ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

くるみ割り

2018年11月30日 | 食べる
先週、田舎へ🍎リンゴ採りの手伝いに行った時
必ず欲しいものの一つ、クルミを、まず直売所で手に入れた

千葉県特産の落花生に劣らず、ケパさんは大好きですからね〜
(もちろん田舎へ土産には落花生忘れません)
とほくほくして、実家でクルミの話をすると何と、義姉さんが既に私達へと用意してくれてあって、何と幸せな事〜〜
いつも欲しがるからね。忘れずにいてくれるのです。

このクルミと、リンゴ、そして信州産のえのき茸に、青首大根(信州特産の緑色の大根)この四つの食材で、母がよく作ってくれた甘酢ドレッシングで作るサラダは、今や私も定番レシピ。
ケパさんはチョット意外な組み合わせと思ってるかも。
クルミは割ってそのまま食べるべし❣️
のようでして、活躍するのはくるみ割りね


チョット我が家のはいかついのよ。

もう20年近く前に、ものづくりしていた友人から紹介してもらい、手に入れたこれは、機能性には充分のだけれどね


このリス君のくるみ割りには、完全に引けをとるね〜。なんて洒落たくるみ割りなんでしょう〜〜

いずれにしても、これがあれば、楽々とクルミが割れて美味しく食べられるのですから、感謝ですね。

ドルカス





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25日のメッセージ

2018年11月29日 | 教会のこと
25日の主日礼拝。Facebook動画が途中で切れてしまいました。

今回のメッセージのテーマは
「聖霊の目的」興味持たれた方が多かったようです。主に感謝します。

blog「ケパのメッセージ」で、25日のメッセージをアップしました。

ケパのメッセージ


ご覧下さい〜

ドルカス






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「聞き従い」は神への愛

2018年11月28日 | 
私たちは神に愛されている。特にクリスチャンは子として愛されている。歌集「風のひびき」でも、そんな曲が結構目立つ。何となく「そうだよなぁ-」と気持ちよくなるが、しかし実際に神の愛を体験している方は、案外少ないのではないのではないだろうか。

本当の愛って何? 「好きです、愛してます」と連呼して相手に迫ることではない。まして相手を恐怖とか権威、腕力で支配することでもない。愛とはふれあい、交わることを喜ぶこと。そして相手の心を重んじ、自分より優先し尊ぶことではないだろうか。

親は子を愛する。これは理屈抜きの感情だ。もし子を遠ざけ触れ合うことを避ける親がいたとしたら、それは名ばかりの親で、実質がないと言うほか無い。

神様と私たちの関係も同じ。父なる神は、私(たち)を子として下さる。愛して下さる。だから本質は、私(たち)とふれあい、交わりたいのである。
しかしそこに障害となるのが、聖なる父に対し、罪ある私である。それゆえ愛なる父は十字架によってその障壁を取り除いてくださったのだ。
"神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。"(ヨハネ3章16節 © 2017)
罪の問題を解決してくださったのに、その実体そのものである聖霊のバプテスマを、何と多くのクリスチャンが受けていないことだろうか。それは聖霊さまの内住があっても、聖霊を主とせず(口先では「主よ」とか言うが、実際には自分が主であり、自己中心、自分教からは抜け出ていない)、それすらも自覚できていないからだろう。

一つのカラダには、一つの主しかあり得ない。そしてそれは、人の力では可能なことではないと思う。しかし、試練、困難を通し、神は為して下さる。だから逆にそれは、愛されたしるしであり、祝福なのだ。
"神にとって不可能なことは何もありません。」"(ルカ1章37節 ©2017)
こうして十字架、復活を通しての約束のもの、【聖霊のバプテスマ】の目的は、神さまが人と交わるためである。また聖霊のバプテスマは交わりなれば相互のものであって、子もはじめて父なる神を本当に知ることになる。そして日々の祈り、聖霊によってか開かれる御言葉を通して、父を知れば知るほど、「ああ、なんてすばらしいお父様、私はあなたの子であることを喜びます❗」と、父を深く親しく愛するようになる。こうして交わりが深まれば、さらに! どんなにか、父から愛されているかがわかるようになる。「殉教? はかないこの世の命と、このお父さまとの永遠の暮らしと、どっちを選ぶか迷うことないでしょう」となるほど。

実現した父子の交わりは、父を愛し慕うので、どうしても父の最高の計画のお手伝いをしたい、そのような心が湧いてくる。父はそのような子を喜んでくださり、子の希望を通してご自分のわざを進めて行かれる。

ところで愛なる神さまは、私たちをロボットや兵隊のように、命令して従わせようとは基本的には意図しておられない。父の御性質に反することだ。それはある意味、私たちがきかん坊で駄々っ子の無分別な時に、私たちを守るために仕方なくされるのだ。そして時には叱られる(私はよく叱られた)。
しかし本来「聞き従い」とは、基本的には命令とはならず、自発的に父の計画を喜んで先取りして行おうとするもの。交わりを通しての忖度(そんたく)の類、子がする父への愛の現れだと私は思っている。

