ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

主日礼拝

2018年09月30日 | 教会のこと
おはようございます。主日礼拝です。


今日は第4会議室での礼拝です。
途中ですオンラインキレましたら。ごめんなさい。、午後に、保存版流します

礼拝始まりました
預言の時


今日のメッセージは、

ヨハネの黙示録から22:17 から、

プロジェクターを使いメッセージです。
神学校の授業思われます〜〜

メッセージが終わると、ミニストリー
しばらく癒しのお祈りの時です。
主に感謝します


ドルカス





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新しい歌と、懐かしい歌

2018年09月29日 | ゴスペル
今教会では、
J.GOSPEL『風のひびき6集』の掲載曲を歌いはじめた。
既に、荒地に川ミュージックから応募音源が、ネット上で売り出されていて


先週には、Apple Music から1ヶ月無料配信登録サービスのお知らせがあって、早速申し込み、一月間しっかり聴きこむことにした。


この時期に2つのことが重なるなんて、主に喜び感謝しました。
ひと月聴いている間に、歌集が発売され、11月にはいよいよ全曲4枚組のCD が発売される。

先取りで聞けることに感謝します。

と喜んでいたら、東京アンテオケ教会では、今週月曜日から、

Today's GOSPEL


が始まり、懐かしい歌集『安らぎの歌』1集の掲載曲から、毎日一曲がアップされ聴ける。
ちなみに最初の曲は、
十字架のみわざ
既に6曲聴けます。ぜひ懐メロJ.Gospelも聞いてみてください。

このブログのブックマークからも入れるようにします。


ドルカス



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10年経った結婚

2018年09月28日 | 感謝
私ごとで恐縮だが、今から10年前の6月に私たちは結婚した。私56歳でドルカスは二つ下。お互いに最初の相手を、胃ガンで天へ送った者同士の結婚だった。

病名だけではない、二人ともいろいろあったが、とにかくはじめの結婚は願いが叶った結婚だった。

私は前妻を送って、堅く決めていたことを実行した。退職し献身することである。そのため私名義の家を売却しローンを完済、可能な限り身辺を整理し、牧師として上京した。神の召命に応え、命を捧げての上京だった。

こう言うと誤解されるので、もう少し説明すると、神の召命は時間をかけて導いてのものであり、私が心からの信頼を寄せるものだった。それでも不安や恐れが全く無かったか? と聞かれれば、その時は分別盛りの55歳、それはあったと言うしかない。けれども神への信頼は、はるかに勝るものだった。

上京し、東京アンテオケ教会牧師として働きはじめて1年近く経った頃、これもなかなか理解してもらえないのだが、私たちはほとんど知りもしないのに、導かれて結婚することにした。最初が恋愛結婚だったので、これは使命結婚だと言える。

なぜかと言うと、確かに神に導かれ、それに聞き従って結婚だったからだ。もともと「あなたは結婚します」と示されていたのだったが、上京し牧師として何とか慣れて来た時、再びそのことを示された。が、今回は次のような指示付きであった。「あなたは二、三人のあなたの友に、『神が導く人となら、それがどんな人とでも必ず結婚する』と告白しなさい。」 神は私の心の中をようくご存知で、神に委ねなさい、そう言うことだった。

その告白を、実際にはかなり冷やかされ笑われたりしながらも果たして2週間後、部門で共に働く同僚の女性牧師から間違いメールを私は受け取った。その内容は、長野で副牧師をしている妹(ほとんど面識はなかった)とのやり取りの一端で、再婚可能な対象として、なぜか私の名が挙がっていたのだった。これこそ、祈りの答え、神の導きだった。
もちろんさらに祈り、聖書と長老にも確認を求めた。それとは別に、数ヶ月前のことですっかり忘れていたが、このことを暗示した不思議な語りかけ的なものがあって、それも確認の一つになった。

さて面白いことに、結婚することになっても、よく知らない者同士、知らなければならないことが山ほどあった。話せば話すほど、神が導いたのでなければ、互いに絶対に結婚しようとは思わない相手だと分かった。要するに人間的な意味で、あまり好みのタイプではなかったのだ。しかしまた、人間って自分が分かっているようで、実は灯台もと暗し、全く分かっていなかった、と言うことも同時に分かって来た。互いに相手が自分に無いものを持ち合っている存在で、かつ本当に鍵と鍵穴のようにピッタリ一つになれる存在であった。しかもそれが分かるのは、二人が共に一度結婚した経験があるからであった。知れば知るほどそれぞれリンクしたような歩みであり、複雑な連立方程式が解かれたような、結果として素晴らしい一致と言う答えがあった。さすが神さまのされることは、人間の思いと世界を超えて、すごいことだと、ただ主を褒め称えるしかない。

