ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

維持するべきことと、維持してはいけないこと

2017年09月29日 | 示されたこと
六十歳代は1年ごと、七十歳代は一ヶ月ごと、八十歳代になると1日ごとに体が衰えていく。気持ちはまだ若いつもりなのに・・・。

最近読んだ「心の診療室」(山中正雄)での一節です。私は召命に従がい五十五歳歳で職を辞し、すべてを置いて牧師として上京しました。今思えばこの時点までは捧げることができた喜びもさることながら、体全体に力が満ちていた。
その後、全くこれまでと全く異なる土地と生活環境に適応しながら牧師業を学び、結婚という祝福にもあずかった。それから何年かしばらく経ち、白馬のキャンプの帰りなどで、かつて経験したことのない疲れを覚えるようになった。帯状疱疹などになったのもその信号だったと言えよう。

現在、六十代の坂を越えつつ思うのは、結婚相手もそうだが、本当に神様って全知全能で、私の体も私以上にご存知であったと思う。つまり十年後の今では、これらは意欲も体力もきつい、しんどい事ばかりで、意欲が湧かなかっただろうと思う。
六十代は、1年ごと・・・あの頃は分からなかったが、今ではその通りだと実感する。 だからこそ、今では身体面については「維持」することが最大の目標にしている。進んで医療機関にかかり、スポーツを心がける。
ところが精神面では逆である。維持し保守てあってはいけない、たえず主にあって変革され、一新されなければならないのだ。この霊肉の逆方向に進むベクトルの、バランスをとるのが私には至難の業に見える。

だだクリスチャンは素晴らしい。衰えていく肉体は、やがて天に帰って行くときに、素晴らしい御霊の体が与えられる。これには老化がなく、永遠の最高の体なのだ。霊の面では喜びと平安に満ちた、天から降りてくる神の都での暮らしが最高だ。


そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。(ローマ人への手紙12:1)



ケパ






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