※この内容は下記のブログ【ケパのメッセージ】で「聖霊の目的」(2018年11月25日)でも詳しく述べています。
http://capha.cocolog-nifty.com/blog/



ケパ




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なんという事

2018年11月27日 | 健康・スポーツ
ケパさん
先週末は少し頑張りすぎたようでした。
晴れ渡った秋の金曜土曜の一泊で、田舎へりんごの収穫の手伝い。
いつもより随分早く出発して、午後の作業に加わり、りんご採り。
陽が暮れる前に兄と2人で車のタイヤ交換、それが済む時にはライトがないと確認できない時間だった。


夜は早く休めばと思いつつ11時は過ぎ、翌日は帰りの運転を考慮して、りんごの収穫は私のみ手伝う。沢山のりんごを分けてもらい、昼過ぎに実家を出発。
途中黒猫ヤマトで荷物を出したり、念願のの蕎麦を食べて。(さすが連休もあって30分ほど待ち)
上信越道へは2時半頃だったか。

気温の低さと風の冷たさでアレルギーのクシャミが始まったのか始まったのか鼻水も止まらないようで、だんだんと鼻風邪かな?どちらか?と判断がつかないね。

関越道に入ると渋滞が始まった。
ケパさんのクシャミ、鼻水は止まらない。予防の為にマスクをして何とか凌いだけれどね〜。

渋滞の間運転を私が代わり、その間で少し体が休まったのか都内に入ると、このまま横浜まで行こうと、まわり道することにした。クシャミは相変わらず止まらない。が、何と横浜に着く頃にはクシャミはほとんど止まる。
ベイビーに影響なくて良かったよね。抱っこもしたね。
でも寄って来て良かったよね。
その日はもう遅いので無理せず家に帰ろうと、私は主張したのだけど、途中からケパさんがそう言うなら、そう従おうと思わされ、行くことにうなずき、そして祈った。平安であるように〜。

翌日の日曜日は何と、礼拝中鼻水が止まらない。礼拝中はTPを横に置くほど。

神様に感謝して、午後のしばらくを家に帰宅し休むが、夜の礼拝終わる頃からきっと熱が出てたね〜
自宅に帰り体温を測ると、やはり37℃ある。私は焦るよ。癒しを祈りますよ。

取り敢えず、喉の痛みを取る為のクスリと喉に優しいかな、りんごでビタミンをカバー。いやいや一番はお祈りよね〜

そして今日は落ち着いていて、

今夜のうちにと説教要旨を書き上げてました。
神様!明日の水曜礼拝には完全に回復がされていますように、祈ります。
勿論寝ているその胸に手を置き、癒しがあらわされますよう祈った。

ドルカス






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25日の礼拝が‥‥途中で切れた

2018年11月26日 | 教会のこと
今日は、昨日の礼拝を見ようとFacebookの動画を開きましたが、


なんと途中で切れてます。後半が無い。牧師のメッセージが聞けないよ。
皆さん申し訳ないです。映像係りがっかり
礼拝中 ん?と気付きはあったのですが、どうしようもなく〜〜



しかし、メッセージを聞きたいと思われてる方。他の方法あります。

blog「ケパのメッセージ」こちらでメッセージを読むことができます。

ケパのメッセージ


今週末いやぁも少し早くアップしますから、ご覧ください。


ドルカス




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11月25日主日礼拝

2018年11月25日 | 教会のこと
おはようございます。今日もご一緒に礼拝いたしましょう。
オンラインの方はフェイスブックでご覧ください。


今日のメッセージは
ルカの福音書 11章11-13節 から、
テーマを「聖霊の目的」で語られます。




ドルカス



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天使のベット(まんまるねんね)

2018年11月24日 | 生活
田舎から帰りながら回り道。都心部挟んでの移動になるけれど、早く信州のリンゴと野菜など届けたくて、
そして姪たちと会いたくて、回り道した。


到着してまず目に飛び込んできたのは、ベットの中のベイビー

ん? 見慣れないベットねぇ。そして良く寝ている、のんちゃんのお布団ちょっと持ち上げると、なんと
天使のベットと言うんだそうで、少し斜めの体形で、クシュッと丸めた🦶足
ちょうど母親の胎内の中にいる体形です。とても安心するのだそうで。
その体形を保つベットで、

傾き、枕とか体を保てる様な工夫がされてます。


パパ体験のあるケパさんが抱いても、


私が抱いても、良い子だけれど、

新米パパが言うのには

「あのベットが一番落ち着いてるようですよ」ってね。
ママのお腹の中は、本当に平安な幸せな場所だったんだね〜〜

ドルカス




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美しくおいしい信州レポート

2018年11月23日 | 自然

勤労感謝の今日、早朝船橋を出発し、込み始め直前の外環道を辛くも通り抜けた。しかし関越道まで行くと、時間的にもさすがに三連休のラッシュにつかまってしまった。とは言え、外環道や関越道で、今日の富士山はハッとするほど大きくクリアーに見えた。冬型の縦縞等圧線のお天気は、雪を降ろしての凛とした空気を運ぶらしい。(外環道の正面に)

(関越道では渋滞の窓に)

信州上田では、リンゴのフジが収穫期である。私たちはいつものようにドルカスの親戚のリンゴ園に行く。するとそこは真っ赤かのリンゴの鈴なり。

ところでリンゴは枝との境である、リンゴの果軸(果柄・果梗・ヘタ)を残して摘み取らなければならない。これは丁寧に採りましたよ、という意味であるし、その結果の品質をも保証するものだ。しかし少々コツがいる。 はじめは失敗続きで損害を出してしまったが、今回ぐらいからまあまあの初心者レベルになってきた・・・・かな?