こうして十年経った今でも、それぞれ流した涙の分だけ、おそらく互いが超必要な、とっても仲の良い夫婦だ。

"涙とともに種を蒔く者は喜び叫びながら刈り取る。
種入れを抱え泣きながら出て行く者は束を抱え喜び叫びながら帰って来る。"
【詩篇 126篇5~6節】




ケパ









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対照的なペテロとパウロ

2018年09月27日 | 聖書
キリスト教の代表者と言えば、イエス・キリストを除けば、ペテロ、ヨハネ、パウロである。聖書の分量や信仰義認という教えの土台で言えば、パウロが一番であり、キリスト教のことを別名パウロ宗教と呼ぶ人もいるぐらいである。しかしペテロは筆頭弟子、ヨハネは黙示録を書いた最後の使徒というように、それぞれ重要な使命を果たしている。(ペテロ)

ところでペテロとパウロは実に対照的な存在である。ペテロは異教の地ベッサイダ生まれの漁師だったが、カペナウムにあった妻の実家に婿入り同然の暮らしだったと思われる。

イエス・キリストはペテロをおそらく最初の弟子とし、「あなたはヨハネの子シモンです。あなたはケファ(言い換えれば、ペテロ)と呼ばれます。」と預言している。ケファ(私は第三版までのケパ)とは岩のことで、信仰の堅さを予表し預言したものだ。このペテロの家のカペナウムを拠点として主イェスは公生涯を進められた。

漁師だったペテロは直情径行と言うか、素直で熱血漢でもあった。インテリジェント性には少し欠けようと、誰よりもイエスを愛し、信じ、忠実であった。ヨハネとともにイエス・キリストの証人として唯一無二の存在である。

他方パウロは、ベニヤミン族の生粋のユダヤ人でありながら、ローマ植民地のタルソに生まれ育った特権階級、ローマ市民であった。ローマ植民都市出身の富裕層で特権階級、バイリンガル、ガマリエル門下という当時最高の律法学の系譜と言うインテリジェンス。比較して喩えるなら、ペテロが庶民代表、パウロは逆にエリートであった。(知識の象徴である本を持つパウロ)


生まれ育ちだけではない。キリストとの出会いも好対照である。ペテロは最初の弟子であった。(マタイ4章17~20節)この時、ヨハネ伝によればペテロはすでに洗礼者ヨハネの弟子であった弟アンデレによって、イエスに引き会わされ、イエスが神の子、神の子羊であることを知っていた(ヨハネ1章36〜42)ので、何のためらいもなく従ったのである。※時折りメッセージで聞くが、弟子としての召命までに、すでにペテロはイエスと会って、使命まで聞かされていたことを忘れてはならない。(ペテロと鶏鳴は聖書の重要な記事である)

ペテロはイエスと生活を共にし、重要な機会にはすべてその場にいた生き証人であり、キリストの昇天以後を託された最重要人物であった。彼の言葉には、その人柄からみて偽りが全く無く、証人としてこれ以上ないと言える人物であった。

だから以下に述べるパウロがどんなに才能があって優れていたとしても、事実としてのイエス・キリストが確固として存在しなければ、全くそれは空しく絵に描いた餅となる。その目的にペテロは完全である。
付け加えるなら、独身を貫いたパウロと違ってペテロは妻帯しながら各地を巡回した。だから私は生き返ったドルカスと共に歩んでいる。

対するにパウロはその真逆である。最初、彼はイエスとその弟子たちを、自分を神と名乗る冒とく者、不思議を行って大衆を扇動する危険な一派だと見なしていた。だから真のユダヤ教を守るために、イエスとその弟子たち異端者たちを根絶しようと人一倍熱心に活動し、実際、ステパノを殺害した時の証人でもあった。
それだけでなく、さらに迫害の手を外国にまでも広げようとしたその時、ダマスコを前にして天からの強烈な光によって打ち倒され、
「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。」(使徒の働き9章)と強制的に神に召されてしまった。敵対者にして迫害者No.1であったパウロを、神権で持って宗旨替えさせたのである。これはペテロと大違いだ。(ダマスカスはの道でのパウロ)

