らぬ小さな事まで出来るだけ立派に果たそうと心がけ、努力してその大を為したのである。

教訓

 我等も聖女テレジアの辿った道を辿るがよい。それは「小さき道」と呼ばれ、毎日の任務を忠実に果たし、すべての喜び、すべての悲しみを謙遜に忍耐し、天主に感謝する心で受け取ることを指すのである。これは人間には一向目立たぬつまらぬ事と見えるかも知れない。しかし天主の御目には真に偉大な事と映ずるのである。

あなたは必要以上の断食は避けなさい  聖イグナチオ・ロヨラ

2017-10-02 02:57:36 | 格言・みことば
第二の《断食と節食について》は、《主のために》胃その他の体力を維持し強めるべきで、これを弱めてはならないと思います。それは次の理由によります。《第一に》人が、どんなにささいなことであれ、知りながら神にそむくよりもこの世の生を失うことを選ぶというほど、よく心構えができ決心しているとき、また《第二に》、敵〔なる悪魔〕と世間と肉とのいろいろな誘惑にとくに悩まされていないときには ー あなたが神の恩恵により、第一の点でも第二の点でも、その状態におられることを疑いませんが ー 魂も肉体も主なる創造主の賜物であり、いずれについても責任を負っているということを、肝に銘じていただきたいからです。それに、体力が弱くては内的な力も働くことができませんから、肉体の力を衰弱させられることのないように、心から希望します。ですから、私も以前には、断食や大・小斎や日常の食事も節することをたいへん称賛しましたし、しばらくこれを喜んで行なっていましたが、もうこれからは称賛しないつもりです。それは、このような断食と節食をつづけていますと、胃がよく働かなくなってしまい、肉類その他、人体に滋養となるものを摂っても、なかには消化できないものが出てくることがわかったためです。それよりも、どうかできるだけ体力をつけるよう苦心されて、給仕された食事はなんでも、また他の人々に失礼とならないかぎり、いつでも必要なだけ、何回でも召し上がるようにしてください。まことに私たちは、肉体が魂に従い、これを助けるかぎり、肉体をいとおしみ愛さなければなりませんし、また魂は、このように肉体に助けられ従われてこそ、主なる創造主に奉仕し賛美をささげるのに、よりよく備えられるものだからです。

聖イグナチオ・ロヨラ  「フランシスコ・デ・ボルハ公への書簡」1548年9月20日

守護の天使     Fest. Sts. Angelorum Custodum

2017-10-02 02:51:03 | 聖人伝
守護の天使     Fest. Sts. Angelorum Custodum         記念日 10月2日


 守護の天使の祝日を迎えるに当たり、我等は天主の広大な御慈悲の程を、つくづくと感ぜずにはいられない。即ち天主はその御憐れみから、聖い天使を我等の友とし案内者とし守護者として与え給うた。それで我等は天主並びに天使方に感謝を献げる為、10月2日に守護の天使の記念を行うのである。
 天主が人間を守護せしめる為聖天使を遣わし給うたことは、既に旧約聖書の中に記してある。トビアがその旅行中一位の天使に導かれ護られたなどはその一例で、なおかような話はヤコボ、ユディト、ダニエル、エリアその他多くの人々の場合にも見出されるのである。
 更に転じて新約聖書を見ると、使徒聖ペトロが天使に獄中から救い出された話がある。聖ヨゼフが天使に先ずエジプトへ逃れよとの告げを受け、後パレスチナへの帰国をすすめられた話がある。諸聖人の生涯や一般の人々の各自の生活にも天使の守護を実際に証拠立てるような事が少なくない。
 我等は肉眼で天使を見ることが出来ないから、そのおかげで多くの危機から護られ救われた事を考えない。世には如何に人が度々不思議に危機を免れる人があるだろう!殊にそれは無邪気な子供の場合に多い。我等の信仰によればその説明は極めて容易である。わけても主は天使が子供等を守護している事について明らかに仰せになった「汝等慎みてこのいと小さき者の一人をも軽んずることなかれ、汝等に告ぐ、彼等の天使達に在りて、天に在すわが父の御顔を常に見るなり」と。人を守護する為に天主から遣わされた天使を守護の天使と呼ぶ。この守護の天使達も他の天使達のように天に在り、肉体を有せぬから我等の肉眼に触れない。しかし彼等は我等を見、我等を助ける。守護の天使は我等の行為の証人であって。人間の為す善悪をことごとく目撃しているのである。これは何と厳粛な思想ではないか!もし我等が常に独りではなく、聖天使に付き添われているのだということを忘れぬならば、我等はもっと善に励み悪を避けるに相違ない。何か悪事を為そうと考えたとき、それに対する躊躇、或いは心配が生ずるのは、しばしば守護の天使のすすめであり、何か善い考えが湧き出るのも度々守護の天使の暗示による。守護の天使は我等の臨終の時も、死後の審判の時も、我等の傍らを去らない。そして確かに我等の為天主の御憐れみを求めてくれるであろうが、我等が生前よく彼の導きに従い、彼のことをしばしば考えたのでなければ、その助力も徒労に終わるのである。故に心して彼の祝日を守ろうではないか。

教訓

 しばしば、少なくとも朝晩守護の天使を思い出し、あらゆる霊肉の危険からわが身を守り給うよう祈り、誘惑の時には悪魔を追い払って頂くよう願おう。そうすればいつか彼も我等を輝く天国に導いて下さるに相違ない。