今日のリンゴ作業で気になったのは、鳥害である。もぎ取ってみると、何割かの割合でリンゴが1箇所から数ヶ所、鋭くえぐられ傷つけられた跡がある。せっかくの最高においしいリンゴが、全く売り物にならない。程度がよければジュースぐらいにしかならないのだ。つい「鳥たちよ、食べたいなら、人間みたいに一つまんまる食べてくれ。一つ突ついて、また次を一突き、そんなグルメは止めてくれ-」と。そんなわけでリンゴ園の下は、無念のリンゴがゴロゴロである。

鳥だけではない、雹害もある。自然は美しく、恵み豊かでおいしいが、同時に自然との戦いでもある現実がある。
さて、明日は新蕎麦を食べに、草笛に行けるぞ。神様、感謝します。



ケパ




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J.GOSPEL FAS 2018

2018年11月22日 | ゴスペル
11月23日(金)勤労感謝の日に、吉祥寺の井之頭公園野外ステージで、
「吉祥寺 J.GOSPEL FES 2018」
が、The Vision 主催で行われます。



お天気だといいですね。井之頭公園は大きな公園ですから、ゴスペル聴いたり散策したり、ボートに乗ったり、楽しい休日が過ごせそうですね。
お近くの方是非是非出かけてくださいね。


ドルカス






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聖墳墓教会

2018年11月21日 | 派遣
もしクリスチャンが聖地イスラエルに初めて行けるとして、先ず行ってみたいNo.1は何処だろうか? 多くのクリスチャンは、おそらく「聖墳墓教会」(英語名 :Holy S epulchre 岩壁をくり抜いて作った聖なる墓)を挙げると思う。

それも当然である。ユダヤ人(ユダヤ教)はエルサレム神殿を、イスラム教徒(モスレム)はメッカを第一に目指す(エルサレムの黄金ドームは第3の聖地)だろう。ではクリスチャンは、なぜ聖墳墓なのだろうか?

そこは主イエスが十字架上で、全人類の罪を背負われて死なれた所であり、かつ復活された所であるとされている。もしこの十字架と復活が無かりせば、クリスチャンほどあわれな人々はいない。

"もし私たちが、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら(註 ;キリストの復活がなかったのなら)、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。"(コリント人への手紙 第一 15章19節 2017)(下はキリストの墓。正確には墓を覆う建物)

私たちクリスチャンにとって、ゴルゴタの十字架と、すぐ近くにあるはずの復活の場所、墓は信仰の文字通り、土台であり、史実としての証明なのだ。そして聖墳墓教会は、下記の流れで発掘され、全体を天蓋で覆うといった、原形がわかりにくいほど、ほぼ完璧に保護された施設となった。だから実際に中に入って、様子をよく見ることが大切になる。この聖地にまで来て、目の当たりにしてそこを見ない人がいたとしたら、それはかなり勿体ないことだと私は思う。残念なことは、この場所で、せめて半日、できれば数日、じっくりと祈りに専念できないことだろう。

四世紀の313年、コンスタンティヌス帝が西ローマの皇帝として即位(後に東西ローマを再統一)し、キリスト教はひどい迫害の歴史を打ち破り、晴れてローマの公認宗教となった。熱心な信仰者であった帝の母ヘレナは聖地に飛び、全学者を集めて、十字架の場所をエルサレム中に探し回った。その結果、此所しかないと聖墳墓教会を建てたのだった。

歴史的に、古代教会から現在に至るまで、この教会はカトリック教会、東方正教会、アルメニア使徒教会、コプト正教会、シリア正教会の複数教派による共同管理されている。面白いことに、会堂の鍵を異教徒のイスラム教徒に託さなくてはならないほど、各教会のこだわりは尋常ではない。

鍵だけではない。私たち日本人には想像ができないほど、この聖墳墓教会をめぐっての、ものすごい歴史がある。正教会の時代とイスラムに奪われた時代。またその奪還と十字軍の時代など、どれほどの執拗な歴史があったことだろうか。これらの一事をとっても確かさが分かるが、近年の考古学からも、聖墳墓の確かさが裏付けられて来つつある。正直、園の墓(Garden Tomb)は影が薄い。ただ、祈る場所としては、聖墳墓よりはるかに素晴らしい。

クリスチャンの皆さん、カトリックの霊だ、何だと四の五の言わず、古代教会からの連綿と続く聖墳墓教会に入りましょう。確かに人混みの中、暗く香の臭いはするけれども。




ケパ




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