この二人はしばらくして、ユダヤ人社会にはペテロが、異邦人社会にはパウロがと、互いの伝道するエリアを棲み分けるすることになった。
ペテロの属したエルサレム教会は、すぐに主の兄弟ヤコブがペテロを抜いて指導者となり、ペテロは都エルサレム以外のユダヤや少し足を伸ばして巡回するようになる。ユダヤはローマに反逆し、A.D.70に亡ぼされ、世界に散らされると同時にエルサレム教会も消滅した。

こうして最終的に残ったのはパウロの異邦人キリスト教会であり、もしパウロなかりせば、ユダヤ教の新興一派的なイエス派は、割礼を厳守するユダヤ教の中に取り込まれて消滅していたことだろう。しかしそうならなかったのは、最高度の律法学を学んでいたパウロが、ユダヤ教と決別した「信仰義認」の神学を打ち立てたからである。パウロはそのために神が備え、強制的に引き立てた人物であって、全世界対応にして最もユダヤ教を知る最適で完全な人物であった。

ペテロにしろパウロにしろ、神の計画はどんなに完全であるのかを、この二人を通して見るのは、誰も一致するところだろう。





ケパ


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カンボジアチームでは

2018年09月27日 | 派遣
月曜日から遣わされているカンボジアチーム。今日は最終日です。
孤児院では、子供達向けにセミナー❣️がいろいろね。

キーボードレッスン


作詞作曲セミナー


ギターレッスン


更に高度な技術で、アルペジオレッスン


そして夜には、簡単なPAセミナー

子供達よかったね〜〜。みんな楽しそう

Photoはチームのブログから頂きました〜

チームは深夜便で帰国です。成田に早朝着なので、各人の帰宅迄、守られますよう祈ります。


ドルカス



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外は雨

2018年09月25日 | 生活
外は☔️〜神様が共にいる こころは🌤〜♪
こんな詞の賛美、少し前にあったなぁと、口ずさみながら、朝から降ったりやんだりの外を眺めてる。

昨日から遣わされているカンボジアチームは、なんとか曇り空で守られているみたい。そろそろBBQの時間ね。

孤児院を卒業してから、昨年だったかな。ここでの聖会で受洗したヴォッテイが、スタッフと共に手伝ってる。子供達の先輩の姿がいる事は私にも嬉しい。

船橋近辺、今夜も雨はやまないねー。
ゆうべ空を見上げてよかった。


"光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。" ヨハネ 1章5節

このみ言葉を思ってしまう。
風のひびき5集には、このみ言葉そのもの51.光は闇の中に の賛美を好んで歌ったよね〜力も受けたね。
さあ、もう少し私は作業だよ。新曲の歌詞書き出し。これは楽しい作業〜

ドルカス



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見分け

2018年09月24日 | 示されたこと
インターネットの記事や、毎日、大量に送られてくるメールには、見分けが必要である。それができなくて痛い目に遭って、スマホやパソコンはもうこりごりという人もいる。またはそれを聞いて、自分はやんないと尻込みする人も・・・・。

しかしちょっと授業料を払う場合もあるだろうが、見分けの目を養えば大丈夫。それを逃げてしまっては、情報化がますます加速する中、他者に依存するしかない時代になるはずである。

《私の見分け方》インターネット(検索サイト)〜
前回の私の記事で、中国では検索エンジンで全世界の人が使うGoogleを使わせず、自国製の百度(パイドゥ)を使わせている。Googleは必ず正と負の記事を並列させ、検索者に選ばせるからである。つまり「主の十字架クリスチャンセンター」と調べれば、「東京アンテオケ教会の公式サイト」が出るが、その横に「カルト団体」と言うのも並んでいることになる。プラスとマイナスの評価を並べて、検索者に判断させるわけである。

これを中国でやると、中国という国が戦車で国民をひき殺すようないかに非民主的か、政治、生産、文化などあらゆる点で自由と国民の権利(人権)を剥奪しているかが明瞭になってしまう。だから国民には知らせないよう、百度で一切共産党に都合の悪い情報を排除し、統制するわけである。知らなければ批判することすらできないからだ。
中国においては、チベットのラマ教、ウイグル族のイスラム教など少数民族の宗教はその地の支配徹底のため弾圧している。法輪功などはドキュメンタリー「馬三家からの手紙」で分かるように、共産党員を超える人数になると急に逮捕し、収容所送りだ。キリスト教も例外ではない。共産党の脅威になると破壊される。

逆に自由な国では、Googleでのブラスとマイナスの、どちらの情報が正しいか、常に見わけなければならない。Googleのすごいところは、どんなにヒット数が少なくても、必ずマイナスの項目を意図的に並列させるところである。それが正しい判断を選択する土台だと考えているフシがある。

残念ながら国民性というかこの国では、プラスだけでなくマイナスが、たとえ意図的にでも存在するだけで、見わけようとするのではなく、否定的な見方を取る。要するにケチが付いていれば傷ものであって、見わけようとしないのである。もし、本当にマイナスが正しいのであれば、何らかの事件になったいたり、社会的な制裁が加えられているはずなのだが。
つまり根拠も裏付けもない偏向したマイナス、単なる批判中傷が、Googleには堂々と載る。その実際的な例として、私たちの主の十字架クリスチャンセンターが被害を受けている。

これは主の十字架クリスチャンセンターが、他の教会のような名誉毀損とかの法的対抗処置を取らないからである。これは私の個人的な推測に過ぎないが、聖書にあるようにクリスチャン同士で「争うな」と示される神に従っているためなのではないだろうか。また真に神を知っている人なら、どちらが正しいか必ず見分けられるはずである、そう信じているため、あえて放置しているのだと思う。

ここに見分けのポイントがある。アマゾンで実物を見ないで製品購入する時も同じなのだが、「この品物は最高!」とレビューなどで良い評価があっても、出品者が工作し、百度のような情報統制されているかも知れない。そこで製品のレビューの内容を精査しなければならない。百パーセント礼賛している良い評価は怪しい。むしろ多少の問題点を指摘していても、それでもここが良いとする評価の方を信じられる。

私は検索エンジンでもネット買い物でも、表示されている評価(レビュー)の数を気にする。数が多ければ多いほど、信頼性が高いのだ。少ないのには注意しなければならない。

もしその製品が希少な品物で一切のレビューがなかった場合、その時はデータを良くチェックし、実物を近くのお店に見に行く手間を惜しんではならないだろう(実物を見るのはすべて基本だが)。それができないなら、そのメーカーとか、取扱店を調べ、提供されている情報が信頼できるかチェックする。
そのすべてがわからなければ、基本、買っていけない。どうしても買う場合は、それは後悔しない捨て金のつもりで。

以上のことは、Googleなような検索エンジンでも、アマゾンでの買い物でもすべて同じである。実際、私たちの教会に初めて来られる方は、教会のホームページをよく吟味され、見分けてから実際に来られるケースが多い。
そしてこれが一番大切なことだが、自分の判断を過信せず、神に祈り、平安を得ていることが何事も基本である。





ケパ








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連鎖祈祷会

2018年09月23日 | 祈り
今日は礼拝会場で、感謝と賛美の連鎖祈祷会してます。

なぜなら
午後には、ここでpeacefulの練習もあります。
お近くの方どなたでも来てくださいな〜


ドルカス



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礼拝

2018年09月23日 | 教会のこと

おはようございます。
今日は、第二音楽室から礼拝です。始まりますが、オンラインは始まりますが、不都合が生じましたら、午後の保存版でおねごいします

今日は、証しはm姉が立ちます。


今日はオンラインも順調のようです。


聖書は、ローマ12章1-2節 から
神のみ心を知る。をテーマにメッセージです。


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映画「ヒットラーと戦った22日間」(原題 Sobibor)

2018年09月22日 | 映画•映像

この映画はホロコースト(第二次大戦中に、ナチスが行ったユダヤ民族抹殺)関連の映画であって、この分野では「シンドラーのリストなど」数々ある中での、劇場公開中の最新版である。題名の絶滅収容所ソビボルは下の図の通り、ポーランド領だがウクライナの国境近くにある森林地帯のただ中にある。ナチスの作った収容所の規模としてはビッグ3に入る規模である。

このホロコーストによって六百万人以上のユダヤ人が犠牲になったと言われている。キリスト教の求道者であった高校生時代、書籍「アンネの日記」まではまだ良かったが、「夜と霧」では心が痛み、吐きそうになりながらも最後まで読まずにはいられなかったことを思い出す。文明の最先端にいた国が「どうしてこんなことを?」と、解決できない問いを突きつけられたようだった。


映画の方であるが、今回の映画までに私たちが観た映画は、「シンドラーのリスト」「ライフ イズ ビューティフル」「戦場のピアニスト」「サウルの息子」「ユダヤ人を救った動物園 ヤンとアントニーナの物語」などがある。

実話再現の映画なので、ストーリーは手が込んでいない。舞台となったソボビル強制収容所は、唯一収容所の収容者が大反乱を起こし、全員が大脱走した所なのである。この不名誉な事実に驚愕したナチスは直ちにこの収容所を閉鎖したほどである。

大脱走は計画的に綿密に行われた。軍事面と組織化面で、それぞれに卓越したリーダーがいたからである。リーダーの指揮通り、ナチス親衛隊の将校たち主だった者を暗殺してから始まった。
しかし最後のテロップで、全員で400名、脱出の際100名が撃たれて殺され、逃げた現地人に150名が殺されたと出た。現地人に、と言うのにびっくり。かなり残念な数字である。

映像によるインパクトにうながされて、今回あらためて「どうしてこんなことが」と考えてみた。

このホロコーストを行ったのはナチスであり、そのの背景はナチズムである。いま欧米ではトランプ大統領のような自国中心主義、移民受け入れ反対、反ユーロという、いつか来た道が再び大きな運動になりつつある。いわばナチズムという悪夢の再来のようである。
だからここでナチズムと言う国家主義を、もう一度短くおさらいをしたい。

ヒトラーは1919年の段階で「ユダヤ人全体を断固除去することが最終目標」であるという書簡を記しており、その著書『我が闘争(1925-1926)』では「ユダヤ人問題の認識と解決なしには、ドイツ民族体再興の企ては無意味であり、不可能である」と書かれている。ヒトラーは入党前に記した最初の政治的書簡で「ユダヤ人とは即ち、無条件に人種であり、決して宗教団体などではない」という認識を示していた。(以上ウィキペディア)

ここで<人種>という言葉に注目していただきたい。人種的にすぐれたドイツ民族(アーリア人種)と、こじつけた理由で「劣等民族」としたユダヤ人とは、どちらが勝つか相譲れない関係であり、どちらかが生きるか死ぬかの闘争であると定義している。このような狂信的な人物がなんと、世界でももっと民主的なワイマール憲法下、一国の第一党となり、直ちに憲法を停止し、言っていることを実行したのである。この背景には1929年に始まった世界大恐慌がある。第1大戦の敗北で莫大な負債を負わされたドイツは、国全体がどん底に突き落とされ正常な判断ができなくなっていた。またユダヤ人多くが金融業に就いていたのも拍車をかけたようだ。

そして決定的な理由として、科学立国のドイツがユダヤ人撲滅の正当化する理屈として、進化論を奉じていたことである。現在では人類は単一の種であって、人種というのは存在しないことがわかっている。が、当時や私の若い頃まで白人種、有色人種と平気で差別していた(アメリカでお店の入り口、バスの乗車口など)。確かに青い目の遺伝子、金髪の遺伝子があることから、種とは関係ないものをナチズムは民族間の優劣に応用したのである。

もし神がアダムとエバを創られたという、聖書の信仰に堅く立っていたならば、民族抹殺のようなナチズムの狂気は見分けられたはずである。それゆえ、まったく検証も証拠もないにも関わらず、ドイツ人の信仰は科学的に見える進化論の毒牙にかかり、非常に衰えていたのである。
なお付け加えれば、ユダヤ人こそ聖書のローマ人への手紙11章24節
あなたが、本来野生であるオリーブから切り取られ、元の性質に反して、栽培されたオリーブに接ぎ木されたのであれば、本来栽培された枝であった彼らは、もっとたやすく自分の元のオリーブに接ぎ木されるはずです。
によって、ユダヤ人こそ神の祝福を受けるべきオリーブの台木であって、ユダヤ人でないクリスチャンこそ接ぎ木された野生種であることを認識すべきであった。本末転倒とはこのことである。

しかしまた、神の計画は計り知れない。この天文学的な犠牲者を出したユダヤ人は、聖書の地、イスラエルに帰ろうというシオニズム運動がますます盛んとなり、二次大戦後の1948年に、国を失って二千年後、聖書の預言通りついに独立を達成した。これは隠れキリシタンどころではない、実に驚くべきことである。



ケパ





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